宴の席に軽食くらいならばいくらでも出ていたのだが、いわば主賓でもあったアリステアは何も口にしていなかった。それを慮ったか、女官にリーンハルトは軽い食事を用意させていた。 「苦労をかけたな、従弟殿」 つい、と酒を自ら注いでくれる。それにアリステアは苦笑し、注ぎ返した。口に運べば甘い香り。リーンハルト秘蔵の酒の一本をわざわざ開けてくれた様子。 「なにを仰せです? 言ってみれば私の身内の不始末ですよ、従兄上」 それを反乱、と言うことにしてくれたリーンハルト。確かに国王に反旗を掲げたものではあるけれど、アリステアに責任の大部分はある。リーンハルトは黙って首を振った。 「私がお前に心を寄せた。そもそもの発端はそこだからな」 手を伸ばし、アリステアのための軽食をリーンハルトは摘まんでそんなことを言う。視線を合わせもせず、淡々と。くすりとアリステアが笑った。 「従兄上が、ではありませんよ。我々が、です」 言えば、どこぞを見やるリーンハルト。意外と困ってもいるらしい。そう言えば、とアリステアは思い出す。 王妃テレーザのこと。彼女と睦まじくすごしている、と思っていたリーンハルト。ぶっきらぼう、とまでは言わないけれど決して口のうまい方ではないリーンハルトが、いったいどうテレーザとすごしているのか、そんな風に微笑ましくなったこともあった。 「アリステア?」 「いえ」 「言いたいことがあればはっきり言え。私は察しのいい方ではないぞ」 「従兄上は意外と不器用でいらしたんだな、と思っていただけですよ」 む、とリーンハルトが口をつぐむ。アリステアの言いたいことがわかったのだろう。だから言いたくなかったのだが。アリステアはそう思いつつ、聞かされたリーンハルトの方も困るだろうとも思う。 「色々ありましたね、従兄上」 「……あったな」 「とりあえず、片づけるべきことを片づけましょうか」 なにかあるのか、と言わんばかりのリーンハルトの眼差しにアリステアは笑う。詳しいことを聞かせろ、と言って宴を退席してきたのではなかったかと。 「言い訳、というものだったのだがな」 「とはいえ、お話しすべきこともあるんですよ」 「ほう?」 そしてアリステアの眼差しが真剣になる。リーンハルトもまた、そんな彼の態度に背筋を伸ばした。そこにいるのはもう国王リーンハルト。アリステアはそんな彼を見るのが好きだと改めて思う。 「王太后ウィリア殿のことですが」 母、とアリステアは呼ばなかった。せいぜい敬称をつけたのをありがたく思え、と言わんばかり。よほど嫌な思いをしたのだろう、リーンハルトは思う。 無論、アリステアから一切の報告は受けている。ただ、語らなかったことがいくらでもあるともリーンハルトは知っている。ウィリアが、エレクトラが、アントラル大公が。アリステアに浴びせた言葉の一つ一つを報告してくるはずはない。そのぶん、どれほど酷いことがあったのかと想像するばかりだった。 「一旦は領内に監禁したんですが。奪還を計画されまして」 「計画で終わったのか?」 「終わらせました」 あっさりとした言いぶりに、惨い戦闘だったのだとリーンハルトは察する。実際は、ほぼ殲滅戦、と言っていいような皆殺しで、アリステアも言葉を濁さざるを得ないような状況だった。アリステアも、別の戦場にいてその場にいたわけではない。館の警護を任せていた騎士からの報告を受けただけだったが、その騎士からして言葉を濁していたのだから推して知るべきだった。 「取り返されると、厄介なのですよ」 「旗頭に据えられそうか?」 「そういうことです。反国王派に担がれるのは面倒です。しかも、間違いなく私が一番に敵対する。何を言われると思います?」 「親不幸な。母親に剣を向けるとは?」 「ですね。面倒この上ない」 貴族の誰もがそのようなことを感じもしないだろうに。それでも「人の情」を前に立てられれば返す言葉がなくなるのも道理。 「なので、できれば北の塔にでも放り込みたいのですが、いかがでしょう」 忌々しい、とすらアリステアの顔には書いていない。リーンハルトはだからこそ、アリステアの滾る思いを聞いている。この手で殺せるものならば、そう思ってもいるのだろう。 「私がやろうか? 従弟殿」 「従兄上が手を汚すような真似をなさらないように」 「何も言っていないぞ、私は。それなのに即答したな、お前は」 想像していたのだろう、リーンハルトは指摘する。一瞬息を飲んだアリステアだったが、リーンハルトの顔に書いてあった、と言ってのけては笑った。 「まぁ、北の塔か……。妥当なところではあるが……」 「問題が?」 「テレーザと同じ場所に入れておくことの是非、だな」 北の塔は貴人を収監しておくための塔。内外の行き来はできないが、塔の内部に限るならば、囚人の行き来は比較的容易だ。 