睡蓮の間で開かれた御前会議には、十人ほどの貴族が出席している。これが現在のラクルーサで最も有力な貴族の当主たちだった。中央上座にリーンハルトはすでに座している。その隣、スクレイド公爵として、アリステアもいる。出席者の中にはテレーザの生家から、フロウライト伯爵も。
 御前会議、と呼ばれはしても、事実上これは国王からの通達だった。何が議題に上がるのか、わからない貴族はいない。ようやくアントラル大公の問題に決着がつくか、と貴族たちは興味深げ。もっとも、出席者にはアントラルと近しい者も当然にして存在する。そちらは落ち着きがないのもまた当然だった。侍従が国王をちらりと見る。それに彼がうなずくより先、アリステアが傍らの王へと話しかけた。
「恐れながら会議に先立ち、一言よろしいでしょうか」
 実のところ、これが慣例だった。通達が終われば、会議は終了する。議題が他にあればこの時点で申し出るものだった。貴族たちがいささか不思議そうな顔をするのは、アントラル以上に問題があるとは思えないせいか。リーンハルト、否、むしろ国王としてはアントラルよりウィリアなのだが。
「我が母ウィリア王太后殿下より、夫の冥福を祈るため修道院に参りたい、との申し出がございました」
 だからこそ、アリステアはそう言う。夫の冥福がどうの、というのは完全に偽りだ。現時点でアリステアはウィリアとの面談を一切拒絶している。ウィリアはこの差配をいまだ知らない。
「殊勝な申し出、と言えよう。どちらに」
 なるほど、と納得したふりをするリーンハルトの横顔に、アリステアは軽くうなずく。すでに二人の間で話し合いができていることだった。
「王都の――」
 南の海上に、小さな島がある。女性の足でも軽く一周できてしまうほどの小島だった。そこに建つドンカ神の修道院ただ一つ、それだけの島だ。島内には畑すらない。修道院と船着場。それですべてだ。
「祈りと沈黙を美徳とする、ドンカ神の修道院にございます」
 アリステアの言に貴族たちは内心にうなずく。要は体のいい島流しだった。ウィリアは影の首謀者として、だが裁けない首謀者として、王はこのような裁定したのだろうと。そのとおりだった。
「結構だ。ウィリア王太后にはお健やかに過ごされよ、と」
「過分なお言葉を頂戴いたしました」
 す、とアリステアが頭を下げる。これでウィリアの件は終わった、と貴族は感じただろう。二人にとってはまったく終わっていなかったが。茶番と、その場の全員が理解していた。ウィリアは海上修道院で一生を監禁状態で過ごすことになる。
 一段落した、と見て侍従が資料を配りはじめた。あまりあることではない。紙の資料に訝しげな顔をした貴族たちに侍従は「ご一読ください」とだけ言う。
 その不可思議そうな顔が、次第に変わっていく。アリステアはすでに知っていることだった。リーンハルトただ一人、資料に視線を落とさず参会者を見渡す。アリステアが読んでいるふりをするのは彼のため。アリステアもいまはじめて知った、との形を作る必要があった。
 資料には、国王リーンハルトを狙った暗殺者の件が記されていた。小姓がリーンハルトの下に送り込まれた経緯が細大漏らさず記されている。
「テレーザの生家である、フロウライト伯爵家からの小姓であったが、どこぞですり替わったのであろう。痛ましいことである」
 フロウライトからの小姓、という形でアントラル大公が暗殺者を送り込んできた、リーンハルトは言う。本物の小姓は闇に葬られ、暗殺者が成り変わっていたもの、と。
「いったい、なぜ、このような……」
 硬く震えた声音はアントラル寄りの人間のもの。フロウライト伯爵は顔面蒼白だった。彼一人、リーンハルトが何を言っているのか理解している。
「小姓の経歴をご覧になられよ。本人がいかなる考えを持っていたのかは、いまとなっては不明だが、母親がシャルマーク系亡命貴族の出身、とある。ゆえに、アントラルが近づいたのであろう」
 実に痛ましい、アリステアが言ってのける。事実とは違うことを知って。だがこれが最も穏やかに決着させる方法、とリーンハルトが考えたのならば従うまでだった。
「ですが、陛下!? 暗殺事件など、いったいいつ!?」
 知らなかったのだろう貴族が顔色を変える。もっとも、冷眼で見られるだけだった。リーンハルトは公表していない。が、ラクルーサの中枢にいようかという人間が、だから知りません、では通らない。
「なるほど、公表は差し控えた。スクレイド領で叛徒が騒ぎを起こしている最中のことである。徒に国を騒がせる結果にもなりかねぬからな」
「ですが、陛下。そのような……万が一のことが、否、いったいどのようにして、暗殺者を。いえ、陛下が剣の達人であられることは存じておりますが」
 脂汗を額に滲ませている貴族をアリステアはよく覚えておくことにする。アントラル寄りではなかったはずなのだが、ここまで抗弁するとなると怪しいものだ。
「神のご加護ゆえ、陛下は守られた」
「スクレイド公!?」
「なに、そう難しい問題ではない。我が剣は、マルサド神より賜った神剣であることはご一同ご存じのことと思う」
 御前試合でのマルサド神降臨を皆が見ていた。唖然とするような神の御姿。中々忘れがたい印象的な出来事だった。
「戦場に赴くにあたって、私は陛下に剣をお預けした」
 リーンハルトを守るための剣で、半ばは家中の乱であるものを平定するわけにはいかない。その思いを覆したのもまた、マルサド神だった。
