出陣式に、貴族たちが勢揃いしていた。のみならず、王子アンドレアスまで。出自が取り沙汰された王子だからこそ、リーンハルトはあえて出席させたか。 王はスクレイド公爵に、公爵家の紋章を掲げ公爵軍と呼称することを許した。アリステアは、スクレイド公爵家は反逆の徒ではないとの王の明言。 それにアリステアは一礼する。言葉はなかった。あとは勝って戻るだけ。リーンハルトの眼差しは決して揺らがなかった。 貴族たちの中には悪趣味に二人を見るものもいる。王妃激発の理由を、彼らはすでに知っている。リーンハルトがアリステアをどうしたのかを。同じ寝室で起居していたのは、そういう理由だったかと。王妃と同じ誤解をした彼らを、二人は咎めない。今となっては同じことだ。訂正する意味もない。 「反逆者を討って戻れ」 短いリーンハルトの言葉に、アリステアは出陣して行く。王都の民が不安そうに、けれどアリステア不敗の伝説を信じるかのように見送った。 民は醜聞沙汰を楽しく聞いた。けれどしかし、それが自分たちの身に降りかかってこなければ。いまアリステアが出陣し、内乱がはじまる。 「もしかしたら――」 王都にまで叛徒が押し寄せてくることがあるのかもしれない。不安げに呟くものに、そのようなことは絶対にない、と言い切るもの。様々な声の中、スクレイド公爵軍は王都を発つ。 王都を出るまでは、ゆったりとした足を保っていた。民によけいな不安を与えるわけにはいかない。反逆者を討つ公爵軍が慌てふためいて進軍すれば、民はどう思うことか。 だがしかし、王都を離れるなり、アリステアが指示するまでもない。夏の街道を蹴立て足音高く進んでいく。グレンの鬼気迫る指揮。騎士団長にアリステアの安全までも彼は委ねられた。 「そう気張るな」 隣で馬を進めながらアリステアは彼に言う。返答は返らない。ただ苦笑だけが戻った。アリステアはそれに笑みを向ける。 「原因の一端、と言うか、端緒は私だぞ? そう構えられては気が咎める」 リーンハルトには言えなかったことも、配下の騎士にならば言える。それが少し不思議だ。リーンハルトには良いところだけを見てほしい、そんな見栄があるらしいとふと気づく。 「お館様」 内心に苦笑したアリステアにグレンの険しい声音。見やれば、これ以上ない顔をしていた。きつく引き結んだ唇に、アリステアは失言を知る。 「そのようなことを仰せになりませぬように。悪いのはひとえにエレクトラ殿ただ一人」 すでに公爵夫人とは彼は呼ばない。アリステアがそうするよう、全軍に指示をした。ここにあるアリステアが公爵であり、スクレイド公爵家を体現する。ならばエレクトラとは何者ぞ、と。 「すまぬ。甘えた言であったな」 「私一人に聞こえるのならば、よいのです。ですが――」 「わかっているよ、グレン。私はお前に甘えがあるらしいと気づいた」 「陛下にはよい格好をなさりたいでしょうからな」 ふっとグレンが口許を緩める。配下たる騎士がこうして公爵本人に戯言をぬかせるのがスクレイド公爵家だった。アリステアはからからと笑っている。先ほど思ったとおりだったと、やはりリーンハルトに対してはそのような思いを自分は抱くらしい。 「私の目から拝察いたしますと、以前からですよ、お館様は」 「そう、だったか……?」 「誰よりも陛下ただお一人を見ていらした」 臣下であるから以上に。グレンは言う。グレンとて、まさかと思っていたことではある。だがこうなってみれば、なるほどこうしてあるお二人だったか、とすとんと納得がいった。 エレクトラはどう見ていたのだろう、ふとグレンは思う。夫の眼差しがどこを向いているか、テレーザは悟ってアリステアを恨んだ。エレクトラはどう見ていたか。 ――ご覧になっては、いなかったか。 王冠ただそれだけを求めているエレクトラ。彼女にとってアリステアは王冠を得るための付属物でしかないのかもしれない。 グレンの指揮は素晴らしいものだった。ここまで腕を上げたか、とアリステアは内心で感嘆している。速度を上げつつ、馬にも騎士にも余裕を残す。領地に到着すればすぐ戦闘がはじまってもおかしくはない。むしろ途中で襲われる危険性すら。 「それはないぞ」 「さようですか?」 丸一日、馬上にあり通しだった。それでいてアリステアに疲労の影はまったくない。兵たちはおろか、騎士ですら目の下に隈を作っているものがいるというのに。アリステア一人、背筋を伸ばしている。 速戦を決めている公爵軍だ、天幕の備えはない。それでよい、とアリステアは準備をさせなかった。よけいな荷物は邪魔になるだけ、と。だからこそ、グレンは簡易の天幕を一張だけ、自らの荷物に加えていた。アリステアのためのもの、視線を遮ることができる、ただそれだけのものであったけれど、主には少しでも快適にしていてほしい。 「向こうはいずれ王冠を手にするつもりでいる。となれば評判、というものが必要だ」 「卑怯な振る舞いは慎む、と?」 「根本的に王冠の奪取そのものが卑怯だと私は思うがな。何も従兄上は悪政を布いたわけでもない」 ならばこれはただの反乱だ。大義名分すらないとアリステアは言い切る。アンドレアスの件もすでに解決しているのだから。 