サイファの言葉を待つ二人をじっと見ていた。リィは嬉しげに、ウルフは青ざめて。呆れたよう、肩をすくめる。
「ねぇ、リィ」
「なんだよ」
「わざとなの」
「質問の意図が明確じゃないな」
 サイファそっくりに、と言うより彼がリィに似ているというべきだろう、そんな肩のすくめ方をする。ウルフは二人が過ごしてきた時の長さを思ってはなぜか切なくなった。
「名前」
 短い言葉でそれだけを伝え、リィは納得したと言いたげにサイファを見る。おそらく、精神の接触がもたらすものなのだろうといまはウルフにも見当がつく。それでも除け者にされたようで少し悲しい。
「偶然だな」
 笑うリィの言葉を聞いているのかいないのか、サイファは黙ってウルフの手を握った。はっとして彼を見る。視線は合わせなかったけれど、ウルフはサイファの意識が自分を向いているのを感じ、知らず笑みが浮かんだ。
「どうだか」
「本当だよ」
「こんな偶然があるの?」
「だから、運命って言うんだ」
「都合がよすぎる」
「ご都合をな、人間は運命とも呼ぶ」
 にんまりとリィが笑う。あるいはそれは勝利を確信した笑みかもしれない。
「運命、ね……」
 サイファもまた笑みを上せた。リィに同意するように見え、けれどウルフは知っている。こんなサイファは油断ならない。
「俺が与えた瑠璃石」
「いつか私の瑠璃石が現れるって言ったのは、あなた」
「それを若造だと思ってる」
「違う? これも瑠璃石」
 視線でウルフを指し、サイファは言った。
「どうかな? ルーファス・ラズリ、カルム・ラピス。お前の瑠璃石はどっちだ?」
 笑顔のリィ。サイファはそっとウルフを背後に下げた。何か問う声がしたけれど、聞かないふりをする。
「ねぇ、リィ」
「うん?」
「あなた、予言ができたなんて知らないんだけど」
「俺も知らんよ、だから偶然だって言ってんだろ」
「瑠璃石は」
「あの日、突然そう思った。だからこれだけは勘とか予言の類かもな」
「そう」
 小首を傾げて言うサイファの表情の穏やかさが気にかかる。けれどリィは続けた。
「あるいは、必然かもしれない」
「どういうこと」
「若造、知ってるな」
 ちらり、飛んだ視線にウルフはたじろぐことなくうなずいた。
「あんたが、ミルテシアの真の名の伝統のはじめだってね」
「下手な説明だ。わかりにくい」
「ごめん」
 後ろから、サイファの肩に手を乗せて謝ればその上に彼の手が重なる。
「そう責めるなよ、可愛いサイファ」
「じゃあ、あなたが説明したら?」
「別にいいけどな。ミルテシアの真の名は石の名前がどこかに入るってのは、知ってるか」
「ウルフから」
「そうか。これは本当に、偶然だがな。俺の名がはじめになったらしい」
「女王のせいだよ」
「あれの?」
「そう、いなくなったお父上を慕い続けたって言うから」
 いやなことを言うとばかりリィが顔を顰める。サイファもまた、いやなことを聞いてしまったと思う。リィの子供など、見たくも知りたくもない。かといって否定すればウルフまでもいなくなりそうで嫌だった。
「なるほどね」
 リィは捨て去った娘をどう思っているのか、ただそれだけで言葉を切る。
「だから、いつか瑠璃石の名を持つ誰かが生まれる可能性は否定できなかった」
「それが私の指輪と何のかかわりがあるの」
「サイファ」
 静かにウルフが声をかける。それ以上、リィを追い詰めて欲しくなかった。リィが苦しめば苦しむ分、あとでサイファが泣くのだから。
「黙れ」
 しかしウルフの気遣いは一蹴され、リィの苦笑もウルフには落ちない。
「人間ってのは不思議な生き物でな」
「知ってる」
「……生まれ変わりたかった」
「変わればいいじゃない」
「そうじゃねぇよ」
 やはり神人の子らには理解できないこと、とリィは苦く思う。
「性格を変えたいとか、そういうことじゃない。言葉通りだ。死んだあと、また生まれたかった」
「リィ?」
「もう一度、お前に会いたかった」
「……死ななきゃよかった」
「無茶言うなよ、可愛いサイファ」
「それで、もう一度あったときにわかるよう、目印のつもりだったの」
「明確にそう思ってたわけじゃない。願いとか祈りとか、そんなもんだな」
 リィの言葉は溜息に消える。永遠を生きるサイファには、生まれ変わりなどわからない、思ったこともない。
 もう一度会いたい、そう言ってくれたことだけがサイファの中にぬくもりを呼び起こす。離れたくなどなかったのだから。一度として。
「サイファ」
