少しずつ小屋が形になりつつあった。慣れない作業に体が痛いけれど、これはこれで達成感がある。ウルフは手を休めて小屋を見上げた。 「離してって言ってるじゃない」 「いいから来いって」 「嫌なの、リィ。離して!」 「うるさいよ、可愛いサイファ」 突然聞こえてきた声にウルフは驚く。見ればリィに引きずられるよう、サイファが歩いて来ている。なんとか振りほどこうとしているのだが、がっちりと握られた手はほどけそうになかった。 思わず視線をそらしたくなってしまう。リィに触れられているサイファなど、見たくなかった。 「若造」 迷っているうち、二人がきてしまった。曖昧な笑みを浮かべてウルフは二人を迎える。 「どうしたの、お師匠様」 サイファに尋ねられはしなかった。声をかけるのもつらい。それがサイファを余計、不安にさせているなどウルフに気づけるはずもなかった。 リィは答えず、辺りを見回す。まだサイファの手を握っていた。それが逃げ出さないよう捕まえているのだとはウルフにはわからない。ただしっかりと握り合っているように見える。 「可愛いサイファ」 その呼称が癇に障る。リィはサイファをずっとそう呼んでいる。まるで自分など眼中にないと言いたげに。それを許しているサイファの心をウルフはわかりたくなかった。 「なに」 不機嫌にサイファは目をそらしたまま返事をする。それにリィは苦笑してそっと手を引いた。 「見てごらん」 片手で辺りを指す。漠然としすぎていてサイファにはリィが何を指しているのか理解できなかった。 「お前でも目が曇るんだな、可愛いサイファ?」 「どういうこと」 「よく見てごらん」 「見てるもの」 「どこがだよ、どうして気づかない?」 リィは結界に入った正にその瞬間に悟っていた。質の悪いいたずら、と言っていい。それにサイファが気づかなかったほうが不思議なくらいだった。それほど、ウルフに関しては目が曇るということか。そう思えば暗澹とする。 「はっきり言って。議論したい気分じゃないの」 投げやりなサイファの言葉にリィは苦く笑う。これほど愛されているウルフが羨ましい。贅沢だ、と。サイファのこれほどの想いを感じもしない、それがいささか許しがたい。 「若造」 「なに」 「動くなよ」 サイファの手を取ったまま、近づいてくるリィに思わずウルフは下がりかけた。それを制して言われた言葉に反感を持つ。唇を噛みしめてウルフはリィを見つめた。 「リィ、なにしてるの」 まるで睨みあってでもいるような二人にサイファは戸惑う。リィの意図がわからなかった。 「見つけた」 不意にリィが言う。なにがどこにあったというのか。問うより先にリィが振り返っては苦笑した。 「ついておいで」 どこに、とは問わなかった。ウルフはなにが起きているのか理解できていないのだろう、動くなと言われた姿勢のままじっとしている。 リィが伸ばしてきた精神の指先にすがる。絡み合わせたままウルフの心に入り込む。サイファは怯えていた。 見たくないものを目にしてしまうかもしれない。そう思ったのではなかった。サイファにとって、人間の精神はあまりにも細やかで脆い。半エルフの強靭な精神に触れられれば、それだけで破壊されかねない。 だからいまだかつてウルフの精神の内に入ったことはない。彼の心を見たい、と切望しもした。けれどとても一人ではできなかった。このような状況になってさえ、リィがいなければ試みようとさえ思わなかっただろう。 自分とリィとの違い。それは正しく種族の差。サイファとて、同族であったならば易々と心の中に入り込むことができる。半エルフにとってそれは、親しい会話法のひとつに過ぎない。 ウルフに対してそれができないのは、彼が異種族であるから。リィが彼の心に接触できるのも同じ理由に他ならない。 ウルフが魔術師であったならば、そう思うことがなかったとは言わない。種族の差を超え精神を繋ぐことができる。戦士である彼の心に、魔術師であり異種族であるサイファが入り込むのはあまりにも危険だった。 ウルフを、自分をもう想っていないのかもしれないウルフであったとしても彼を、サイファは壊したくなかった。 慄きながら、リィの後についてそろそろと彼の中を探る。ゆっくりと、体感的には身じろぎひとつままならないほど、静かに探る。 「あったか」 「なにが」 「まだわかんねぇのかよ」 リィの心の呆れ声。不出来な弟子に対するよう言われてはさすがにつらい。いまの心境では真面目に何かを探す気になどなれないというのに。 「ほら、ここだ」 それを知ってかリィがサイファを誘導した。そこで見つけたものにサイファは言葉を失った。 何者かの介入があった。ウルフの精神に触れた者がいる、それにサイファは激発しかける心を感じ、咄嗟に指先を引き戻し接触を断つ。 「ふざけるな!」 どこへ、誰に向かって言ったのか。震える手はまだリィに取られていた。と、目の前のウルフの体が揺らぐ。 「ウルフ……!」 サイファは唇を噛みしめる。