長いこと机に座り通しで体が強張ってしまったリーンハルトだった。アリステアは、と見ればまだ淡々と書類を片づけている。鍛え方が違う、小さく笑ってしまった。 「従兄上? お疲れのようですね」 「まぁな」 「では肩などお揉みしましょうか」 にっと笑って今日の分、としてあったのだろう書類を脇にどけるアリステアだった。目顔でよいのか、と問えば緊急性は薄い、と返ってくる。その噛みあい具合に気分がよくなった。 「アリステア?」 肩を揉む、と言ったのに、彼はリーンハルトの手を取って立ち上がらせた。それに訝しい顔をすれば片目をつぶられる。 「女官たちは謹厳な陛下に悪い遊びを教えるのは私の仕事、と心得ている様子ですよ」 「なに――?」 「浴室の支度を整えておく、と先ほど言っていましたから」 どういう意味だ、と問うより先に執務室から連れ出された。このままここにいてはまた仕事を再開させかねないリーンハルトだとでも言うように。それ以前に、アリステアに教えられる、というところに引っ掛かりを覚えた彼だったのだが。 「アリステア――」 「なんです?」 「お前は。その。まぁ、そういうことも、あろうな」 うむ、と独り決めしてうなずいているリーンハルトだった。すでに執務室周辺に人気はない。元々この執務室自体がリーンハルトの寝室に隣接している、いわばごく私的な空間にあるせいもある。日中はここではなく、臣下が出入りしやすい場所で執務を取る彼だったが。 「従兄上。なんです?」 言いたいことがわからなくはないアリステアではあった。だが、思わず口許が緩んでしまう。リーンハルトが何を考えているか、察すればこそ。誰もいない廊下を、二人で手を繋いで歩く。それにすらリーンハルトは気づいていないのではないだろうか、いまは。 「……どこで、誰に教えられたのか、と思ってな」 遊びの仕方など、リーンハルトも知らないではない。一応のたしなみ程度には、心得てはいるが。ならばアリステアも同様だろうとは、思う。納得したくないだけだと、気づいてリーンハルトは苦く笑った。 「言わないことにしましょうか?」 「黙られると勘繰るぞ」 「それはそれで嫌ですね。――たしなみ程度に教えられませんでしたか、従兄上も?」 「まぁな」 「私も同じですよ。なのに、女官たちは陛下はご存じないのだから、と思い込んでいる。実にいい迷惑ですよ」 からりとアリステアは笑った。女官たちがどれほどアリステアを信頼しているかわかるような、そんな気がリーンハルトにもする。この自分のため、アリステアに彼女たちは協力してくれているのだろう。ふと口許が緩んだ。 「と言うわけで、少し楽しんでいただこうという趣向のようです」 寝室に隣接している浴室だった。ゆったりと国王一人がくつろぐためのもので、あまり大きな浴室ではない。とはいえ、そこはそれ、国王の浴室だ。たとえ屈強なアリステアが共にであったとしても狭いとは言えない。 「従兄上」 浴室の前室に当たる部屋もまた、美しく整えられていた。以前は眠る前に体を温めるためにだけ使用していたリーンハルトであるせいか、これほど飾られていた、との記憶がない。花が活けられ、小卓には冷たい飲み物。寝椅子には柔らかな上掛け。思わず頬が熱くなる。 その寝椅子に腰を下ろさせられ、リーンハルトはアリステアの手を受ける。軽いくちづけの合間に、少しずつ衣服を脱がされていくのは心地よかった。リーンハルトもまた、アリステアの衣服を剥いでいく。滑らかな、鍛え抜かれた肉体に手指が触れればくすぐったそうに笑う彼。少し、悔しくも思う。 「ずるいぞ、お前は」 知らず呟く。自分はこれほどまでに胸を高鳴らせているというのに、まるで平静の顔をした従弟が悔しくてならない。そんなリーンハルトにアリステアこそ鼓動を弾ませているとは知らずに。 「ここで睦み合うのも悪くはないですが――」 にっと笑えば赤くなるリーンハルトだった。遊び方を知っている、とは言っても遊んだことなどないに等しいだろうリーンハルト。だからこそ、おくつろぎあそばせ、と女官がこんなことを仕掛けてくるのだが。 「な――」 浴室もまた、様変わりしていた。見慣れた浴室ではある。床と同じ高さに埋め込んだ純白の浴槽は大理石造りだ。満々とたたえられた湯があふれだし、床を濡らす。その床からして、彩色陶板で飾られた、リーンハルトにとっては見慣れているもの。鮮やかな色合いが、湯に濡れて耀かんばかり。だが見慣れないものもいくつか。 「これはさすがにやり過ぎ、と思うのだがな」 「ですね。いささか少女趣味にすぎる」 「だろう?」 湯には花びらが浮かんでいた。色とりどりの、いったいこの冬の最中にどこから持ってきたのかと目を疑わんばかりの花びら。よい香りがしているのは確かだが、男二人は顔を見合わせて笑い合う。 「それと……これは、なんだ。見当もつかないのだが」 リーンハルトは浴槽の隣に置かれている、台、だろうか。それに目を向けていた。こちらも材質は大理石と思しい。斑の入っていない浴槽と違い、こちらは美しいまだら模様を描いていた。 