愛する人から受ける按摩がこれほど甘美とは知らなかった。触れる手が、あまりにも温かでリーンハルトはうっとりと吐息を漏らす。それがどれほどアリステアに歓喜を与えているか、彼は知らないのだろう。 「……なぁ」 ふと、言葉が漏れてしまった。それにリーンハルトは正気づく。言うつもりのなかった言葉が、続いて行きそうな。続けてはならないだろうに。 「従兄上。雑談ならばいつでも」 ふっと覗き込んできたアリステアの目が笑っていた。施政に関する重大な話ではないのだろう、と言うように。無論、そのとおりではある。どれほど油断していたとしても、リーンハルトはそのようなことは決してしない。それを理解されている喜びが後悔を上回った。 「……フロウライトのことだ」 体を揉み解されながらリーンハルトは呟く。やはりな、とアリステアは彼の背の上で苦笑していた。リーンハルトはこうして睦言めいたことをしているときにこの手の面倒な話題を持ち出すことが多い。よほどくつろぐのだろう。そして、そこまで弛緩しなければ口にも出せないのだろう、彼は。 「どうしました?」 ゆっくりと背中の中心を押せば吐息。凝り固まった肉をほぐしながらアリステアはなんでもないことのよう問うていた。 「――隠居を願い出ていてな」 当然だろうな、とアリステアは思う。現フロウライト伯爵はテレーザの父だった。すでに老境の彼がせめて家の保持を願ったとしてもなんの不思議もない。 「過日の暗殺未遂の件があっただろう?」 「ありましたね。まだ生かしてありますが」 「どうしている?」 「魔術師が管理していますよ。とりあえず、片腕はだめになりましたが、肉体的にはずいぶん戻ったそうです」 つまり、精神的にはいまだアリステアの支配下にあるも同然、ということだろう。実際は魔術師による下僕化の呪文下にあるのだが、暗殺者本人はアリステアを恐怖すること甚だしい。 「フロウライトはあれは自分のしたことではない、と必死でな」 以前の内乱で王宮に放たれた暗殺者は、間違いなくフロウライトがしたことだった。そして、リーンハルトはそれを知りながら、知らぬ顔をした。知られていることに、フロウライトは気づいている。以前のものがフロウライトならばこの件も、王が疑っているのではないかと彼は必死らしい。こちらの事件の詳細を発表していないからこそ、恐怖は募っているのだと。無論、直接弁解するはおろか、何一つとして口になどしてはいない、フロウライトも。それをすれば確定の事実になりかねない、その恐れ。釈明から疑義を呈され処刑、などよくある話だった。 「だからこそ、息子に爵位を譲って家の保持にと走ったのだろうが」 「貴族としてはよくあることでは?」 何も悩むようなことでもないだろう、暗にアリステア言う。いずれにせよ、代替わりをしたからと言ってリーンハルトの警戒が薄まるわけでもない。そしてそれを向こうも理解している。 「……だがな」 ふと声が淀んだ。肉体に触れているアリステアに気づかれてしまう、とばかり固くなった体からあえて力を抜こうとするリーンハルト。アリステアは意図的に触れ方を変える。 「あ――。アリステア!」 「なんです?」 「今……なにを……」 振り返って目許を赤くしながら睨むリーンハルトにさて、とアリステアが笑った。わかっているのだから気など使うな、と言いたげに。それには小さく笑うしかないリーンハルトだった。 「正直な、許したくないのだよ。私は」 「従兄上」 「わかっている。これは私情で、政治に持ち込むべきことではない。だがな、テレーザの身内だと思うと、どうしてもな」 アリステアのこと、子供たちのこと。思うことがありすぎる。アリステアが自ら殺したエレクトラのようには、いかない。アリステアは「レクランという息子を与えてくれた」、それだけは感謝すると言うけれど。 「従兄上」 愛撫の手のまま、アリステアはリーンハルトの耳元に囁く。それから再び手つきを戻した。わずかに残念そうな吐息が聞こえる。思わず浮かんだ笑みに気を引き締めたけれど、リーンハルトには気づかれていた。 「笑うな、馬鹿者」 「失礼」 「それで、何を言いかけた」 「……俺が言うと、別の意図があるように聞こえるとは思うのですがね。もう、お忘れなさい、テレーザ殿のことは」 「アリステア――」 「俺だって嫉妬くらいはしますよ。あなたのこの体に触れた女がいる、と思うと苛立ちもします」 それは自分こそだ、リーンハルトは思う。アリステアと自分と。こうして睦み合うからこそ、逆にエレクトラを思う。あの女は、アリステアに抱かれたのだと。もう死んでいては憎むことも難しい。 「でもね、従兄上。はじめから、あなたは俺のものです。何一つとして、他人のものであったことはない。髪の一筋さえ、俺のものです」 伸びてきた手が、リーンハルトの金の髪を軽く梳いて行った。背筋に痺れを感じ、リーンハルトは声もない。全身を貫くこの感覚をなんと呼べばいいのか。 「赤の他人のことであなたが煩わされるのをもう見たくない。だから、お忘れなさい。あのまま朽ちて死んでいけばよろしい」 無惨を口にしているとアリステアは理解しているだろう。