アリステアはまだ王都には戻れなかった。領内すべての貴族が叛徒かアリステアかに加担した状況とあって、処断に時間がかかっている。
 何より、首謀者を捕まえたからといって終わりでもない。一旦反旗を翻したからには、彼らの明日は自らが立つより他にない。エレクトラ亡きいま、彼らにとっての希望はアントラル大公か、王太后ウィリア。アリステアは大公は逸早く王都へと護送した。奪われて問題が悪化するのはそちらのせい。
「レクラン。お前も戻れ」
 戦装束のままのアリステアだった。本邸から、次の戦場へと発つ直前のこと。レクランはもしかしたら、と期待していたのだろう。彼の初陣はいまだかなっていない。少しばかりがっかりとした顔をする。
「僕は、働けませんでしょうか」
「そう言うな。このような叛徒鎮圧はお前の初陣には相応しいとは思えん」
 それだけのことで、幼いと見做しているわけではない、とアリステアは微笑む。それに顔色の明るくなるレクランだった。だが、先ほどの父の言葉。改めて首をかしげる。
「殿下がどれほどご心配なさっていることか」
「あ――」
「元気な顔をお見せしてこい」
「……はい!」
 心配している、と言われたレクランこそ見物だった。アンドレアスとの絆はよほど深いのだろう。アリステアにも二人の思いは理解し得ない。だが、自分とリーンハルトも幼いころはそうだった、と思う。互いの手だけを頼りにしていた幼少期。
「お前が殿下のお力になれる日を、父として楽しみにしているぞ」
「はい。努めます」
「まずは何があったかのご報告もかねて、顔をお見せしてこい。こちらに戻るには及ばんよ」
「わかりました。その……父上」
 言いよどむレクランが少し珍しい。率直に言葉を発する方ではなかったが、だからといって迷うということをあまりしない子供だった。考えた末に、はっきりと言う、レクランの性格なのだろう。
「うん?」
「陛下に……なにか、ご伝言を致しましょうか?」
 さすがに言葉を失い、アリステアは大きく笑う。気づけば本気で笑っていたが、レクランが言いよどむのも無理はない、と思ってしまった。
 アリステアは、リーンハルトがアンドレアスに語ったよう、すでにレクランにもすべてを率直に話した。王のこと、王妃のこと。エレクトラの末期の呪いだけは、語らなかった。
「妙な気を使うな。むしろ私の方がお前に気を使うべきなのだがな」
 なぜでしょう、レクランが黙って首をかしげる。本当にわかっていないらしい。彼の母の血に濡れた手を、息子は忘れてしまったのだろうか。アリステアの気持ちに気づいたのだろう、レクランが苦笑する。
「元々親密な母子、というわけではありませんでしたから」
「それを言えば我々とてさほど大差はないように思うが」
「僕にとっては大差です」
 貴族として家族と日々肩を接して暮らす、などという経験はアリステアにもレクランにもない。それが彼らの当然の生活。疑ったことはない。それでも通い合う情愛があるのを、血、と言うのかもしれない。
「父上と母上の眼差しの差、と言いましょうか。うまくは、言えませんが」
 なるほど、とアリステアは内心にうなずく。エレクトラがレクランとどのように会話をし、どのように接していたかを、アリステアは知らない。レクランにとって懐かしむ思い出が存在しないことだけは、いま知った。
「なにか、お伝えしましょうか?」
 だから問題は先のこと。レクランは軽く微笑む。その切り替えの早さ、果断さ。アリステアは情が薄いのではないかとわずかに懸念はするものの、いずれ己を超すラクルーサの柱石になるだろう予感。
「必要ない。従兄上はご存じだ。すべてを」
「報告のことではなく……」
「私が何を考えているかも、ご存じだよ」
 にやりと笑うアリステアにレクランが真っ赤になった。そのあたりはまだ少年の域を出ていない年齢に相応しい若さだった。
 アリステアが戦場に発つより先、レクランは王都に戻る。父を振り返り振り返りしているのは、まだまだ危険が多いと知るせい。アリステアは王都の方こそ不安があるのだが。
 叛徒の一族、と見做されなければいいのだが。もっとも、リーンハルトがいる。アリステアの息子を粗略に扱うはずがない。扱わせるはずもない。その点には何ら心配はしていなかった。
 レクランには亡き騎士ダニールに代わり、ニコルを付けた。よろしくお願いします、と丁重に頭を下げたレクランに、ニコルは思うところがあるのだろう。目を瞬いて涙をこらえていた。ニコルと数騎の騎士に守られ、レクランは王都へと。むしろ、アンドレアスの下へと。
「お館様、参りましょう」
 グレンは手元に残した。病を押して領から脱出した騎士団長はすでに領内に戻っている。が、無理がたたって体調を更に悪化させてしまった。
「おう。よろしく頼むぞ」
 そしてグレンはスクレイド公爵家騎士団長となった。実力も配下からの信頼も充分なのだが、本人はいまだ至らないと言い続けている。その言葉があるからこそ、アリステアは彼を信頼する。
 騎士団長としてのはじめての戦いが叛徒鎮圧、とはアリステアに忸怩たる思いを抱かせるに充分。もっともグレンはまるで気にしていないらしい。アリステアに無様な戦いをさせるわけにはいかない、その思いで固まっている様子だった。
