御前試合の当日。王城内近衛騎士団演習場は平素とは打って変わって華やかな飾りつけがなされている。美しい花々やゆったりと風をはらむ布帛、それらが飾る桟敷席。中央にはすでに王族が座している。その更に中心、王と王妃の臨御も賜る。その席から左右にずらりと貴族が席を作っていた。演習場を囲むよう、王に近い席から高貴な者が席につく。
 会場には出場者もすでに揃っている。それぞれの控えの席は家の色、紋章、神殿の象徴と、様々なもので飾り付けられ中にいる出場者が見えないほどだった。アリステアもマルサド神殿の控えの席にいる。飾られたのは剣の一振り。軍神の象徴として、質実剛健たるものだった。だがそれは神託の儀式で象徴としたものではなく、柄と鞘の形に彫った、彩色木彫の剣。充分に美しいものだったが。
 控えの席、アリステアは眼差しを落としたまま考え込んでいる。司教には一つ、我が儘を言った。慣例的に出場者の主たちは御前試合の前、王への面談がかなう。ほとんどが高位の貴族たちであるせいだった。司教にはその際、王に伝言を頼んだ。
 ――従兄上。
 本当ならば、控えるべきこと。出場者が登城を控えるのは不正を疑われないため。それなのに伝言などもってのほかだ。司教が快くうなずいてくれたのすら申し訳ない。
 伝言はただ一言。「アントラル大公家からの申し出は必ず一考なさいますように」とだけ。すでにアリステアは知っている。あの日、グレンに公爵夫人エレクトラの身辺への潜入を命じた。無論、グレンは男性であるからして、できようはずもない。彼は親類の娘を小間使いとして、潜り込ませた、と言ってくれた。危険であるし、命の保証がアリステアには出来かねる。娘はそれを飲み込んだ上で潜入した、と言う。その娘が告げてきたこと。アントラル大公家からの側室献呈。アリステアの睨んだとおりだった。
 いまの情勢でなければ、リーンハルトも拒むことはなかったかもしれない。いまは逆に、受け入れるかもしれない。アリステアにも読み切れない。いずれにしても、リーンハルトの不快だけは確実だ、受け入れるにしても拒むにしても。
 だからこそ、すぐに返答をしてくれるな、と伝言をした。あえて言うまでもなくリーンハルトならばそうするだろうとは思う。それでも言わずにはいられなかった。
 ――ただ。
 アントラル大公家からの、ということは事実上、大公家の内情を賄っているのがスクレイド公爵であるがゆえにアリステアも承知のこと、と解釈される危険はあった。無論リーンハルトにではなく、貴族たちに。アリステア自身は王妃との関係修復こそが第一だ、と考えているのだけれど。
 ――従兄上に少しでも安らげる環境を作って差し上げたい。
 それだけがアリステアの望みだった。以前の王妃はそうであったものを。懐かしい、というよりは情けないような心持ちでアリステアは溜息をつく。
 その中、前座がはじまっていた。アリステアはスクレイド公爵家から騎士を出したことが一度もない。騎士たちは出場したいと望んではいるだろう。けれど主人がそれをすればどうなるか、というのを彼らもまたよく理解してくれている。今回出場の機会を得たレクランもまた、公爵家からの出場ではなく、王子の推薦を得てのことだった。
 レクランは中々よく戦っていた。父の目から見ても見どころがある。いずれは時代に名を残す剣士となるかもしれない。本人は神官戦士を目指している様子でもある。楽しみなことだ、とアリステアもそのときだけは口許をほころばせていた。
 レクランは残念ながら途中で敗退した。十二歳の少年とあっては年長の従騎士たちにはやはり敵わない。どちらかと言えば膂力と体力で負けたようなもので、彼がその年齢になれば無敵であろうとも感じられるだけの戦いぶりを見せた。
 若年部門の優勝者を交えての御前試合がはじまったのは昼食を挟んでの後。昼食時、司教はアリステアに微笑んだまま目顔でうなずく。伝言は伝わった、と彼はほっと息をついていた。
 アリステアもまた、例年優勝候補と数えられるだけの戦いを見せる。このところは負け知らずで、続いて優勝してきた。各神殿の者もいるし、貴族として対抗する家の者もいる。アリステアが公爵、あるいは王子の称号を有するからと言って必ずしも勝てるわけでもない中での勝利。
「神官戦士、アリステア殿――!」
 侍従の呼ばわる声も慕わしい。ここでの彼は公爵でも王子でもない。ただ一人の神官戦士でいられた。一度桟敷を見上げる。リーンハルトの眼差し。かすかに微笑んだ彼の目にアリステアもまた笑みを返しうなずく。
 ――ご機嫌がよろしゅうないな。
 内心で苦笑した。伝言は確実に伝わっている。その上でリーンハルトはアントラル大公家の差し出口が気に入らない、と目顔で言う。こんな場面でそれを表す従兄がアリステアは好きだった。
 決勝は三合とかからなかった。相手もよい腕をしていたけれど、アリステアの鎧袖一触、あっという間に剣を叩き落とされてのこと。唖然とする騎士はついで深々と礼をする。アリステアの、称号ではなくその剣の腕への感嘆。
「今年もまた負けました」
「相手がそなたとわかったときには覚悟をした。よい腕であったよ」
「至りませぬ。が、来年こそは勝ちまする!」
「楽しみにしている」
 中央で握手を交わす二人に割れんばかりの拍手が送られた。あまりにも短な勝負は、互いの力量あってのこと。息を詰める間もない決着とはいえ、観客たちには数時間にも思えたような戦いだった。遠く、レクランが頬を赤く染めて父を見ている。不意に背後が騒めく。