それこそ、リーンハルトの子供たちの前では決して口にしないだろう。いまだけ、この場限り。 「……私は、ずいぶんお前に信頼されているな」 「今更なにを仰せで?」 ふふ、と耳元で笑うアリステアの声が聞こえた。そのとおりだな、とリーンハルトは目を閉じる。アリステアから寄せられる全身全霊の信頼。幼いころから変わっていない、そう思う。 「まったくもってそのとおり。私ははじめから、お前のものであったと思うよ。だがな」 覗き込んできた頭を無理矢理伸ばした腕で捉えれば、答えなど知れているとばかりアリステアの目が笑う。 「お前も、私のものだ。はじめから」 うつぶせたままのくちづけに体がよじれる。背中に乗ったままのアリステアは退こうとはしなかったから。重みを感じているのが、快かった。それと知るアリステアだからこそ。 掴まれた腕を外させ、アリステアはくちづけを続ける。少しばかり不満そうな吐息が聞こえたけれど、腕をひねりそうで怖い。それほど軟弱ではない、言いたいだろうけれど。 「いま、笑っただろう」 「さて、なんのことでしょうね?」 言い様に、またも手つきを変えたアリステア。ふっと寄せられたリーンハルトの眉根に腹の奥に震えを感じる。香油にぬめる肌に手を滑らせれば、吐息が変わる。背中から腰に、脇腹に。 「ん――」 それだけではなく、更に下へと。本人がそれと知らぬ間に軽く開かれた足。アリステアの目が笑う。その間に指で触れれば、はじめて気づいたのだろうリーンハルトの背中が跳ねた。 「アリステア――!」 何を、と問うつもりだったのだろう。けれど問う暇すら与えられず、答えが来た。埋められた指先。逆に漏れだす吐息。うつぶせたままの背中に、乗り上がってくるアリステアの重み。重なる肌と肌が。香油のせいで常より一層に吸い付くよう。 「従兄上」 耳元でアリステアの声がする。体中にアリステアを感じる。自分の中で、アリステアの指が蠢く。水気を含んだ金の髪から飛沫が飛んだ。 アリステアが体を浮かし、思わずリーンハルトは引き留めようとする。まだその重みを感じていたかった。だが。再び乗りかかってきたそのときには。 「あぁ……」 ぴったりと重なったまま、アリステアが自分の中に。押し潰される己の肉体が。貫かれ、支配される喜びというものがあるのだと知った。身動きすらままならず、それでも、否、だからこそ震えるリーンハルトの体をアリステアは抱きしめる。 「アリステア――」 まわってきた腕に顔を埋め。リーンハルトは更に深く、より強くアリステアを求めていた。体の内が、収縮し、彼を逃すまいとしているのが意識されてしまっては、身悶えたくなるというのに。重い男の肉体に、逃れもできない。それが次の歓喜に繋がり続け。 「……続きは、寝室に戻ってからにしましょうか」 一度深くに押し込まれた肉体。つい、とアリステアが離れて行こうとする。引き抜かれるざらついた快楽に身を震わせ、けれどリーンハルトは。 「いやだ……抜くな……。そんな、生殺しというものだろう!」 大理石の台の上、すでに足を下ろしていたアリステアに掴みかかる。驚いて目まで丸くした彼の膝に乗りかかり、腰にまたがり。恥ずかしげもなく再び収め。 「ん……、あぁ……」 腰を抱かれてはじめて、アリステアが目の前で見ていた、と気づく。自らの手で、男のものを収めている姿を、見られていた。アリステアの唇が笑っていることで、嫌でもそれと知った。 「見るな、馬鹿者」 「見せてください。もっと。とても綺麗でしたよ、従兄上」 「妙なことを、ほざくな。馬鹿」 抱かれた体を揺すられて、リーンハルトの言葉は途切れがち。決して離すまいと縋るようなリーンハルトが愛おしくて、狂いそうなほど。 またがったまま、深くを求め、強くを欲し。リーンハルトはアリステアの頭を抱きしめて、それを支えに自ら腰を揺らす。体を持ち上げ、引き抜いては己で埋める。リーンハルトの耳元で聞こえる荒い呼吸。知らず笑みが浮かんだ。自分一人ではない、愛する男もまた、この身に快楽を覚えているのだと思えばこそ。 不意に腰を掴まれ、半ば唇を開いたまま首を振るリーンハルトはくちづけすらも嫌がるよう。それが深いものになれば、熱心に舌を絡み合わせてくるのだけれど。名残惜しく離せば、不満顔をした。 「このまま続けるとお風邪を召しますよ、従兄上」 「うるさい。黙れ」 「なのでせめてあちらに」 「いいから、アリステア。このまま――」 何を言っているのか理解などもう放棄したリーンハルトを一度きつく抱けば、ほっとした吐息。それを契機にアリステアは立ち上がる、リーンハルトを抱いたまま。繋がったまま。 「あ……っ」 「掴まっていないと、危ないですよ?」 「お前は……ん……っ」 何をしているのか、驚くリーンハルトの思考が蕩ける。そこだけが、強く意識された。アリステアが歩を進めるたびに、信じがたいほど深くまで貫かれる喜び。仰け反れば、危ないでしょう、と笑うアリステア。掴まれて、貫かれて。体も思考も蕩けて行く。前室の寝椅子に押し倒され、こんなところで抱かれているのだと思ったのは一瞬にも満たない間だけ。 |