宮廷が開かれた。文武百官勢揃いの様は一見は絢爛。だが、貴族たちはひそひそと声をかわす。武官の先頭に立つはスクレイド公爵アリステア。スクレイド公爵夫人エレクトラがアントラル大公の後見を得て件の発言をしたのだとすれば、彼もまた。アリステアはただ真っ直ぐと前を見ていた。 侍従長が王の出座を告げる。平素ならば王妃テレーザが共に入ってくる。いまリーンハルトは一人。否、王子アンドレアスが後ろに従っていた。その青い顔。アリステアは目をそらさない。 貴族たちは王妃が北の塔に収監された、との風聞が事実であったといま、はじめて確認をする。騒めきが強くなる。それもリーンハルトの厳しい眼差しに次第に静まった。 「諸君も知ってのとおり、アンドレアスの出自が取り沙汰されている」 不快をあらわにしたリーンハルトに貴族たちは目を見張る。端麗な王がここまで感情を見せたことはほとんどない。それだけ強い不快感を抱いているその証左。 「ドンカの司教よ、こちらに」 侍従に促され、貴族はそこにドンカ神の司教がいるとようやく気づく。家庭と婚姻を守護するドンカ神の司教、いったい何が、と首をかしげている者、納得するもの、様々だ。その多くがアリステアを横目で窺いながら。 「アンドレアス王子殿下、お手をよろしいですかな」 老齢の司教が進み出てはアンドレアスの手を取る。王子は立派だった。年若くして感情が荒れていることだろうに、彼は父王を窺うことすらしない。無言で一礼し、司教に手を委ねる。 「陛下」 司教の促しに、リーンハルトもまたその手を。そして祈りの言葉が司教の老いた唇から漏れはじめる。老齢とは思えない朗々とした詠唱だった。 「なんと――!」 何がはじまるのか、貴族たちは知らされていない。彼らに見えたのは王と王子の手がよく似た色合いに輝いたことだけ。苛烈で、同時に人を包み込むようなその輝き。アリステアはそっと口許で微笑む。正に王たるべき輝き。リーンハルトの光と。 「ご覧の如く、ドンカ神はお二方が正しく親と子であることを証し立てられました。お疑いは晴れましたな?」 振り返った司教の眼差しの厳しさ。思えば司教はアンドレアス誕生の際に祝福を与えた人でもある。ドンカ神への疑義、と立腹してもいたのだろう。 「アンドレアスへの疑いが晴れた以上、他の王女、王子に関しては後日、ということにする。疑念はあるか」 否。一斉に上がる声。元々エレクトラの宣言をそれほど真面目に受け取っていたわけではない貴族の方が多い。それでももしや、との思いがあった。いまそれも消え失せる。リーンハルトは宮廷の顔にそれを見てとり、うなずく。 「スクレイド公爵。前に」 あえてアリステアを爵位で呼んだ。公式の場であるから以上に、公爵家そのものが疑われているからこそ。 「陛下におかれましては宸襟を騒がせ奉りましたこと、幾重にもお詫び申し上げます」 片膝をついたアリステアにリーンハルトはうなずくだけ。事実を知っているのは彼だけ。アリステアの責任ではない、この場では言えなかった。 「謝罪の要を認めぬ。従弟殿の手で首謀者を討伐せよ」 その言葉に。アリステアが敢然と顔を上げた。まるで睨み据えるかの眼差しに、侍従たちがわずかに怯む。アリステアの眼差しを受け止め得たのはリーンハルトのみ。 「陛下、なんと仰せか」 「繰り返す。首謀者のみを討伐せよ」 「――従兄上はおぬるい! 一族郎党に至るすべてを滅せよとお命じくださればこのアリステア、身命を賭す覚悟」 スクレイド公爵家を潰せ。アリステア自身がそれを言う。アントラル大公家を保護してきたのは公爵家。ならばこの事態の責任は公爵家に、その家長アリステアに。貴族たちが顔を見合わせ、うなずきかわす。怒号が響いた。 「それをすればそなたを失うわ! わからんのか従弟殿。そなたは我が国防衛の要、乱心者ごときで失うては付け入る隙を与えるも同然ぞ!」 族滅、すなわちそれはアリステアの自裁で終わる、ということに他ならない。アリステアはそれでよい、とも思っている。テレーザを惑乱させ、リーンハルトの心を乱したのは自分以外の何者でもない。 「許さぬぞ、従弟殿」 アリステアが再度口を開くより先、リーンハルトが真っ直ぐとアリステアを睨み据えた。これ以上言い募っては王への不敬を謗られる。アリステアの口をそうしてつぐませたリーンハルトだった。 不意に謁見の間に走り込んできた若き侍従。侍従長の耳元に慌てて伝言を告げ、侍従長はリーンハルトへと。その小声の言葉を聞くなりリーンハルトが唇を歪ませて笑った。 「どうやら調べがついた模様だ。アントラル大公の下、ミルテシアの密使が訪れ密約を交わしたらしい」 貴族の悲鳴じみた声。内乱ならばまだしも、アントラル大公は国を売る気か。それが貴族の思いだった。玉座を窺う、あるいはより広大な領地を求める。貴族ならば夢に見ないわけはない。だがしかし。ミルテシアはならない。国を売って何を得ると言うのか。 「王冠の奪取――アントラル大公が新たなラクルーサ王となる、というところか。生憎と王冠は我が頭上にある」 皮肉なリーンハルトの口ぶりに、宮廷は一気に国王派へと傾いた。