王の前で恐れもせず茶に口をつけ、ゆっくりとそれを机におろす。
「話を戻しますぞ。問題は、どの程度の軍をお連れになるか、です」
 カーソンの言葉を聞いているのかいないのか、アウデンティースもまた茶を口に含み、アクィリフェルに向かって微笑んで見せた。どうやら旨い、と言いたいらしい。
「陛下!」
「聞いているから怒鳴るな」
「どうぞ真面目になっていただきたい!」
「真面目だぞ、私は」
 どこがだ、と思ったものの、その場の全員が声を飲み込んだ。ただ一人を除いては。
「誰が真面目ですって? よもや陛下ではありませんよね。陛下が真面目だなんて仰ったら真面目が棍棒もって殴り込みにきますよ」
「……それは、中々怖い想像だな」
「だったら――」
「……アクィリフェル」
 なぜか頭痛をこらえでもするよう、カーソンがこめかみに両手を当てている。不思議そうに二人して首をかしげれば、ティリアが吹き出した。
「そなたまで話を交ぜ返すな。これは軍議だぞ」
「申し訳ありません。でも、申し上げてもいいですか?」
「なんだ!」
 どうやらまったく反省の色の見えない、それどころか皆無のアクィリフェルにカーソンが声を荒らげる。それに顔色を変えたのはティリアの二人の弟だけ。他はみなカーソンの怒気が本物でないと気づいていた。
「どの軍をどの程度、と言うのが問題なんですよね。でしたら考えるまでもないのでは? 陛下の最も近しい騎士たちを、一隊のみ」
「――だが!」
「大勢いて困るのはアクィリフェルだからな」
「陛下?」
 まるで打ち合わせでもしたかの絶妙な呼吸だった。実は話し合っていたのか、と疑ったカーソンとティリアが二人を見る。
 だがアクィリフェルもまた驚いていた。アウデンティースの顔を見つめれば返ってくる微笑。ついでに片目をつぶられた。
「いいな?」
 あえて王はそう問う。アクィリフェルもゆったりとうなずいた。
「内密に。よいな?」
 打って変わって厳しい王の声。臣下のみならず、彼の子供たちまでもが揃って頭を下げた。
「実は剣が混沌の核を作ると言うのは嘘だ」
「なんと、陛下! それでは!」
「焦るな。核を作るのはアクィリフェルだ。あえてそれを告げなかった理由は語るまでもない。そうだな?」
 王の言葉にその場の全員がうなずいた。控えて書記を務めていたメレザンドもそれとわかるよう筆記具から手を離し、そしてアクィリフェルに向かって微笑んで見せた。陛下はなんとお優しい、とでもいうように。
「混沌を退治しました、だがアクィリフェルがその眷属と見做されました、ではかなわんからな」
 肩をすくめて言うものだから非常に軽く聞こえる。けれどなんという重い言葉だろうか。彼らの目は王を見てはいなかった。アクィリフェルを見ていた。
「君に、ずいぶんと重たいものを背負わせてしまったな」
 呟くような声。掠れたそれは独り言めいていた。それが心に負った重責ゆえとアクィリフェルには聞こえている。無言でケルウス王子に頭を下げた。
「陛下に陛下のお役目があるよう、僕には僕の務めがあります。王子がお気になさることではありませんから」
 そっけない言葉に潜んだ真情にケルウスが微笑む。つられるようルプスもまた笑みを浮かべた。
「カーソンではないが話を戻すぞ? アクィリフェルは混沌の核を作ることができる、と言うよりそれが最大の役目だ。つまり、だ。アクィリフェルは混沌にある程度干渉することが可能だと言うことだ、わかるか」
「いいえ、さっぱりですわ。もう少し噛み砕いてくださる?」
「簡単なことなんだがな。ティリア、お前が剣で私を切るとする。私は血を流すだろう?」
「お父様!」
「喩えだ喩え。気にするな。要するに、それが干渉するということだ。我々は剣をもって混沌に切りつけることすらできん。アクィリフェルにはできる」
「まぁ、それほど長い間耐え切れるわけではないですけどね。これでも僕は生身の人間なので」
「そうは見えんが……」
「陛下、何か仰いましたか?」
「いいや、何も。それで、だ」
 強引に話を元に戻した父王にケルウスが目を丸くする。彼にとってははじめて目にする父王の姿だったのかもしれない。
「アクィリフェルは混沌と戦いうることが可能だ、と言うことは混沌から身を守ることもできるということ。剣の喩えで言うなら、剣で我が身を守ることもできれば、他者を守ることもできる、と言うことだ」
「ただし、ここで先ほどの話に立ち返ってきます」
「一軍を守りきるのはアクィリフェルにも無理だ」
「やってできないことはありませんよ、防備に徹すればね。ただその場合」
「戦うことはできなくなる」
「核を作ることなどもっと無理ですね」
 かわるがわるに言葉を発する二人に、いったいどちらが話しているのかわからなくなりそうなほどだった。それほどの呼吸の合い方にティリアがほう、と息をつく。
「メディナに出陣する際、手勢が必要なのは――」
