シャルマークから異形があふれるに従って、人間世界は変化せざるを得なかった。大小様々な変化が一度に起こり、混乱をきたしたこともある。アリステアにとって悲しみと共に想起されるのは、信仰の希薄化。シャルマークからあふれる異形を止めてもくれず、姿を消した神人たち。神の御使いとも呼ばれた彼らへの信頼が失せればまた神々への信仰も薄れる。
 いまはそれでも多少は回復している。けれど、以前は降臨祭、と呼ばれていた祭りはなくなってしまった。神人降臨を感謝し祝う祭りであっただけに致し方ない部分はある。現在では単に冬至の祭り、とだけ呼ばれていた。
「いいのですか、従兄上」
 その冬至祭は、家族とすごすのが礼儀、と言われている。最も陽の短くなる日は家族と共に食卓を囲み慎むもの、と。
「家族だろう? 従弟一家なのだから」
 リーンハルトが微笑む。冬至祭の王の晩餐に、アリステアとレクランは呼ばれていた。この晩ばかりは平素は食事を共にしない姫たちも一緒だった。さすがにまだ乳児の末の王子だけは同席していない。それでも最初の挨拶のときにはいたのだが。
「中々無茶を仰せですよ」
 アリステアは小さく笑う。アンドレアスがレクランに身を寄せて笑っていた。仲のよい友人であり、はとこ同士でもある彼らだった。こうして共に晩餐の席にいる、というのは嬉しいものなのだろう。
「いやだったか?」
 リーンハルトもまた、くつろいでいた。ここには本当に家族しかいない。給仕もすでに下がっている。リーンハルトとアリステアと、その子供たちがいるばかり。
「おじ様、嫌だなんて仰せになってはいやよ」
「――と、ロザリンドも言っているが?」
「ここで嫌だと言えば私が悪者ではないですか」
 からりとアリステアは笑った。嫌なのではない。むしろ、嬉しく思ってはいる。少し面映ゆいだけ。リーンハルトの子供たちから迎え入れられる、というのはやはり多少の落ち着かなさを呼ぶ。リーンハルトはどうなのだろう、と思うが彼の方はレクランと共にあるのを気恥ずかしくも感じていないらしい。息子とレクランが楽しそうに食事をしているのを目を細めて見つめていた。
 ゆっくりと過ぎて行く時間。貴重で、この上もないものだった。姫たちの明るい笑い声、アンドレアスが悪戯をし、ロザリンドに怒られ。マルリーネが父の膝に乗れば行儀が悪いぞ、と今度はアンドレアスが叱る。レクランがそんな彼をくすくすと笑って見ていた。いまだけは、「王子殿下の学友」ではなく、はとことして。
 ――たいしたものだ。
 たった十二歳にして、レクランはその使い分けをしている。自分はどうだっただろうか、ふとアリステアが考え込んでしまうほどレクランは見事なものだった。
 食後の菓子を持ってきた侍従が見たのは、そんな国王一家の姿。侍従ですら目を細めてしまうほど穏やかで、温かな家族の姿だった。
「リーネ、席にお戻り。お菓子だよ」
 アリステアが言えば、ぷい、と頬を膨らませて彼の膝から下りるマルリーネだった。すっかりお気に入りになったらしい。小さな姫を膝に抱くのは嬉しくはあるが、壊しそうで怖くもある。
「父上。大丈夫ですよ」
「うん?」
「リーネ姫は、それほどお小さくはありませんよ」
 レクランにぷっとリーンハルトが吹き出した。よほどとんでもない顔でもしていたらしい、自分は。アリステアはそっと天井を仰ぐ。
「お前は娘がいないせいかな。姫たちを膝に抱くときには壊しそうで恐る恐るだぞ」
「それは、そうですよ。武骨な手では痛かろうかとも思いますし」
 言えばリーンハルトの目が笑う。どこが武骨な手かと。子供たちの前ですよ、目顔で言えばにやりと笑う彼がいた。
 その子供たちはすっかりお菓子に夢中だった。冬至の伝統菓子は決して甘くおいしいというわけではない。が、口にできるのはこの日限りだ。それはやはり、楽しい様子だ。
「従兄上」
 手の中で大きな菓子を割って渡せば、マルリーネが兄に同じことをしていた。大ぶりに焼かれた菓子にはたっぷりと生姜が効かせてある。他にも香辛料が色々と。爽やかな風味の焼き菓子だった。ラクルーサの伝統的な冬至の菓子。こればかりは降臨祭がなくなっても同じもの。
「あぁ、変わらずうまいな」
 むしろ大人になってからの方が美味と感じるような味わい。赤葡萄酒と殊の外によく合う。リーンハルトが渡された菓子に口許をほころばせていた。
 昨年の冬至には、ここには王妃テレーザがいた。いまは、アリステア父子がいる。姫たちはそれをどう感じるのだろう。思ったけれど、アリステアは考えなかった、それ以上は。リーンハルトはどうあっても割り切ることはできないだろう、テレーザのことは。子供たちの顔を見るたびに、様々な思いが去来しているのをアリステアは知っている。
 あるいは、幸いだった。リーンハルトがアリステアの一瞬の思いに気づくより先に、慌ただしく扉が開かれたのは。そこには青ざめた侍従と、顔色を失くした近衛騎士。何を言わせるより早くリーンハルトは席を立つ。
