いまだ疑わしそうな目を隠さない重臣たちや、賢者団の長スキエントの視線など意に介しもせずティリアはさっさと国王の横に座した。
「お座りなさい、アクィリフェル」
 勝手に指示する王女に彼らは渋い顔を隠そうともしなかったが、その間に今度は会議に列していたメレザンドが席を作ってしまった、それも王女とは反対の国王の隣に。
「仰せのままに、姫様」
 あえて王女に従った、それも忠実に従ったと見せるアクィリフェルの言葉だった。内心でアウデンティースは小さく笑い、けれどアクィリフェルを見もせずに列席者を見やる。
 いま彼を心から安堵して迎えているのは賢者団のシンケルス、そしてメレザンド。その二人だけだろう。
「諸君にはすでに伝えたことだが、御使いの剣には混沌を討つ力がある」
「えぇ、ですからもう狩人は」
「いいや、それが心得違いだ、と言っている」
 口を挟まれたことに機嫌も損ねず答えた王であったが、アクィリフェルは不快さをあらわにした。そのことでようやく自分の無礼を悟ったのだろう、重臣が気まずそうな顔をする。
「この剣は――」
 王の手が腰に佩いた剣にかかる。それだけで煌く鞘に誰もが目を引き寄せられた。
 本当は違う、とアクィリフェルは気づいていた。鞘の中に収められているあの漆黒の剣。それが人を惹きつける。まるで我を手にせよ、と呼びかけてでもいるかのように。
 中でもスキエントは人一倍熱心だった。目を見開き、わななく唇を隠そうと必死になっている。手にしたい欲望がそれだけ強いのだと思えば恐ろしくなってくる。
 やはり狙いは剣か、アクィリフェルはそれを確かめていた。熱心すぎる何か。それが何かはわからなかった。欲しすぎる権力、それが何かもわからなかった。
 この漆黒の剣であるならば納得はいく。自ら手にし、救国の英雄になる。スキエントはそう考えているのだろうか。
 おそらくそうだろう、とは思うものの確信はない。ただ剣への欲望だけは確かめられた。アウデンティースに向かって小さくうなずけば、彼は鞘から手を離す。
「混沌を討つことができる。それは周知のとおりだ。だがどうやってかは考えたことがあるのか?」
 無茶な言葉だった。御使いの剣をもって討てと言われたならばそれを信じるのが人というもの。彼らは無邪気なまでにそれを信じていたに過ぎない。一同に困惑が広がった。
「この剣をもって、混沌の核を作る。そして討つ」
 ゆっくりと、彼らに言葉がしみこむのをアウデンティースは待つ。
「ならば……陛下、狩人めの役割はやはり――」
 その見下しきった呼び方にアウデンティースがなにを言うより先にティリアが声を上げた。
「わたくしは若い王女にすぎませんが、御使いより剣を授けていただけるようアクィリフェルが身命を賭したことを知っています。わたくしたちは誰より先にアクィリフェルに感謝すべきではないのですか。それとも民ならば王のために働いて当然と言うのですか。それがあなたがたの心だと言うのならば混沌など待つまでもない。すでにアルハイド王国は滅びています」
 毅然とした強い言葉だった。重臣たちの声もないままにティリアは椅子から立ち上がる。そして自らの言葉通り、アクィリフェルに向かって頭を下げた。
「遅くなってしまってごめんなさい。アクィリフェル、ありがとう。あなたの働きにはどれほど報いても尽きるということがありません。わたくしにできることは少なくはありますが、望みはありますか」
 これはアウデンティースと打ち合わせての言葉なのだろうか、アクィリフェルが迷ったのは一瞬だった。
 彼女は確かにいま自分ひとりの意思として、一人の王女として声を発している。それを聞き分けたアクィリフェルもまた立ち上がって一礼した。
「仰せかたじけなく存じます。僕には課せられた使命があります」
 それを重臣たちは予言のことだととっただろう。アウデンティースにはわかった。禁断の山の狩人として、彼には彼で人々を守る誓いがある。
「そのために陛下にお力添えするのは当然のこと。ですから姫様、お願いがあります」
「どうぞ、おっしゃい」
「僕をこの会議に加えてください」
 それはアクィリフェルの望みでもある。無論、アウデンティースの望みでもある。だがいまはティリアの望みともなった。にっこり笑って王女は言う。
「もちろんです。もしも正式な列席が許されないのならば、あなたはこの場に限ってわたくしの侍従です。王女が侍従を側に置くなど不思議なことではありませんからね」
 どこがだ、場所も忘れてアクィリフェルは言い返しそうになった。これが侍女ならば話は別だ。侍従はいくらなんでも無茶がすぎる。
 だがこの言葉にアウデンティースが大きく笑った。悪戯っぽい、この場にそぐわないほどの声にアクィリフェルは緊張を解く。それで自分がひどく緊張していたのを知った。
「いいや、ティリア。それはならん。未婚の王女の傍らに見目麗しい侍従がつくなど前代未聞だ。父として許すわけにはいかん」
 それからアウデンティースはアクィリフェルを見て笑みを浮かべる。王ではなくラウルスを思わせる笑みだった。
