王都に帰還したスクレイド公爵軍は驚いていた。アリステアはある意味では、驚いていない。リーンハルトならばそうするだろう予感があった。 公爵軍は、叛徒鎮圧より凱旋した、と歓迎を受けた。事実上、これはスクレイド領の内乱だった、と騎士たちは理解している。無論、アリステアも。 だがリーンハルトはラクルーサ王国の危機を救った、という形にした。アリステアをはじめとする、公爵軍が断じて反乱に手を貸してはいなかった、との国王の表明。貴族も、庶民もまずはそれを受け入れたらしい。 アリステアは王都の大通りを手を振りながら行く。歓呼の声に馬上から応えれば、頭上に降りかかる幾片もの色彩。見上げれば、建物の高い窓からも多くの人々が色づいた木の葉をまき散らしている。戦乱が早いうちに収束した、その安堵だろう。 ――だからこそ。 自分がいる。最低限、戦火を広げはしなかった。それだけが慰めになっていた。自らの一門が反乱を志した、というのが少しずつアリステアの心に圧し掛かりはじめていた。 公爵家として、王国の富貴を一身に集めている。一族とて同じこと。それなのに。更に上を望んだ。アリステアには理解できないことだった。とはいえ、それが一般的な貴族の在り方だ、とは理解している。ただ、我が一門から出る、とは思わなかった。文句を言うだけ、と放置をしていた結果がこれだ、と思えば胸にしこりがわだかまる。 「父上!」 城に到着すれば、いつものスクレイド公爵家の部屋。レクランが駆け込んでくる。よほど心配していたらしい。その頬がふっくらとしていて、レクランは城で充足していたのだ、と語る。 「おう、レクラン。壮健であったか」 「はい。父上こそ。ご無事で何よりでした。また、武勲をあげられましたこと、お祝い申し上げます」 「……ありがとう」 レクランに向けて苦笑しても仕方ない。レクランもまた、祝うようなことではない、と知りつつ口にした言葉。そう言うしか、ないからこそ。困り顔の息子の頭に手を乗せれば、ほっと息をつく。 「殿下はどうなさっておいでだった?」 「僕が戻ったのを殊の外お喜びくださいました。それと、父上を案じておいででした」 「うん?」 「おじ上は、どうなさっておいでだろう、と日に何度もご下問がありました」 「そうか……」 アンドレアスならば、そうするだろうと思った。自分を心配して、というよりはレクランを思いやってくれたのだろう。優しい王子だ、そう思う。その優しさを守りたい。自分には、できないことだろう。王子の母が収監されているのは、自分とリーンハルトの責任だ。だからこそ、強く思う。レクランにはそうあってほしいと。願うまでもないような気がした。 「なにか、ご伝言は……」 ふふ、とレクランが笑った。何事だ、と首をかしげる父に、スクレイド領を発つ時にも同じことを言った、とレクランは笑う。アンドレアスの下に戻り、レクランは闊達になった。アンドレアスがレクランによい影響を与えてくれている、それがアリステアには父として嬉しい。 「アンドレアス様が、ご自分ならば少し時間が取れるから、と仰せでした」 「なるほど」 「では――?」 「ご案じ召されるな、と殿下にお伝えしてくれ」 これから国王主催の戦勝を祝う宴がある。アリステアは、いまだリーンハルトの顔も見ていない。話すことなど更にできていない。王子は、それを慮ってくれたのだろう。小さくアリステアは微笑む。 「……少し、羨ましく存じます」 レクランがそっと微笑みながら言う。含羞んでいるのか、眼差しをそらしがちで、やはりアンドレアスとあるのは彼にとってよいことなのだと思わせた。 「陛下と父上と。顔を合わせる機会すら少なくとも、こうして通じ合っていらっしゃるのが、とても」 「時間、というものかもしれないぞ?」 「いつか僕とアンドレアス様も、そうなれるでしょうか。いえ、そのような意味ではなく!」 真っ赤になった息子にアリステアは大らかに笑う。万が一、そうであっても悪いことはないが、王子はいずれ王妃を迎えることになるし、そうなれば父たちの二の舞だ。あまり息子に歩いてほしい道とは言えない。 「僕は殿下にそのような意味で思いを向けてはおりません!」 「それはそれでいいがな」 「ですから、父上!」 「お前と殿下が、大人になったあとでも今のような思いを持ち続けてくれたならば。それは私も従兄上も感じているよ」 アリステアの優しい眼差しにレクランが目を瞬く。そしてぽっと頬を染めては深く一礼した。自分もそうありたい、と言う決意のような姿だった。 戦勝の宴は、アリステアにとっては見慣れたものだ。アンドレアスは出陣の際には出席していたけれど、あれは異例中の異例。王子の出自が取り沙汰されていたからに過ぎない。若年の王子が出席しないのならば、当然にしてレクランも。 ――そろそろよいとは思うが。 遠からず初陣を許した暁には、とアリステアは考えている。そのときには大人の仲間入りをさせてもいいと。年長のレクランに、王子は妬くだろうか。二人の会話を耳にしたいものだ、と内心でアリステアは小さく笑う。 