 部屋の片隅で、立ったまま報告を受ける国王の姿に、子供たちもおとなしくしていた。アリステアは一度マルリーネを膝に抱く。彼女一人、幼すぎて不安げにしていたから。
「おじ上は、お優しい」
「そうかな? リーネが可愛いからだと思うぞ」
「まぁ、ひどいおじ様。わたくしは?」
「おや。ではローザ姫もこちらに」
 きゃっと小さな可愛い悲鳴が上がった。二人の姫を同時に膝に抱き上げてもアリステアの膝は広かった。胸元に頭を寄せてもまだ広い。姉妹は顔を見合わせてくすくすと笑う。
「アンドレアス様も実は?」
「別に羨ましくなんてないからな!」
「僕は何も言ってませんよ」
 レクランもくつろいでアンドレアスと笑い合う。それでいて、神経が張り詰めているのをレクランの父は感じている。近衛騎士が現れたことに、何かを感じているのだろう。よい感覚をしている、内心で息子を褒めていた。
「従弟殿」
 リーンハルトに呼ばれ姫たちを軽々と膝から下ろしアリステアは笑って立ち上がる。彼女たちが不安に思わずに済むように。
 だが、内心は違った。近衛騎士がいるからではない。リーンハルトの語調が違う。同じよう従弟殿と呼びはしても、いまのは。そもそもここは家族の席。彼はずっと名を呼んでいた。
「――報告を」
 リーンハルトの小さな声。近衛騎士がうなずいて報告を繰り返す。それはアリステアの顔色を変えさせるに充分だった。が、彼は断じて揺らがずそれを聞く。
 ウィリアが、死んだ。冬至の日の冷たい海に落水し、死亡したとのこと。修道院から急遽使者が来ては知らせたと言う。
「どう思う、従弟殿」
 ウィリア死亡がどのような事態を招くか、予断を許さないなどというものではない。たとえ完全な事故死であろうとも、また仮に自然死であろうとも、ラクルーサは荒れる。シャルマーク派、門閥貴族派に二分され。いずれもがウィリア王太后を陰謀により暗殺したのは相手方だと言うに決まっている。
「私が参りましょう」
「――従弟殿」
「それが一番、確実でしょう」
 にこりと笑うスクレイド公爵に近衛騎士がほっと息をついていた。使者の言を信じないわけではない。あの慌てぶりを見た騎士としては、信じざるを得ない。だがしかし。
「従兄上はどうぞ席にお戻りを」
 平静のまま微笑んで王の手を取り、席へと連れ戻す公爵に騎士は目を丸くしていた。姫たちも王子も戻った父王に嬉しげ。スクレイド公子ひとり、あえかに微笑んでいた。
「少々用事ができてしまいました。中座の無礼をお許しくださいますか、姫」
 あえてロザリンドとマルリーネに言うアリステアに彼女たちは膨れてみせる。そんな妹を笑いながら叱る王子。騎士がはじめて見た温かな姿だった。
「優しいおじ様はきっとお土産をお持ちくださいますわね? そうしたら許して差し上げる」
「これは厳しい。土産物などどこで求めましょうか」
「他愛ないものでよろしいの。楽しみにしています」
 貴婦人のよう微笑む上の姫に騎士は魅了されていた。おしゃまな下の姫がおじさまいってらっしゃい、と笑う姿にも。
「では従兄上。行って参ります」
 軽くかがんだアリステアがリーンハルトの額にくちづけをした。騎士が思わず目をそらすのも忘れるほど、無造作で当たり前に。
「あ――」
 だがそれは、レクランに声を上げさせるに相応しい鮮やかなものだった。あまりに素早く行われた護身呪の強化。リーンハルトの全身を強い神の加護で包み上げたのがレクランには見えていた。
「おじさま、ずるい!」
 マルリーネに拗ねられてしまって、アリステアは彼女とロザリンドの頬にもくちづけをした。それをリーンハルトが大らかに笑う。ありがたかった、彼は。子供たちを不安にさせないよう振る舞うアリステアが。
「気をつけて」
 手を取り、指先にくちづける。アリステアの目許にさっと朱が差す。照れたらしい。それにリーンハルトは微笑んでいた。
「――後は、任せたぞ」
 晩餐の席を立ち、レクランの横を通り抜ける間際、息子にアリステアはそっと囁く。レクランもまた顔色一つ変えず、うなずくこともせず。それでも力強い同意。
「急ぐぞ」
 部屋を出れば途端に公爵の気配が変化した。騎士が背筋を伸ばす。そこにいるのは温かな家族に囲まれる男ではなく、軍神に認められた武闘神官、ラクルーサの剣にして楯。騎士が長い一歩に追いつくのに苦労するほど足早にアリステアは行く。
「使者はすでに?」
「は。まだ戻ってはいないかと」
「では共に戻ろうか。お前は――陛下のお側に。どこぞに我が騎士」
 グレンがいるはずだからそちらを伴っていく。言いかけたアリステアの前、すでにグレンが控えていた。
「素晴らしい。急ぎだ。いいな?」
「お任せを。レクラン様の下にはすでにニコルを向かわせております。気の利いたるものですから、陰ながらお守りいたしましょう」
「よし」
 準備はできている。ならばあとはこの体を運べばいいだけだ。スクレイド公爵主従の鮮やかさに、近衛騎士が思わず見送りながら頭を下げていた。




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