何を言っていいのかわからなくなる。サティーたちの異変よりもなお不思議なものがここにある。アクィリフェルはよく知りかつまるで知らない人物を前にしている、そんな気がしていた。
 不安に駆られ、不意に一人きりのような気がした。サティーも、アウデンティースもこんなに側にいるはずなのに。思わずすがりついた相手の胸の温もりさえ不確かに思えた。
「アクィリフェル――」
 咄嗟に、すがった手を離した。ここにいるのは、アルハイド国王アウデンティース。一人きりのほうがずっとましだ、と内心に悔しく感じる。
「なん――」
 何ですか、尋ねかけた険のある言葉が途中で止まる。それでよかったのかもしれない。話せば話すだけ、アウデンティースが遠くなる。
「残念ですね、まことに」
 波でも割るよう、サティーが二つに分かれ、メイブ女王を迎えていた。にっこりと微笑んだ女王は楽しげに目を細め首をひねる。
「アクィリフェル」
「だから、なんですか!」
「邪魔はなくなったが? いい加減に降りたらどうだ?」
 多少のからかいをもってアウデンティースにそう言われ、アクィリフェルは赤くなる。羞恥にではない、怒りに。
 ぎゅっと拳を握ってアウデンティースの膝から降り、不本意ながら王の隣に腰を下ろす。それを女王は笑って見ていた。
「そのままでもよろしいのに」
「こちらがよろしくないのでな、女王」
「そうですの?」
 まるでそれは本心か、と問うているような女王の声に、アクィリフェルがぎょっとする。王の顔色はまるで変わらなかった。横目でそれが見えてしまったアクィリフェルは密かに唇を噛む。
「それより女王。何が残念だと?」
 いささか急に話題を戻しすぎたかもしれない、アウデンティースは視界の端でアクィリフェルを捉えたが、彼は彼で何か物思いに沈んでいるらしい。気づいた様子はないことに小さく息を吐く。
「えぇ、御礼をしてくださると言うから、何をお願いしようか色々考えていたのですが」
 それは私の意思ではない、とアウデンティースがそっと呟いたけれど、メイブは気にした様子もなくサティーたちがどこからともなく用意した敷布に腰を下ろした。
「ですが、予言が下されましたから」
「予言!?」
 アウデンティースとアクィリフェルの声が揃ってしまった。互いに相手を見ないようにして少しばかり嫌な顔をするのに女王は唇をほころばせる。
 その表情にアウデンティースは、女王は予言があることを知っていたのではないかと疑う。王の目に疑問を読み取り、メイブは小さくうなずいた。
「ティルナノーグの女王、ご説明いただけますか?」
 本来ならば自分は口を挟むべきではない、アクィリフェルにもその程度の心得はある。だが女王の言葉が言葉だった。
 予言に振り回され続けている。それがいやでないはずがなかった。しかしそれで王の手からも漏れてしまう小さな命を救うことができるのならば、禁断の山の狩人の本望だった。
 そう思うことで、ごく密やかで個人的な苛立ちをアクィリフェルは抑え込んでいる。自分のことなどより先にまず勤めがある。そう思っていなければ、今すぐにでも山に帰りたい。あるいは海に入ってしまいたい、混沌のある海に。そう思っていることをアクィリフェル本人は明確には認めていなかった。
「説明ですか? ですが、あなたはその耳で聞いたのでしょう?」
「なにを、ですか」
 苛立ちを含んだ声に鈴の音のよう女王が笑う。アウデンティースも苛立つのか、手元の草を引きちぎっていた。
「サティーですよ。ご存知ないのですか、アルハイド王。サティーは予言を歌う種族。あなたにもたらされた予言もまた、サティーがかつて歌ったもの」
「かつて……? では!」
「赤き鷲の導き手、雅なるかな五弦琴。王たる鷲の黒き剣、朝陽のごとく鋭し。――予言はそう言っていますね」
「それも、サティーたちが歌ったと言うのか、女王!」
「そう言いましたよ、アルハイド王」
「なぜだ! なぜ、妖精族の予言が我々に伝わっている」
「簡単なことです。混沌の侵略はすなわち我ら妖精族の危機でもありますので」
 さらりと言うメイブに、アクィリフェルは目を丸くしていた。こんなことならば、一刻も早く妖精郷を訪れるべきではなかったのか、とすら思えてくる。
「だが、どうやって人間に?」
「それはあなたのほうがご存知ですね?」
 ちらりと、笑みを含んだ目を女王はアクィリフェルに向けた。思わず仰け反ってしまいそうになって彼は唇を噛む。
「アクィリフェル、知っているのか」
「……伝説の類ですよ。――ですから! このことに関してのことだったらとっくに言っています! そうではなくて、ただのお伽噺として知っている、それだけです!」
 掴みかかってきそうなアウデンティースの手をきっぱりと払い落としながらアクィリフェルは冗談が現実になった気がしていた。
「本当に、お伽噺だと思っていましたよ。昔は我々の山に妖精がよく現れてお喋りをしていった、その程度の話が山にはごろごろしてますから」
