死刑と決まっていた元アントラル大公ヨハンの処刑が、急遽早まった。王城前の広場に設置された首切り台に、民衆が蝟集している。ざわざわと、あちらこちらで囁きかわす声。 「前の王妃様を殺しなすったそうだ」 「前の王妃様って……お前」 「ほら、スクレイド公爵様の、お母上様の」 「だが、あのお方は――」 反乱にかかわったのではなかったか。言いかけた男の口を誰かが、しぃと閉ざさせる。それでもまだざわついていた。 雪が降っていた。首切り台も白く染まっている。少しずつ、貴族たちも姿を見せはじめた。王の名の下において行われる公開処刑だ、貴族は王都にいる限り、出席する義務がある。誰もが暗い色合いの衣装をまとい、白い雪の中、いやに目立っていた。 中には、北の塔に収監中の元王妃テレーザの父に当たる、フロウライト伯爵の姿もあった。その傍らには麾下のロックウォール子爵が。青い顔をして、処刑のはじまりを待っている。 反乱に、直接かかわったわけではない、彼らは。だが、テレーザの近い身内ではある。まして、王はフロウライトのしたことを知っている。王宮内に放たれた暗殺者が、彼の手配であったことを知っている。それでいて、見逃されたのか、泳がされているのか。 「閣下」 ロックウォール子爵の小さな声。伯爵は無言で首を振る。何を言っても自分はもう終わりだと彼は知っていた。あとはリーンハルトが隠棲の許しをくださるのを伏して待つのみ。 そんな伯爵が苦々しいロックウォール子爵ではあった。王妃の身内として、栄耀栄華を得られるはずであった一族の長がこれでは。ましてリーンハルトにこそ非はあっただろうと子爵は思う。決して口には出せないが、いまの王の傍らにある者が誰かを思えばこそ。 ざわり、ひときわ声が高くなる。貴族たちが立つ席の台上遥か高み、リーンハルトが姿を見せた。その背後にはアリステアを従えて。濃い灰色の外套が、彼の顔色を白く見せていた。 やはり、子爵はそちらに頭を下げつつ苦く思う。王は寵臣を従えるのか、と。子爵は忘れているのかもしれない。かつてもリーンハルトは公式の式典の際にはスクレイド公爵をこうして伴ったのだ、ということを。彼にとって公爵は敬うに値しない男になっているのかもしれない。あるいは王も。 ひぃ、と悲鳴が聞こえる。民衆ではない。王が姿を見せたのとほぼ同時に、ヨハンが引き出されてきた。 「あれが、大公――」 誰かが言う。確かにそのとおり、ヨハンはとてもアントラル大公位にあったとは見えない。窶れ切り、よろめき。否、役人に抱えられ、半ば失神しているのだろう、ぐにゃりとした肉体。それを引きずるよう首切り台に乗せられた。 「はじめよ」 官吏の声に、首切り人が台上に上がる。そのとき、意識を取り戻してしまったヨハン。首切り人の姿を間近で、まじまじと見てしまった。声もなく絶叫し、ずりずりと尻で下がろうとするも、両側から役人に腕を掴まれ果たせない。 「わ、私が、何をした……!? 私だけが、あの魔術師を止められるのだぞ!?」 ヨハンの狂乱の声に耳を貸すものは誰もいない。民衆すら。城には、宮廷魔導師団がいる。ヨハンの魔術師より、そちらが強い、民衆は単純にそう信じ込んでいた。 襟元をくつろげられ、跪かされ、ヨハンは震えることもできず首を晒す。わなわなと、唇だけが震えていた。目が、頭上の王を捉える。 「ひ……」 ヨハンは、遠くリーンハルトの目を捉えてしまった。昏い蒼の目が、自分を見ている。真っ直ぐと、淡々と。憎悪もなく、冷淡ですらなく、憐れみなどは更にない彼の目を。失神する間際、首切り人の重たい斧がヨハンの首に落とされた。 ぼたり、とヨハンの首が笊に落ちる。転がる無様を避けるためではあったけれど、死者の尊厳など皆無のその景色。もっとも、反逆者に尊厳など無用ではあったが。飛び散り、吹き出す鮮血が、台上の雪を赤く染めて行く。見事な首切り人の一撃に、民衆がやんやと沸いた。 「従兄上」 アリステアの手が、雪の積もった金髪に伸びる。さっとひと払いで雪を落とした。かすかにも動かないリーンハルトの目。アリステアはそれでいいとばかりわずかに顎を引く。自分にはわかっているから、と。 無言のまま外套をひるがえし、リーンハルトは背を返す。その王の姿勢を民衆が歓声を上げて評価した。それでこそ強き王とばかりに。 「アリステア」 宮殿内に戻っても息をつくわけにもいかないリーンハルトだった。それでもアリステアが隣にいる。それだけでどれほど慰められていることか。 「ここにおりますよ」 そっと小さく囁いてくれたアリステアに、リーンハルトは目だけで笑う。強張っていた。処刑など、好きな王はおそらくはいないだろう。どうせ処分するのならば、己の手で片づけたい、と思うリーンハルトだった。が、そうはできない。 「不穏なことを考えておいでですな、我が王よ」 「……言うとお前が自分でやる、と言い出しかねないからな」 「ご賢察にございます」 軽く頭を下げて見せるアリステアの姿。