アウデンティースは会議に列する重臣たち、賢者たちを見やる。納得しがたい者もいる、純に信じている者もいる。 いささか騙してしまったようで気が咎めなくもないが、これがアクィリフェルを守る道だった。王国を守護するのはアウデンティースの責務。だがアクィリフェル一人を守るのはラウルスの権利だった。 「さて諸君。ここで問題だ」 ゆっくりとアウデンティースは列席者を見回す。一人ひとりの表情を確かめでもするように。 「混沌の核を作る。それはいい。だが、どこに、だ?」 重大な問題だった。アウデンティースの言葉にアクィリフェルは眉根をひくつかせる。いままでいったい彼らは何をしていたのか。会議会議と長引かせて、まだ何も決まっていないのか。 「陛下」 「言いたいことは理解できる。だが、難しい問題でな」 短い言葉の中から汲み取ったアウデンティースの答えにアクィリフェルは顔を顰めた。 確かにアウデンティースはアルハイド王国の統治者だ。絶対者として君臨する王だ。だが、彼一人で国が成り立っているわけでもない。 重臣に配慮し、引き立て、あるいは遠ざける。賢者たちの話を傾聴し、もしくは聞き流す。アウデンティースがここ数日の間、会議でしてきたのはそういうことなのだろう。いささか馬鹿馬鹿しくもある。 「お尋ねしてもよろしいでしょうか、陛下」 重臣の一人の声にアウデンティースはかすかな笑みを浮かべて鷹揚にうなずいた。その姿に王者というものをアクィリフェルは見る。 混沌が退けられたからと言ってすべてではない。その後も彼は王としてこの大地を支配する。そのためにいま何をすべきか。 きっとそれをも彼は考えているのだろう。ここで人心が離れてしまっては何にもならない。混乱する無数の領地の集合にアルハイド王国は成り果てるだろう。それをさせてはならない、民のために。 アクィリフェルは彼の声にそれだけのことを理解する。そしてこの場にいるいったい何人がそれを理解できるのかと思った。彼の苦闘を。 「混沌の核をお作りになると仰せなります。それは当然どこかの領地で、と言うことになりますが……」 「海の上、と言うわけにも行かないのでな。こちらにも戦う都合というものがある」 「でしたら陛下。領地は、いったいどうなるのでしょうか。いえ、その……民は」 おどおどとした声音など聞かなくとも、その言葉だけでその重臣の本心がはっきりわかる。アクィリフェルはちらりともそちらを窺わず、けれどその顔をはっきりと覚えた。 「直轄地の領主、エクルよ」 にっこり笑ってティリアが説明してくれた。列席者が誰かわからないだろう、その配慮だ。と、誰にも見えただろう。 アクィリフェルは内心でだけ大きく笑う。まったくとんでもない姫君だった。 「直轄地、ですか?」 国王直轄地になぜ領主がいる。その問いにティリアは名称は慣例的なものだ、と答える。つまるところ、国王の代理としてその領地を治めているもの、と言うことらしい。 「では陛下の親しい臣下の方、と言うことですね」 「えぇ、そうよ。エクルはカーソンと並んでお父様の親しい臣だわ」 「それは頼もしい」 口で言いながらどこがだ、と心の中では言っている。ティリアにもわかっているのだろう、王女らしい慎み深い笑みを保ちがたく苦労しているのが見え見えだった。 「その、陛下。仮にです、仮にですぞ。混沌に民がさらされたならば、いかなることが起こるとお考えでしょうか」 「最善にして最小の被害でも、混乱は起こるな。アクィリフェル。どう聞いた?」 「混沌の音をどう聞いたか、と仰せですか? 僕の私見ですが、それでかまわなければ申し上げます」 「かまわん。いずれにせよ混沌と直接戦ったのはお前だけだ」 王の言葉に列席者の目の色が変わった。それまではほんの狩人の青年、としか思っていなかったのだろう。 アウデンティースがあえて伏せた「直接戦った」の内容をアクィリフェルも明かすつもりはない。剣を交えるだけが戦いではない、と説明するのも面倒だった。 「……そうですね。最良の場合でも、死ぬと思います」 「最良だと! 何を言っているかわかっているのか、狩人! いや、その、導き手」 「わかっていますよ。それが混沌と言うことです。我々人間は混沌に耐えられない。だからこそ陛下がなんとしてもこれを討とうとなさっておいでなのですから」 敬意をこめてアクィリフェルは一礼してみせる。どことなくアウデンティースが嫌そうな顔をした。 「混沌にさらされれば、人間は生きていかれないでしょう。僕は予言された導き手として混沌と戦いましたが……長くは耐え切れない。陛下も同じでしょう。陛下も僕も予言された混沌の討ち手です。その我々にしてそうなのですよ。ごく当たり前の庶民がどうなるかなど、問うまでもない」 何事もなく過ごしていられるのならば討つ必要があるのか。そもそも騒ぎになどならない。予言されているはずがない。 アクィリフェルの言葉に一同がしん、と静まった。声なき声がアクィリフェルの耳に聞こえる。 自分の領地が荒れるのは嫌だと。