謁見の間に現れたアリステアは雷をまとっているかのようだった。凱旋してきたというのに、だ。戦勝の報告、王の褒詞、型通りのやり取りがいっそ空々しい。廷臣たちもその怒りのあおりを食らったかのよう、常になく静かだった。
「これを、陛下に」
 伴ってきた騎士を振り返り、アリステアは一通の書状を受け取る。汚いものにでも触れるような手。そのまま書状は侍従の手に。目を走らせた侍従が顔を青くした。
「陛下にお聞かせするように」
 淡々としたアリステアの言葉に侍従はどうしたものかと迷う様子。玉座の王を振り仰げばスクレイド公の思うままに、とうなずいていた。
 そして読み上げられた書状。静かだった謁見の間が一瞬にして沸騰の様。ミルテシアからの書状だった。それもスクレイド公が旗を掲げるときには一臂の労を惜しまないとの。
「スクレイド公爵、これは――!」
「お聞かせした通りのもの」
「あなたはこのようなものをミルテシアから!」
 反逆だ、これこそがすでに反逆だと騒ぐ廷臣たち。高位の貴族たちはちらちらと顔を見合わせる。謁見の間の中央、アリステアは真っ直ぐと立っていた。恥じることは何もないと。
「スクレイド公は率直なご気性。策を弄する方ではないと記憶するが……このような書状があっては」
 冷笑する貴族の声がいやに響いた。疑われて当然のことをいま、アリステアはしている。ミルテシアからの書状をこうして公開するなど、かえって危険ではある。が、死蔵すればそれはそれであとで何を言われるかわかったものではない。秘密など、保てるわけはない。
「こうして弁明をしておいて、そして密かにミルテシアと手を組むおつもりかな?」
 そのとおりだ。スクレイド公は先々王の長子、王位を狙うに不思議はない。むしろ、従っていることこそが不思議だったのだと口々に呟く廷臣たち貴族たち。
「忠義面をして――」
 アリステアが何も言わないことに気をよくしたのだろう調子のいい廷臣が浮ついた言葉を口にしようとしたその時。
「このアリステア、陛下に対する赤心に一点の曇りなし!」
 怒号と言うには静かだった。冷静と言うには熱すぎた。アリステアの目は廷臣など見てもいない。真っ直ぐと玉座の王を。ふと王の目が和んだ。
「従弟殿の誠心、深甚に思う」
 ただ一言。それで宮廷は静まり返る。こんな書状があろうとも、リーンハルト王はスクレイド公爵アリステアを決して疑わない。それをまざまざと見せられた宮廷だった。それでも幾たりかはいまだ不審げな顔つき。王を甘いとでも感じたか。
「スクレイド公爵は我が剣にして我が楯である」
 短い言葉だった。けれど怒りの叫びよりなお響く。平素から声を荒らげる王ではなかったからこそよけいに底冷えがするほど恐ろしかった。
「行軍途次、見たものも多くあろう。話を聞かせていただけるか、従弟殿」
「喜んで」
「来るといい。静かなところで話すといたそう」
 そしてすぐさま怒りを抑えた王だった。しかし、怒りが消えたわけでは断じてない。廷臣たちにもそれは充分に理解が及んだ。淡々とした静かな顔を作ったとでも言うような、彼自身としての感情の窺えない男だった。王たるものはそうあるべしとでも言うように。それでもわずかにスクレイド公への眼差しは柔らかい。
「長の軍旅、お疲れ様にございます。お茶など進ぜましょう」
 おっとりとした王妃の笑みにアリステアは頭を下げた。そのまま国王夫妻は立ち上がり、謁見は終了を告げる。侍従に伴われ、アリステアは王の後ろへと従った。
「苦労をかけるな、従弟殿」
 小さな居間は王の私的な居間の一つだった。いまはリーンハルトとアリステアのみがいる。だからこその王の言葉だった。
「従兄上」
「そう怒るな」
「口にして良いことと悪いことと言うのがあるでしょう」
「従弟殿しか聞いておらぬ」
 むっとした口ぶりに、アリステアもいつまでも怒ってはいられなかった。正直に言えば、あの書状を密使が野営地に置いて行ったとき、胆が冷えた。間違いなく、誰かからこの話は漏れる。この場で書状を焼き捨てたとしても、必ずリーンハルトの耳に入る。それならばいい。問題は、廷臣の耳に入る方だった。ならばこそ、アリステアはただ真っ直ぐと公開をしたのだから。
「私は従弟殿を疑ってなどおらぬよ」
「口にされると疑われているような気がいたしますな」
「拗ねるな、従弟殿」
 小さく笑ったリーンハルトにようやくアリステアの口許もほころぶ。はじめから、彼が疑うことはまったく考えていなかったアリステアではあった。
「まぁ、お二人で早速と」
 笑顔の王妃が遅れてやってきた。手を引いて連れてきたのはリーンハルトの長子、アンドレアス王子だった。
「スクレイド公爵、ご無事のお帰り、祝着に存じます」
 たどたどしい言葉に微笑ましくなってしまう。王子がそこまで臣下に言葉を尽す必要などないというのに、けれど国王夫妻は、別けてもリーンハルトは王子にそう言うよう、あらかじめ言い含めていたのだろう。
