ゆっくりと散策を続けていた。執務続きの王には何よりだっただろう。 「従弟殿。こちらだ」 ふと何かを思い出した、とでも言うようリーンハルトがアリステアを誘う。あまりアリステアも行ったことのない方向だった。王城の庭園は一日では周り尽せないほど広い。気に入りの場所ばかりを巡っているアリステアだったから、よけいに他のところは知らない。 リーンハルトもあまり自信はなさそうな歩きぶりだった。思えば当然のこと。寝所と執務室の行き来だけをしているような王なのだから。 「従兄上、少しは息抜きをなされませ」 思わずそう言ってしまう。しつこいな、と内心でアリステアは苦笑する。リーンハルトもまた何度も繰り返している、と思ったのどうか。それでも少し嬉しそうに小さく笑った。 「しているだろう?」 いま、こうして。夜も更けてからの、しかも王宮の庭園を散策しているだけ。それでも充分な息抜きを主張する王だった。 「もっと他にすることがいくらでもおありだろうに」 長々しい溜息にリーンハルトは笑う。そう言うアリステア自身、自邸に戻れば嫌と言うほど執務を抱えている身だった。そしてそれを厭わず片づける男だとリーンハルトは知っている。 「あぁ、ここだな」 リーンハルトが言うより先にアリステアは目を瞬いていた。小道を曲がり、現れたのは別の小道。それでいて、まったくの別世界に来てしまったかのような。雪のように白い小石が敷き詰められた道は輝かんばかり。月光を映し、そこに光の道があるかのよう。夜咲く花々はかえって少なく、うっとりするほど見事な苔が豊かに広がる。あちらの影には香草が一叢。葉がそよぐたび、涼やかな香りが夜風に漂う。 「これは……見事だ……」 あまりにも美しい夜の庭園だった。リーンハルトもまた満足そうに見やっている。 「私が休息を取るのが夜ばかりだ、と王妃が気にしているようだ。王妃が庭師に命じて、夜にこそ美しい庭園を造らせたと聞く」 「なんとお優しい。妃殿下とご一緒なさればどれほどお喜びになることか」 「まぁ、そう言うな」 苦笑しながらリーンハルトは歩いて行った。その傍らに従いつつ、アリステアはテレーザの心遣いの深さを思う。夫である王のため、彼女はこれほどまでに心を砕く。夜の一時、夫と散策を楽しめれば、そう思っていただろうに。 「従兄上はもっと妃殿下と共にあられなければ」 「互いに忙しい身の上でな」 「そう仰せになられずに」 肩をすくめるリーンハルトだった。スクレイド公爵夫妻のよう、互いを避け合っているわけでは断じてない。王妃の心遣いを嬉しくも思う。が、気を使われれば使われるほど、時にはそんな場合ではないと言いたくなるのは男の甘えか。内心で自嘲するリーンハルトとは誰も知らなかった。 「休め休めと言われてもな、従弟殿。それをしたことで事態の悪化を招くのがわかっていて休めるはずはなかろう?」 「もっともな仰せではありますが、従兄上」 「民を思う。魔族の横行がはじまって以来、百十余年。ハイドリンの近くに住んでいたものはどれほど怖い思いをしたことか。いまはほとんど人が住まないと聞く。それが少しも収まりを見せない。確かにな、従弟殿」 庭園からすう、と視線が外されアリステアへと。こうして散策を続けながらも話していたのはずっと戦いのことだった。時折雑談を挟むのがせいぜい。それで休息になるのだ、とリーンハルトは言う。 「一朝一夕に解決することではないだろう」 「魔族異形は数も多く、人は弱い」 「そのとおり。だからこそ、私の後に続く王がわずかでも進めるよう、私もまた力を尽さねばならない。国王とは、そういうものだろう?」 王冠を得たその日から、リーンハルトに不自由はあっても不満は一切なかった。だからなおさら、この不自由をこの闊達な従弟に味わわせたくない。彼だけは、真っ直ぐと明るい道を進んでほしい。自分にはアリステアがいる。彼が支えてくれるならば、なんの不満もなかった。 「お支えいたしますよ、従兄上」 その内心の声が聞こえたかのようなアリステアの笑みだった。同じく微笑みを返せば、互いに無言。充足が二人の間に満ちるようだった。 こればかりはテレーザには無理なこと。剣を取る手、戦う目。アリステアにはそれがある。王妃には王妃の戦いがあることだろう。けれどいま助けになるのは、血に汚れることすら厭わないアリステアだった。 「やあ、あれか」 そんな自分の思いに含羞んだリーンハルトだった。何を思ったのかまではアリステアにもわからない。それでも従兄が少しばかり照れたらしいのには気づいた。つい口許に笑みが浮かび、横目で睨まれるのもまた楽しい。 「なにを見つけられましたか、従兄上」 「見ればわかるだろう? あれだ」 「……私には切り株に。おや」 リーンハルトの珍しい形の笑み。にやりとした王にアリステアは目を瞬く。ついで大きく笑っていた。 「騙しましたな、従兄上!」 「騙したのは私ではないぞ?」 くつくつと笑う王の声。アリステアも気分がいい。