ファーサイトの賢者団が謁見を申し込んできたのは翌日もまだ早朝のことだった。
 会わない理由も会えない理由もない、それどころかできることならば予言について更に詳しいことを知りたいと思っていたアウデンティースは一も二もなくうなずく。できればシンケルスとのみ、会見を持ちたかったがそうもいかない。
「早速にお目通りをお許しくださいまして恐縮です。お疲れではございませんか」
 謹厳な顔を作った賢者団の長、スキエントだった。横にはシンケルスも控えている。ちらりとその目が、ゆったりと椅子に腰を下ろしたアウデンティースの側に立つアクィリフェルを認めて微笑んだ。
「いや、大事ない」
「では早速ですが」
 スキエントは興奮もあらわに前のめりになる。いかめしい表情を絶やさない賢者の長からは想像もつかないその顔にアクィリフェルは内心で小さく笑った。
「陛下がお持ち帰りになりました御使いの剣をお見せいただきたい。是非」
 とても国王に対しての言葉遣いではない。傲慢で無礼ですらある。それにもスキエントは気づいていないのだろう。長の無礼を詫びるよう、静かにシンケルスが頭を下げた。
「見せるのはかまわんが。すでに見ただろう?」
 当然、昨夜の宴にアウデンティースは剣を佩いていた。これこそが持ち帰った剣、アルハイドを救う御使いの剣、と示すためだ。
 だがスキエントは首を振った。苦い顔をしていまもアウデンティースの腰にある剣を見つめる。
「無礼は承知の上にございますぞ。ですが、この手にとらせていただきたい、是非」
 アクィリフェルはその声に不審なものを聞いた。何がどうとは言えない。だがしかし、いささか熱心すぎるのも確か。
「シンケルス様。よろしいですか?」
 にこりと笑ってアクィリフェルが口を挟んだ。ティリアがその顔を見れば心の中で大笑いをしたことだろうと思うと王は口許に浮かびそうになる笑いをこらえるのが大変だ。
「なにかな、狩人殿。いや、予言の歌い手、導き手」
 声にあるものに、語られた言葉の裏側に。アクィリフェルは、この人こそが賢者と呼ぶに相応しい人だと感じる。おかげで心が決まったようなものだった。
「賢者と呼ばれる方々はそれは学問に熱心なことだと思います」
「まぁ、そうだろうね。学ぶこと、調べること。そこから自分なりに色々な予測をすること。そういうことが好きでたまらないのが、少なくとも私と言う人間だからね。自分では賢者の名に相応しいかどうかはわからないものだ」
 声にあった皮肉に気づいたのはアクィリフェルのみ。あてこすられたはずのスキエントなどもっともらしくうなずいている。
「では、なにをおいても知りたいと思いますか?」
「導き手。いまはそのようなことを話す場ではない。控えよ」
「いいえ、賢者の長よ。ここで伺うべきことです」
 きっぱりと言ったアクィリフェルに、ようやくアウデンティースも彼が何をしようとしているのか見当がつく。
「いささか睡眠が足らんな」
 我ながらあまりにも鈍い、と独りごちればシンケルスに訝しそうな顔をされた。王が黙って首を振るのに目を留めて、シンケルスはアクィリフェルに向き直る。
「学びたいと思う。だが、私個人のことでいいかね? 私は我が身が危うくなる程度のことならば、学問に殉ずる決心はついている。だが世界を供物にしたいとは思わないね」
「いい御覚悟です」
 莞爾としたアクィリフェルにスキエントが不思議そうな顔をした。不思議と言うよりは多少、不快のほうが表に出ていたかもしれない。
「そのようなことを聞くために貴重な時間を無駄にするとは」
 これだから無学な狩人は。そう続けなかった言葉がアクィリフェルの耳には聞こえた。だが気に留めた様子もなくアクィリフェルは王を見つめる。
「つまりスキエント。そういうことだ」
「は? 仰る意味がわかりませんな」
「アクィリフェルがいま言ったとおりだ。この剣は――」
 言いながらアウデンティースは佩剣に手をかける。見れば見るほど飲み込まれそうな御使いの剣。シンケルスの背筋がぞくりとした。
「御使いより授かった剣」
「それは知っておりますが」
「御使いより授かったこの剣は、ただの剣ではない。貴重な神器と言うだけではないぞ」
「では、何を仰せになりましたか、御使いは」
「我ら両名の他に触れさせてはならぬ、と」
 重々しく告げるアウデンティースのその声は紛れもない王の声だった。
 本当のところ、御使いはそのようなことは一言も言っていない。むしろ触らせても何事もないだろう、とは言っていた。
 だがそれを信じられるのか。アクィリフェルもアウデンティースも御使いを信じないのではない。人間として、竜のヘルムカヤールの言葉のほうが更に重かった。それだけだ。
 もしもスキエントがここで剣に触れてしまったら。いつ何時、混沌がここに結集してしまうかわからない。スキエントが予期せぬ混沌の核と成り果てて、アルハイドを救う手立てもなく滅びの果てに向かってしまうかもしれない。
 ここに混沌を討つ剣がある。ならば討てることは確実。であるのだからこそ、準備は整えたい。一刻も早く、そして二人の予定した時と場所で。それが彼らの考えだった。
