自分のせいでレクランが叱責された、とアンドレアスは少しばかりうつむいている。リーンハルトとしてもありがたいアリステアの叱責だった。それこそアンドレアスは振る舞いを考えるべきなのだから。とはいえ、せっかくの時間に落ち込ませたいわけでもない。 「そう言えば……レクランの婚約は調っているのか?」 ふと思いついた、とばかりリーンハルトはアリステアに問う。リーンハルトが知らないはずもない話だった。下級の騎士ではない、公爵家の嗣子の話だ。婚姻どころか婚約の段階で国王の許しを得る必要が彼らにはある。 「いいえ、いまだ調わずおりますよ」 「ほう? なぜだ」 「縁談ならば掃いて捨てるほどあるのですがね……」 父の長い溜息をレクラン本人が笑った。それにアンドレアスが顔を上げる。友の表情に彼の顔まで明るくなった。それが父として嬉しいリーンハルトだった。 「善きものも中にはあるのではないのか?」 「ないとは言いませんがね。私の立場が変わってから申し込みがまた増えまして」 またも溜息。リーンハルトにはわかっている。アリステアが寵臣の立場となり、より強固になったスクレイド公爵家。縁故を結びたい貴族がいないはずがない。むしろラクルーサ全土の貴族がありとあらゆる手段を使ってレクランの妻の座を狙ってる、と言い替えてもいいほどだろう。 「私は――」 ふとアリステアが王子の隣に座すレクランを見つめた。優しく厳しい父の顔。レクランは真っ直ぐと受け止める。その友の顔にアンドレアスもなにか思うところがある様子だった。 「レクランには、望む相手と生きてほしいと、思うのですよ」 かすかにレクランの手が動いた。自らそれを恥じたレクランは、だからこそ真っ直ぐと顔を上げ続ける。父を思う。ある日突然に「妻」として連れてこられた女性を伴侶とした父を。貴族にとってはさほど珍しい話ではないかもしれない。だが、その結果は。 「む……」 リーンハルトもそれを考えるのだろう。貴族の婚姻は、色恋では断じてない。家と家との契約の側面が強い。色恋がしたいのならば、伴侶とは別に持つべき、とするのが貴族のたしなみでもある。 「言うまでもない。エレクトラの暴走を許した私です。だからこそ、息子には父を倣ってほしくはない」 アリステアが暴走させたわけではない。言いかけてリーンハルトは止める。テレーザの惑乱を招いたのは自分一人の責任か、言えばアリステアは違うと言うだろう。互いにすでに理解している事実と後悔。今更戻ることはできない。 「エレクトラは一つだけ、よいことをしてくれました」 アンドレアスの口許がぴくん、と動く。それをレクランがそっとたしなめていた。見てしまったアリステアは隣の様子など窺うまでもない、と内心で大笑いをしている。いずれリーンハルトが多少なりとも顔色を変えたのだろう。エレクトラを、アリステアが殺した妻をたった一カ所であろうとも褒めれば。 「わかりますか、従兄上。レクランを私に与えてくれた。それだけは感謝していますよ」 「……ほう?」 「私は我が子を信頼する、という機会を得られた。それは実に稀有でありがたい機会だと思うのですよ」 はじめて隣のリーンハルトを見つめ、アリステアは言う。言葉はけれどレクランに。こちらを向かれ、リーンハルトの目許が染まる。 「まぁ……どうあろうとも」 「従兄上。彼らはいまだ幼い、ということを飲み込んでおいでとは存じますが?」 「わかっている!」 羞恥ゆえに声を高めた父を今度こそアンドレアスがぱっと笑う。 いずれ自分たちの間で子を望むことはできようはずもないし、そのようなことは考えたこともない。アリステアはレクランを、リーンハルトは子供たちを、それでも信頼する機会はある。そうしてくれたことだけは、感謝を捧げる。たとえ自らが手にかけた女であろうとも。アリステアの無言の声。からかう風情でありながら真摯だった。 「レクラン、父を倣うべきではないぞ。これはこのような男だからな」 「そう、答えにくいことを仰せにならないように」 「……む」 言葉に詰まる父などそう見たためしのないアンドレアスが楽しげだった。気を抜いて過ごす父、というものに会ったことがあまりないアンドレアスだ。レクランと共にあるようになって、アリステアとも親しくなった。そして父とも親しく言葉をかわすようになった。以前より格段に笑顔の増えたアンドレアスだった。 「先ほどな、アリステアはあのように言ったが。もし姫の方が望み、お前がその手を求めるのならば私は反対するつもりはないぞ、レクラン」 「従兄上……」 「幼いとは言うがな、アリステア。それこそレクランはいい加減に婚約を、と言われる年頃だろうが」 「とっくに言われておりますよ、そのようなものは」 「……そう、なのですか。父上?」 「お前が生まれてすぐから山のように縁談が来ている。全部蹴り飛ばしているがな。