この際、自分を呪うべきかウルフの嫌がらせを厭うべきかリィは迷っていた。顔を顰めて彼を見る。そして溜息をついた。
「血の絆とでも言うかな、簡単に探っただけで若造の真の名がわかるのは」
 サイファに向けた顔は情けなかった。まだ呆然としたままサイファは彼の言葉を聞く。
 リィのことなら知り尽くしているつもりだった。それなのに、思いは惑う。思えば彼が自分と出会うより先、どこで何をしていたのかは少しも知らなかった。
「子供……」
 自分が彼の塔を旅立った後、いつも彼の側には新しい弟子がいて、そのうちの幾人かとは関係を持っていたのはよく知っている。それでも子供と言う考えには馴染まなかった。
 それはサイファが半エルフであるせいかもしれない。確かに人間との間に子を生すことは出来る。ただ、不可能ではないというだけであって、あまりそのような話を聞いた例はなかった。
 半エルフの特性、と言っていいだろう。人間との関わりを避け、恋愛感情に疎い。加えて同族は同性しかいない。これではサイファの思考に子孫、などと言うものが入り込まなくても無理はなかった。
「ごめんな」
「なにが」
「黙ってて」
「話したくなかったんでしょ」
 きっぱりと言った言葉にリィがうなだれて見せる。半ば演技で半ばは本気だ。サイファは呆れて溜息をつく。
「怒らないもの、いまさら」
「嘘つけ、怒ってるだろ」
「怒ってないって言ってるでしょ」
 それ以上言うと怒る、そう付け加えてサイファは笑う。もう千年も前に済んでしまったことを今更どう言おうが仕方ない。
「それよりも」
 ちらり、ウルフを見た。彼が怯んで一歩下がりかけたのを胸元を掴んでは引き戻す。
「なぜ、黙っていた?」
 塔で暮らすようになる以前から、ウルフは知っていたのだと思うと怒りが込み上げてくる。まだ諍いをしていた頃からウルフはリィが何者か知っていたのだ。
「お師匠様が黙ってたことを、あんたに話していい訳ないじゃん」
 睨み付けられているにもかかわらずウルフはあっさり言ってのける。言われて見れば、確かにそのとおりとうなずきそうになる。
「どうして黙っていたとわかる」
 だが、後に引くのは気恥ずかしい。言いがかりだとわかっていることを問い詰めればウルフが笑う。向こうでリィがかすかに微笑った。
「あんた、知ってた?」
「……知らなかった」
「じゃ、お師匠様は知られたくなかったんでしょ」
「だから」
「俺もそうだったから。あんたに素性を知られたくなかった。あんたに嫌われんのがいやだったから、ずっと黙ってたでしょ。ちょっと、気持ちがわかるかなって」
 言ってリィを見れば彼は意外そうにウルフを見ていた。少しばかりウルフが誇らしくなる。サイファはそっとウルフの手を自分のそれと絡めた。
「思ったほど、馬鹿ではないみたいだな」
「リィ!」
「悪い」
「本当に」
「だから、謝ってんだろ」
「それで?」
 とても謝っているようには見えない態度をサイファは呆れ顔で見、それからウルフに微笑む。けれどウルフはリィの言葉を否定も肯定もせずへらへらと笑っていた。
「似てない」
 唐突とも言えるサイファの言葉に二人が一斉に振り返る。驚いてサイファは目をみはった。
「なに?」
「そりゃ、俺の台詞だ。何が似てないって?」
「あなたとウルフ。子孫なんでしょ? 少しも似てないね」
 リィは改めてサイファの認識に呆れ返った。
「どれだけ離れてると思ってんだ、お前」
「知らない」
「あのなぁ……俺とこいつとの間には何十世代もあるんだぞ」
 言いつつリィは自分とウルフを指差す。サイファは二人を見比べ、リィの血を引くものが何十人もいたことに目をみはる思いだった。
「やっぱり、似てないもの」
 そして唇を引き結び首を振った。
「本当に?」
 茶化すよう、リィが尋ねた。心の中、ある決心をしたことだけはサイファには悟らせないとばかりに。からかいの口調に騙された二人は驚いてリィを見つめる。
「お師匠様と俺? 似てないと思うけどなー」
 そうウルフは片手で長くもない髪をかき上げた。ウルフの跳ね返る赤毛、リィの短い銀髪。やはりどこも似てなどいない。安心するよう、サイファは微笑む。が、自分が何に安堵したがっているのかわからなかった。
「可愛いサイファ、よく考えてごらん」
 すっと、サイファの顔色が変わった。リィの言葉の意味が知れる。せり上がってきたものを慌てて飲み下し、サイファは目を閉じる。
「ウルフ」
 呼び寄せ、彼を見据える。仕種ひとつで目を閉じさせた。彼の心の中を探る。ゆっくりと精神の指先を引き戻し、開いた目に映るのはリィ。
