母親の態度を信用しかねるのかアクィリフェルは強引に茶を振舞い、無理やりに話を変える。もっとも、それに気づいたのはアウデンティースと当のテイラだけだろう。
「お母さん、神々のお呼びのことですが」
「確かに陛下をお招きするよう、感じましたよ」
 息子の疑問に答えるかのような母の態度ではあったが、アクィリフェルはわずかに首をかしげる。見えないはずのテイラがベールの向こうで微笑んだ。
「お母さん、もう少し詳しく――」
「話してもいいけれど二度手間だもの。もうすぐチェーロが戻ってくるわ。待ちなさいな」
 あっさりといなした口調に、アウデンティースは息子との相似を見つけ、やるせない思いに駆られる。たったこれだけのやり取りでも彼が充分に愛されて育った子供であることは感じられた。
 そのアクィリフェルを無惨に打ちのめしたのは誰か。自分だ。アウデンティースは掌の中の茶をじっと見つめる。
「狩人、いや、アクィリフェル。そのチェーロ殿と言うのは?」
 はっとして王は目を上げる。そのまま手の中のカップをしっかりと握り締める。つくづく持っていてよかった。この手の中に何もなかったならば、咄嗟にマルモルを殴っていたかもしれない。彼を呼び捨てた自らの近衛騎士を。
「父です。我らの長ですよ」
「なるほど、では次に長の座に着くのは――」
「前に陛下にはお話ししたんですけどね。それは誤解です。僕は単に長の息子と言うに過ぎません。むしろ、父が偶々長であるだけ、と言ったほうが正しいかもしれない」
 肩をすくめてアクィリフェルが言う言葉を騎士たちはおそらく理解できないだろう。無言のうちにアウデンティースはそう思う。何か理解を促すようなことを言うべきか、と思案する王の意識を音が裂いた。
「偶々、はずいぶんな言い草だな」
 扉の向こう、壮年の男性が立っていた。テイラの雰囲気が突如として華やいだところを見れば彼が間違いなくチェーロ、禁断の山の狩人の長だろう。
「でも僕にとっては偶々ですよ」
「あながち間違いではないがね。お帰り、息子よ」
「ただいま戻りました、と言えればいいんですが。どうせまたすぐ出立しますよ」
「それでも無事の帰還を喜んでいかん法はない」
 滑るようチェーロは息子に近づいて軽い抱擁を与える。照れくさそうなアクィリフェルなどはじめて見た騎士たちは揃って瞬き、次いで笑みを浮かべた。
「早速だが」
「父さん。まず紹介してもいいですか? ご存知だと思いますけどね」
 その一言でマルモルはすでに狩人たちから長に報告が上がっていることを悟っただろう。当然のことだ、とアクィリフェルにうなずいてみせる。それに彼が小さく頭を下げるのがアウデンティースの癇に障った。だが、どうしようもない。
 もし、と思う。もしもアクィリフェルがマルモルと恋仲になったら自分はどうするのだろうか。主君たる王は騎士の恋を承認しない権利がある。そのときには、それを行使しかねない自分を想像し、アウデンティースは目を閉じる。
「陛下?」
 冷ややかな声。聞き間違えるはずのないアクィリフェルの声。それでも、それすらもが聞けなくなる日が、来るのかもしれない。
「ぼーっとされると迷惑です。ご休憩が必要でしょうか。陛下」
「いや。必要ない。提案には感謝するが」
 ふ、とアクィリフェルは眉を顰めた。アウデンティースが何を考えているか具体的にはわからなくとも感じることはできる。聞き取ることが導き手の耳にはできる。
「余計なことを考えて悩んでる暇があるとは思いませんが? あなたの義務はなんですか。忘れたとは言わせませんよ、陛下」
「余計なこと!? 考えてなど……」
「別に何を考えていたかは知りませんけどね。僕には耳があることをお忘れなく。感づかれたくなかったら、喋らないことです。一言も」
「話さなければそれはそれで隠し事があると認めるようなものだな」
「無論ですね」
 鼻を鳴らすアクィリフェルを両親が不思議そうな顔をして見ている。あるいは息子はこんな態度を取る子ではなかった、と思っているのかもしれない。
「話があちこちになってすみません、父さん。もうおわかりでしょうが、こちらがアウデンティース王でいらっしゃいます」
 敬意を言葉面だけで表明した息子の言葉を聞かなかったふりをしてチェーロが改めて頭を下げる。王も同じく礼を返した。そのことに長は少しばかり驚いたよう、笑った。
「近衛騎士のマルモル殿とケイン殿」
「ようこそおいでになられましたな。アクィリフェル?」
「幻視者の呼び出しがあったことは伝えてありますよ」
「早手回しなことだ」
 そう言ってなぜかチェーロは長い溜息をついた。そしてテイラを見やる。見えないはずのテイラは視線を感じてうなずいた。
「――アクィリフェル。問題がある」
「僕にも色々ありますよ、山のようにね」
「正に、その山が問題だ」
 軽口を聞き流し、チェーロは背後を振り返る。そちらにのしかかる影があるとでも言うように。
「幻視者が呼び出しを感じた。これは前例もあることだ。――聖地に光柱が立った」