 少しばかりアウデンティースが言いよどんだのを聞き取ったアクィリフェルがあとを続けた。
「申し訳ないですけれど、戦闘要員ではありません」
「なんと!」
 驚くカーソンにアウデンティースは当然だと言う顔をした。カーソンは不思議でならない。手勢を連れて行ってなお戦いがないというのはどういうことか、と。また騎士たちの心情を慮ったのもあっただろう。
「メディナの民も当然避難はするだろう」
「無論でございますぞ」
「だが、流れている民もいる。お前の支配下にないものはどうする?」
 言葉に詰まったカーソンだったが、だがアウデンティースが何を気にかけているのか、いま一歩わかりかねた。
「忘れたか、カーソン。混沌は人間を魅了する。メディナの民は日がな一日混沌のほうを眺めているだけだったが――」
「操られる可能性を否定できません」
 実際、導き手の自分の感情を操られたのだ。あの肖像画の前で。同じことがないとは言えない。まして普通の人間ならば、どうなることか。アクィリフェルはすべてを告げはしない。それでもカーソンには伝わった。
「アクィリフェル、そなた、何を」
「人間が、混沌に操られて陛下と僕に向かってきたときのことを懸念しています」
 カーソンの恐れをアクィリフェルははっきりと声に出した。息を飲む子供たちにアウデンティースは静かにうなずいて見せる。
「操られようとも我が民。切って捨てるわけにもいかんし、したくもない」
「……それで、手勢、と言うわけですな」
「そうだ。アクィリフェルが騎士の一隊を守護する。騎士が我々の周囲を警戒する。万が一、懸念どおりになったならば、騎士が対処する。気絶させれば、まぁ大丈夫だろう」
「その間に僕が混沌と戦います」
「アクィリフェルが隙をついて核を作る」
「それを陛下が御使いの剣で討つ」
「段取りとしてはこのようなものだろうな」
「えぇ、はっきり決めてどうなるものでなし。何しろ相手は――」
「人間ではないからな」
 再び息のあったところを見せて二人だけでうなずいている。カーソンがまたも頭を抱えた。メレザンドなど笑いをこらえるのに必死なのか下を向いてしまっている。
「……陛下、伺ってよろしいか」
「なんだ?」
 いかにも無邪気そうな問いだった。五歳の幼児がきれいな花でも見つけたかのような。だが生憎と相手はカーソンだった。アウデンティースをよく知り、長く近しく仕えてきた忠臣だ。
「何のための軍議ですか! まったく、我々など必要なかったではありませんか!」
「いいや、違うぞ、カーソン」
 突如として重々しくなったアウデンティースの声だった。だがカーソンはまだ疑わしそうに彼の主君を見つめている。
「カーソン。よく考えてみろ。お前に小勢で動くと言うことを納得させるだけでこれほど手間がかかるのだぞ。そもそもアクィリフェルの能力を公言するわけにもいかんのだぞ」
「それは……」
「あれほどの人数でぐだぐだと会議なんぞをしておって解決できると思うか」
「ではお父様は内密の軍議と言う形が必要でいらしただけですのね」
「言ってみればそうなる。計画自体は漠然と考えにあったからな」
「あら、アクィリフェルと話し合ってはいらっしゃいませんの?」
「そんな時間がどこにあった」
 苦々しい声だった。展望どころか意味もない会議に連日連夜と捕まっていたのだ。彼の気性を考えれば、自分ひとりで抜け出して、アクィリフェルだけを供にさっさとかたをつけてしまいたかったところだろう。もし彼がラウルスだけであるのならば。彼はまたアウデンティースでもあった。王の責務がその双肩に重く乗っていた。
「まぁ、仲のよろしいこと」
 わざと茶化して見せたティリアにアウデンティースは顔を顰める。本心は、といえば「仲良く」している時間などどこにあったか、と言うところだろう。それが理解できてしまって赤くなったのはアクィリフェルの若さか。
「可愛らしいこと」
「やらんぞ。私のだ」
「陛下!」
 じゃれあう父娘にアクィリフェルは思わず拳を振り上げる。その視界に驚くルプスの表情が入り込み、相手が国王と王女だと思い出した。
「いまはよせ。あとで殴られてやる」
「そんな時間があればいいですけどね!」
「お前な」
 言った途端、自分の言葉に自分で衝撃を受けたのか真っ赤になったアクィリフェルにアウデンティースが呆れて笑う。
「それで、陛下。どうなさるのですか」
 一挙に苦労人と化したカーソンに二人の王子が同情の視線を向けている。目礼を返した視界の端で王がアクィリフェルを見ていた。
「どうだ、アクィリフェル」
「異存がなければ」
「ないな。ではマルモルで行こう」
 いま馬鹿馬鹿しい痴話喧嘩をしていたかと思えばすぐさまぴたりと息が合う。気づけばカーソンは声をあげて笑っていた。




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