「御使いが……」
「そうだ、御使いの仰せだ」
 できる限りもっともらしくうなずいて見せたアウデンティースの芝居を聞き取ったのはアクィリフェルだけだろう。半ばは芝居ではないのだから当然のことだった。
「では、お見せいただくことも叶いませんかな」
「いいや、それならばかまわん。アクィリフェル」
「はい」
 すらりと王は剣を引き抜いた。虹色に輝かんばかりの、そしてそれだけではない多彩であり無彩である美々しい鞘をアクィリフェルに預ける。
「おぉ……」
 そしてそこから出現したのは漆黒の、刀剣の類とはとても思いがたい闇の塊だった。それでいて冷ややかな銀にも煌めく剣だった。艶々とした刃のその鋭さを首筋に感じたかのよう肌が粟立つ。
「なんと美しい」
 が、スキエントは恍惚とそう言った。思わずシンケルスはアクィリフェルを見つめる。いまは何も言うなとばかり彼の目が瞬いた。
「これでよいかな、スキエント」
「――えぇ、充分にございます。これで我が研究もいっそう進むことにございましょう」
 うっとりと言ってスキエントは立ち上がる。退出の許可も求めず一礼して下がっていくのをシンケルスが慌てて目で追った。
「陛下……」
「いや、気にしなくていい。賢者殿は学問となると周りが見えなくるもの」
 軽く言ったアウデンティースだが苦笑はしている。ちらりとアクィリフェルを見やった目にもそれが表れていた。
「お返しします」
 何よりこんな剣をそうそう人目にさらしていては何が起こるかわかったものではない。アクィリフェルとしては是非とも早く鞘に収めてほしかった。
「陛下、よろしいでしょうか」
「かまわん。なんだ。いや、その前に礼を言う。留守中、よくティリアを守ってくれたな」
「とんでもない。私などがいなくとも姫様は充分お役目を果たされたことでしょう」
「そうですか?」
 にやりと笑ったアクィリフェルにシンケルスは小さく笑みを返す。二人の留守中になにがあったというわけではない。むしろ何事もないようメレザンドとシンケルスが目を光らせていたということだ。
「長殿はどうしたのかな? 元々シンケルスから忠告は受けていたが」
「はい。僭越にもご忠告をいたしましたことが幸いにも――」
「シンケルス、ざっくばらんに行こう。時間が惜しい」
 そう言われても相手はアルハイド国王だ。中々はいそうですか、と言うわけにはいかない。だがシンケルスがぎょっとする間もなかった。
 謁見とはいえ、ここは国王のある程度私的な居間と言ってもいい部屋だ。正式な謁見の間にはなく、この部屋にあるもの。それは椅子だった。
 アクィリフェルは当たり前の顔をして椅子を二脚もってきてはシンケルスと自分用に据えつける。それから促すでもなくさっさと座ってしまった。
「賢者殿。座らないんですか」
「だが!」
「遠慮する時間も惜しいんです。陛下の仰せのとおりになさってください」
 茶目っ気のある言い方だったにもかかわらず、そこまで言われてもシンケルスはごくりと唾を飲み込んでからでなければとても座れなかった。恐る恐る腰を下ろしている様子など、椅子が口を開けて自分を飲み込みかねないとでも思っているかのようだ。
「私の前で腰を下ろすのなどはじめてではなかろうに」
 実際、他の機会にはそうしていることもある。だがここは会議でもなんでもない。限りなく私的な会話に近い機会にこのようにしていることなどまずない。探花荘への非常識な王の訪問を除いては。あの時はあまりにも事態が切迫していて遠慮している余裕もなかった。ならば今回も。少なくともシンケルスにとって、異常な経験であることは違いなかった。
「アクィリフェル」
「はい。ちょっとかかりますよ、僕は王宮の物になんか触りたくないんですから」
「結構。その間にシンケルスの話を聞こう。お前も聞いておけ」
「嫌でも聞こえますからご自由に」
 とんでもない物言いをして、一度は座ったアクィリフェルが立ち上がる。何事かと思えば不器用な手つきで茶の支度をしている。小姓に言いつければいいようなものの、内密の場には入れたくないという王の意思だろう。だが、シンケルスは不思議に思う。
「アクィリフェルの行動が不思議か?」
「正直に申し上げれば。はい。陛下にとってお近しい者ではありましょうが、飾らず申し上げればよくぞあれだけの言葉で理解ができたと思っております」
 アウデンティースはただアクィリフェルの名を呼んだだけだ。茶の仕度をしろなど決して言っていない。まして自分で用意しろ、小姓を呼ぶなとも。それとも事前に申し付けてあったのだろうか。
 シンケルスの顔に疑問が浮かんでは消えていく。それは正しく賢者の顔だった。自ら問い、そして一つ一つ答えを探していく。
「あるいは……」
「なにかな?」
 あるいはそれがシンケルスが覚悟を決めた瞬間だったのかもしれない。何に対してか、本人はいまだ知ることのない覚悟ではあったが。




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