貴族たちの詰めかける大広間は、立錐の余地もないほど。アリステアは多くの貴族を処断した。命を奪ったものも、謹慎中のものも、ここにはいない。それなのに、この多くの貴族。 ――ずいぶんと増えたものだ。 思わず心の奥で呟いてしまう。それほどアリステアは余裕があった。侍従が何かを言っていたとしても、聞き流しても問題はない。貴族に生返事をしても大したことは言っていないのだからこちらも問題ない。宴慣れ、というものかもしれない。 貴族が不意に騒めき、アリステアも背筋を伸ばす。この騒めき具合は間違いなく、思っていればほどなく王の入場。 心臓が跳ね上がるかと思った。否、確実に跳ねた。久しぶりに目にしたリーンハルトは正に輝くよう。 ――それでも少し、お痩せになったか。 心労が頬に窺える。それでもアリステアにとっては目を焼かんばかり。侍従に呼ばれ、王の前に進んでも、アリステアは礼儀として視線は伏せたまま。目を上げることは、礼儀を外したとしてもいまはできない。それほど胸が高鳴る。 「苦労をかけた、従弟殿。ご無事のお帰り、祝着に存ずる」 「過分のお言葉を頂戴いたしました。陛下のご厚恩を持ちまして、叛徒一切は鎮めまいらせましてございます」 「今宵は存分に楽しまれよ。戦塵を落とされるがよい」 は、と一段と深い礼をアリステアはした。貴族たちの囁きが耳に届くかのよう。内心で苦笑すれば、壇上からよく似た気配。 ――こんなところで何を言えというのか。 貴族たちはアリステアとリーンハルトが何事か、恋人らしい言葉でも交わすだろうと楽しみにしていたらしい。いさか下品な楽しみだ、と思わざるを得ない。アリステアもリーンハルトも、立場というものがある。それを崩す気は双方ともにない。 すらりとした、抜身の剣のような男だとアリステアは思う。宴の間を逍遥するリーンハルトの背中を視界の端で追う。真っ直ぐに見つめれば、貴族たちに餌を与えるも同然だった。それでもつい、目で追いそうになる。 「公爵閣下――」 貴族たちが近づきになろうと寄ってくるのをアリステアは適当にあしらっていた。いままでもスクレイド公爵アリステアを国王リーンハルトが寵愛していたのは周知のこと。だが、この内乱を経て、寵愛の質が変わったのを彼らは知っている。アリステアはいま、リーンハルトの枕元で囁ける立場になった。 貴族たちはそれを知るからこそ、アリステアに自分に有利な言を王に伝えてもらおうとする。アリステアは言わないし、リーンハルトはたとえ聞いたとしても聞き流すだろうことを貴族は知らないのだろうか。思わず首をかしげたくなり、自重した。 ただ、好意的、とまでは言わないが、貴族たちがさほど醜聞に眉を顰めてはいないらしいのをアリステアは肌で知る。彼らにすればアンドレアス王子という、王冠を継ぐべき王子はすでにいるのだから国王の恋愛はかまわない、ということなのかもしれない。ましてアリステアは男性で、新たな王子が生まれ、継承争いが起こる可能性はない。 ――それで充分、と言うことかな。 そう思ってもらえるのならばアリステアとしては感謝すらしたい。自分のことでリーンハルトが非難されるのだけは。 「従弟殿」 自分の気持ちをこの人はどこにいても読むのではないだろうか。ふとアリステアは目で微笑む。アリステアの周囲にいた貴族たちがリーンハルトに深く礼を取った。 「お愉しみの様子だが、もう少し詳しい話を聞かせていただきたくてな。かまわないか」 「もちろんでございますとも。どこなりとお供いたします」 「では」 諸君はまだ存分に楽しむとよい、リーンハルトは貴族たちに言い、宴の継続を許した。アリステアと連れ立って退席するリーンハルトに好奇の眼差し。ゆえないものではないのだから、咎めようもない。ただ、不快ではある。何気なくその背を庇うアリステアだった。 「従弟殿」 小さな囁き声。すぐ背後に従うアリステアにも届きにくいほどのそれ。そのようなことをせずとも。前を見たまま言うリーンハルト。アリステアに聞く気はない。 貴族の視線を自らの体で遮りながらアリステアは広間を出て行った。途端にしん、とするのだからやはり広間は相当な騒音だったらしい。 「お帰り、アリステア」 まだ廊下だというのに、リーンハルトが振り返っては微笑んだ。つられて笑みを浮かべそうになり、あえて渋面を作るアリステアを彼は笑う。 「そう顰め面をするものではないぞ?」 「ご身分をお考えなさいませ」 「誰かが聞くか?」 聞くだろう。そこに侍従も侍女も女官もいる。アリステアの眼差しにリーンハルトが肩をすくめた。うるさいことを、そう言っているようで、その子供じみた態度にアリステアは知らず目を細める。 「これならばいいだろう?」 リーンハルトの私的な居間の一つ、というより最も私的な居間。続きの間は彼の寝室だ。どことなく察するものがあって、アリステアは腰が落ち着かない。 こほん、と咳払いをするアリステアをリーンハルトは大らかに笑った。その声音だろうか。唐突に帰ってきたのだと感じたのは。 |