全員の間に思いが染み込む。混沌何するものぞ、我々にはこの王がいる。晴れやかに、だが安堵はせず。
 列席者にそれが漲ったのを見定めてアウデンティースは笑いを収めた。それでもまだ笑みを浮かべたまま毅然と声を張り上げる。
「カーソン、詳細を詰めたい。メレザンド、記録せよ」
 二人が立ち上がって胸に手をあてて敬礼する。文官のメレザンドには相応しくない礼であったが、若い彼の気持ちの高揚を感じた。
「シンケルス」
「は――」
「賢者団との連携は欠かせない。使者役を務めよ」
「承ってございます」
 こちらも立ち上がったシンケルスが、王に向かって眼差しを添えた。互いに言いたいことを飲み込んだ、その証に。
「スキエント。予言の更なる解析を頼む。長く予言にかかわってきたお前にこそこれを命ずる」
 あえてスキエントに命じたのをシンケルスは感じるだろう。できるだけ動かすな、できる限り見張れ、との王命を。
「陛下、よろしいですかな」
「なんだ、カーソン」
「尊き陛下にはあえて申し上げるまでもないことのように愚考いたしますが――」
「みなまで言うな。アクィリフェル、お前も当然同行せよ」
「僕を除け者にしてどうするんです。また決まらない会議の二の舞でもするつもりですか、この忙しいときに」
「少しは口を慎め!」
 アウデンティースが大きく笑う。列席者にはようやくそれで冗談だとわかったのだろう。弱々しい笑い声が上がった。
「ティリア」
「はい、お父様」
「弟たちを呼ぶように。会議にお前だけが戻っていたなど知れば、機嫌を損ねるぞ」
「本来ならばケルウスが気を配らねばならないことですわ。なんといっても彼はお父様の跡継ぎでいるのですから」
「若い男などそんなものだ。ケルウスに比べれば、私の若いころなど目もあてられん様だぞ。気を配るべきところはお前が補佐してやればよい」
「お父様が?」
 どことなく面白そうに言ってティリアはなぜかアクィリフェルに目を向けた。一瞬でそれていった視線に奇妙なむずがゆさを覚える。
「姫様。もしかしてからかわれたのは僕ですか?」
「あら、そんなことしてないわ」
 さすがにこの父にしてこの娘あり。アクィリフェルは口に出さなかったはずなのにティリアがころころと笑った。
「では諸君、別命あるまで待機せよ」
 さっと鋭く王が手を振る。退出を命ぜられた者たちの表情が晴れやかだった。
「まぁ、あれだな。決戦地が自分の領地でなくなったことに安堵しているものも多そうだな」
 苦笑しながらアウデンティースが言えば、当然だとカーソンにたしなめられる。列席者の大半が消えて寒々としてしまった会議室だった。
「これでは落ち着かん。移動しよう」
 身軽にアウデンティースは立ち上がる。ティリアに何事かを言いつけていたのをアクィリフェルが聞きつけたところ、どうやら私的な居間のひとつに移動するらしい。
 いつの間にかずいぶん王宮に詳しくなった自分に気づいては苦笑する。住んでいるわけでも、これから住み暮らすわけでもないというのに。
「アクィリフェル」
「なんですか」
「考え事をしている」
「だったら黙ってどうぞ。邪魔はしませんから」
 すげなく言えば、カーソンが渋い顔をする。どうやらそれは作り物らしい。口のあたりが笑っていた。そのカーソンが軽く手を振ってファロウを遠ざける。一礼して騎士は去っていった。
「まぁ、そう言うな」
 廊下の途中でメレザンドを従えたティリアも別れた。弟たちを迎えにいくのだろう。アウデンティースがそれを待っていた気配がした。
「今後のことだがな」
「待ってください。せめて席についてからにしませんか。王子殿下方も……」
「違う、お前だ。全部がすんだら、一つ部屋を空ける。空ける、と言うのはおかしいな、いくらでも空き部屋はある」
「陛下?」
「お前は禁断の山の狩人だ。お前にはお前の勤めがある。それは重々承知。だがな、予言された世界を歌う導き手よ。我が治世の続く間、我が治世をも導いてほしいと言うのは贅沢か?」
「なにを……馬鹿な」
 アウデンティースの言葉がわからないはずがない。言葉の意味がわからなくとも、声はわかる。響きは伝わる。
「なにもここに住めと言っているのではい。お前の勤めの合間にたまに顔を見せろ、と言っている」
 そのために部屋を用意する。王宮に住むことを許されると言うのは、高位の貴族の特権だ。それだけ国王に親しいのだとの喧伝を許されることに他ならない。
「僕は――」
 アウデンティースが言っていることはよくよく理解できる。毎日顔を合わせることができるわけではないのだから、せめて。
 せめて、その思い出だけでもここに残して行けと彼は言う。胸が詰まった。
「……意外と、寂しがり屋なんですね」
「どういう意味だ、それは!」
「そのままですが?」