「それも前例がありますね」
「残念だが」
 今度ははっきりと長い溜息をつくチェーロをアクィリフェルは訝しげに見やった。それからテイラを振り返るが、母は何も答えてくれそうにない。
「父さん――」
「光柱は、普通は光っているな」
「だから光柱といいますしね」
「……光ってはいた。確かに。だが、黒かった。夜の闇もかくやと言うほど。いや、まだ足らんな。だが、光ってはいた。それが、わからん。本当にあれは呼び出しなのか。アクィリフェル。何か、知っているのか、お前は」
「しばしお待ち願いたい。その光柱と言うものは?」
 マルモルの言葉にチェーロが目を瞬く。しまった、とでも言いたげな顔をしているところはアクィリフェルによく似ていた。
「ご説明が遅れましたな。申し訳ない。光柱は、単純ですよ。神々が我ら人間をお呼びになるときに現れるもので、柱のように光が立つのですよ」
「幻視者が感じるものと同じ、と言うことですか?」
「通常はどちらかひとつですがね。それもまた異例なこと」
 体中の息を吐きつくしてしまいかねないほどの長い溜息を吐き、チェーロは息子を見つめる。だがアクィリフェルは言葉を王に譲った。それを察してチェーロは王を見つめる。どこか必死の眼差しだった。
「陛下がご存知なのですか?」
「知っているかと言われれば、心許ない。だが、予言を受けている」
「赤き鷲の導き手――と言うあれですか」
 それを知っていることのほうにこそアウデンティースは驚くが、考えてみればその予言も元々は妖精からもたらされたもの。禁断の山の狩人の長が知っていても驚くにはあたらないと思い直す。
「そちらではない。新しい予言だが……チェーロ殿」
 王にまさか対等同然に扱われるとは思っていなかったのだろう、チェーロの顔が驚きに歪む。すぐさま満面の笑みになった。
「新しい予言は是非、内密にしていただきたい。なぜそのような要請をするのか、私にもわからん。勘の類と思ってもらってもいい。いまはまだ明らかにすべきではない、そう思うだけだ」
「我らの王の仰せのままに。ご存知でしたか、陛下。人間は、聖域で生まれました。はじめに生まれ、人々を導いた者が、後に初代アルハイド国王となられた方です。我ら狩人は、常にその傍らにありました。人々が増え聖域を出るにあたって、この地を守れと仰せ付けられたのは陛下の遠いご先祖でした」
 にっこりと笑うチェーロの表情にアウデンティースは惹きつけられる。息子の笑った顔に、よく似ていた。
「……それは、知らなかった」
 先ほど釘を指されたばかりで喋りたくなどないが、返答はしなければならない。短い言葉の響きから、アクィリフェルは何を聞き取るだろう。
「僕も知りませんでしたよ、そんなこと」
「話していないからな」
「なんでです?」
「今となってはどうでもいいことだからだ。だが、陛下がこのようなお方で私は嬉しく思っているよ」
 だからこちらも信頼して欲しい、とでも言うようチェーロはアウデンティースを見つめる。それにはっきりうなずいて、王は先ほどの答えを言う。
「新しい予言では、私が剣を授けられることになっているようだ。それを授ける方を予言はこういう。黒き御使い、と」
「……なるほど」
「納得していただけたか」
「まったく。いや、理解できないと言う意味で、です。黒き御使い……か。アクィリフェル」
「僕もその場にいました。それこそ偶々、ね」
 ちらりと一瞬だけアクィリフェルの視線がこちらを向いたような気がしてアウデンティースは咄嗟に目をそらす。
「確かに黒き御使い、と聞いています。父さん、何が不安ですか」
 だがアクィリフェルは何事もなかったかのよう言葉を続けた。視線を感じたのすら間違いではなかったかと思うほど自然に。
「いままでになかったことだ。不安に思って悪いことはない」
 きっぱりと言う態度に王は好感を持つ。楽観するよりずっといい。思わずうなずいたのを見られたのだろう、チェーロが王にうなずき返した。
「色々と不安はあるが、陛下の御身が一番不安ではあるな」
「父さん?」
「聖域には、陛下お一人で向かっていただく」
「待って、父さん!」
「いいや、待たない。これが我らの掟だ。ただし、国王陛下をお迎えするのははじめてでもある。だから、騎士殿のどちらか一人だけは、認めてもいい」
「父さん!」
 鋭い声を挙げる息子を父は見据え、ゆっくりとあえて区切るよう、言う。
「アクィリフェル。お前だけは認めんぞ」
 忠告されていたことが現実になった。アウデンティースは無言でアクィリフェルを見つめる。
 嬉しいと、こんなときに感じるべきではないとわかってはいた。理性は知っていた。けれど。理由などどうでもいい。アクィリフェルが同道を望んでいる。自分の傍らにいることを望んでいる。それだけがただ、嬉しかった。




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