「アンドレアス王子の出自が有耶無耶であったならば、エレクトラに、というよりアントラル大公に、か。勝ち目はあっただろう。だが彼らは神官を甘く見た」 「お館様ははじめからご存じで?」 「知らいでか。私も神官だぞ」 アリステアの唇が笑う。大地の上、車座になって食事をする騎士たち、兵たち。みなが負けるはずはない、と疲れていながらも余裕がある。アリステアの目は彼らを見ていた。彼らの命を預かる手だからこそ。 「あの話が出たときに従兄上に進言したのは私だからな」 肩をすくめる。道理で謁見にすんなりと神官がいたわけだ、とグレンは納得していた。もっとも、グレンは謁見の間にいはした。だがアリステアの影さえ窺えないほど遠くにいたのみ。グレンの身分とはそのようなものだ。正式の騎士団長ともなれば違うのだが。 「いずれ、お前を引き上げるつもりではいたがな。よい機会であった」 グレンの表情にアリステアはそれを見てとり、微笑む。この男を失うわけにはいかない、強く感じる。すでにダニールを殺されてしまった以上、より強く。 南に向かうと、だんだんと戦の臭いが強くなってきた。民はそれと察知しているに違いない、家から逃げ出した痕跡がそこここに。荷車に家財道具一切を積んで親類のところにでも身を寄せているのだろう。 ――すまぬ。 アリステアは心の奥で瞑目する。グレンにはたしなめられたけれど、なくていいはずの戦を招いたのは自分だ、との自覚が彼にはある。 何もリーンハルト一人のことではない。エレクトラを放置したこと一つ取っても。そもそもアントラル大公を野放しにしたことを取っても。後悔は尽きない。 ――ならばこそ、ここで終わらせる。 遥か昔に功績があっただけのアントラル大公家など潰してくれる。アリステアはそこまで決意してここにいる。古の名家だ、潰すには抵抗も強いだろう。けれど、リーンハルトへの反逆は断じて許さない、その姿勢をアリステアは貫くつもりだった。 スクレイド公爵家の本邸が見えた。グレンはいささか訝しい。本邸まで戦闘はないだろう、とアリステアが予測した通りになったのはいい。だが、屋敷の前に兵が展開しているでもない。ただ平素と同じ屋敷の姿。 「舐められたものよ」 不快そうなアリステアだった。昨日は、今日の到着を予想して足を少し緩めさせた。おかげで兵も騎士も元気そのもの。今ここで戦闘がはじまったとしても公爵軍に疲労はないと断言できるほどに。それなのに。 「お館様?」 グレンは戸惑っているらしい。あるいはアントラル大公が負けを認めてこのまま投降してくるか、とまで考えている様子。アリステアは黙って首を振る。そのようなはずはない。 「こちらが小勢と見くびっているのよ、あれは」 顎で指し示すアリステアの仕種に不快を見る。グレンはぞっと背筋を震わせた。そこまで愚かかと。ここにいるのはスクレイド公爵家の、否、王国の精鋭と言っても過言ではないというのに。領地を脱した配下すべてを連れて来ることも可能であったアリステアだが、彼は精鋭のみを選り抜いた。 「兵の多寡、というのは大きなものだからな」 「通常は、でありましょう」 「ほう?」 アリステアの目が笑う。いまここに、武闘神官とその神自らが名付けたアリステアがいる。勝利はこちらに。グレンは疑わない。アリステアはだからこそ、万全の態勢を取る。グレンとは立場が違う。 「本邸は砦でもあるからな。そのせいもあろうよ」 公爵家の最後の砦である本邸だ。確かに千ばかりの騎士ならば充分に収容可能だ。少々窮屈な思いをさせるならば倍までは行ける。ならば相手は最低限、自分たちの倍はいると考えるべき、アリステアは決して侮ってはいなかった。 「行け」 グレンが選び出した人材に、アリステアは了承を与える。本当ならば、自分で行きたい。だが、グレンをはじめ騎士たちが動揺する。神官戦士である自分ならば、ついつい考えてしまう己というものはつくづく上に立つには向いていない、アリステアは苦笑していた。 グレンが選んだ兵たちは、この近隣に生まれたものばかり。屋敷の周辺を探索させるにはうってつけだった。その間にアリステアは本邸を見つめている。 スクレイド公爵家の砦。つまりそれは最も熟知しているものはこちらのアリステアだ、という意味でもある。アントラル大公は知る由もないこと、エレクトラですら知らないことが屋敷にはいくつもある。 ――これは、互いに一戦し、様子を見る形、と見るべき……か? それにしては違和感がある。アリステア到着はすでに知っているはずの叛徒。戦場のご挨拶を、と人を食った使者が来たのみ。それでいて、いまだ兵の展開すらしていない。 ――わからん。 エレクトラに軍の才があるとは知らない。彼女のことなど何も知らないと言ってもいいが。アントラル大公に指揮の才はない、とはっきりしている。以前、公爵家の兵を貸与し、出陣させた戦闘では無様に負けて戻り、兵の質が悪かったからだと難癖をつけられた。 ――出方が窺えんのも、当然、か……。 指揮官同士、ある程度通ずるものが戦場には生まれる。それをこの場でまったくアリステアは感じられなかった。嫌な戦いになりそうだ、ただそんな予感だけがする。 |