蒼白になった光重の頬をちらりと見て胡蝶は笑った。艶やかな装いの美しい稚児が浮かべたそれは、その姿かたちに似合わない酷薄。
「いかがなされました」
 からかうような声音で落ちた杯を拾い上げ、光重の手に持たせては酒を注ぐ。
 光重は答えず黙ったまま酒をあおった。答えられなかったのやも知れぬ。杯の中、残った酒が細波を立てた。胡蝶はまたそこに酒を注ぐ。
「同じ名の、猫を、な」
 沈黙に耐えかねたか、光重が震える声で言った。自らは震えている、と気づきもせずに。
「左様でございますか」
 改めて見れば、いまだかつて見たこともない、美しい稚児だった。下の着類を透かせた青い紗の童直衣に舞い飛ぶ胡蝶の刺繍のせいか、ここは己が屋敷ではなく、壺中天であるような気さえしてくる。
「なんでもない」
 途端に恐れは吹き飛び、この稚児を手に入れよう、そう思い始めていた。あの日の、童殿上の日の恵弘よりも美しい稚児。
 光重と言う男は後悔や改悛と言う言葉を真実、理解することはなかった。いつもその場限り。怒りを向けられると恐れて謝る。そしてすぐに、忘れる。そういう、下卑た男だと、猫の胡蝶は知っていた。稚児の胡蝶はいかに。童らしい、薄い唇を歪ませるよう笑い、ただそれだけ。
「あ」
 驚いたような小さな声を胡蝶があげた。が、かすかに滲む嘲笑の気配。無論、光重は気づかない。胡蝶の、総角に結った髪に掌を滑らし、残る片手が首筋の辺りをまさぐる。
「後で絹をやろう。な」
「……はい」
 含羞を含んだ声に光重は陶然となった。なんと愛らしい声だろう、恵弘よりもなお、と。だから、知らない。胡蝶が口の中で呟いた言葉を。
 ――馬鹿な男。
 そんな冷たい声を左馬頭光重は聞かなかった。聞かないままに滑らせた手は、遊びなれた様子で胡蝶の胸元へ。熱い男の手に稚児が身をすくませるのを嬉しげに見る下卑た目。吐き出す溜息が熱を帯びたころ、胡蝶は何一つまとってはいなかった。
「綺麗な肌だ……」
 うっとりと撫で擦りながら光重は言う。稚児の肌は美しかった。ぼんやりとそこだけ白く浮き上がってでもいるかのように、白い。爪を立てた。すぅ、と肌の下の血の色が、透けた。
「あぁ……」
 のけぞった稚児の首筋に、光重は唇を当てる。食い破れそうな細い首だった。舌を這わせればざわめくように稚児の肌がさざめいた。
「殿」
 欲情の浮かんだ声に光重が目を上げれば、稚児の目が光る。恐れは、なかった。今はただこの美童が欲しいだけ。
 くるりと体勢を入れ替えた稚児は笑って此度は光重の上。裸の稚児のまたがられて、光重も悪い気はしない。淡い灯火の光にさらされた稚児の肢体を存分に観賞しよう、と思えば口許に余裕の笑みさえ浮かぶ。
 稚児の手が、またがったまま器用に光重の衣を剥いでいく。肌と肌がこすれる感触がたまらなく心地良い。いまだかつて知った例のない、快楽だった。
 光重の上の稚児が、笑った。さぁ、遊びはこれからだ、とでも言いたげに。ぎゅっと胃の腑をつかまれた気がする。忘れたはずの恐怖が蘇る。
 それを胡蝶が知ったとしてなんになろうか。稚児は手を休めずそのままの体勢で光重の男のものを握る。
「う」
 冷たい手だった。人のものではないような冷たい手だった。それが証拠にこの巧さ。握られただけでよもや達しそうになるとは。
「よ……」
 止せ、言いかけて言葉が止まる。稚児の手の中、自らのものではないようなものが脈動を早めていた。わずかの緊張。そして解放を願うように光重が己の腰をひねる。
「まだでございますよ」
 掠れた声。稚児の声だと聞こえていただろうか。根元を指で押さえつけられた光重はこいねがう解放を与えられない。もどかしげに稚児の肩をつかんで引き寄せた。
「……ッ」
 目の前にあるのは何か。光重の心が拒んだ。見るのではない。知るのではない、と。
「許さぬ、左馬頭」
