ふと沈んだ面差しのリーンハルトにアリステアは笑ってみせる。自分が笑っていれば、この従兄は必ず笑ってくれる。幼いころからの確信にして事実。つられるよう、リーンハルトが微笑んだ。それにアリステアももう一度笑みを浮かべる。
「こうして、幼いころには一緒にいたものでしたね」
 王妃の一件以来、幼少の思い出を語ることが多くなった気がしている。ただ、二人に共通の懐かしく温かな思い出でもある。厭うようなことでは何もなかった。
「うん?」
 多忙であるはずの国王。いまはまだ、もう少し。そんな気持ちが透けて見えているリーンハルトの眼差し。アリステアは何気なく手を伸ばし、リーンハルトの指先を握る。あ、と息を飲んだよう目を見開いたリーンハルト。照れくさくなったアリステアこそが手を離した。
「従弟殿――」
「幼いころはこうしていたものですが……さすがにいまとなっては羞恥が勝りますな、従兄上」
 からりと笑ったその声音に、これ以上ない羞恥が見えていて、リーンハルトはそれを楽しく見やる。ほんのかすかに思う。一瞬だけ触れた指先。痺れるよう、いまもまだ残る感触。
「あのころの従弟殿は泣き虫で、よくわんわんと泣いていたものだ」
「それを仰せになりますな」
「手を握ってやって、頭を撫でて。ぐずつく従弟殿を寝かしつけてやったことが何度あったかな?」
「数え切れませんよ、そんなものは」
 そっぽを向いたままのアリステアの口許が見えた。照れたような、拗ねたような唇。リーンハルトは追わず、ただ見ていた。黒味の強い髪は幼いころより硬くなった。それでも当時の面影が充分に偲べる、そう思うのはそれだけ長きにわたって近々と接しているせい。
「従兄上?」
 視線に気づいたりステアが眼差しを戻す。リーンハルトは目を細めて微笑んでいた。あまりにも優しいその目に、アリステアは目を瞬く。遅れて動揺したのだと気づいた。なにに動揺したのかは、わからなかったが。
「従弟殿は誰より私の側にいてくれたな、と思って見ていた」
「いままでだけではありませんよ、これからもです。ずっと」
「そうでなくては困る」
「もちろん」
 屈託のない表情のアリステアにリーンハルトは笑みを返した。ふとその心に見つける屈託。アリステアと自分は違う。何が違うのかがわかれば、そんなことを思うけれど、違うからこそこうして互いに側にあるとも思う。
「あの泣き虫が頼もしくなったものだ」
 からかうよう言えば、他人の目がない二人きりの場。アリステアが憤然と半身を起こし、リーンハルトに圧し掛かるように抗議をする。笑いながら。
「重いだろう、従弟殿!」
 からから笑い、リーンハルトは押し退けようとするけれどびくともしない。さすがに鍛え方が違う。瞬間、眼差しが絡んだ。ただの偶然に過ぎない。それでいて双方ともに一瞬、否、刹那。止まった。
「父上、お目覚めですか!」
 もしアンドレアスの声が聞こえなければ、どうなっていただろう。リーンハルトはわずかに思う。ちらりと見やったアリステアはもう視線を外した後だった。
「あぁ、起きているよ」
 扉の外から聞こえた息子の声に返事をすれば、元気よく入ってくるアンドレアス。珍しいこともあるものだ、と思い見やれば、戸口にはレクランがいる。なるほど、レクランもまた城に泊っていたらしい。そのせいだろう、息子の機嫌がいつにも増してよいのは。
「これは、お恥ずかしいところを……」
 王子の登場にアリステアが慌てて襟元を直していた。寝乱れたままの姿を見られるのを嫌ったらしい。ほんの子供と雖も。その姿をずっと見ていたのだ、と思うとリーンハルトのどこかがざわつく。
「少しも。おじ上もおはようございます」
 悪戯っぽいアンドレアスの言葉にアリステアが目を瞬く。驚いたらしい。どういうことだ、とリーンハルトを見やってくるその眼差し。
「だって、おじ上でしょう? レクランの父君なのですし」
「確かに従叔父ではあるな」
 アンドレアスにとって父の従弟なのだから、間違ってはいない。だが、とアリステアは肩をすくめる。
「それを言いはじめると貴族のほぼすべてが親族になりますよ、従兄上」
「気分の問題だな」
 一蹴したリーンハルトにアンドレアスは目を丸くして驚く。父のこのような言いぶりはあまり目にしたことがないのだろう。ただ、同意とは感じ取っていた。そのせいだろう、嬉しそうに笑っているのは。
「レクラン」
 戸口で向こうを向いたままの彼だった。さすがに王の寝室に踏み込むのは遠慮している。自分の父がしどけないままである、というのも一因かもしれない。王の呼び声に首だけを振り向けレクランは目礼をした。その目許がほんのりと染まっている。恥ずかしいのだろう。
「気にすることはない。入っておいで。アンドレアスが寂しそうだ」
「寂しくはありません、父上!」
「では、つまらない、に言いなおそう」
 それならば、とうなずくアンドレアスが戸口を振り返る。レクランを呼び寄せる声音に傲岸さはまるでない。まるで幼いころの自分たちを見るようだ、とリーンハルトは懐かしい。
「天機麗しゅう、祝着に存じます」
 堅苦しい挨拶も、レクランが含羞んでいるせいとあっては大人たちには微笑ましいだけ。アンドレアス一人が嬉しそうだった。
