和やかとは言いかねる二人を見ているうちにリィは苦しくなってきた。あれが彼らなりのやり方なのだろう、そう思うとつらくてならない。自分の知らないサイファがそこにいた。
「さて、と」
 まだ何事かを言い合っている二人を残しリィは立ち上がる。
「どうしたの」
 すぐさまウルフを放置してサイファが振り返るのに苦い喜びを感じた。
「俺は帰るよ」
「小屋に?」
「そう。お前たちはどうする。一緒に来るか?」
「嫌」
 即座に言ったサイファがおかしくたまらない。そう言うと思って促した甲斐があるというもの。
「うん? なんでだよ」
 だから、もう一押ししてみる気になってしまった。ウルフがサイファの向こうでわずかに唇を噛みしめたのが見えてしまった。それのせいかもしれない。
「だって……あそこには誰にも行って欲しくないもの」
「若造にもか?」
 茶化したリィの言葉にサイファが顔を顰める。が、それは肯定と同じことだった。
「ねぇ、リィ」
「なんだよ」
「この辺りにどこかいい場所、ないの」
「少し行くと小川がある」
「じゃ、そこに連れて行って」
 何を言いたいか、わかっている。サイファは水辺を好む。特に理由などないのかもしれない。あの頃、住み暮らした場所が水辺の近くだったせいかもしれない。単に便利だからかもしれない。
「行くぞ」
 まだ何も飲み込めない、と言った顔つきのウルフに説明もせずサイファは手を伸ばす。訝しげに首をかしげながらでもウルフはその手を取った。
 三人は焚き火の場所を離れ、少し歩く。前にリィとサイファが並び、ウルフがそのあとをついていく。ウルフには不本意だろう、とリィは思うがサイファは意に介しもせずリィとの会話を楽しんだ。
「あ、川だ!」
 黙っていたウルフがまるで子供のように飛び出した。小さな小川だった。ほんの一飛びで超えてしまえそうなほどだったが、美しく澄んだ流れだ。対岸は、といえば不思議と森とは姿を異にして広々とした草原が広がっている。
「だから川があると言っていただろう」
 溜息まじりのサイファの声など聞こえているのかいないのか。ウルフはためらいもせず水の中に踏み込んでは豊かな流れをすくっていた。
「すごい綺麗だね」
 振り返って笑っている。まっすぐにサイファだけを見て。リィは彼から視線を外しあらぬ方を見た。今ウルフと視線をかわせば睨み付けてしまいそうだった。
「気に入ったか?」
 自分が見つけでもしたようなサイファの口ぶりにリィは苦笑する。だが、それでよかった。自分が示した場所はサイファにとって最適なものだった。彼のことならば、掌を指すよう、わかっている。そのつもりだった。
「うん。いいね、ここ」
「なら、ここにするか」
「なにが」
「住む場所だ。必要だろう、それくらい考えろ」
「あ、そっか」
 やっと水から上がってウルフがうなずいている。辺りを見回しているのは何を考えているからなのだろう。リィにはわからなかった。
「簡単な小屋でいいな?」
「なに、あんたがやるつもりなの」
「悪いか」
「だって、いいよ」
「なにがだ」
「俺がする」
「お前が?」
 嘲りぎりぎりの声音。けれどリィの耳に届いたのは明るいウルフの笑い声。
「いいよ、俺がやる。あんたは……お師匠様と遊んできなよ」
 わずかにためらいウルフは言った。驚いてリィは彼を見る。戸惑ったような笑みを浮かべていた。
「なにが言いたい、若造」
 リィが何かを言うより先にサイファの低い声が響く。ウルフは肩をすくめて自分がやりたいから、とだけ言った。
「お前がすると時間がかかる」
「いいじゃん、時間なんかいくらでもあるんでしょ」
「それは……そうだが……」
 歯切れの悪いサイファの言葉はリィには馴染みのないものだった。困ったよう、リィを見上げてくる天上の青。リィは微笑んで見つめることしかしなかった。
「あんたはお師匠様と遊んでくるの。いいね。その間に俺は頑張るからさ」
「……どんな物が出来るやら」
「まぁ、期待はしないでよ?」
「するものか!」
 だろうね、ウルフは笑いちらりとリィを見ては肩をすくめる。この若造が何を考えて自分にサイファを委ねる気になったのかリィには理解できない。
 世界の壁を越えるほど強くサイファを思っているはずだ。それなのになぜ、いまここで彼の手を離してしまえるのだろう。たとえ一時であったとしても。
「サイファ」
「なんだ」
「どんな部屋がいる?」
「必要ならあとで増やす。大した物は要らない」
「そりゃそうだけどさ」
