どことなく面白そうな表情の王に向かって、シンケルスは無礼を承知で眼差しを向けた。真正面から王を見つめれば意外なほど温かい目がそこにある。
「これが世界を歌う導き手、と言うことなのでしょうか」
 具体的なことなど何もわからない。賢者の学問と言うより勘の部類だ。だがシンケルスの賢者としての知識はそれまでのすべての仮定を否定した。
「そのとおりだ」
 にやりと王が笑い、ついでほっとして息をつく。そこには確かに、ようやく話ができる相手が見つかった、と言いたげな表情が浮かんでいた。
「本人曰く、感情が聞こえる、と言うところらしいな」
「感情、ですか?」
「そうだ。何を考えているか細かいところまではわからない。そうだな?」
 振り返ってアクィリフェルを見やれば、ちょうど入った茶を差し出しているところだった。
「えぇ、そうです。感情、と言うよりも何を考えているか漠然とつかめる、と言ったほうが正しいかもしれませんね」
「それでもなにを考えているかまではわからない?」
 少し面白そうな表情になったシンケルスだった。そのことにアクィリフェルはほっと息をつく。自分の考えが筒抜けになっているかもしれない、と聞かされて平静でいられる人はいない。シンケルスはその稀な例外らしい。そのことが自分でも妙なほど嬉しかった。
「そうですよ。いまシンケルス様が何を考えているかはわかりません。興味を覚えているのはわかりますけどね。それも悪い興味ではないな。積極的に面白がっている。それから気持ち悪いとか怖いとかも思っていない。そうですね、研究対象にしようとか、これをファーサイトで研究したら自分が次の長になれるだろうとか――」
 そこまで言ったアクィリフェルにシンケルスはうなり声を上げた。断じて我慢ならん、と抗議をしようとしたところでアクィリフェルの青い目に出くわす。
「ね? そんなことは少しも思っていないのが聞こえています」
 悪戯っぽく言われてシンケルスは唖然とした。ついで湧き上がる笑み。国王の面前だと言うのも忘れて椅子に背を預けて笑い出した。
「これは参った。確かにそのとおり。興味を持ってはいるよ、世界を歌う導き手とは、予言された導き手とはこのような存在なのか、とね。だが、言ってみればそれだけだ。正直に言えばね、アクィリフェル。私の手には余る」
 最後だけは悔しそうに言って、けれどシンケルスはまだ笑っていた。その笑顔に王も導き手もが笑みを浮かべる。
「だからね、シンケルス様。僕には聞こえているんです。スキエント殿がだいたい何を考えているか」
 一転して硬い声のアクィリフェルだった。そもそもその話をしようとしてきたことを思い出し、シンケルスも姿勢を正す。
「まず聞かせてもらおうか。どう聞いた?」
 短い言葉で王はアクィリフェルに質す。不意にシンケルスは二人の間では更に多くのことが共有されていると悟る。あるいはアクィリフェルは、王の感情どころか思考までをも把握できるのではないか、と。
「ひどく混乱してましたよ。なんと言ったらいいかな」
 そこで言葉を切りアクィリフェルは顔を顰めた。どうやら口にしたくもないことを言わねばならない、その葛藤に苦慮しているらしい。
「まず大きなのが希望、ですか。それから権力欲。自分が一番になれる。嬉しい、楽しい、これでいい。そんな感じでしたね」
「なんだそれは?」
「だから!」
「お前にわからんのはわかってる。私にもわからん、それだけだ。一々突っかかるな」
「だったら――」
 更に言い返そうとしてはたとシンケルスの目を思い出したらしい。ばつの悪そうな顔をしてアクィリフェルは黙った。
「シンケルスはどうだ。具体的に何かあったか?」
 この生真面目な賢者のことだ。何かを見聞きしたのでなければこのような告げ口めいたことなどしようと考えるはずもない。言外にそれを匂わせたアウデンティースに賢者は軽く目礼し感謝する。
「ですが。具体的な、と言われるといささか。確かに予言に関する研究は以前にもまして熱心に行っておいでです」
「この現状だ。それを咎められはしないな」
「はい。ですが、先ほどアクィリフェルが申しましたよう、熱心も度を越せば傍迷惑です」
「例えば?」
「それが……。決して研究結果を公表しないとか、そのようなこともないのですが……」
「あぁ、なるほど。賢者様は長を疑ってらっしゃる。証拠は何もない。でも長が何かを隠しているような気がする。そうですね?」
「……まぁ、そうだな。私が長の地位を狙ってのことだと思ってくれてもかまわん。だが、何かを隠してらっしゃる。それは間違いのないことだと、思う」
「疑いませんよ、そんなこと。僕にはこの耳がありますからね」
 軽く言いながらアクィリフェルは自分の耳をつついて見せた。不便なものだろう、とシンケルスは小さな呻きを漏らす。
 人と人との関係は誤解と勘違いの上に成り立っていると言っても過言ではない。それなのに彼には相手の感情が間違いなく聞こえてしまう。時には当人が意識していないだろうことも、あるいは隠しておきたいことまで。