民が死ねばそれだけ領主の収入は減る。それは避けたいと。こと、ここに及んでまでまだ。 「わかっていたことだと思うが――」 スキエントは黙して目を閉じている。シンケルスは民を案じて青ざめている。彼らにはどうにもできない。スキエントですら、ファーサイトの領主ではない。かの地は国王より居住を許されているだけのこと。 スキエントがファーサイトの領主であったとしよう。その場合彼はファーサイトを決戦の地に差し出すだろうか。アクィリフェルは考える。ちらりと横目でアウデンティースを窺えば、彼は小さく首を振った。 「諸君」 アウデンティースが一同の注意を引く。王が何を口にしようとしたか、それはわからない。ちょうどそのとき新たなる人物の到来が告げられた。 「メディナ領主、カーソン侯爵が到着なさいました」 侍従の声に従って扉の向こうから現れたのは正しくアウデンティースの腹心、あのカーソンだった。後ろには彼の騎士、ファロウも従っている。 「到着が遅れましたこと、お詫び申し上げます。また陛下におかれましては御使いより混沌打破の剣を授かりましたとのこと祝着至極に存じます」 「よく来てくれた、カーソン」 臣下を迎えるには不適当な言葉だった。それだけアウデンティースが一人で苦労していたと言うことかもしれない。 ティリアがいずれ嫁するだろうメレザンドも遠くない将来、アウデンティースの懐刀となるだろう。だが今はまだ若すぎた。 「メディナは大丈夫なのか。民はどうしている。いまだ不安は去らないだろうに」 混沌の襲撃を受けたのはメディナが最初だった。そして今のところそれ以来襲撃はない。だからこそメディナの地の民はどれほど不安に思っていることだろう。 「陛下が剣を授かったとの報がメディナにも参りましたからな。民は安堵に沸いておりますよ」 微笑んでカーソンは言い、一礼して座に着いた。その後ろにそっとファロウが立つ。帯剣した騎士をこの場に伴い、そして立たせておけるだけの信頼をカーソンは受けていた。 「列席の皆さん、会議はいったいどう言う……?」 どこまで決まったのか、ここまでの流れを教えてほしいと言うカーソンに列席者が視線をそらす。アウデンティースとアクィリフェル、そしてティリアまでもが苦笑した。 「陛下……? よもやと思いますが」 「残念ながらそのよもやだ」 肩をすくめてアウデンティースは言い、手短に剣が混沌の核を作りアクィリフェルがそれを見極めるのだと話して聞かせる。 「つまりですな、陛下。これから決めるべきはどこに核を作るか、決戦地にどこを選ぶかと言うことですな」 「まったくもってそのとおり」 「候補地の選定はお済みでしょうか」 アウデンティースは答えなかった。それを回答ととってカーソンは周囲を見回す。列席者が一人、また一人と視線から逃れていった。 「諸侯らは民の苦しみを思ったことがあるのかね」 ひたり、とカーソンの目がエクルに向けられる。アウデンティースの信を受けていたのは何のためだとばかりに。 「会議が一日伸びるごとに、民の不安は増していく。陛下はなにをしておいでだと、恐れ多いながらそう申し上げる声もいずれは出てくるだろう」 「だが、カーソン侯爵、その……」 「陛下。メディナの民は混沌の襲来を受けました。だからこそ、彼らは我が言葉に従ってくれるものと信じております」 「カーソン、どういうつもりだ」 「我が領地、メディナを決戦地に」 決然としたその言葉、その声音。アクィリフェルはカーソンを感嘆の思いと共に見つめる。彼こそが、アウデンティースの、歴代のアルハイド国王の中でも勇壮にして賢明と称えられるこの王の臣下だとの思い。なぜか涙が出そうだった。 「カーソン!」 それだけはさせたくなかった、と言ってはならないことを口走りそうになったアウデンティースの舌をとどめたのはカーソンの眼差しだった。 「陛下にお尋ねいたします。負けるおつもりですか」 「なにを言うか!」 「勝つおつもりですな」 「当然だ」 しっかりとうなずいてアウデンティースは傍らのアクィリフェルを見やった。アクィリフェルもまたカーソンに向けてはっきりとうなずく。 「ならばなんの問題もありませんな」 二人に破顔したカーソンだった。あまりにも簡単な言葉と考えに呆気にとられてカーソンを見る。何度も瞬きを繰り返し、ようやくアクィリフェルには彼の言葉の意味が飲み込めてきた。 「つまり、勝てば被害は出ないのだから問題ない、と?」 「そう言うことだ。無論、民は避難させる。それでなにか問題があるか、狩人」 カーソンの呼び名に一同がひやりとした。王も王女もが怒りを爆発させるのではないかと。だがそのようなことはなかった。カーソンが呼び名にこめた敬意に列席者たちは気づけない。 「ありがたく使わせてもらうぞ、カーソン」 力強い王の声。カーソンが今ここにいる幸運。自分の臣下でいてくれたありがたさをアウデンティースは噛みしめる。自然と見つめたアクィリフェルもまた、カーソンへの敬意もあらわに一礼していた。 |