「見た目じゃない」
 今度、見据えられたのはサイファだった。答えずリィを見つめ返す。
「魂の形、とでも言うか?」
 彼とウルフの心の中。表層ではない、もっと根本的なもの。嘘ではなかった。確かに似ている。サイファは認めたくなくて首を振る。いやに頼りない仕種だった。
「だから、何?」
 言い返す言葉も弱々しく響く。ウルフが慰めるよう指を絡ませてくる。けれど彼にはリィと自分のやり取りがわからないだろうと思えば、つらい。
「お前、若造のどこが良かったんだ?」
「うるさいよ、リィ」
「言えよ」
「知らない」
「俺と、似てると思ったんじゃ、ないのか?」
 サイファには返す言葉がなかった。一度たりとてそのようなことを思ったことはない。けれど自分の奥底でそれを感じていなかったかと問われれば、さすがにサイファにもわからないとしか言いようがない。
「似てないよ」
 サイファの混乱を救ったのは、ウルフだった。なにを根拠に、と呆気に取られるサイファにウルフは笑みを向け、それから苛立たしげに赤毛をかき回した。
「俺が似てないって言ってんの。それでいいでしょ、サイファ?」
「……いい」
「俺は俺。お師匠様はお師匠様。ね?」
 確かめるようウルフは言い、サイファの頭を抱え込む。ほっとした。ウルフの腕の確かさに。自分が求めているのはこれであって、リィではない。
「どうかな、それは」
「リィ、いい加減にして」
「俺も簡単に諦められなくてな」
 言われてサイファは唇を噛む。諦めなくてもいいと言ったのは、自分。リィがそれを逆手にとって言っていることはわかっていたが、かといってやめろとも言えない。
「可愛いサイファ」
「なに」
「若造の真の名は」
 ウルフが一瞬怯む。サイファから真の名の重要性を聞かされているが故ではあった。それからゆっくりと息を吸う。すでに知られているものをどうすることもできない、と。
「カルム・ラピス」
 サイファも諦めてリィに付き合うことにする。自分が揺らがない限り、何も問題はないとばかりに。
「俺は?」
「ルーファス……」
 言いかけて、止まった。先程も気にかかったけれど、どこかで聞いた覚えがある。瞬きをしたサイファにリィは苦笑し、最期、とぽつりそれだけを言う。
「あぁ……聞きたくなかったの」
「せっかく俺が教えるって言ってんのにな」
「あなたはリィだ。他の名は要らない」
 きっぱりと言ったサイファにリィは静かな笑みを見せた。あの時のサイファの声が蘇る。私のリィ、他には要らない、そう言った言葉。今更わかったとて、何にもならない。けれど確かにサイファから愛されていたのだと今にしてわかった。
「まぁ、いいさ。それで?」
「ルーファス・ラズリ」
 渋々、といった体でサイファが言う。まだ、気づいていない。そう思えばおかしくてならない。
「なに、リィ?」
「なにがだよ」
「笑ってる、あなた」
「気のせいだ」
 言いつつ頬のあたりをこすっている。あからさますぎて文句を言う気にもならなかった。
「それで。それがなんなの」
「まだわかんないのか、可愛いサイファ」
「わからないから聞いてるの。教える気があるの?」
 言い分にウルフが吹き出す。こんな横柄な弟子など見たことも聞いたこともない。リィがたしなめもしないところを見るとどうやら昔からこの調子だったのだろう。そう思ってサイファを盗み見ればじろりと睨まれ、ウルフは何食わぬ顔を作ることに熱心になる。
「お前の指輪。石はなんだ?」
「瑠璃石」
「それは?」
 リィはからかい口調だった。それにもかかわらず、血の気が引いたのはウルフ。質問されているのはサイファであったにもかかわらず。
「あなたの目の色だね、リィ」
 見当違いのことを言って微笑むサイファを小突く余裕もなかった。ウルフは呆然と立ち尽くす。
「若造は、気づいたな?」
「え?」
 ようやく、サイファの視線がウルフを捉えた。強張った顔のまま、ウルフはうなずく。
「若造、言えよ」
 そう言われても、まず言葉が出てこなかった。上手に説明する機知などどこを探してもない。
「説明してやろうか、可愛いサイファ」
 にやり、笑うリィをサイファは睨み付ける。昂然と顔を上げ、ウルフの手を取り。
「見縊らないで、欲しいな」
 そして二人ともが知る。サイファは知っていて、気づいていてはぐらかしたのだと。優しさとも冷たさとも取れるサイファの態度だった。




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