 さすがと言おうかウルフは短くとも魔術師と暮らした男だった。サイファのそれだけの言葉で彼が魔法空間を構築するつもりであることを悟っている。
「……居間は狭くてもいい、使い勝手のいいものに。水まわりは任せる」
 渋々といった体でサイファが口を開いた。それからリィを気配だけで窺い、一瞬唇を引き締めてから言葉を接ぐ。
「寝室はお前がどうしてもと言うならば、ひとつでいい」
 叩きつけるよう言った言葉にウルフの顔がほころんだ。またもリィは目をそむける羽目になる。
 彼らはどんな暮らしをしてきたのだろうか。サイファが口にしたくもないことのはずだ。あからさま過ぎて神人の子の羞恥心には耐え難い言葉。けれどウルフはそれを求めている。そしてサイファはその無言の訴えに応えた。
 傷でも負ったよう、胸が痛む。リィはだから視線を戻し彼らを微笑ましげに見つめる。愛弟子を見る師の目でサイファを見つめる。あの頃そうやって心の内を隠してきたように。
「わかってるって」
「ならば最初から聞くな!」
 にんまり笑ったウルフをサイファはじろりと睨みつけるだけにとどめ、呼吸を整える。それから辺りを見回した。
「サイファ、何してんの」
「黙っていろ」
「いいじゃん、教えてくれたって」
 不満そうなウルフの呟きを一睨みで黙らせ、サイファは小石を拾う。それでサイファがなにをするつもりなのかリィにはわかった。過保護ぶりに笑みが浮かぶ。
「手伝うか」
「大丈夫。ねぇ、リィ」
「なんだ」
「あなた、変わってないね」
「どこがだよ」
「本当に、過保護。これくらい一人でできるもの」
 苦笑まじりの苦情にリィはおかしくなってくる。つい今しがた自分が思ったことだった。
 改めてリィは思う。サイファの行動は自分に似すぎていると。あるいはサイファは行動の原理をリィに学んでしまったのかもしれない。
 サイファは小石を手に川を飛び越えた。手の中の白い小石を草原に点々と配置する。それからまた飛び戻り、木々の中にも置いてまわった。ちょうど円を描くように。
「見えるか」
 言って石をウルフに指して見せる。彼がうなずいたのを確認してから口の中で呪文を詠唱した。ふっと石が光り、それが石と石の間に広がっては光の円になる。それから輝いたのと同じよう、消え去った。
「あの石の円から、出るな」
「なに、これ?」
「結界。……と似たようなものだ」
「ふうん」
 首をかしげるウルフにサイファは念を押し、ウルフがはっきりと約束するまでしつこく問い返す。乱暴で有無を言わせない口調。けれど今のサイファなりにウルフを大切にしていることはリィの目に明らかだ。
「無駄に出入りをするな。わかったか」
「じゃ、出入りができないって訳じゃないんだね」
「それならば出るななどと言うと思うか」
「それもそうか。うん、わかった。あ、サイファ」
「なんだ」
「好奇心から質問。出たらどうなんの、俺」
 目を輝かせて問いかけるウルフにサイファはあからさまな溜息をついてみせる。興味があるのはいいが、もしも単純にどうにもならないと言った場合に試されたりしては煩わしい。
「私がうるさい」
「俺は?」
「別にどうにもならん」
「なんであんたがうるさいの?」
 ウルフはわかってやっているのではなかろうかとリィは思わず含み笑いを漏らしてしまった。幸いウルフを睨むのに夢中のサイファが気づくことはなかったが。
「お前が出入りするたび、耳許で鈴が鳴るようなものだ。煩わしくてならん!」
 勢いよくそっぽを向き、サイファは以後の質問には答えない、と態度で語る。何がなんだかわからない、そんな顔をしてウルフがサイファに手を伸ばした。あっさりと払い落とされた。
「サイファはお前が心配だとさ」
「リィ、黙って!」
「大事な大事な若造なんだろ? 可愛いサイファ」
 茶化して言う言葉。苦さが滲み出てしまいそうだった。唇を引き締めサイファが見ている。だからリィは笑って見せる。
「これはお前の身を守るもの。サイファの心尽くしだ。ありがたく思えよ、若造」
 視線だけをウルフに向けリィは言う。サイファに対するのとは違う声音になるのは致し方ない。が、彼は慣れている。他の弟子と自分とは露骨に態度が違っていたのを彼は知っている。だから、きっとそれと似たようなものだと思ってくれるだろう。望むらくは。
「……わかってたもん」
 ぽつり、と言ったウルフの声はサイファに聞こえただろうか。サイファはリィを甘やかに詰るのに忙しかった。




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