 唐突に鋭さを帯びたリィの声。サイファは感傷を破られた。
「サイファ、お前はどっちを選ぶ?」
 愚問だった。ウルフは止めるべきか一瞬惑う。それが遅かった。
 サイファは答えず軽く手を上げる。リィがいぶかしむようそれに気を取られた瞬間、掌に炎が踊った。
「ねぇ、リィ。私は神人の子。運命なんて信じない」
 戯れるよう、掌に遊ぶ炎をサイファは見つめ、それからリィに視線を移す。
「あなたとウルフの魂の形が似ている? 関係ない」
 視線はリィに据えられたまま、意識だけがウルフに向いた。止めるべきだとわかっているのに、サイファの心に押さえつけられてでもいるよう、ウルフは動けなかった。
「私がウルフを選んだのは、自分の意思」
「どこがいいんだ」
「リィ」
「なんだよ」
「あなたは私のどこがいいの」
 リィははっと息を呑む。ようやく質問の愚かさを悟った。馬鹿なことを言った。
「私はね、リィ。馬鹿で愚かでどうしようもない男だけど、ウルフがいいの」
「俺じゃなくてか」
「大好きなリィ、それ以上言わないで」
「汚ねぇぞ、可愛いサイファ」
 苦く笑った。サイファにそのように呼ばれたらリィは何も言えなくなってしまう。ゆっくりと目を閉じた。元々希望にすがりついてした話ではなかった。彼があとで疑念に襲われずに済むように。サイファ自身の口からきっぱり言わせたかった。
 それを自らの中で明確にしたリィは目を開く。そして決心したことを実行に移す。強烈に胸が痛んだ。
「そんな若造より、俺といたほうがずっと楽しいぞ、可愛いサイファ」
 変化は突如として起こった。それまでは躊躇していたのだろう、サイファの哀しげな笑みが凍りつく。
「私の愛しい者を侮辱するなら。リィ・ウォーロック、敵対する用意が私にもある」
 リィの返答を待たず、サイファは炎を放つ。爆音が響き渡り、そして一瞬にして掻き消える。
 薄く立ち上った煙の向こう、リィが無傷で立っていた。サイファの舌打ちにウルフは我に返る。いまさらではあったが、しないよりはましとばかりサイファを背後から抱きしめた。
「離せ」
「それ聞くの久しぶりって気がするな」
「どこがだ」
「本気で離せって言うの、あの旅以来じゃん」
「わかっているなら……」
「離さない」
「ウルフ!」
「あんたがあとで泣くんだよ。大好きなお師匠様でしょ、喧嘩はよくない」
 サイファは呆れてわずかに首を傾ける。ウルフは真剣に言っていた。
「喧嘩?」
「違うの」
「もう少し真面目なものだが」
 抱きしめる腕を振りほどくことはしかねた。リィが見ているからだけではない。ウルフの腕を無下に払いたくない。
「どっちかって言ったら若造のほうがあってるな」
「あなたまで言うか」
「師弟喧嘩だな、これは」
「リィ」
「そうだろ。それにしちゃ手加減なしだったがな」
「する気はなかったから」
 しかしリィには傷ひとつついていない。いささかそれが不満だった。もっとも、リィが怪我でもしたならばあとでウルフの言ったとおりになることもまた否定はできなかった。
「まだまだ未熟だな、可愛いサイファ」
 ふっとリィが笑う。懐かしい響きに懐柔されそうで、サイファは唇を噛みしめる。
「聞きたいことがあれば、いつでも教えてやる。遊びにおいで」
「リィ……!」
「若造と喧嘩したときなんか、特に歓迎だ」
「あなたって人は!」
「可愛いサイファ。諦めると思うなよ」
 返す言葉が見つからないうち、リィはにやりと笑って姿を薄れさせ、そして瞬く間に消え失せた。
「リィ……」
 サイファは拳を握り締める。まともに喧嘩の相手もしてもらえなかった。はぐらかされて、相手にされないのはいつも自分のほうだった、そう思う。
 あの頃だとてそうだった。覗き込んだ目の中にあったもの。問いかけても知らぬふりをし続けられたもの。
 いつか知ってしまった。リィの心の中に自分が見ることを許されない何かがあると。なにか温かくて切なくなる心の手触りを今も覚えている。
 それが何であるかを知った日。サイファは何も言葉にならなかったのを思い出す。ウルフに用を頼んで塔から追い出し、独り一室に篭った。リィの遺品を収めてあった部屋に。
「リィ……」
 今だけは、背後から抱きしめるぬくもりよりもリィの笑い声が聞きたかった。ついにリィは気づかなかった、と思いつつ。サイファがまとうローブはいまなおリィの喪の色に染まったままであることを。




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