「そうですね。面倒ではありますよ。でも、これが僕の運命なら足掻くのもみっともないですからね」
「アクィリフェル?」
「同情してくださったでしょう、いま?」
 にこり、アクィリフェルが笑った。その笑みになんの嘘があろうか。シンケルスは心からの賛辞を彼に贈る。同時に王にも一礼した。
「いまこのとき、アルハイド王国にアクィリフェルと言う導き手が現れたことを感謝いたします。陛下がおいでだったからこそ、陛下失くしてはまた導き手もなし。あなた様と言う偉大な国王を戴くことができる時代に感謝いたします」
「礼はできれば混沌を退けたのちに言ってもらいたいな」
「そのときには更なる感謝を捧げましょう」
 満更冗談でもなさそうなシンケルスの言葉にアウデンティースはアクィリフェルを見つめる。戯れどころか紛れもない本気だ、と彼に目顔で語られてアウデンティースは心の中でげんなりとした。
「問題は、スキエント殿が何を隠しているか、ですよ。予言に関する何かだったら目もあてられない」
「……そうか?」
「陛下? わかってらっしゃるんでしょうね。僕が言うまでもないと思いますけど、いまこの時ってかなり危急存亡だと思いますが?」
「それはよくよく理解している。だがな、アクィリフェル。よく考えろ」
「たぶん考えてますよ、あなたよりよほど」
「そうか? だったらこれはどう考える。私がいる。お前がいる。予言された二人が揃った。ついでに予言された剣も揃った。この上、何を隠す? 隠して、何か利があるか? 下手な隠し立ては命取りだ。この世が滅ぼうと言うときに権力欲も何もない。ならばスキエントが隠しているのは予言とは別の何か、ではないのか」
「楽観的過ぎますね。思い出してくださいよ――」
 一瞬アクィリフェルの言葉が止まる。うっかりシンケルスの存在を忘れてラウルス、と呼びそうになったらしい。アウデンティースの目元がわずかに和む。
「僕らが王都ハイドリンを発ったときには何を語っていました、予言は?」
「それは、私が混沌を退けるだろうこと。お前がそれを助けるだろうこと」
「でしょう? それだけでしたよ。あの予言は剣のことは何も語っていなかった。黒き剣との文言だけはありましたけどね。でもそれだけだった。あの時の主題はむしろ僕だった」
 アウデンティースの目が見開かれる。思いの外、本当に失念していたらしい。シンケルスもいまは考え込む顔になっていた。
「あなたと僕と、それからその剣と。これだけが揃っていてもまだ足らないかもしれない。正直そうなったときのことを考えるとぞっとしますよ」
「……確かに」
 口許に片手を当て、アウデンティースは視線を伏せる。真剣に何かを考えはじめた証拠だった。
「なので申し訳ありませんが、賢者様。長から目を離さないでいただけますか。さりげなくでいいです」
「言われるまでもないよ。実はすでにそうしているのだが……」
「いや、シンケルス、そのままでいい。更に手を増やそうとはするな。慣れない手ですればするだけ露見する。後はこちらでしよう。常時監視する」
「そうしてください。僕はこれで意外とこの世界が好きなんです。滅んでもらったりしたらとても困る」
「言われるまでもない。全力を尽くす」
「あなただけじゃない、僕もですよ」
 にっと笑って互いに見交わす。その視線の間にあるのが何か、シンケルスにはわからなかった。ただ、感じた。ひたすらに強い絆を感じた。
「僥倖を得て長の隠し事を知る機会がありましたならばまっすぐにお知らせいたします」
「あぁ、そうしてくれ」
「はい。では――」
「退出を許す。ご苦労だった」
 律儀に許可を求めたシンケルスに苦笑しつつアウデンティースはその背を見送った。
「実際、あれが正しい礼儀ですよね」
「お前に言われるようじゃスキエントも終わりだな」
「僕はとりあえず体裁くらいはつけてますが」
「どこがだ?」
 真剣に言うアウデンティースにむっとしてアクィリフェルは彼を睨みつける。けれど長くは持たなかった。すぐさまからかわれていることに気づく。
「確かにあれは尋常じゃない態度だったからな」
 普段のスキエントは王宮に伺候する機会は少なくとも、そのすべてで王を敬う態度を崩しはしなかった。
「なにを隠しているのか、わかればもっと楽なんですけどね」
「お前一人に苦労させるのも嫌なものだ。俺にはこれで充分だ」
 言ってアウデンティースはアクィリフェルに腕を伸ばす。胸の中に抱き取って、はじめてほっと息をつく。
「ラウルス。疲れてますね。睡眠、足りてますか」
「昨日、寝かせてくれなかったのは誰だ」
「そんなこと言ってません!」
 猛然と声を高めたアクィリフェルに小さく笑い、アウデンティースはその髪を撫でる。なだめようとしてしたことではない。そうしていたかった。確かに疲れているのかもしれない。アクィリフェルもいまは黙って彼の背を抱いていた。




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