女官長から聞かされた風聞を、アリステアは配下に調査させた。結果として、顔を顰めることになる。女官長の言は正しくはなかった。更に酷い。 「アリステア。何があった」 執務の休憩を、とリーンハルトがスクレイド公爵家の部屋に来ていた。執務室にいては仕事の方が押し掛けてくる。最近ではきちんと休息を取る場合には、このようにしている二人だ。 「言いたくないか?」 ちらりとリーンハルトが笑う。ここには侍従も女官もいない。二人きりで、ほっとくつろぐ時間。茶もアリステア自身が淹れる。 「言いたくない、というよりお聞かせするに憚ること、ですな」 「ほう?」 「先だっての、ロックウォール子爵のことですよ」 あれか、とリーンハルトが首をかしげた。少々挑発的に過ぎる目をしていたけれど、かえってあの程度の身分ならばそのようなものでもある。上を望む気概が表に出すぎているのだとばかり、リーンハルトは思っていた。 「女官長から忠告を受けまして」 アリステアは調査に至る切っ掛けを話す。それには呆れるリーンハルトだった。アリステアの身分ではたかだか子爵のことなど逆にわからない。そのようなものを相手にしていては、陽が暮れるであろうし仕事など片づかない。ましてアリステアはこのような状況になっても神殿との行き来を欠かさない。神に認められた武闘神官としての責務も果たし続けている彼だった。 「お前。私に色々と言うわりに働き過ぎではないのか」 「そうでもありませんよ。できる範囲でやっておりますし、手も抜いていますからね」 「そうは見えん」 見えては困るアリステアだった。傍に示しがつかない。苦笑するアリステアに、話がそれているぞ、とリーンハルトが渋い顔をした。それほど言いにくいことか、と。 「ですからね、ロックウォールはラクルーサ至上主義であることは、間違いないようです」 「咎めるようなことではないな」 「同感です。問題は、同性愛者嫌い、というところですな」 ほう、とリーンハルトの目が細められた。昏い蒼の目がそのような形になるとアリステアでもこの場を立ちたくなる。これをロックウォールが見ればなんと言うことだろうか。 「率直に言って、従兄上が――」 言いかけて、アリステアは黙る。とても率直になど言えない話題だった。泳いだ視線にリーンハルトが目を和ませ、そのような自分に気づいたか息をつく。だが怒りは強い、いまなお。 「私が抱かれるのが悪いと?」 「従兄上!」 「事実だろうが。そもそも、見てもいないのにそのように想像される、というのも不愉快なものではあるがな」 双方ともに男性で、けれど思い込まれる、というのは不愉快なもの、ではあるかもしれない。アリステアは小さく笑って首をかしげていた。 「私はどちらでもいいですがね。抱いてみますか?」 「ごめん被る。性に合うとは思えん」 想像してしまったのだろう、なんとも言い難いリーンハルトの苦笑だった。リーンハルトとて、一人で立てば引き締まった硬い肉体を持つ端正な男性だ。が、その隣にアリステアがいるとなれば鍛え方が違う、とも見えてしまう。 「それほど違いもしないのですがね。従兄上は着痩せする」 「お前が鍛え過ぎなんだ」 「軍神の神官ですから」 にこりとアリステアが笑った。少しでも不快を減らそうとしてくれるアリステアにリーンハルトは伸びあがってくちづける。隣に座して、身を寄せあっているからこそ、二人きりだからこそできる。このような貴重な時間を奪われたくはない。 「そもそもな、仮に逆であったとして、だ。納得すると思うか? そんなはずはなかろうよ」 「……遺憾ながら同感ですよ」 「だろう? 同性の伴侶がいるのなど男らしくないと言うのならな、いっそフロウライト一族ごと潰すぞ」 「従兄上!」 「私が男らしくないと批判されるならば有効な手段ではあるぞ。戦う、というのは『男』のすることだからな」 ふん、と鼻を鳴らすリーンハルトはずいぶんと本気で苛立っている様子だった。常に冷静であるリーンハルトにして、弱点はアリステアなのだろう。彼は自身を批判された、というよりはむしろ、アリステアを非難されていると感じてでもいるようだった。 「それは戯言でやめておいてください、と申し上げたはずですよ。従兄上」 「以前はな」 「今も、です」 「……お前はだんだん口うるさい乳母のようになってきたぞ」 「従兄上が我が儘を言うからでしょう」 「言える相手がいるからな」 喉の奥でリーンハルトが笑った。くつろいでそのようなことを口にしている彼を見るのがアリステアには喜び。また、決して実現などさせない王であるとも理解している。 「いくらでも言ってください」 戯れに抱き寄せれば驚いた声。けれどそのまま胸元に頭を預けてきた。目の前にリーンハルトの金の髪。アリステアは何気なく髪にくちづけを。 