「しどけないなりのままですまないな、レクラン。あまり子供に見せる姿ではないと思うのだが」
「とんでもないことにございます」
「僕が父上のところに行こうって言ったんです」
 だからレクランは悪くない、そんなことを言う息子にリーンハルトの眼差しは柔らかい。長男の話を他愛ないとは感じもせず、うなずきながら聞いてやっている姿にアリステアは感銘を受ける。少々襟元が気になってはいたが。リーンハルトの言う通り、清廉潔白であろうとも、寝起きの姿など子供に見せるものではないし、見られたいのでもない。ふとアンドレアスの話を片耳で聞きつつ思う。見られたくないのは誰の乱れた姿か、と。
「お前たちも朝はこのようなものだろう?」
 リーンハルトが自分たちと同じだろう、とアンドレアスをからかっていた。おかげでアリステアの思考は深まることなくそれて行く。
「はい、父上。レクランが泊って行ってくれる日はとても楽しいです」
 だから朝寝をして一緒にお喋りをして。女官たちに叱られるのだ、と彼は笑った。アリステアはちらりと息子を見る。アンドレアスの要請あって城に泊って行ったのだな、と。レクランは父の眼差しに気づいた素振りも見せず瞬きだけでうなずいて見せた。アリステアの口許に笑みが浮かぶ。無論、リーンハルトはそのやり取りに気づいてはいる。アンドレアスの心を慮って内心で微笑むに留めた。
 アンドレアスがレクランを慕っているというべきか、寵愛しているというべきか。少なくとも、この二人の関係は宮廷のみならず、貴族たちにもすでに知れ渡っているらしい。
 アリステアは最近聞いた噂話を思い出す。三世代に渡って睦まじくお過ごしなのは国のためによいことではないか、との。リーンハルトとアリステアの父親同士は兄弟だった。王冠を受け渡し、受け継ぎ、最後まで仲のよい兄弟だった。そして二人の従兄弟同士もまた、父たちに劣らず睦まじい。むしろ父以上に。王冠を奪い合う、と長年言われ続けながらそのような考えを弄んだことさえない二人。そしていま、その二人の息子たちがこうしてここにある。
 それを貴族たちはラクルーサのために歓迎すべきこと、と考えはじめているらしい。アリステアはいつ風が変わるかわからない、そう思いつつもレクランのために安堵する。息子まで簒奪者になるのだ、と言われるのは父としてやりきれない。
「おじ上。いいですか?」
「かまいませんが。ここだけにしてください、殿下」
「殿下はやめてください、ここだけならば」
 むっと唇を尖らせたアンドレアスにアリステアは降参する。そんな顔をすると幼い日のリーンハルトによく似ていて。
「アンドレアス殿は何をご所望かな?」
 悪戯っぽいアリステアに、リーンハルトこそが幼い日を見ていた。昔から羞恥が勝るとこのような口ぶりになった従弟。小さな彼がすると無性に面白かった。いまは自分の息子がくすぐったそうに身をよじる。そしてアリステアの返答を待たず、ぽん、と寝台に飛び込む。
「おっと」
 慌てたふりをして飛び込んできたアンドレアスを抱き留めたアリステアにレクランが微笑んでいた。父の腕の逞しさを彼もまた息子としてよく知っているのだから。その頼もしさと共に。
「レクランも!」
 アンドレアスに招かれても、さすがにレクランは飛び込んでは来なかった。そもそも王の寝台だ、はしゃぐ気には到底なれないだろう、彼は。アリステアの想像通り、レクランは寝台の端にかろうじて腰を下ろす。もう少しこちらに、と微笑んだリーンハルトがレクランの居場所を作ってやっていた。
 アンドレアスを膝に座らせ、レクランを傍らに。何より側にリーンハルトがいる。隣で半身を起こしただけの彼が息子たちの話を楽しそうに聞いている様。不意にアリステアは感じる、これこそを充足と言うのだと。
 なにを話していたわけではない、レクランが泊っていった昨夜のこと。二人でした話。内緒話をしたと言ってしまうアンドレアスに慌てるレクラン。他愛ない、日々の情景。
「まぁ、なんということでしょう」
 あまりに遅いお目覚め、と女官が王の寝室を窺ったとき、彼女が見たのはそれだった。呆れ果てて物も言えない、顔中に書いてあってアリステアは身を縮める。レクランもまた同様に。
「殿下、なんとはしたないことをなさっておいでですか。ご身分をお考えなさいませ」
 ぴしりと叱られ、アンドレアスが体を小さくして詫びていた。が、リーンハルトは気づいては忍び笑いを。女官はアンドレアスを叱ったのではない。
 わざわざ、王子殿下と呼びまでして、アリステアを叱責していた。お立場をお考えなされませ。女官の厳しい目にアリステアは再度身を縮め、そっとリーンハルトを窺う。悪戯っぽい顔をしたままのリーンハルトが笑っていた。半ばは女官の冗談だよ、とでも言うように。
「陛下も陛下にございましょう。甘やかし過ぎはお身を損なうもと、と申します」
 これはいかん、とリーンハルトが降参した。王の戯けぶりに女官の口許が痙攣する。笑いをこらえたらしい。




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