いったい何があったのだ、と質問攻めにするカーソンからようやく解放され、彼らはゆっくりとその場で茶を飲んでいた。
 少なくとも、傍目にはそう見えただろう。アクィリフェルは最前の王の言葉がもたらした沈黙を思う。
「禁断の山に向かう」
 アウデンティースはカーソンにそう告げたのだった。それがなぜここまで重苦しい沈黙になるのか、その山の狩人であるアクィリフェルにはわからない。
「狩人」
 はじめて聞くほど真剣なカーソンの声にアクィリフェルは顔を上げる。退屈していたわけではないが、女王が直してくれたリュートをいじっていた手も止めた。
「なんですか、カーソン卿」
 王に渋々ながら許されたファロウはやはり主人の後ろに立ち、厳しい顔をしている。アクィリフェルの釈明がどうであれ、その態度は気に入らないというのが事実だろう。
「……禁断の山のことだが」
 ファロウを半ば睨み返しているマルモルにアクィリフェルは小さく溜息をついた。それを誤解したのかカーソンが鋭く息を吸う。
「やはり、入れんのか」
「いえ、そうではなく。気にしないでください。別のことですから」
 言った途端にアウデンティースが背後に立つマルモルを後ろ手に軽く打った。それを気配で捉えてしまったアクィリフェルはまた溜息をつきたくなったがどうにかこらえる。
「カーソン卿。入れない、とは?」
「入れるのか!?」
 驚くカーソンにアクィリフェルこそが驚いた。思わず仰け反ってしまったのを密やかに王が笑った気がした。
「……まぁ、簡単には行きませんね。そもそもどこまで行くか、が問題ですが」
「聖域までだろうな」
「話を面倒にしないでください、陛下」
「面倒も何も、そこまで行かなければならないだろう? それとも、心当たりが別にあるか?」
「一介の狩人に何を聞いているんですか?」
「つまり、知らんと言うことだな、アクィリフェル。ならば、やはり聖域だろう、妥当なところは」
 一応、何があるかわからないとの懸念があった。アウデンティースはサティーにもたらされた予言をカーソンにも語っていない。
 無言のうちにアクィリフェルにもそれを告げたのが理解できてしまってやりきれない思いに駆られていた。
「ならば、狩人、その聖域には……」
「まず入れないでしょうね。むしろ、そのために僕ら狩人がいるんです。入れないために」
「その、ここは世界の大事だ、なんとかならんのか」
「いまだかつて、神官ですら入れたことがない場所ですよ? いったいどう説得するんです?」
「まずは行ってみてからだな、アクィリフェル。出立の準備を」
「なんと、陛下! よもや御自身で」
「私の国が危ういのだ。私が行かなくてどうする。それでアルハイド国王と言えるのか? 答えよ、カーソン」
「は――」
 額に脂汗を滲ませたカーソンが視線を下げる。王国のことも心配だろう、だがカーソンが心からこの王の身の安全を案じているのが伝わってきて、どことなく温かいものが胸によぎり、そしてそれをアクィリフェルは否定する。
「カーソン卿にはお叱りを受けそうですがね、ところで陛下」
「なんだ」
「まさかと思いますが山までぞろぞろと騎士を連れて行くおつもりではないでしょうね?」
「いかん……ようだな?」
「当たり前です! わざわざ請願しに行くのに武装した騎士を大勢連れて行ってどうするんです。喧嘩売りたいんですか?」
「国王陛下が請願だと! 言葉に気をつけよ、狩人アクィリフェル!」
「僕は、禁断の山の狩人です。王国の住人ではありますし、国王陛下を敬ってもいます。ですが、それとこれとは話が別です。我ら禁断の山の狩人は、聖域の守り手」
「陛下も入れんと言うつもりか!」
「それこそ、行ってみなければわかりませんよ」
 皮肉に言うアクィリフェルの言葉をカーソンは悪意にとったらしい。だがアウデンティースはもっともらしくうなずいた。
「つまり、行けばなんとかなるかもしれんと言うことだな?」
「そんなこと僕に聞かれてもわかりませんよ。ただ……」
 言いたくはなかった。その思いが口を閉ざさせる。アウデンティースの視線は無視したけれど、マルモルの懇願の目からは逃れられなかった。
「僕は言いましたよね、神官も入れないって」
 本当ならば、口にしていいことではない。彼らは同じ狩人ではない。だがアクィリフェルは禁を破る。
「……例外があります」
「それは?」
 急き込むカーソンをアウデンティースが手で制した。黙ってアクィリフェルを見つめる目には、奇妙な信頼がある。
「神託、と言うのとも違うんですけどね。神々の呼び出しのようなもの、と思っていただければいいんですが、それを感じ取ることができる者が、一族にいます」
 神々がこの世界に降臨する予兆を感じ、そして的確な神官を選び出すことができる者、幻視者がいる、とアクィリフェルは語った。