お前の妻の座が欲しいと言うのならば私を倒してからにするがいいさ」 「……それは娘を持った父親の言い分、というものではないのか、アリステア」 「似たようなものですよ。いずれ欲しいのはレクランではない。スクレイド公爵夫人の称号だけが欲しいのならば相手は私です」 息子の伴侶にそのような相手は断じて許さない、とアリステアは明るく笑っていた。父の思いをレクランは強く聞く。朗らかに笑っているからこそ、父の前半生は孤独であったのだろうと。ちらりとアリステアが息子を見やった。 「お前が何を考えたか、私にはわかるつもりだが。そのようなことはないぞ?」 「……はい」 「おじ上、ずるい。何を仰せなのか、僕にはちっともわからない」 「さて、内緒話ですよ。父子の」 にやりとするアリステアにアンドレアスが頬を膨らませて抗議する。確かに、とレクランは微笑んでいた。アンドレアスではない。自分にアンドレアスがいるよう、父には王がいた。それをレクランは思い出していただけだった。幼いころから共にあった二人。自分たちもそうでありたいと思う。父たちとは違う在り方で。 「そうだ! レクランが妹のどっちかと結婚すればいいんだ。そうすれば僕たちは本当の兄弟になれる!」 「アンドレアス様――」 「ね、そうおしよ。レクラン」 にこりと微笑むアンドレアスにレクランはどう言ったものかと言葉に詰まる。姫を選びたくないのではなく、自分自身の感情で言うのならばそのようなことはまだ早い、と感じているだけだ。 「せっつくものではないぞ、アンドレアス。レクランとて好きな乙女くらいはいるかもしれないだろう」 「はい……リーネはちょっと、小さすぎますよね」 「そういう問題ではないぞ。レクランがたとえ誰を伴侶としようとも、お前の友であることに違いはあるまい」 それでも兄弟のようならば、兄弟になりたいと思ってしまうアンドレアスだった。リーンハルトにも少し、その気持ちはわからないでもない。思わず横目でアリステアを窺えば、笑いをこらえていた。より親しくなってしまった自分たちを思う。 「まぁ、別に私は同性を連れてきてもよいと思っていますがね」 アリステアの投げ込んだ言葉にアンドレアスとリーンハルトが同じような顔をして絶句した。レクランは微笑んで父を見つめている。さすがの父子でもあった。 「アリステア……それは……。自らを否定するわけではないが……」 貴族社会においては異端の謗りを免れ得ない。異性の伴侶を持ち、同性の愛人を持つものならばいくらでもいるけれど。 「先ほども言ったよう、レクランは自分の心が動く相手と人生を共にすればよいのです。それが同性であろうとも私は一向にかまいませんよ。私が存命の間ならば守ってやることもできようからな、それならばそれで早く連れてくることだ」 「父上、気が早すぎます」 「念のために言っておいただけだ。なに、養子を取ればよいだけのことだ」 「だが、アリステア――」 「お忘れですか、従兄上。スクレイド公爵家、などと名乗っておりますが。そもそも廃絶していた家名をどこぞから我が母が引っ張ってきただけのことですよ。確かに古来の名家ではありましょうけれど、元々断絶していたものですから」 アリステア自身は愛着も守らねばならないという責任感も薄い。ある日突然、妻同様に放り投げられて、迂闊にも受け取ってしまった荷物に過ぎなかった。 「お前がそれに囚われることはない」 「それは、婚姻などせずともよい、ということでもありますね」 「無論」 飲み込みのよい我が子にアリステアは目を細めていた。アンドレアスは途中から話が見えなくなったらしい。それでも必死に耳だけは傾けている姿が愛らしかった。 「中々破格な父親もいたものだ」 呆れたリーンハルトの呟き。アリステアとしては息子の幸福を願ってはいる。だからこそ、よけいな縁談など負わせない。レクランが望むのならば生涯独身で王子の側に仕えるのも彼の人生だと思っている。そのために、言っておきたかっただけだった。レクランが父の存念を知ることなく悩まずに済むように。 「なんと言っても陛下の従弟でいますから」 ふふ、とレクランが笑った。いつもは控えめなレクランが、リーンハルトに狎れた口をきく。アンドレアスが面白そうに笑う。 ――なるほど。 アンドレアスはアンドレアスで色々と思うところがあるのだろう、当然にして。マルリーネが知っていたほどの酷い噂話だ、アンドレアスの耳に入っていないはずもない。そのせいで沈みがちな彼と、レクランは誰より側にいて知っている。 「やっぱり父上も破格だったりするのかな」 大きく笑うアンドレアスにもちろん、とアリステアが笑う。リーンハルトはそっとレクランに微笑んでいた。こちらを正面からは見ず、視界に入れているだけの彼に。アンドレアスの日頃の様子を教えてもらった、その感謝と共に。 |