焚き火の仄かな明かりの影にあって、アウデンティースが拳を握り締めたのがアクィリフェルには見えた。見えたが、何も思わなかった。 「それで? 続きは話してくれるんでしょうね」 わざとしたわけではなかったけれど、ずいぶんと皮肉な口調になってしまった。これがいまの自分の常態かと思えば奇妙なほどに悲しい。 「あぁ……」 アウデンティースは無意識の動作でうなずく。焚き火を見つめる目は、過去を見ていたのかもしれない。 「話はするが、事実だけを、だ」 「つまり解釈まではしないと言うことですね。結構ですよ」 「いいや? 要するに全部は話せないということだな」 「なんですか、それは」 鼻を鳴らしアクィリフェルは焚き火から目をそらす。アウデンティースを見てもいないことに彼は気づいていなかった。 「さすがに全部あったことを話すとなると――」 そう言って思わせぶりにアウデンティースはマルモルを見やる。当然のようマルモルは渋い顔をしてうなずいた。 「いくら陛下の思し召しとあっても、お止めいたしますぞ!」 「――と言うわけだ」 アクィリフェルに向かって悪戯っぽく言えば、彼の背筋が一度震えた。それを隠そうとするのか、それとも彼自身が気づいていないのか、アクィリフェルはじっと焚き火を見つめ、思い出したよう炙り肉の向きを変えた。 「それで?」 短い言葉にアクィリフェルの万感がこめられている、アウデンティースはそう思う。多くを語るより彼の心が透けて見えた。そこに何もないと言う意味において。 「そのころ私は当然母の実家、アンセル大公の城にいた。ハイドリンにも屋敷はあったが、シャルマークの本邸のほうだ」 「伝聞でしか知らないと言うのは理解しましたよ。結構です。続けて」 あのころのアクィリフェルを懐かしく思う。被虐的な趣味など微塵も持ち合わせていないアウデンティースではあったが、怒鳴られているほうがずっと心地良かった、そう思う。 「ある日のことだったそうだ。それまでもさして仲のいい兄弟ではなかったらしいが、二人の兄が殺し合いをした」 「はい?」 「言葉の意味どおりだ。王宮内で取っ組み合いの大喧嘩が……」 「剣を取るまでになったと? 言ってもいいですか?」 「なんだ?」 「馬鹿ですか?」 「貴様、狩人! 言っていいことと悪いことがあるだろうが!」 「一応、尋ねましたが?」 「陛下がよいと仰っても遠慮するのが臣下の筋と言うものだ!」 「生憎ですが。僕はアルハイドの民ではありますが、アウデンティース王に忠誠を誓った覚えはありませんね!」 まるであのころのアケルが、自分ではない男と言葉遊びを楽しんでいるよう。アウデンティースは再び彼らに隠れて拳を握る。それから大きく笑って見せた。 「かまうな、と言っているだろう、マルモル? 一々気にしていては身が持たんぞ」 「陛下のお体のみならず無礼からもお守りするのが近衛騎士です!」 「その当人がかまうな、と言っている。よいな?」 悪いとは言えないマルモルだった。顰め面をしてうなずくのが精一杯の抗議なのだろう。面倒で煩わしいもの、とアクィリフェルは騎士の在り方を見ていた。 「それで、どちらが残ったんですか。陛下」 嘲笑のような呼びかけに心の柔らかい部分がえぐられたようだった。もしもまだ国王に柔らかい部分などと言うものが残っているものならば。アウデンティースは自らの在り方を思う。 「どちら?」 「兄弟喧嘩の結果ですよ、陛下」 「アクィリフェル。考えろ」 「考えてます!」 不意に過去が蘇ったアクィリフェルは声を荒らげる。王はその言葉によってアクィリフェルの傷を逆撫でしたようなものだった。 アクィリフェルは確信する。間違いなく意図的なものだと。アウデンティースの声の影に潜んだ音色がアクィリフェルにそれを悟らせる。 だが、その意味までは考えたくなかった。きつく唇を引き結び、アウデンティースの代わりに炙り肉を乱暴に炎に近づける。脂の焼けるちりちりとした音がした。 「兄王子のどちらか一方でも残っていれば、私が即位することはなかった。違うか?」 「姉君の王女様がいらっしゃるじゃないですか。同じことだと思いますが」 「そのとおり。姉が健在ならば私が即位することは当然なかった。なにしろあちらは王妃腹の正当な嫡子だからな」 「陛下。お口をお慎みくださいませ。御自身が正当なお生まれではないなどと仄めかしですらなさってはなりません。あなた様は正当なアルハイド国王であらせられるのですから」 毅然としたマルモルだった。粗暴で頭の悪い騎士だと思っていたアクィリフェルはわずかに驚く。背筋を伸ばし王に諫言するマルモルはたとえ一瞬の目の惑いであろうとも、アクィリフェルには立派に見えた。 「兄姉が嫡子であったのは間違いのないことだ。私は――」 「陛下は名君であらせられた先王陛下のお子であられます」 きっぱりと言い、マルモルはアウデンティースの口を塞いだ。