「陛下、一つ余興をご覧いれとうございます。よろしいでしょうか」
 マルサドの司教だった。アリステアは珍しいことだな、とそっと首をかしげる。
「許す」
 短いながらも笑みを含んだ王の言葉にアリステアと相手の騎士は下がろうとする。だが司教がアリステアを留めた。
「アリステア神官、そのままで」
 何事だ、と思った。司教が自分に何も言わずに事を進めた、それを咎めるつもりは毛頭ない。だが隠し事をするような人ではなかったはず。まして御前試合の場とあっては、何かをするつもりであったのならば事前に告げてくれる人だろうと彼は思う。
 無言のアリステアの前、マルサド神殿の控えの席から一人の人物が進み出た。深くフードをかぶっているせいで、アリステアにも人相が見えない。体格からして男性だろうとは思う。
 ――これは。
 その佇まいに、痺れを感じた。相当に使う、などというものではない。正直に言って敗北を覚悟する。勝つ、その道筋が見えない。司教はなぜ。
 そうは思っても、これが司教の策略だとは一瞬たりとも思わなかった。この場でアリステアを貶めることが可能だ、司教には。優勝者の無様な敗北を見せつけることが。けれど司教の意図はそこにはない、アリステアは確信する。
 ――ならば努めるのみ。
 戸惑う侍従に代わり、司教が試合を司ることになった様子。フードの男性は顔形をさらすことなく剣を取る。
「はじめ」
 静かな司教の声。咄嗟に対応しかねるほどの鋭い打ち込み。アリステアは一歩を飛び退る、平素ならば。だがこの相手には無駄だと逆に飛び込んだ。眼前で互いの鍔が迫り合う。アリステアの目に一瞬の訝しさ。長々と考えていられるほどの時間を相手はくれない。
 その中、わずかに思考する。剣をかわし、火花すら散らせながら。あれほど近々と接したはずの相手。それでいて顔が見えなかった、と。
 それだけしか考えられなかった。ちらりと相手の唇が笑みを刻む、そんな気がしただけかもしれない。不思議とリーンハルトの息を飲む音が聞こえた気がする。そのときには危ういところを逃れていた。
 つい、と相手が剣を振った。まだだ、と。アリステアは気づけば勝てる気がしない勝負をこの上なく楽しんでいる。そのせいかどうか。いつにない鋭い打ち込み。あるいは生涯最初で最後の一撃。
 ――はじめて。
 相手が飛び退った。すぐさま追撃。今度追うのはアリステアだった。それでいて相手の方にまだ余力が見てとれる。
 一勝負終えたあと、というのは充分に考慮すべきことでありながら、アリステアはいつにない疲労を感じはじめている。それほど凄まじい試合だった。巻き上がる砂煙は、二人の足が立てたものとも思えない。貴族たちは息を詰めて試合を見ていた。
 肩に痛み。けれどまだ追う。ふと見やれば視界の端にマルサド神殿の控えの席。アリステアの一撃に相手が剣を投げ捨て。
「なに」
 訝しい声を上げずにはいられなかった。それでいて、肉体は今以上の臨戦態勢に。象徴として飾られていたはずの木剣。
「なんと……!」
 誰からともなく声が上がる。神殿の者に違いない。抜けるはずのない彫刻の剣は男の手により剣身を表す。嘘偽りない、研ぎ澄まされた鋼の剣を。アリステアは見紛わない。
 ――来る。
 感じたときには避けていた。そう感じたときには、次の一撃。喉元に切先。いつ会場の中央にまで至ったのかもわからない。片膝をつき、アリステアは喉に痛みを覚える。切先が触れていた。
 いままでの試合は男にとって遊戯であったのだとまざまざと感じる。不思議と悔しさは感じない。いつ取れたのだろう、フードから現れた燃えるような赤毛。アリステアは目を瞬く。愕然と目の前の勝利者を見つめる。
「我が神官に請願を許す」
 会場中、どこにいても聞こえる声であった。男の声は大きくはない。それでいて。マルサド神、降臨。アリステアは威儀をただし彼を見上げる。
「我が王、リーンハルト王への忠誠を。我が剣は王のためにのみ振るわれることを我が神に願わん」
 何を言うか、決めていたわけではない。御前試合にて我が言葉を、そう神託はあった。が、まさか神の顕現をこの目で見るとは。けれどアリステアの言葉に一切の遅滞はない。するすると言葉は滑り出る。
 マルサド神が振り返る。リーンハルトを見たのかもしれなかったし、振り返ってなどいなかったのかもしれない。
 そしてリーンハルトは身を乗り出し、従弟を案じていた。神官ではない彼にもそこに存在するのが神であるとは感じられていた。あるいはだからこそ、従弟を案ずる。たとえ、ために王妃が不快の念を強めていようとも。
「誓うがいい」
 神の唇が笑みを浮かべた、目の惑いのようそう感じる。見えるわけではない。ただ感じる。
「身命を賭し、守護の誓い定めし者の剣となり楯とならん。誓い破りたる時には我が命とりたまえ」
「その覚悟やよし。武闘神官と名づく。剣はくれてやろう」
 喉にある剣が瞬きの間に振られ、アリステアの下に。咄嗟に受け取り、額に差し上げ感謝する。マルサド神の歓喜にも似た笑いの声。そのときには神韻渺々たる響きを残し神は姿を消していた。




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