驚いているのか唖然としているのか声のないアウデンティースにアクィリフェルは肩をすくめた。 「誤解のないように言っておきますが、別に僕が次の長になるわけではないですから」 「どう言う……ことだ?」 王の子が次の王となる。それが当たり前のアルハイド王家にあって、アクィリフェルの言葉はわかりにくい。わかっていてやっているのか、アクィリフェルは淡々としたものだった。 「狩人の長は最も腕が立ち、最も尊敬を受ける者がなるんです。長の子が継ぐわけではありません。無論、長の息子が優遇されるわけもない。そんなことはあってはならない。わかりますか?」 「つまり、狩人の長はお前が我が子だからこそ、聖域への立ち入りを認めない可能性がある、と言うことか?」 「そう言うことです」 あっさりと言って、だが本人も納得しかねるものがあるのだろう。どことなく不満げではある。 アクィリフェル自身、迷っていた。サティーの予言は言う。王に剣を授ける、と。その解釈が正しいならば自分が同行するいわれはない。 予言がある以上、まして聖域の内で起こる以上、アウデンティースに護衛はいらない。そもそも本人の腕が立つ。自分が護衛としていかねばならない理由はない。 予言に歌われた導き手としてならば。アクィリフェルは迷い、やはりいわれはないとも思う。剣を授かるのはアウデンティースであって自分ではない。 何度もそう思うのに、なぜか共に行かねばならないようなこの不安。間違って一人で行かせたならば、一生後悔してもし足りない、そんな気すらする。 「……できれば。いや、いざとなれば私ひとりで問題ないだろう。危険があるとも思えない」 アウデンティースは何を言いかけた。尋ねるまでもない。できれば共にきて欲しい。その言葉はアクィリフェルでなくとも聞こえる。 「そうですね。大丈夫でしょう。僕がいる必要もないですし」 けれど、否、だからこそかもしれない。アクィリフェルがそう言い返したのは。 それきり二人はむつりと黙る。場違いにはしゃぐケインと、それを叱りつけるマルモルの声だけが時折聞こえた。 馬を走らせ、時折休み、夜営する。その繰り返し。もしもあのころであったのならば心躍る経験。双方ともがそう思い、そして口数が少なくなっていく。 「見えてきた! 陛下、見えてきました!」 何度頭に拳骨を落とされてもめげないケインだった。前方の山を指差しては大きな声で騒ぎ出す。 「あぁ、見えている」 王都ハイドリンからカーソンの領地メディナへ駆けたほどの時間はかからなかった。禁断の山はメディナから王都ほど遠くはない。 「狩人」 「なんですか、マルモル殿」 「馬は、どうしたらいい?」 言われてみればそのとおり。山に馬を乗り入れることができるのだろうか。疑問が顔に浮かんだアウデンティースのほうを見ないようにしつつアクィリフェルは答える。 「もうしばらくは。途中に街で言う門のような場所があります」 「と言うと?」 「平たく言えば番人がいるんですよ、山に入る前に。そこに預ければいいでしょう。集落までは歩いていただきますよ」 覚悟せよ、とアクィリフェルは騎士の装備を見てにっこり笑った。自らの重装備にこれからの道程を考えたのかマルモルがげんなりとする。ケインは気づかず笑う。 「ケイン殿。大変ですからね?」 「なんの、騎士たるもの、この程度のことで気後れしてはなならないのです!」 「……健闘を祈りますよ」 とは言ったものの、番所である程度の武装は預けたほうが彼らの身のためだろう。鎧をつけて山歩きなど、無謀そのものだ。 馬の足を労わって、ゆっくりと山道を登っていく。時折アクィリフェルは宙に向かって鳥の鳴き真似をしていた。 「器用なものだな」 「なにがですか?」 「いまのだ」 「あぁ……。別に鳥を呼んでるわけじゃないですが」 「なに?」 「もう、ここは禁断の山ですよ、陛下。お気づきだと思っていましたが?」 どういうことかわからず顔を顰める王の背後、すでに馬を操ることで精一杯の騎士たちが続く。思えばつくづく腕の立つ男だった。騎士よりも鋭く重たい剣、騎士より遥かに乗りこなす馬。なぜ、アウデンティースは王なのか。彼が王ですらなければ。一瞬アクィリフェルに湧きあがった思いも、すぐさま本人が打ち消した。 「あちこちに仲間がいます、と言うか見張っています。僕はここにいるのが僕であること、同行者がいるが危険はないことを伝えています。そうでなければ――」 「とっくに襲われている、か?」 「そういうことですね」 さらりとしたアクィリフェルの言葉に騎士たちが揃って顔を見合わせ背筋を震わせる。こんな足場の悪いところでは戦えない。まして馬上。普段ならば、馬上にあってこその騎士。だがここは山道。疾駆させれば馬の足を折ってしまう。あるいは自分が振り落とされてしまう。騎士にとってはなんとも具合の悪い場所だった。 「立ち入りが禁じられているのは、聖域だけではありませんよ、騎士殿。