「くすぐったいぞ」 「失礼」 「こちらがいい」 つい、と仰のいたリーンハルトにくちづければ、ほんのりと唇の下で微笑む彼のそれ。悪戯に舌先で舐めれば、ぎゅっと背中を掴まれた。このままでは次の仕事に差し障る、双方が気づいたのは幸いだった。 「まぁ、実際に実行することはない……と思うが。それでも万が一の際には私は自分を抑えることはしないぞ、アリステア」 くちづけの直後にそのようなことを言ってくるのもリーンハルトらしい。ロックウォールはいったいどのような妄想をしているものやら。この王が、「娼婦のように喘いでいる」とでも思っているのか。想像されている、と思うだけで不快なアリステアでもあった。 「なにがおかしい?」 その不快さが、笑みとなって表れた。リーンハルトの訝しげな眼差しに、アリステアは改めて微笑む。彼は笑みの性質が違うことに気づきはしたけれど、深く追及はしなかった。 「こうして人は悪王を作っていくのだな、と思っておりましたよ。我が王」 「では私の責任ではないな」 「それを放言、というのです」 くすりと笑ったアリステアのそれに、リーンハルトの笑い声も重なる。互いに体を預け合い、くつくつと笑う。それだけでずいぶんと気分もよくなった。 ただ、アリステアには調査の結果でリーンハルトに言っていないことが一つある。違和感、とでも言うべきことで、言えるような話ではまだない。ロックウォールが先鋭化した理由がわからなかった。以前からラクルーサ至上主義にして同性愛者嫌いは変わってはいないらしい。それが最近になって、表面化したとでも言おうか。以前は一応は言葉を慎んでいたものをはっきりと口にするようになったと言う。その理由が、わからない。 ――従兄上とのことが切っ掛けとは、思えん。 それならば、アリステアが寵臣、として公表された時点で表出しているはず。時間の差が、気にかかる。何かがあったのか、それとも我慢の限界だったのか。その差など、他人が調べてわかるものではない。 「また考え事とは、ずいぶんと酷いぞ。可愛い私の従弟殿」 「……それ、嫌がらせですよね。従兄上」 「そのとおり。お前が私を放置するのがよろしくないのだよ」 見上げてくるリーンハルトの目が和んでいた。詫び代わりに額にくちづけを落とせば足らない、と言われる。触れ合わせるだけのくちづけでは満足できなくて、続きを求めたくなる。 「……従兄上」 「同感だ。このあたりでやめておこう」 「こんな時まで冷静でいらっしゃるな」 からかうアリステアにリーンハルトは渋い顔。そうでなければ国王など務まるものかと言いたげ。だからこそ、リーンハルトが王であり、自分は神殿に逃げたのだとアリステアは何度となく思う。 「まったくもって不快だぞ。お前が何をしたと言うのか」 「話は終わったのでは?」 「ここからは私の愚痴だ」 断言されては致し方ない。からりと笑ってアリステアは一旦座を立ち、茶を淹れ直す。神殿で調合している複数の薬草、香草を混ぜた茶で、最近のリーンハルトの気に入りだ。 「お前がな、たとえば国費を乱用しただとか言うのならばわかる」 「どうやってするんですか、そんなものを!」 「やろうと思えばできるぞ? だいたい寵姫というものはそうやって国庫を空にし国を傾かせるのだからな」 納得できるのがどうかと思う。アリステアは茶を飲みつつ天井を仰いだ。それにリーンハルトが小さく笑う。 「なぁ、欲しいものがあるか。買ってやろうか」 「さて。困りましたね。領地経営も順調ですし。欲しければ自分で求めますが」 「だろう? となると、だ。金では片のつかないもの、ということになる。何が欲しい?」 「ここで私は『従兄上ミルテシアが欲しい』とでも言えばいいんですかね」 「では戦争だ――にはならないだろう、どう考えても」 長いリーンハルトの溜息。歴代の宮廷にとって、寵姫の乱費と政治への介入は頭痛の種だ。アリステアは自身がスクレイド公爵でもあり、金の点はまったく心配がない。政治に関しても、断固としてかかわらないと表明し、最も近くで執務を見ている侍従たちがそれを証明してもいる。 「その上で何が悪いのか、さっぱりだよ。私は」 「なにが悪い、ではないのでしょう。人が何かを嫌悪する、とはそのようなものですよ」 「理由もなく嫌悪される身にもなれ」 それはそれで正しい言い分だとは思うが。だからといってロックウォールに考えを改めろと言ってもどうにもならないだろう。 「彼が彼なりに、従兄上の施政に従うならば私は何を言うこともないですよ。正直、子爵程度に嫌われようが憎まれようが、どうということもない。うちの騎士たちで充分片づけられることでもあります」 万が一の際には、騎士団が勝手に動くだろう、アリステアは言う。その程度の裁量をアリステアは騎士団に与えている。グレンにあとで釘を刺しておこう、とは思いつつアリステアは微笑んでいた。 |