「だからこの場で正式に許可しよう。いや、謹んで要請する。禁断の山の狩人、予言された世界を歌う導き手、アクィリフェル。この会議に列して欲しい」
 国王が、ここまで下手に出た。重臣達の唖然とした表情をちらりと横目で見やりアクィリフェルは優雅に礼を返した。
「もったいないお言葉です」
 手で着座を示した王に従い、アクィリフェルもティリアも席につく。シンケルスとメレザンドのほっとした吐息がアクィリフェルの耳に届いた。
「早速ですが、誤解されたままでは話が進みませんから申し上げます」
 きっぱりとした、けれど突き放すような物言いをするからアクィリフェルは重臣の受けがよくないのだ、とティリアは思う。もっとも父はそれを好んでいるらしいから口には出さない。
「僕の役目は剣を探して受け渡したことではありません。それに一役買わなかったかといえば嘘になりますけどね」
「では何をした!」
 まだわからないのかといわんばかりのティリアの目にあって重臣は黙る。苦笑しつつ目礼したアクィリフェルにティリアは目顔で先を促した。
「したんじゃありません。これからするんです。御使いの剣は確かに混沌の核を作ることができます。でもその真贋を見定めるのが僕なんです。僕にはそれが見える」
 威勢よく言っているのではない。気負っているのでもない。ただそれができるとアクィリフェルは言う。真実に聞こえた。誰の耳にも。
 だが、事実ではない。それを知っているのは王と導き手の二人のみ。
 すでにそのことは語り合っていた。アクィリフェルが核を作るなどと言えば、それを操ることができるアクィリフェルその人が混沌の同類とみなされかねない。
 どうしてもそれだけは避けたかった。アクィリフェル一人が恨まれ恐れられるならばそれはそれで対処のしようもある。不快なだけだ。
 だがそれでは人心に不安が残る。混沌は退けた、それに類すると思われるアクィリフェルは生きて残った、これで落ち着くと思うほうがどうかしている。
 だから二人は核を作るのは剣、それを見定めるのがアクィリフェルの役目、と言うことにすると決めた。先ほどの王の目配せはそれを公表する、とのものだったからこそアクィリフェルもいまこうして話しているのだった。
「見える……?」
 それでも不気味だと思う者がいるのは当然のこと。アクィリフェルは気にした風もなくうなずく。
「それが予言された歌い手の役目ですから」
 そう言葉に出せばたいていの者は信じるしかない。胡乱げな顔をしたのはスキエントだった。
「導き手。尋ねてもよいかな」
 ティリアの言葉を重んずるがゆえの丁重さではない。腹のうちに思惑がたっぷりとあるに違いない声だった。
「なんでしょうか、賢者の長よ」
 せいぜい喋らせたいアクィリフェルだった。声を聞けば聞くだけ理解が深まる。
「私は長く予言を研究してきたが……そのようなことは書かれていないのだ」
 これに反応したのはアクィリフェルをいまだ一介の狩人と軽んずる重臣の一部だ。やはりといわんばかりの目で彼を見る。
「えぇ、そうでしょう。ですが予言に書かれたことがすべてでしょうか。僕は違うと思います。予言とは神々が我々人間に授けてくださる行動の指針。自助努力してこそ、神々の御目に適う、そうではありませんか」
「それは確かにそうだろう。だが予言は私一人ではない、告げられたその瞬間から多くの賢者が読み解いてきた」
「では僕に何もするなと?」
 にこやかなアクィリフェルにスキエントは一瞬そうだ、と言いそうになった。少なくともその表情に見えた。
 だが彼は口をつぐむ。アクィリフェルもまた苛立っていた。
 彼の感情はひどく聞き取りにくい。他の誰かならばこれだけ言葉を交わしているのだ、もっとはっきりわかる。
「アクィリフェル」
「はい、陛下」
「その先は私が言おう」
 集中する時間をくれたアウデンティースに目でうなずき、アクィリフェルは彼に言葉を任せる。耳にだけひたすら心を傾けた。
「スキエント。例えばだが、御使いの言葉を疑うことはできるだろうか」
「……いいえ、それはできぬ相談というものでしょう」
 突然の問いに不安そうになったスキエントの声。揺らぎは聞こえる。けれどまだ足りない。足りないのか、わからないのか、それすらわからなくなってくる。
「剣を授かるとき御使いは仰った。核を作るは剣、見定めるは導き手、と。疑うか?」
 さすがにその瞬間だけアウデンティースはひやりとした。ここまで御使いの言葉を詐称したのだ。彼が神々の使いではないことを百も承知でアウデンティースはそれでも肝を冷やした。
 だが満座はぴたりと黙った。御使いの言葉ならば疑えない。スキエントの言うとおりだ。幸いにして神罰だか魔王の呪いだかも下らないらしい。そう言うことだ、と彼らを見渡すアウデンティースは一人そっと息をついていた。




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