禁断の山は、全域が立ち入り禁止です。そのために僕らがいる。あなたがたは実に珍しい例外です、今の時点でね」 軽く馬の上から振り返り、アクィリフェルは言った。その言葉が事実ではないと疑うはずはなかった。疑っても意味はない。むしろただ、例外に許されたことをありがたく誇りに思う。 「嬉しいです」 「狩人方に恥じない振る舞いを誓おう」 口々に言う騎士たちの声にアクィリフェルは微笑む。真実、彼らがこちらの思いを汲んでくれたことが伝わってくる。 同時に、溜息をこらえた。視界の端で王を捉える。わかりたい、わかりたくない一人の男を。わかって欲しい、理解などされたくない男を。 アクィリフェルはもう一度騎士たちに微笑み、自らを誤魔化すよう無言になって道を進んだ。程なく番所が見えてくる。 番人は無口な男だった。歓迎の言葉を述べるでも驚くでもない。アクィリフェルにひとつうなずいたかと思えば黙って手を出す。アクィリフェルも何かを言い添えることをせず馬の手綱を預けた。 「無理強いはしませんが、多少の武装を解いておくことを勧めますよ。山道、厳しいですから」 山に入る以前ならば騎士たちは拒んだだろう。だがここまで馬で来たことが彼らを少しは怯ませたらしい。 「そうさせてもらおう」 アウデンティースが率先して腕や足を覆う鎧を解いて預けるのを見て騎士たちも従った。それでもまだアクィリフェルには重そうだ、と映ったが。 「では行きましょう」 結局、番人は一言も口をきかなかった、とアウデンティースは思う。振り返ってもすでに番所は見えなくなっていた。 「さっきのあれは……」 「なんですか。番所ですか」 「あぁ、そうだ。不思議だったな」 はじめ、アクィリフェルにあそこだ、と言われるまで騎士たちにもアウデンティースにもそこに建物がある、とは見えなかったのだった。 まるで木々の中に溶け込んでしまったかのような建物。生きた樹が壁になり、多くの葉が屋根になっている。アウデンティースにはそうとも見えた。 「禁断の山に無断で入る人がわざわざ番所に挨拶、すると思いますか?」 かすかな嘲笑。否、アウデンティースにはからかうような声音に聞こえた。気のせいだと、わかってはいた。 「番所は、僕ら自身のためにあるんです。あれは捕らえるべき何者かが山に入ったことを察知するための場所。そして狩人の探索の起点であり、休憩所でもある。狩人以外がそこにある、と知る必要はない場所です」 「……なるほど」 「狩人、いいか?」 「なんですか、マルモル殿」 「その……考えを否定するわけではないが。門番というものがいる。あれは罪人を積極的に捕まえる、と言うよりはそこにいることで罪を抑制するものだ。あるいは禁断の山もそうすることで無意味に入るものを絶つことができるのではないか、と思わぬでもないのだが」 マルモルは入った者を即捕らえる、と言う禁断の山のやり方がどうにも納得できない様子だった。汗を拭いつつ歩いているのは、疲れのせいだけではないだろう。 「僕らだって、何もすぐに捕まえるわけではありませんよ。とりあえず立ち去るよう勧告くらいはしますから。間違って入ってきた、と言うのも考えにくいんですけどね」 「なぜだ?」 「考えていただくことはできないのでしょうか、陛下? こんな目立つ場所に迷い込む馬鹿がどこにいるんですか? ここはアルハイド王国の他の場所とは違う。ここは山ですよ」 言ってアクィリフェルは周囲にわざとらしく目をやった。確かに彼の言うことももっともだった。平地の多いアルハイドにあって山とは特異な場所。ファーサイトの賢者団の本拠である山や、ここ禁断の山。いずれも聳え立ち、道に迷ったから入ってしまった、と言うようなところではない。 「ですからね、騎士殿。ここに立ち入るものは皆、入るべき理由があるか、それとも不法に立ち入ろうとするか、どちらかなんです。僕らは理由のある人を案内し、ないものを排除する。それだけです」 「いまも、その一環なのか。アクィリフェル」 「陛下を連れて行くことがですか?」 こうして禁断の山に向かったこと。長の元に案内しようとしていること。それを問うアウデンティースに彼は不思議そうな目を向ける。そして珍しく微笑んで見せた。 「もちろんです。これは僕の務めですから」 笑ってアクィリフェルは言い切った。その声の嘘を聞き取ったのは本人だけ。聞き取れてしまったことだけが悔しく情けない。 「そろそろですよ」 目をそらしてアクィリフェルは自分から目をそらしたのだと気づく。わずかに唇を噛んで、けれど前を向き続ける。 アクィリフェルが立ち止まったとき、そこには何もなかった。よくよく目を凝らして見回しても、先ほどの番所のようにわかりにくい建物ですら見つからない。 「どこ見てるんですか。上ですよ、上」 そう言ってアクィリフェルが指差した樹上に、狩人の街は存在していた。声もなく驚く王と騎士にアクィリフェルはどことなく満足そうな目を向けていた。 |