 軽い頭痛を覚える。もう少し古老の話をちゃんと聞いておくべきだったかもしれない、ふとそんなことを思ったけれど、昔話をよく知る古老とて、まさか現実だとは思っていなかっただろう。
 いまなお禁断の山には妖精が訪れる。だが狩人と言葉を交わした、などと言う話しは聞いたことも見たこともない。
「えぇ、よく遊びに参りましたよ。緑の濃い、豊かなところです。ただ――」
 メイブは思わせぶりに言葉を切り、アウデンティースを見やる。むっつりと不機嫌な顔をした男を見ては口許をほころばせた。
「サティーの予言が、人間に関わるものであったり、我々にも関係するものであったりしたときには、教えて差し上げにいっていたのですよ」
「なんのために」
「気まぐれ、あるいは気晴らしでしょうか」
 メイブの答えにアウデンティースの肩ががくりと落ちる。さすがにその姿にはアクィリフェルも哀れを覚えた。
「禁断の山の人間は、それを予言、として伝えていたのでしょう?」
「いいえ、女王、それは違います。狩人はただ伝えるだけ、賢者が予言と解釈するんです。僕らは伝えていただけです。まぁ、少なくとも、昔話はそう言っています」
「アクィリフェル」
「なんですか、陛下!」
「昔話だろうがお伽噺だろうがかまわん。知っていることがあったら私に言え。以後は必ず、だ」
「御意のままに」
 視線も合わせず、そっぽを向いたまま慇懃に答えるアクィリフェルに、アウデンティースは何も言わなかった。ただむつりとうなずく。
「それで、女王? 何がどう残念だと? できれば具体的にご教示願いたい」
 どことなく皮肉な声にアウデンティースの焦りが聞こえてアクィリフェルは姿勢を正す。今はまず、混沌の侵略を止めること。邁進していれば、余計なことなど考えずにすむ、とは自らにも認めないままに。
「困りましたね、これもまた、わたくしよりも――」
「アクィリフェル!」
 アウデンティースの怒号。咄嗟にアクィリフェルは脳裏にサティーの歌声を思い起こす。そして青ざめた。
「御使いですって!?」
「サティーはそう歌いましたね」
「説明しろ! どちらでもかまわんから!」
 怒鳴り声に渋々とアクィリフェルは王を真正面に捉える。胸を突かれた気がした。王たる責務を改めて思うのか、アウデンティースは焦燥もあらわに瞬く間に頬をやつれさせていた。
「陛下、単純な質問をします。禁断の山の狩人が守っているものは、なんですか。表向きにですが」
 自分の責務は除く、と暗にアクィリフェルは言う。それで通じる気がしてしまった自分も、通じたアウデンティースも嫌いだった。
「我々人間の発祥の地、だ」
「そのとおり、つまり?」
「神々に、人間が創られ――」
「そういうことです。神官すら入れさせない。貴くひたすらに守る地には、御使いが降り立つことがある、と言います」
「だったら!」
「向かうべきは僕の故郷、と言うわけですね」
 先ほどのアウデンティースの声を映したかのようだった。皮肉が滴らんばかりの声に、自分で嫌気がさしたアクィリフェルは咳払いをして息をつく。
「よし、では――」
「もっとも!」
 意気揚々と立ち上がろうとしたアウデンティースに水を差すよう、アクィリフェルは声を上げる。
「入れてもらえるか、僕も自信がないですが」
「どういうことだ!」
「聞いていなかったんですか! 人の話はちゃんと聞いてください! 神官ですら入れないって、言ったじゃないですか。僕から予言を携えていったからと言って入れてくれるとは限りませんから」
「なんとかできないのか!」
「……正直、僕が僕でなかったら、あるいは」
 わずかにアクィリフェルの声が淀んだ。はっとしてアウデンティースは彼を見る。その視線を感じて彼は顔を上げ首を振る。
「いいです、忘れてください。最善は尽くします。なにはともあれ、まずは山に向かいましょう。と言うよりまず、メディナのカーソン卿のところに戻らないと。心配してるんじゃないですか」
「実に意外だ」
「なにがですか」
「お前が他人の心配をしようとはな」
 そう言ってアウデンティースはにっと笑った。自らの逸る気持ちを抑え、同時にアクィリフェルを怒らせるという器用な真似ではあった。
 だが、アクィリフェルには無駄なこと。王の気持ちが手に取るよう、聞こえていた。だからかまわない。女王に向かって頭を下げて礼を取る。
「ティルナノーグの女王。助けてくださってありがとうございました。ご助力にもまた感謝いたします」
「いいえ、わたしくもまた妖精の女王としてなすべきことをしたのみ。我が種族のためですよ、お気になさらぬよう。サティーたち、ご苦労でしたね」
 女王の言葉に周囲を取り巻いていた数多のサティーがきゃっきゃと笑って踊る。気のせいか、先程より増えている気がする。
「アクィリフェル」
「なんですか」
「増えてる、気がしないか」
 他愛ない言葉、おそらくは無意識の声。だからこそアクィリフェルは答えなかった。




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