人間の精神が脆いことは充分に承知していたはずなのに、激情に駆られて無理に彼の心から脱出してしまった。 「可愛いサイファ。眩暈ぐらいで済んでよかったと思うべきだぞ」 今度こそは本気でリィに呆れられた。サイファはウルフを抱きとめたまま言葉もない。恐る恐る彼の顔を窺う。 「ごめん、どうしたんだろ。大丈夫だよ」 首をひねってウルフが何度か瞬く。それからそっとサイファの手を押し戻した。 「若造、どうしてサイファの手を借りない?」 どこか、面白がっているリィの声にサイファは憤然とする。何かを言い返そうとするより先にウルフが口を開いた。 「俺にだって見栄があるの」 「それでサイファを悲しませてもか?」 「え? サイファ、悲しい?」 「聞くな、そんなこと」 思わず顔をそむけた。リィにはどうしてわかるのだろうか。理由の見当がつかないわけではなかったけれど、せめてリィの半分くらい、ウルフには敏くなって欲しかった。 「サイファが好きか?」 「なにを今更、好きに決まってるじゃん」 「なら、どうして俺んとこに寄越す?」 笑いを含んだリィの言葉にサイファは驚く。つい、まじまじとリィを見てしまった。視線を感じたリィはサイファを見、それから目許を和ませる。 「だって……」 「サイファと離れていたいのか」 「そんなわけ……!」 「だったら、どうして嫌だって言わない?」 「言えるわけないだろ!」 ウルフがリィに向かって怒鳴った。はっとしてサイファはウルフを見つめる。不遜だと、言うべきだろうか。リィに向かってあのような口のきき方を許しておいていいのだろうか。 けれどサイファは何も言えなかった。ただ、嬉しかった。まだ、自分をウルフは見ている。それが無性に嬉しかった。 「サイファが……あんたを選ぶなら、仕方ないじゃん」 ぽつり、言ったウルフに怒鳴りかけた。口を開くより先に手が出ていた。高らかに鳴ったウルフの頬。呆然としたウルフの顔を真正面からサイファは睨みつける。 「ごめん、あんた呼ばわりはだめだよね」 先に目をそらしたのはウルフだった。 「馬鹿か、お前は」 もう一度殴るべきだと思った。今度は容赦はしない。平手ではなく拳で殴ってやる、そう心に決めたとき、背後にまわったリィに手を取られた。 「まったく、暴力はよせって」 「放っておいて」 「若造、その話は後だ」 ちらり、ウルフに視線を送り、リィはサイファを川辺に連れ出す。半ば見捨てられた形のウルフは、それでも二人のあとについていった。 「リィ」 「なんだよ」 「なにするつもり」 「まず問題の解決が先だろ」 言われてようやく思い出す。何も解決していない。それどころかウルフはなにが起こったのかまだその端緒さえ知りもしない。 「お師匠様、なにすんの」 「サイファに聞きな」 「……教えてくれる?」 おずおずとしたウルフの声。振り返りたくなかった。それを察したかのよう、リィはサイファの手を離し、ウルフのほうへと押しやった。 二人、口をつぐんで見合ってしまった。どちらがなにを言うべきなのか。まるで睨みあってでもいるようだった。 「……それでも、あんたが好きだよ」 まるで脈略のないウルフの言葉。サイファは目をそらしはしなかった。 「そんなことは知っている」 「ごめん」 「謝るくらいならば愚かなことは言うな」 「サイファ、俺」 「私はリィからあることを習っている。いま教えるつもりはない。が、それだけだ。馬鹿なことを……言うな」 ごめん、呟きのような声が聞こえた気がした。先程すがるのを嫌がったはずのウルフは、サイファの肩に頭を預けてじっとしていた。少し、震えているような気がする。サイファは黙ってウルフの背を撫でていた。 「若造。質問がひとつある」 サイファに緩く抱かれたままウルフがうなずく。それでは聞こえない、と気づいたのだろう、ようやく顔を上げてリィを振り返った。 「なに」 ウルフの顔に浮かぶもの、それをサイファは見ていた。照れくさげな苦笑。サイファの腰にまわった腕から伝わってくる体温。そちらにばかり、気を取られていた。だから、サイファはリィの表情を見落とした。 「あれは、なんだ?」 と、リィが木桶を指差す。指摘されたウルフがなぜか首をひねった。ウルフが見ればリィとそっくりだと言うだろう顔をしてサイファはウルフを見上げる。 「お前が作った物ではないのか」 「んー、そうだと思うんだけど。変だなぁ」 「変なのは、お前だと思うが」 自分で作った物くらい覚えておけないものなのだろうか。そこまで馬鹿だとはさすがに思いたくない。 「可愛いサイファ、それはちょっと酷いぞ」 「リィ!」 「ほんと若造が絡むとお前はだめだな。記憶が封じられている可能性をまず疑えよ」 「あ……」 ウルフがきょとんと二人のやり取りを見ている。サイファは天を仰ぎたくなってきた。ウルフに脈絡のない会話はリィと精神が接触したままのせいだ、などと言おうものなら、またなにをしでかすかわかったものではない。 |