 スクレイド領に戻ったときより、兵数は増えている。アリステアが本邸を取り返した、と聞いてすぐさま駆けつけた一門の貴族が何名かいるおかげだ。
 ――信用ならんな。
 要は日和見を決め込んでいた連中、ということでもあるのだから。アリステアが勝ったからこそ、馳せ参じた貴族たち。叛徒が勝てばあちらについたに決まっている。
「よろしいので?」
「かまわんよ。知っていればいいことだ」
「は。気を配っておきます」
「気にせずともよい。いまはあちらも戦々恐々。下手に動けばどうなるかわかっていることだろう」
 アリステアにそう言われたグレンだったが、それとなく騎士たちに見張らせてはいる。アリステアの笑み、あるいは険しい眼差し。貴族たちは確かにそれを恐れ怯えている。ならば、本家の騎士たちが見ている、という姿勢を見せるのも大切なことだった。
 無論、アリステアの下に馳せ参じた貴族だけではない。叛徒についたが、抵抗の無駄を悟って帰順したものもいる。そのような貴族からアリステアは人質を取った。本邸に置いておいても奪還されては面倒だ。そちらも王都へ護送した。人質には王都での軟禁生活を送ってもらうことになるが、特に何か目新しいものがあるわけでもないスクレイド領内で軟禁するよりは本人たちにとってはまだしもだろう。
 そして難関がある。いまだ抵抗をやめていない多くの貴族たち。そちらは実力で取り返すよりない。貴族本人より、領地の問題だ。いずれ最後まで抵抗を示すのならば致し方ない、その一家は女子供に至るまで殺すことになる。
 ――従兄上。
 この処置をどうお思いになる。アリステアは内心に呟く。アリステアとしても反乱にかかわっていない女性や幼い子供の命まで取りたくはない。だが、後になって旗頭に据えられれば二の舞だ。
 ――宿命、かな。
 貴族の家に生まれた者の運命だ、と思って諦めてもらうよりないだろう。アリステアも血に汚れて行くのをまた運命、と思っている。生きているからこそ、迷う余地がある傲慢と知りつつ。
 戦場を移動するごとに、アリステアの兵が増えて行く。一人下せば、周辺の旗の色がぱたぱたと変わっていくかのよう。
「根性がありませんな」
 グレンまで渋い顔をしていた。毎日戦闘続きではやりきれないから、ありがたいことではあるのだが、こうも手の平を返すよう帰順されると苦いものがある。
「言いたい気持ちはわかるがな」
 彼らにとって、死ぬか明日かの選択だった。アリステアは降伏しなければ許さない。降伏すれば、生命だけは許す。それがそろそろ知れ渡りはじめていた。
「できれば戦いたくはないのだぞ、私も」
「戦争などというものはないに越したことはないものです」
「騎士のお前がそれを言うか」
「騎士だからこそ、申し上げるのです」
 冗談めかした言葉にグレンの真っ直ぐな声音が戻る。そのとおりだ、アリステアも思う。この手に命を左右する物を持っているからこそ、戦いなどない方がよいと断言できる。
「それが、わかっておられんのですよ。ご立派な方々ほど」
 グレンの憤慨した声。遅くに帰順した貴族ほど、理解していないとグレンは言う。彼らにとって戦うのも死ぬのも自分ではない。騎士であり、兵である。自らの命が脅かされ、はじめて彼らは現実を理解した。
「人の上に立つものだからこそ、騎士はおろか兵の痛みを我が物にすべきなのだがな」
「お館様はなさっておいででしょう」
「ほう。グレンに褒められたか。これは嬉しいことを聞いた」
 ぱっと明るくなる顔にグレンこそ気恥ずかしくなる。騎士団長として、そんな気負いがなかったとは言えない。グレンは断じて口にしない。だが、内心では思っている。仮にアリステアが玉座を得たとしてもよい王になっただろうと。
「グレン。顔に出ているぞ?」
「は……汗顔の至り。申し訳……!」
「気にするな。冗談だ。まぁ、お前が何を考えたかはわかるがな。私はせいぜいがところ、スクレイド領内のことを考えられる程度だ。それしかできんのだよ」
 とても国内すべてのことなど、人など、考えられない。さっぱりとアリステアは笑っていた。グレンは頭を下げつつ、疑う。やる気がないだけだろうと。顔を上げればちらりとアリステアの唇が笑っていた。
 野営続きであってもアリステアをはじめとするすべての装備は綺麗なままだ。毎日丹念に手入れを怠らない。スクレイド公爵軍ここにあり、とのその威容。軍勢を前にしただけで降伏する貴族も出はじめた。
 だが、いまだ挽回を試みる勢力もいた。最も防備の手厚いところに突撃し、全員が散ったと後でアリステアは聞いた。ウィリアを奪還しようとした勢力がどこであったのか、アリステアはそれだけを聞く。重点的に攻撃を厚くし、城の一つを灰燼に帰した。結果として、それがスクレイド領内乱を鎮圧することになった。
「終わりましたな……」
 荒れてしまった領内に、グレンは痛ましそうな眼差しを送る。貴族が何をしようが、平民の生活はほとんど変わらない。むしろこうして大地が荒れれば彼らの生活は苦しくなるだけ。わかっている、アリステアはうなずき、数年間の租税免除を発表し、王都へと帰還した。




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