 鼻で笑うようにして言えば、音は出さなかったはずなのに笑い声が聞こえた。
「カーソン、お前まで笑うか!」
「いやはや、陛下に向かって寂しがり屋などと! こんな楽しい話を聞いたのは実に久しぶりですぞ。混沌の襲来以来、はじめてでしょうなぁ」
「言うがいい、私は知らん! アクィリフェル、考えておいてくれ」
 まるで言い捨てたようだった。答えなど聞きたくない、断られるのがわかっているからとでも言いたげな態度。アクィリフェルは居間の扉を侍従を待ちもせずに開けてしまったアウデンティースの背に追いつき、追い越す。
「考えませんから」
「おい!」
「そんなこと、聞くまでもないでしょうに。勝手に用意すればいいでしょう。僕も勝手にきて、勝手に住みますよ、滞在中はね」
 今度こそアクィリフェルも笑った。その笑みが映ったかのようだった。アウデンティースの表情が花開くよう明るくなる。
 剛毅な国王であるかと思えば、こんな顔もする。冷酷な支配者の顔もすれば、底抜けに優しくもなる。どちらもアウデンティースで、どちらもがラウルスだと、アクィリフェルは知っていた。
「お父様? ずいぶんのんびりしておいででしたのね」
 ちょうど全員が部屋に入ろうかと言うときになってティリアとメレザンドが戻ってきた。後ろにはケルウス、ルプス兄弟がいる。
「お前が早いだけだぞ」
「そうかしら? ところでお父様、これは内緒の会議と言うことでよろしいの」
「むしろ軍議だな」
「でしたらアクィリフェル、申し訳ないけれど、お茶の支度をしてくださる? 侍従を入れたくないの」
「お言葉のままに」
 にっこり笑って少しばかり悪戯っぽく頭を下げて見せれば、こちらも悪戯に睨まれた。
「アクィリフェル、私がやろう。君は――」
「メレザンド伯爵。僕は一介の狩人ですよ。使えばいいんです」
「だが――」
「よい、メレザンド。放っておけ、それにアクィリフェルの茶は旨い」
「あら、どちらでお飲みになったのかしら?」
 からかうティリアに失言した王が顔を顰めて見せる。兄弟は落ち着かなげに席についていた。その気持ちがわかるだけに、なんとなく口を挟みにくくてアクィリフェルは黙って茶を淹れた。
「カーソン。お父様は軍議、と仰るけれど」
「私だけでは埒があきませんな。とはいえ、まずどの程度の規模でどの軍を連れて行くか、です」
 禁断の山の茶器に比べれば宝石のように煌びやかで、同じくらい高価な器だった。恐る恐る扱ってしまう自分に苦笑すれば、絶妙の間でメレザンドが手を貸してくれた。
「やっぱり見ているのは落ち着かなくってね」
「ありがとうございます、どうにもこんな器は――」
「気持ちはよくわかるよ。王宮の茶器は私でも怖い」
「伯爵も?」
 少しばかり意外だった。貴族の使っている茶器と王宮の茶器と、アクィリフェルに区別がつくはずもないのだが、いずれにせよとてつもなく高価で壊れやすいだろうことは見当がつく。
「我が家の茶器は言ってみれば日常雑貨だからね。王宮のはそれ自体がすでに宝物だよ」
 いったいどこにそんな日常雑貨があるものか、とアクィリフェルは思うものの、彼らの感覚ではそうなのだろう、と思う。
 少なくともメレザンドが正直に語っていることは感じている。だからこそ、不安にもなる。これが王宮の世界。アウデンティースのいるべき世界。
「アクィリフェル。茶器は茶器だ。皿も器も使うものに違いはない」
 それがどんなものであろうとも。付随する価値など関係がない、アウデンティースはそう言う。
「お前の家の食器、あれのほうが私は好みだったぞ」
 にこりと笑った。木を削って形にしただけの皿。少しばかり彫刻を施した茶器。素朴と言うに余りある器たち。
「おぉ、そういえば陛下はご幼少のみぎり、シャルマークのお祖父様の城でお過ごしになられたのでしたな」
「あそこはいいぞ。気候は厳しい。だが深い森と豊かな大地がある。手仕事をするにはうってつけだし、そもそも何もできなければ生きていくのが難しい土地だ」
「父上は木彫が得意でいらっしゃるんだ。私も弟も幼いころは父上に玩具を作っていただいた」
 ティリアに比べて気の弱そうなケルウスがそのときばかりは輝くような笑顔でそう言う。彼にとって幼いころの思い出は何ものにも代えがたいものなのだろう。
「アクィリフェル、お前も座れ。茶器は噛みつかん」
 茶化すように言った言葉にあえてむっとして見せる。ティリアたち三人の兄弟が笑った。
「僕には王の道化が務まりそうな気がしてきましたよ」
 座を和ませる役目を振られてしまったアクィリフェルは憤然と言って腰を下ろした。けれど彼が座に着いた途端、きりりと気配は引き締まった。




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