それ以上はたとえ国王であろうとも、実力行使に訴えようとも言い募らせはしない。マルモルの気迫にアウデンティースは苦笑する。 「父の子であるのは確かだな」 「当然です」 何もマルモルが反り返って言うようなことではない、とアクィリフェルは思う。が、アクィリフェルは知らなかっただけだ。 騎士にとって仕える主人が正統であるかどうか。正しいかどうかは自らの存在理由にすら関わるほど重大なことなのだとは。アウデンティースはそれを理解していたからこそ、苦笑する。 「続き。聞いてもいいんですか。どうなんですか」 「狩人――」 「無論、話すとも。ここでやめると、マルモル。明日の晩は火がないぞ」 悪戯っ気もたっぷりに言えば、アウデンティースの意思を汲み取ったのだろう、マルモルもまた苦笑した。主従の間にいったいなんのやり取りがあったのかアクィリフェルはわからなかったしわかりたいとも思わなかった。ただ炙り肉を睨んで続きを促した。 「兄たちが殺し合いをした。姉はどうしたか、だったな」 「その前に殺し合いをした二人はどうなったのか、です」 「あぁ、そうだったか。簡単な話だ。二人とも死んだ」 「罰せられて?」 王家ならばそのようなこともあるのだろう。いささか人騒がせが過ぎる兄弟喧嘩だ。アクィリフェルはそのように考えて問うたのだが、アウデンティースは首を振る。 「互いの剣で死んだ。長兄は次兄に腹を貫かれて。次兄は長兄に首を切り落とされて。血みどろだったそうだな」 「……いくらなんでも凄惨すぎませんか?」 「同感だな。実に同感だ。が、事実ではある」 「止められなかったんですか、その喧嘩」 「止められるような喧嘩だったら止めていただろうな。非常に不都合なことに、二人は剣の名手だった」 アクィリフェルの目がちらりと意味ありげにマルモルを見る。王家の人々の寿命の長さを思えば、この話がいつの時代のものかはわからない。が、マルモルはそのころはまだ騎士ではなかったのだろうことは彼の表情で見当がつく。 それでもアクィリフェルは騎士たちが止めることはできなかったのか、との問いを目に浮かべずにいることはできなかった。 「無理だっただろうな」 独り言のよう、マルモルが呟く。その意味はアクィリフェルにはわからないだろう。アウデンティースにはわかる。 仮にも騎士たるもの。自らが仕える主人でもある王子たちに剣が向けられようか。剣をもってでしか止めようのない王子たちを騎士が止めることはできなかった。 その意味でアウデンティースは騎士に同情する。彼らの傷になっていないはずがないのだから。ただ、マルモル個人は憎悪した。 アクィリフェルの無言の問いを解したマルモルを。それに呟きと言う形で答えたマルモルを。彼がアクィリフェルに心惹かれているわけではないと理解しつつも、この男を切り殺したくてたまらなかった。 「陛下。続きはどうなったんですか。ここまでですか?」 叩きつけるわけでもないのに、鞭打たれたかのようアウデンティースは顔を上げる。その目の前に炙り肉が差し出されていた。 「熱いですから。火傷をしても僕は関知しません」 そのようなことを言ってアクィリフェルは受け取れとばかり肉を突きつける。目を丸くし、アウデンティースは笑った。 「ありがたくいただく」 受け取って軽くではあっても頭を下げた。王の示した礼様に騎士がうろたえ、渋い顔をして結局は王に同調する。 「騎士殿もどうぞ」 王のよりは幾分小振りな肉を受け取ったマルモルはぼそぼそと礼を言った。ついでに態度に関して文句を言うのも忘れない。 が、アウデンティースの心を黒いものが覆いはしなかった。理解してしたことではないかもしれない。あるいはわざとかもしれない。どちらでもよかった。 アクィリフェルが示してくれた仕種。まるで堕ちていく自分を救い上げてくれたかのようなアクィリフェルの声。 「……熱いな」 滲み出しそうな涙を隠すために熱い肉に噛み付いてこぼす。当たり前だとばかりアクィリフェルが鼻で笑った。 「……兄たちが死んだあと、だったな」 「えぇ、そうですよ。話が長くてかなわない。簡潔に話す術を知らないんですか、陛下」 「貴様!」 「騎士殿、明日は火もなく獲物もなくていいんですね?」 にっこりと笑うアクィリフェルに一瞬アウデンティースは見惚れた。気にした風を見せずに目をそらすのは難しい。 「姉も死んだよ、その日のうちに」 だから話しを続けた。もしも憂鬱そうな顔を見られたとしても、話の内容が暗いからだとでも思ってもらえることだろう。 「自死だった」 アクィリフェルが言うより先に言葉を続ける。いっそう暗くなった話題にアクィリフェルが幻惑されてくれることこそを願う。 無論、アクィリフェルは騙されなかった。アクィリフェル自身は騙されたくてたまらなかったというのに、彼の耳はそこに真実を聞き取る。王が憂愁を帯びたのは、アクィリフェルが原因だと。今更だった。 |