「なんと、ありがたきお言葉。大きゅうなられましたな、王子」
「背が伸びました!」
「どれ、おぉ。重くなりましたなぁ!」
 抱き上げられ、声を上げて喜ぶ王子を見る王妃の目は優しい。リーンハルトが苦笑気味に息子を見ていた。
 膝の上に抱きあげれば小さな子供の体。レクランが同じ年頃だったときより王子は多少、小柄かと思う。もっとも、自分とリーンハルトを思えば大人になったらどうなるかわからない、とも思った。
「公爵は、お背が高いのですね」
「背ばかり、とも言うのですよ」
「お父上より大きいと思います」
「私が殿下のお年であったころは、陛下よりずっと小柄でした」
「父上より、ですか?」
 目をぱちくりとさせた王子の愛らしさ。顔立ちはリーンハルトに似ていた。しかし彼の持つ人を寄せ付けない険しさが王子にはない。そこは母のテレーザに似たのだろう。柔らかく包み込むような笑顔の可愛らしい王子だった。
「従兄上のほうがずっと大きゅうございましたな」
「本当に。いつの間にやらすっかり背を越されたものだ。あの泣き虫が、と思えばおかしいものよ」
「それを仰せになりますな」
 苦い顔を作ったアリステアを膝の上から王子が見上げる。泣き虫だったとは、想像もできないのだろう。唇だけで、ほんとう、と形作っていた。
「情けないことに本当なのですよ、殿下。いまの私は陛下が作ってくださったもの。従兄上に勝ちたい勝ちたいと駄々をこねる私に勝ちたいのならば腕を磨け、と怒ってくださった従兄上の懐かしさ」
 ふ、と従兄弟同士の眼差しが出会う。わずかに含羞んだような顔つきにアンドレアスとの相似を見て、アリステアは微笑ましい。
「でも、いまは剣も、父上より強いのでしょう?」
「とんでもない。陛下は誰よりお強うございますよ。私などよりお父上様を見習われませ」
「はい。――でも」
 ちらりとアリステアを見上げ、アンドレアスは含羞む。静かに座している父を見やれば、頬の赤みが一層増した。多忙な国王だった。こうして一時とはいえ、会話をすることなど滅多にない。アリステアがいるからこそ、父子の時間が持てたというのも一面の事実だった。
「あの、公爵と父上は、ずっと仲良しでいるんでしょう?」
「もちろんです」
「僕も、仲良しが欲しいんです。ですから、スクレイド公。あの……レクランは、元気ですか?」
 覚束ない言葉が愛らしかった。胸に迫ってくるような、愛しさとも違う、なんとも言い難い気分をどう名付ければいいのか。リーンハルトを見やれば彼は彼で笑みを含んだ眼差しで我が子を見ていた。
「壮健にしておりますよ」
「よかったら、今度。城に来るよう、伝えてもらえませんか。また遊びたいんです」
「レクランをお気に召しましたか。至らない我が子ではありますが、王子の下であれもまた学ぶことが多くありましょう。折を見て、こちらに来るよう伝えましょう」
「ありがとうございます! 楽しみにしていると、伝えてください」
 わかりました、と微笑んで肯うアリステアにアンドレアスが大きく笑う。よほど嬉しいらしい。それを見るリーンハルトもまた、喜びが湧く。
 アンドレアスとアリステアの子息レクランが、自分たちのようになれればいい。王族でありながら、それも玉座を争い得る仲でありながらこうして睦まじく過ごしている従兄弟同士。息子たちも同じようにあれたならば。
「そろそろ父に従弟殿を返しておくれ。母上のお供をして花など愛でてくるといい」
 アリステアの膝から息子を抱き上げれば、嬉しそうな声が上がった。抱きしめて、そして床におろせば少しばかり残念そうな顔。
「母上、まいりましょう。僕がお供します!」
 が、父に母を守るように、そう言われたのだとアンドレアスは喜び勇んで母の手を引いた。まぁ、と微笑んで息子を見やる王妃の眼差し。アリステアは一瞬の違和感を抱く。
「スクレイド公、どうぞ陛下をお頼み申し上げます。お疲れのご様子ですから……」
「よいお話しだけ、お聞かせすることといたしましょう」
「従弟殿、それでは聞きたい話が聞けん」
 むっとする王に王妃は柔らかな眼差し。夫妻の視線が絡み、そして外したのは王妃。退出を促されたのだとテレーザは気づく。笑んだまま息子の手を引いて部屋を出て行った。
「従兄上――」
 夫婦仲は順調か、とは聞けなかった。仮にも国王。ましてリーンハルトはそのような不躾な問いを拒む雰囲気を持っている。口ごもったアリステアに彼は首をかしげていた。
「どうした」
「いや……。妃殿下はあまりお元気がないように見えて」
「そうか?」
 夫の目から見てそうでもないと言うのならばそのようなものなのだろう。もっとも、我が身を振り返れば夫の妻のと言っていてもわかったものでもない。多くの子がある国王夫妻とはじめからうまく行く余地がなかった公爵夫妻を並べてみたとて意味はないが。




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