廊下を行けば貴族たちがそんな彼を見ている。半歩を下がり、王に従う公爵の姿を。かすかな囁き声が、いまでも聞こえなくはない。ただ、ずいぶんと小さくなってはいる。 「――気になるか」 「特には」 「それは結構」 わずかに鼻で笑ったようなリーンハルトの気配。アリステアは眼差しを伏せたまま、口の中に苦味を覚えた。苛立っているリーンハルトに、自分は何ができるのかと。ヨハンのこと一つとってもそうだった。結局、血の魔術師が何を企図しているのか、いまだにわかっていない。どれほど調査を続けても、だ。 ヨハン処刑で、王国の混乱の芽は消えた、その喜びの宴が開催される。通例ではあったが、死刑をした直後に宴、というのはあまり気分のいいものではない。貴族の浮かれ騒ぎも、どこかいつも以上に浮ついている。 リーンハルトこそ、顔を出さないわけにはいかない宴ではあった。が、平素よりなお、静かにその場にいる王だった。元々闊達であったり豪快であったりする型の王ではない。その静けさが威となる型の王ではある。普段にもまして、けれどリーンハルトの冷たい眼差し。ほどなく公爵を伴って退席した。 フロウライト伯爵は、その冷たい目が自分に向けられていたのだと信じて疑わない。ヨハンの次はお前だと言われているかのよう。背筋だけではない、真剣に首に冷えた斧を感じた。ヨハンの首に落とされた、あの斧を。 「ご酒はいかがですか」 ロックウォール子爵に酒杯を渡されようとも、フロウライト伯爵の顔は青いまま。自分が生きてのうのうとしていれば、娘がどうなることか。否、娘だけではない、むしろテレーザは死んでくれた方がためになる。自分とテレーザとが生きていれば、一族がどうなることか。息子がどうなることか。 「アーチボルト」 ロックウォール子爵を呼べば、雄大な肉体を誇るかのよう、軽く膝を折って見せる。頼りになる、のだろうか。自分は伯爵位を退く。同時にこの世からも退くことになるかもしれないが、そのとき息子を頼めるのだろうか、この男に。 「息子を、頼む」 だが頼れる相手はもう、この男しかいなかった。テレーザが収監されて以来、一族ですら、伯爵からは距離を置いた。 「このアーチボルト・レイブンズにお任せを」 どんと胸を叩いたその音。間違っているかもしれない。わずかな懸念は、けれど進退を失った伯爵にとってはすでにどうにもならないことでもあった。 数日というもの、リーンハルトは不機嫌なままだった。侍従はおろおろとしていた様子だったけれど、かえって女官などは公爵様にお任せなさいませ、と侍従をたしなめていたほど。そんなこととは露知らないアリステアではあったけれど、彼はその間まったくと言っていいほど動いていなかった。 執務室で己の執務を片づけ、リーンハルトの側にいる。ほぼ、それだけだった。席を外し、王子と息子の様子を見に行くこともある。額にくちづけるのは護身呪の強化。リーンハルトは返事もせず無言で受けるだけ。それで充分だった、アリステアには。いまどれほどリーンハルトの心のうちが荒れているか、彼ほど知るものはいない。 「アリステア」 呼びかけて来るのは夜も遅くになってから。仕事を片づけ、会話もせずに食事をし。そんな自分にふと気づいて申し訳なくも思うのだろう。 「そろそろ休みますか?」 だからこそ、アリステアはただ微笑む。なにも気にすることなどどこにもないのだ、と口にするよりはっきりとリーンハルトには伝わるはずと。 「……あぁ」 ゆったりと立ちあがろうとしたリーンハルトをアリステアは抱き寄せる。何をするつもりもない。冗談のよう抱き上げることもない。肩だけを抱き、寝室に引き取る。何も言わず、ただ腕の中に包み込んで眠る。胸元を握りしめるリーンハルトの手。爪が白くなっていた。 それが数日にも及んだのだから、侍従がやきもきするのも当然だったのかもしれない。アリステアはよくぞ数日で立ち直ったものだと感嘆している。ウィリアのことは、それだけリーンハルトに重く伸し掛かっていた。先が見えない不透明な状況の中、打てる手はすべて打ちたいと励んだリーンハルト。アリステアは傍らにいただけだ。 「――アリステア。助かったよ」 「なにがです?」 「側にいてくれた。それだけでいてくれた。私には過分な男だな、お前は」 ふっと目が笑う。数日ぶりに見る和んだ昏い蒼の目。アリステアの口許がほころぶと同時に、胸が弾む。この人は、こんな顔で笑う男だったと、改めて見せつけられたかのような思い。 「アリステア?」 「従兄上が好きだな、と思って眺めていました」 「な――」 「冗談は言っておりませんよ、我が王」 にっと笑うアリステアを戯れにリーンハルトは打つ。ちょうどそこに書類を持ってきた侍従は愕然と立ち止まっていた。 「いかがした?」 王に言われて何度となく目を瞬く。そして破顔しては、リーンハルトではなくアリステアに向けて深く一礼する始末。いたく不満だ、と顔を顰めるアリステアをリーンハルトが笑った。 |