「触れてごらんになったら?」 言われて触れば驚いた。温かい。充分に湯に温められた浴槽と同じほどに。だが、何に使うのかは、まだわからないままだった。 「あとのお楽しみに取っておきましょうか。従兄上、お手を」 口許で笑うアリステアに手を取られ、浴槽に身を沈める。見慣れた彼の裸体ではあったけれど、こうして明かりの下で目にするのはやはり、気恥ずかしい。そらされた視線に気づいたアリステアが、無言でリーンハルトを抱きすくめた。 「アリステア!」 「なんです?」 耳元で、囁かれるアリステアの声。思わず背筋に痺れが走り、彼の背中にまわした腕が縋りつく。ぎゅっと抱かれた背中にアリステアは満足そうだった。 温かな湯の中、抱き合っていれば心地よい。それだけで疲労など溶けて消えてしまう気がする。アリステアの肩口に頭を預け、リーンハルトは軽く目を閉じていた。 濡れてしまった金の髪に指を通せば、水気が移ってさらに輝きが増したかのよう。見上げてきた昏い蒼の眼差し。アリステアは微笑んで無言の要請をいれる。触れるだけのくちづけでは我慢ができなくなって、深い場所まで求め合う。膝の上に抱き上げられたリーンハルトは、それにも気づかず、アリステアの首を抱きしめていた。 「アリステア? 驚いた」 唇が離れ、リーンハルトはそう言って目を丸くして笑う。その驚くほど無垢な目を見ることが許されているのは自分ただ一人。アリステアの目もまた和んでいた。 「それほど熱中していただけたとは、光栄ですな」 「なんだその言いぶりは」 「なんと言っても国王陛下ですし」 くつり、と笑って再び腕の中に抱き込むよう、リーンハルトを膝に抱き直す。湯の中だからこそ、多少の無理のある体勢が可能で、リーンハルトもこんなことならばもっと早くに楽しむのだった、と後悔をしないでもないほど。 「あ――」 ほんのりと色を含んだリーンハルトの声音。抱え上げられた肌には濡れた花びらが幾枚も張り付いていた。それをアリステアが唇で剥がしていく。ひどく甘美で、もどかしい感触。先を求めたくなる、そうリーンハルトの眼差しが求めようとした時。 「さて、そろそろ温まりましたか? ではこちらにどうぞ」 にっと笑ったアリステアだった。性格の悪いことをする、唇を引き結んだリーンハルトではあった。だがその目は笑みを浮かべる。先ほどの台へと促すアリステアに、リーンハルトは立ち上がろうとしたのだが。 「なにを!」 「動くと危ないですよ、従兄上」 「だが」 なんと頼もしい腕かと思った。アリステアとリーンハルトは、実際問題として剣の腕ならば互角。おそらく王国で一二を争う技量を持っている。一見細身に見えるリーンハルトであったけれど、肉体の鍛錬は怠ってなどいない。アリステアに負けたくはない。アリステアに誇ってほしい。ゆえに、みっしりと肉のついた体だった。それをいとも易々と抱き上げたアリステアを思う。賛嘆の眼差しに、アリステアの方が羞恥を覚えた。 「そんなに見ないでください。恥ずかしい」 「お前はなんと素晴らしいのだろうと、思っていた」 「だから、従兄上。もう……」 ぷい、と横を向くアリステアにリーンハルトの方からくちづければ、素直に受けてくれる。そのあたりが可愛いところなのだ、と思っても口にはしない。リーンハルトの楽しみの一つでもあった。 下ろされたのはやはり、あの大理石の台だった。温まった体に温かな台。それだけでも充分に心地よいものだった。アリステアに促され、リーンハルトはうつ伏せになる。知らず、ときめく。何をされるのかと、思えばこそ。 「力を抜いて」 わざわざかがんだアリステアが耳元に囁いてくる。それにこそ、固くなるリーンハルトだと知っているに違いない。くつくつとした笑い声が聞こえ、抗議をするより先、リーンハルトは背中にアリステアの手を感じた。 「……ん」 大きな、剣に荒れたアリステアの手。すでに何度となく知っている彼の手ではあった。その手が己の肌に触れている。思うだけでリーンハルトの全身に熱が。途端に。 「あ――」 玄妙なよい香りがした。首を振り向け、リーンハルトが見たのは両手を香油に濡らしたアリステア。口許が笑い、その手が自分の背に。 「揉んで差し上げる、と言ったでしょうに」 「……言っていたな」 「なにを、期待しました?」 「アリステア!」 高い声は、アリステアの笑い声にかき消された。香油が肌に塗られるたびに、リーンハルトはわずかに強張る。だがアリステアはそれ以上のことはしようとはしない、いまは。だからこそ、強張るのだけれど。 「少し痛いですよ。痛すぎたら、言ってください」 台の上に上がってきたアリステアがリーンハルトにまたがるようにして、背中を押して行く。肩から腰へと、ゆったりと揉み解して行く。その快さと言ったらなかった。思わず漏れだす吐息。伸びあがり、覗き込んできたアリステアから受けるくちづけ。浴室の湯気と、香油の香りと、アリステアの手と。すべてがリーンハルトを蕩かして行くようだった。 |