 稚児は、言った。目の当たりにしたものをまだ信じられなかった。かっと開いた稚児の口。赤く熱い洞穴のようにのぞいた口の中、ぎらり尖った牙がある。人ではないもの、この世のものではないもの。
「恵弘の恨み、知るがいい」
 握ったままの光重自身に稚児は力を入れる。痛みを感じるほどの力で握られたそれなのに、光重はうめいた。快楽に。
「こうして体だけが欲しかったのであろ。それがどういうことか、知るがいい」
「ま、待て。そなたは恵弘の……」
 縁者か、問うはずだった言葉は空に浮き、喘ぎに変わる。解かれた稚児の髪がさわさわと胸に触れる。その冷たい淫靡。総角を結っていたはずの紐は、いつの間にか光重自身に結び付けられていた。これでは達したくともいかんともしがたい。快楽の苦痛があると、光重ははじめて知った。のたうつ体は、小さな稚児を一人乗せているだけだというのにびくともしない。稚児の手が首に、胸に触れるたび、声なき喘ぎをもらすだけ。
「左馬頭、猫を覚えているであろ」
 まるで睦言のような甘い囁き。耳に吹きかけられた熱くて冷たい吐息にぞっとした。稚児の指が胸の辺りをまさぐって、摘み上げる。
「く……」
「覚えているか、訊いている」
「お……覚えているッ」
 悦楽に身悶えしながら光重は答え、閉ざしていた目を開ければ稚児の笑い顔。
「私じゃ」
 その言葉の、身を切り裂かれでもしたように光重は背をそらせた。純な笑みに反した冷ややかな、声。光重の両手を稚児は頭の上で縛り上げる。抵抗など、出来なかった。恐ろしいほどの力で稚児は光重の自由を奪い、のしかかる。
「恵弘の恨み……」
 伸びた爪が今度こそは本当に光重の肌を切り裂いた。薄く、血が滲む。
「止め……」
 が、しかしどうだろう。光重の声はまぎれもない、嬌声。哀願しつつ、身をくねらせる。
「恵弘が許したとて、私は許さない」
 稚児は侮蔑を頬に浮かべて光重のものを後ろ手に握った。
「ひっ」
 首を振る光重の目に宿るのはあからさまな恐怖。あぁ、光重の体は操られている。望んでもいない反応を、胡蝶にさせられている。その恐ろしさを光重の目だけが、真実の思いとして胡蝶に知らせていた。
 わずかに満足そうに胡蝶は見、そしてそっと手を動かした。先ほどとは違う柔らかな動き。追い詰めよう、とはせずけれど昂ぶらせずにはいない。くくりつけられた両手に光重は歯を立てた。いまだ縛られたままのものは触れられるだけではちきれそうなものを。
「こうして、恵弘を抱きたかったのであろ。それがどれほど嫌なことか、知りもせず。自らの体で知るがいい」
 肌を合わせてはじめて声に出して胡蝶が笑った。それは決して心が温かくなるような笑いではなかった。
「待て……やってない……抱いては……ッ」
 途切れ途切れの言葉。恐怖か快楽か。胡蝶は面白そうにそれを見て、また手の動きを早める。身悶えする男に向かい、そして冷たく吐いた。
「だから、殺したのであろ。己がものにならないならば殺した方が良い、そう思ったのであろ。そうして恵弘を殺したのであろ」
「こ、殺した」
「ならば死ね」
 声にならない絶叫。恐ろしいのか快感なのか、もうわからない。触れるか触れないかと言う微妙さで、胡蝶の指が内腿を撫で上げる。刺激を加え続けられた光重には、それでさえもが最後の瞬間になり得る。それなのに光重自身は縛られたまま。
「うぁ……っ」
 喘ぎではなかった。すでに苦鳴であった。それに胡蝶は艶かしい笑みを漏らし、体をずらす。光重の足の間に入り込んだ胡蝶は嫌がらせのよう、大きく開かせ。
「止め……」
 懇願するのにまた笑みを浮かべる。胡蝶の目の前にはたらたらと透明な雫を垂らす光重のもの。かっと口を開いては赤い洞を光重に見せつける。食いちぎられる――。根源的な恐怖が光重を襲った。
 ふっと胡蝶は頬を緩め光重の苦しげに揺れるものに熱い息を吹きかける。両手をたがねあげられたまま、光重がのたうった。




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