「少し考えさせてくれ」 エレクトラに騙され、乗せられたテレーザ。ウィリアに乗せられないとも限らない。もっとも乗せられたとしても、もう害はないと言えばない。彼女が外部に影響を及ぼすことは不可能だ。 「テレーザ殿の、ご実家からは何か?」 アリステアが内乱を治めている間に、テレーザは公式に王妃の称号を剥奪されている。率直に言えばアリステアとしては妃殿下、と呼んでいた方が気楽だった。その理由にはじめて思い至る。 ――なるほど。私にも隔意があったのか。 テレーザを従兄の妻、と認めていなかったのかもしれない。だからこそ、妃殿下、と距離を置いて敬い続けたような気がする。 「ないわけではなかったが。あるわけでもなかったな」 「……と言うと?」 「簡単に言おうか、それとも一から話そうか?」 「まず簡単に。それでわからなければ全部聞かせていただきますよ」 珍しいリーンハルトの冗談めいた言いぶり、よほど不快なことが、と思ったアリステアは顔色を変える羽目になった。 「暗殺者が向かってきた」 「……は?」 「だからな、これはあちらに尋ねたとしてもそうだと認めるはずもないことで――」 「そうではない、従兄上! いったい近衛は何をしていたのか!?」 血相を変え、腰を浮かせたアリステアの手をリーンハルトは取る。そっと微笑めば、険しい眼差し。そのようなものに誤魔化されはしない、と言うよう。 「不思議なことがあってな、従弟殿」 「……なんですか」 「お前の腰に、神剣は戻っているだろう?」 いまもアリステアはマルサド神から賜った剣を吊っている。戦う者として、あまり意識はしていなかった。そしてアリステアは、それも聞きたいことの一つだった、とうなずく。 「暗殺者が放たれたはずなんだが。気配を感じて、飛び起きる。お前ならばどうする」 「剣を取ります」 「そうだろう? 私もそうしようと思った」 枕元にはアリステアが自分の代わりに、と神剣を残して行ったのだから。当然のよう、リーンハルトはそれを掴もうとした。 「だがな、剣はない。その代わり、暗殺者が死んでいた」 「……なるほど」 「思い当たる節がおありかな?」 にやりとするリーンハルトに、アリステアは事の顛末を語る。マルサド神自らが剣を再度授けに戦場を訪れたこと、リーンハルトもまた加護のうちにあると語ったことなど。 「つまりあれか。私はマルサド神にお守りいただいたわけか」 なるほど、と呟くリーンハルトにアリステアは目を瞬く。豪胆なものだ、と感嘆していた。神官であるアリステア自身、いまだ飲み込みにくい思いがあるというのに、リーンハルトは守っていただいた、で納得している。 「念のため、だったのかな? 剣があった枕元にはマルサド神の聖印が置いてあったよ。司教に見せたら卒倒しそうになっていたが……そういうことだったか」 司教にあとで詫びを入れておこう、とアリステアは思う。自分が起こした様々な影響。神殿まで巻き込んでいるとは。小さな溜息をついた。 「お疲れか、従弟殿?」 悪戯っぽいリーンハルトだった。煌めく目が、幼いころのよう。ふと動揺し、硬直するアリステアにリーンハルトは苦笑し立ち上がる。アリステアを置き、背を向けては寝室へと彼は歩いて行こうとしていた。 「まぁ、半分がたはお前の披露目のようなものだからな。気分が乗らなくとも、朝まではいてもらわないと後が面倒だぞ?」 淡々と口にする理由が、いまはわかる気がした。アリステアは無言で立ち上がり、リーンハルトを背後から抱きすくめる。 「従弟――」 振り向きかけたリーンハルトの顎先を捉え、くちづけた。一瞬強張った唇。自分のそれの下で蕩けて行くまで。 「夢にまで見ましたよ、従兄上」 腕の中、抱き込んでは耳元に。真正面から顔などとても見られない。肩口に顔を押しつけたまま、リーンハルトはうなずいていた。背中にまわる腕が、きつく体を抱いてくる。奇妙なほどに安堵する。 もつれるよう、寝室へと。くちづけをかわし、頬に触れ。気づけば真っ直ぐと顔を見ていた。昏い蒼の目に、飲み込まれでもしたような気分。アリステアがそう感じたのならば、リーンハルトも。 「手慣れているな?」 アリステアは手早くリーンハルトの衣服を剥いでいた。寝台の上掛けは誰の手によってか、すでに捲り上げられている。婚礼の準備を整えられているようで、どことない苦笑。 「女性のドレスよりは楽でしょう。似たようなものを着ているわけですし」 さすがにリーンハルトの方が幾重にも面倒なものを身につけてはいたが、同じ男性だ。どこに何があるかわからないわけではない、アリステアは嘯く。 「……そういうことを口にするものではないぞ」 アリステアが婚礼の準備、と受け取ったのならばリーンハルトも。脳裏にあるのは、アリステアとエレクトラのそれ。彼の手が、エレクトラに触れたのだと。 |