それまでは多少アントラル大公に同情的なものもいた。シャルマーク系貴族にとって、彼は希望ではあるのだから。 けれどしかし、シャルマーク系だからこそ、彼らは強く感じている。国を失うということがどのような意味を持つのか。故国を失い、ラクルーサに根を下ろした彼らは、ラクルーサ生粋の貴族たちより遥かにそれをよく知っていた。 「これは反逆者の討伐である。スクレイド公爵アリステア、我が手に代わり罪を討て。同時にこれはスクレイド公爵家の内紛でもある。一族の長たるアリステアに家中の処断を委ねるものとする。異議はありやなしや」 再び上がる同意の声。アリステアを疑う者はいない、とは言わない。だがすぐにわかること、と貴族たちは考えたらしい。出陣し、アリステアがどう出るか。その剣が直後に王に向けられないとも限らない。それをアリステア以上に感じていたのがリーンハルトだった。だが貴族の多くはこの時点でスクレイド公爵が反乱にかかわりない、と納得したかった。王子アリステアがミルテシアに国を売るはずはないと。 「は――! ありがたき幸せ。つきましては陛下にお願いの儀がございます。お聞き遂げいただけましょうや?」 「なんなりと申すがよい」 「我が剣を――」 アリステアはリーンハルトの不快を誰より敏感に感じている。自分の言動など決めてはいなかった。だから咄嗟にしたこと。マルサド神より賜った剣を腰から外す。 「お預かりくださいませ。マルサド神より賜りましたる剣は従兄上をお守りするためだけに抜かれるべきもの。不届き者ごときに汚させるわけにはまいりませぬ」 侍従を介し、リーンハルトに捧げる。逆の意味にとるものがいないとも限らない。だがリーンハルトは断じて迷わない。その確信。アリステアの唇に笑みが浮かぶと同時に、リーンハルトのそれも和らいだ。 「預かろう」 軽く掲げたのはマルサド神への敬意、と貴族は思う。事実と違う、と知っていたのは二人だけ。そしてアリステアは出陣の準備に入った。 多忙だ、と思っていたが戦場に向かうとなるとそれは度を超す。アリステアは寝ている暇を見つけるのが難しいほど。もっとも、本はと言えば神官戦士として鍛えぬいている。それほど無理はしていなかった。 「お館様」 むしろ走り回っているグレンの体調の方が気にかかる。青い顔色が少しも戻らない。幸い、あの小間使いは順調に回復している。リーンハルトが女官に面倒を見させる、と約束してくれた。 「どうした」 「団長閣下から、書状がまいりました」 「おう!」 スクレイド公爵家の騎士団を預かっているのは領地に在する騎士団長。グレンは一部隊を預かるに過ぎない。ただ、老齢の上に病身と来ていて、実際に指揮を取るのはグレンであったが。 その騎士団長は、なんとか領地を脱出した、と手紙に書く。反逆者には死んでも加担せぬ、と。たとえ病篤くして倒れようとも反逆者のいるスクレイド領で死んでは騎士の一分が立たない、とまで書いて寄越した。その剛毅な手蹟にアリステアの口許がほんのりと和らぐ。病に苦しみながらあの老騎士は周囲を叱咤して脱出したのだろうと。 「グレン。お前に指揮権を預ける旨、書いて寄越した。暫定的にお前を団長として扱う。よいな」 「は――」 「だからお前に倒れられるのは困る。少しは自分の体をいとえ」 「お館様こそ――」 「お前とは鍛錬が違う。神官戦士は頑丈なものだ」 からりと笑うアリステアにグレンほどの騎士であってもほっと息をつく。それを狙ってのことだった。アリステアもわななく思いを抑えがたく思ってはいる。レクランはどうしているか、領民はどうしているか。不安がないはずはない。 領地を脱してきた騎士たち兵たちを取りまとめ、出陣の準備が整いつつあった。スクレイド公に一臂の助力をせん、と申し出てきた貴族もいたがアリステアは丁重に謝絶した。疑っているからこそ同道を望むもの、本気で助力したいと望むもの。どちらも面倒を抱えるだけだ。幸い、脱してきたのはアリステアの騎士たちの中でも精鋭揃い。ならばこの戦力で速戦したほうがずっとよい、との判断だった。 「お館様、お休みくださいませ」 「お前が休めばな」 「では、下がらせていただきますゆえ。明日は早くに発ちまするぞ」 わかった、とグレンに片手を上げて追い払う。いずれ彼はまだ奔走する。アリステア自身の準備ならば疾うに整っている。あとは発つだけ。だからこそ、体中が騒ぐ。血の熱さにも似た怒り。 ――許さん。 断じてエレクトラを許すまじ。レクランを奪われたこと一つとっても。若き騎士ダニールを殺害されたことも。何よりリーンハルトの平穏を乱した罪は万死に値する。 城の彼の部屋に一人。ゆっくりとアリステアは呼吸をする。窓から眺める王都の灯り。美しいものだった。いまは少しの感銘も受けなかったが。心はただ戦場に。 アントラル大公への恨み骨髄、とでも言おうか。長年にわたって保護してきた挙句がこれか。王冠への戯言ならば許したものを。はじめてそれを聞いたときに処断しておくのだった、アリステアは唇を噛む。 |