「ですから、これは僕の楽観でしかないんですが、すでに山に予兆が起きている可能性も、否定はできないんです。予兆が起きていれば、幻視者は陛下を選ぶでしょう。神官ではありませんが、この異変を止め得ると予言が陛下を指しているならば、その可能性は高いです」
「では決まった。そういうことだ、マルモル、供を選べ」
「陛下、お待ちを! 供は私がいたします! そして是非とももう一人、せめてもう一人でかまいませんからお連れを」
「わかった。選定は任せる。が、騎士隊はどうする?」
「そのために副隊長というものがいるんです」
 胸をそらして偉そうに言う言葉ではない、とアクィリフェルは思う。騎士隊を預かる長が離れていいはずはない。だが、近衛騎士隊ならば、国王を守護するのが最も重要な任務ではある、と言う考え方もなくはない。そこまで思ってアクィリフェルは詭弁だ、と内心で笑った。
「騎士殿」
「なんだ、狩人」
「できれば、無害そうに見える人にしてください。仲間を刺激したくない」
「……近衛騎士隊に無害なものがいると思うのか、お前は」
「いたら困……。いますね」
 言葉の途中で言い換えて、アクィリフェルは天井を仰ぐ。アウデンティースは顎先をさすっていたから見当がついたのだろう。渋い顔のマルモルが諦めたよううなずいた。
「ではケインを連れて行きましょう。あいつで役に立つかどうか、疑問ですが」
「猛々しい騎士が訪れるよりましですから」
「狩人、それはケインに言ってくれるなよ」
「僕より陛下に口止めするんですね」
 にっと笑って言ったアクィリフェルに誰が言うものか、と小さくアウデンティースは呟く。
 内心では、マルモルを殴り飛ばしたいほど苛立っている。かつての自分の場所に、否、ラウルスの場所にマルモルが立っているような錯覚。間違っている、とわかっていても苛立ちは去らなかった。
「陛下、本当にたった四人で赴かれるおつもりですか」
 情けなさそうに眉を下げるカーソンは、どうにか思いとどまって欲しいとの思いと、アクィリフェルが真実を語っていることを信じる思いとの間で揺らめいていた。
「あぁ、本当だ」
 それに気づいているのかいないのか。アウデンティースはあっさりと言って、一刻も早く出立するとばかりに立ち上がる。
 そうなってはもうカーソンには引き止められなかった。どうかご無事で、と何度となく繰り返し、仕舞いにはしつこい、とアウデンティースを苦笑させる。
「お前の心遣いはありがたいが、カーソン。これは我が務め。止めてくれるなよ。お前にはお前のなすべき事があるだろう? 領民を気遣ってやれ、まだまだ不安だろうからな」
 さっさと用意のできたアクィリフェルと、そもそも準備万端な二人の騎士とがもうすでに待っていた。そちらにちらりと視線をくれ、アウデンティースはカーソンの肩に手を置く。
「陛下、どうかご無事で」
 涙目になっているカーソンの背後から、ファロウが静かに頭を下げる。アクィリフェルの言葉で許した形にはなっているが、本心ではよい感情を持っていない。だからアウデンティースはただうなずくにとどめた。
「陛下!」
 若い騎士のケインが馬の横で手を振っている。遠乗りのような気安さに、マルモルが彼の頭に拳を落とす。それを見てはアクィリフェルが小さく笑う。
 もしかしたら、あったかもしれない当たり前の情景。それを見ているのがつらくてアウデンティースは笑ったふりをして目を細めた。
「アクィリフェル」
 カーソンの領地を四人を乗せた馬はひた走っていた。領民の目があるところで疾駆させるわけにはいかなかったが、ここまで離れればもう問題はない。
「先導は任せる」
「とっくに任されてますが?」
「私にもそう見えていたな、確かに」
 軽口のやり取りがいたたまれないなど、後ろの騎士たちは思ってもいないだろう、とアウデンティースは苦い思いを抱く。
 アウデンティースの声にこそ、アクィリフェルは苦かった。今更ながら脳裏に浮かぶあの指輪。目を開けていても瞼の裏にちらついた。
「陛下、相談があるんですが」
 思いを払いアクィリフェルは隣を駆ける馬にだけ届くよう、言う。アウデンティースが少し馬体を寄せた。
「……もしかしたら、僕が導き手であることが、問題になるかもしれません」
「どういうことだ?」
「陛下を招くのは幻視者にとっても例外です。禁を破るとすら言ってもいい。陛下を招いても、僕は聖域には入れないかもしれません。長は望まないでしょう、贔屓のようにとられかねませんから」
「どういうことだ?」
 アクィリフェルらしからぬ回りくどい言葉にアウデンティースは眉を顰めた。彼の表情を窺っても、何もわからない。馬上で器用に肩をすくめ、アクィリフェルは言った。
「僕は長の息子ですから」




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