そこにあったのはどう見ても苔の中の切り株だった。しかしそれはよくよく目を凝らせば作り物。切り株の形に整えられた小卓と腰掛だった。 「見事なものですな」 召使に茶の支度を申し付け、夜更けの茶を楽しむ。熱々の茶と共に軽食が用意されたのは召使たちの心遣いだろう。 「従兄上の給仕は私が務めよう。下がってよいよ、ご苦労様」 そのまま給仕に残ろうとする召使にアリステアは笑みと共にそう言う。リーンハルトはそれを眺めていた。他者がいては、王と公爵であらざるを得ない。たとえそれが召使であろうとも。それと察して下がらせたアリステアだった。 「お優しいな、従弟殿は」 「なにがです?」 「召し使う者どもなど、命ずればよいのだと思っている輩は貴族にも多くいるぞ?」 名も知らぬ召使であろうとも、アリステアは気遣いを見せる。そう指摘された彼こそが驚いていた。特別なことなどした覚えは微塵もない。 「同じ人でしょうに。私はこのような身の上に生まれた。彼らは違う身の上に生まれた。貴賤はあっても同じ人。そういうものでしょう」 「従弟殿――」 「他人を隷属させる、ということが好かんのですよ、私はただ」 肩をすくめたあっさりとした言いぶり。アリステアにとっては自然なことだと伝わってくる。リーンハルトの口許が緩んだ。 「従弟殿が私の従弟殿でいてくれるありがたさ、というものだな」 何を言っているのだ、と首をかしげるアリステアに彼は答えない。ただ微笑んでいた。それでまた、アリステアもいつの間にか微笑むのだから。 「先ほど、見事なものだと褒めていただろう?」 ぽん、とリーンハルトの手が小卓を叩く。鈍い音まで切り株のようだった。まじまじと見てもまだそう見えるのだから、たいしたものだ。 「庭師の労作ですかな?」 「いや、魔術師の作だ。素晴らしいものだと思わないか」 「魔術師が! ほう、なるほど。彼らは面白いことを考えますね、従兄上」 このような本物そっくりのものを作りあげるとは。触ってもなお切り株のよう、それでいて座れば間違いなく上等の腰掛だった。 「彼らは色々と面白いことを考えるよ。それを存分に活用できるのか、と問われれば私にもわからんがね」 なにぶん、魔力のない人にはわかり得ない力でもある、魔法というのは。まして魔術師は数も多くない。このラクルーサにも宮廷魔導師団を称する一群が存在するが、もっぱらミルテシアに対抗するため、と言った匂いが強い。魔法による呪殺が存在する世界では、否応なく必要なものだった。 「先ほど、篝火の中に変わった色合いのものがありましたが、あれも魔術師ですか?」 庭を照らす篝火は贅沢の極み。あちらこちらに美しい庭園を更に飾るよう設えてある篝火だった。アリステアは見慣れたものではない篝火に気づいてはいた。が、何かの加減で色合いが違う炎など珍しくもない。その程度だと思っていたのだが。 「そのとおり。魔法灯火、と言うらしい」 つまり魔法で点している炎と言うべきか、灯りと言うべきか。言えば炎ではないから灯りだ、とリーンハルトに教えられた。 「それは焼けない、ということですな?」 「そういうことだな。従弟殿も知っているだろうに」 知らないではない。確かにスクレイド公爵家にも魔術師は抱えていて、様々な用を務めている。魔法灯火も目にしたことがある。が、それは。 「魔術師が、自分の手で点しているのを見たことがあるだけで、あのような篝火を見たことはないものですから」 「あれは魔法具、と言うらしいぞ。魔術師が側にいなくともよいらしい。便利なものだ。作るのが大変に難しい、と言っていたがね」 「それでは戦場で常用するのは難しゅうございますな」 「殺伐としたことを言うものだな、従弟殿」 からりと笑うリーンハルトだった。いずれ王も同じことを考えていたに違いないだろうに。アリステアは苦笑し、まだ熱い茶を飲む。そんな彼に王はまだ微笑んでいた。 「従弟殿にな、例の密書が渡された理由はそのあたりではないのかな」 「なんです、従兄上。突然に」 「驚くようなことでもないだろう? ミルテシアの焦りのよう、私は感じたが。従弟殿は?」 「それは、私も」 「だろう? ――リィ・ウォーロック死去は本当らしいな」 先から行方不明になっている魔術師だった。魔術師たちによれば、彼こそが現代魔術の祖なのだと言う。彼らが唯一「偉大な」と形容するのがリィ・ウォーロックだった。 「それとあれになんのかかわりが?」 「だからさ、従弟殿。リィ・ウォーロックはミルテシア王家と深い関係があったらしいと聞く。それがどのような関係なのかは私にもわからんが」 リィ・ウォーロックという強大な力を持つ魔術師がミルテシアの縁者であるのならば。その縁者との関係が切れたのならば。ミルテシアは新たな力を欲するだろう。 「それが従弟殿だった、ということだろう。私はそう思う」 「傍迷惑なことですな」 顔を顰めるアリステアにリーンハルトは唇で笑う。それこそがアリステアの本心だと彼は知っていた。 |