「結果として、剣は我が下に。陛下は無防備にさらされることになったわけだが」
「そこだ。それがなぜ、神のご加護など」
「事実、マルサド神のご加護があったがゆえ。偶然か、神にとっては必然か。剣を再度賜った当夜、陛下の下に暗殺者が送り込まれた。無論、すぐさま陛下は立ち向かおうとなされたが」
「枕元にあったはずの神剣がないのだからな。いささか驚いた、と言わざるを得ん。が、何より驚いたのは――すでに暗殺者が事切れていたこと、か。代わりにマルサド神の聖印がそこにはあった」
「な――」
 いまはじめて知った事実に貴族たちが呆然としていた。そこまで神の加護が篤いのか、と。リーンハルトが、というよりはむしろアリステアが。有能な神官戦士である、とは聞いていた。剣の腕もリーンハルトに匹敵するとも。だが、それは地位あってのこと、と誰もが思っていたものを。
「また、我が戦場にも暗殺者が送り込まれた。こちらは私が対処している」
 呆然としている間に畳みかけるアリステアに、貴族たちは言葉もない。知らなかったのか、といささか不思議になるほどの反応のなさだった。
「これはアントラル大公が依頼したもの、と調べがついている」
「だが……アントラル大公は、手元不如意と聞いている。スクレイド公がお助けしていたものであろう」
「そのとおり。ゆえに、資金提供はスクレイド公爵夫人エレクトラよりなされていたものである」
 叛徒の一味、というよりは叛徒の首魁であった、とアリステアははっきりと言った。アンドレアス王子の出自を疑う言はエレクトラより出たものであったから、今更ではある。だが、当主であり、夫であった男が断言すれば効果はまた違った。
 淡々と語るアリステアに、アントラル寄りだろう貴族がまた発言を繰り返したそうにしている。スクレイド公爵の力を削ぐには絶好でもあるのだから。
「スクレイド公爵は自らの手で一族を処罰した。公爵自身が反乱に与しておらぬことはマルサド神が証し立ててくださったもの、忘れてはおるまいな?」
 切り込むような、けれど静かなリーンハルトの声音。貴族たちは口をつぐむ。忘れようにも忘れられない。いかに長い歴史を誇るラクルーサとはいえ、神の顕現を目の当たりにすることなど多くはない。
「大逆を犯したアントラル一族は、内乱の影に女性がいた以上、常ならば罪一等を減ずる成人女子にも罰を下す」
 テレーザと、エレクトラこそが原因だった。リーンハルトの言葉にフロウライト伯爵はすでに卒倒しかねない顔色。小姓として出仕していた少年に王妃殿下よりのご下命だ、と暗殺を命じたのも彼ならば、暗殺者にすり替わってなどいないことも彼が一番よく知っている。すり替わっていないのに、暗殺はなされた。そしてリーンハルトも、それを、知っている。知られていることに、彼は気づいている。
 そしてリーンハルトはアントラル一族への処罰を下して行く。一族の男子、および直系の成人女子は一様に死を命ず。傍系女子、および幼児は修道生活を選ぶことで助命を許す、と。
「王妃テレーザを籠絡し国を揺るがせ乱を起こしたその罪許し難し。アントラル大公家をここに滅する。当主本人は首足処を異にす。異議のありやなしや」
 寂として声もなかった。息を飲み、唾を飲む声。再度促す前、同意が上がる。アントラル大公家。古王国時代から続く名家がここに消えた。ラクルーサ王家が起ったとき、王都を献じた古からの名家が。
「以後、官吏を送る。よろしく処すよう」
 侍従が勅命を記載し、リーンハルトが署名する。アントラル大公家はここに消滅した。多くの人命も。今後、官吏の監督の下、一族はなべて形の上の「自裁」を選ぶことになる。選べないものは殺されるだけのことだ。
「以上を持ちまして会議を終了いたします」
 侍従の言葉に貴族たちが席を立つ。リーンハルトの退席を深い一礼で見送った。そのすぐ後ろ、スクレイド公爵アリステアが従うのに忌々しい顔をしたものが少数。だが、頭を下げる貴族たちの目には映らなかった。
「ご苦労だったな、従弟殿」
 廊下に出れば、リーンハルトがふっと息を吐く。執務は嫌いではないが、会議は好きではない彼だ。その上、今日の議題はあまりにも。
「従兄上こそ。お疲れでしたでしょう?」
「仕事だからな」
「とは申しましても――」
 廊下には人目がある。いつもながらアリステアの態度だった。リーンハルトはこんな時まで形式を守らずとも、そう思わないでもない。ただ、こうして形式を順守するアリステアだからこそ、批判が起きにくいのも事実だった。
「少々話がある」
 執務室に、とリーンハルトが言葉みじかに言うのにアリステアは黙って従った。扉を抜けるなり、侍従が従いそうになるのをアリステアは片目をつぶって留める。はたと気づいたのだろう侍従が下がった。
「従兄上」
 背後から、そのまま抱き締める。リーンハルトは物も言わない。ただ無言でアリステアの腕に。背を預け、佇むばかり。
「……正直に言って、ウィリア殿の安全を守るのが私、というのが忌々しいぞ」
 しばらく経ってからだった、リーンハルトがこぼしたのは。修道院入りするウィリアを殺されると後々面倒だ。きっぱりと心を切り替えた見事さに、アリステアは静かに笑った。




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