アクィリフェルは意外に思っていた。そろそろ日も暮れようかと言うころになって、騎士たちが見つけてきた夜営にちょうどいい場所につく。 「驚きですね」 あの、騎士たちだ。夜営がそもそもできるのか疑問に思っていたアクィリフェルである。頃合の場所を見つけただけで充分な驚きになり、その思いに暗澹とする。 「夜営がか?」 騎士たちが準備に奔走している間、アクィリフェルは黙って眺めているのもいやなのだけれど、かといって騎士たちに混ざる気にもなれず、結果として王の側に立っている羽目になった。 「場所がです」 それだけで悟ったのだろう、王は騎士たちを眺めつつにやりとする。代わって答えたのはマルモルだった。先ほど聞いたところによると、この部隊の長であると言う。 「狩人は夜営の場所も見つけられんか」 豪快に笑って言うのだが、その中に半分の侮蔑と半分の朗らかさをアクィリフェルは聞く。癇に障る男ではあるが、悪い人間ではない、とアクィリフェルは思う。 「逆ですよ。場所を見つけられたことが不思議です」 「どうしてだ?」 「行軍の様子を見ていてそう思っただけですよ」 その答えにマルモルこそが腹を立てたらしい。アクィリフェルは不審を隠さなかったのだから。 「貴様!」 「よさんか、マルモル」 「は――。ですが、陛下」 「よせ、と言っている。一々アクィリフェルに口論を仕掛けるな」 「仕掛けているのは私ではなく狩人のほうですぞ!」 それにはアウデンティースも言葉を失くしたのだろう、暮れかかる空を仰いだ。アクィリフェルは隣で鼻を鳴らしてそっぽを向く。 気が重くてならなかった。どうして自分がこんなことをしているのか、たまらない気持ちになる。長い溜息をつけば、王は気づくだろう。だからアクィリフェルはじっと立つ。 「隊長!」 どうやら夜営の準備が整ったらしい。マルモルは天幕を張れないのをしきりに恐縮していたが、このような強行軍だ。はじめから王は快適な夜営など求めていない。 「ところで、騎士マルモル」 「なんだ、狩人アクィリフェル」 アクィリフェルの呼びかけに皮肉に騎士は言葉を返す。が、アクィリフェルはかまわず辺りを見回した。 「火はどうしたんですか」 それにマルモルはきょとんとした。ゆっくりとアクィリフェルの視線を追うよう辺りを見回し、それから慌ててもう一度見回す。 「火……?」 「一晩くらい温かいものが食べられなくとも文句は言いませんけどね、獣よけに焚き火はあったほうが賢明だと思いますが?」 「そのようなことはわかっている! 大体、貴様が温かいものを食えんでも一向に構わんが陛下がおわすのだぞ!」 「だったら焚き火はどこです?」 実ににっこりと笑ったアクィリフェルを、マルモルはできることならば切り殺してやりたかっただろう、とアウデンティースは笑いをこらえつつ眺めていた。 「た、焚き火は!」 あるはずがなかった。本当のところを言うならば、マルモルは火の用意など考えたことがなかったのだ。普段の行軍ならば、常に荷駄とともに小者が同行し騎士のための夜営の準備をする。騎士だけで夜営をしたことがない、とマルモルははじめて気づいた。 「火を熾す道具は持っているのでしょうね」 聞こえよがしの溜息をつき、アクィリフェルはマルモルに問いかける。騎士が語らなくとも表情を見ていて大方のところを悟ってしまっていた。 「それは……」 「つまり持っていないということですね。さて、いかがしましょうか、陛下?」 再び鼻を鳴らしてアクィリフェルはちらりと国王に視線を飛ばす。どう答えるか、興味もあるにはあったが、無礼な態度を取ることのほうに心を慰められて。 「つまりそれは私に薪を集めてこいと言うことだな、アクィリフェル?」 「どうしてそうなるんですか!」 「違うのか?」 不思議そうに言われてしまっては呆れるより先になぜか怒りがわき上がる。いまここに人目がなかったならば殴りつけていたことだろう。 「要するに、だ。アクィリフェル。お前は火をつける道具を持っているのではないのか。道具はあるから薪が欲しい、違うのか?」 「非常に残念ですが!」 声を荒らげ、そして言葉を切る。反論をしたい気持ちばかりが先走り、正論を言っている王に言葉がない。 「はっきり申し上げて、陛下! 国王が一々動かれるのは迷惑です。結構、僕が行きますから!」 自身が薪集めに行く、と言ったとき、騎士たちがどよめいたのをアクィリフェルは聞き取っていた。王自らが行動することに対しての恐縮が、一介の狩人への反感になって表れているのを。 「それならばアクィリフェル」 「できるんですか、あなたに。いえ、陛下に」 「できるから寄越せと言っている」 「結構。お願いしておきましょう」 言ってアクィリフェルは荷物を探り出す。本当は探さなくともすぐに見つかるところにしまってあった。が、そうでもしなければ気持ちの持って行きようがどこにもない。 「待て、狩人。貴様は何を言っている!」 「聞いていなかったんですか、騎士殿。僕が薪を集めてきます。まぁ、何人か、同行していただきたいですけどね、百人からに必要な薪を僕一人で集めてこいと言うのは無茶ですから」 「そんなことはわかっている! そちらではない、陛下に貴様は――」 「薪を集めてくる間に小さな火を作っておいてください、とお願いしましたが、なにか?」 火のつけ方も知らないのかこの騎士は、との嘲りもあらわなアクィリフェルだったが、そもそもマルモルはアクィリフェルが何を言っているのかも理解していない様子だった。 「もういい、アクィリフェル。行け」 「ではよろしく」 よろしくお願いしたくなどないのだ、と言う代わりにアクィリフェルは火口箱をアウデンティースに投げ渡す。かっとしたマルモルが何を言うより先、手近にいた騎士たちを誘って木立の奥に入っていった。 「陛下……」 なぜ止めたのだ、との思いを隠しもせずマルモルは王を見つめる。あのような無礼、放置して置けるはずがなかった。 「かまうな、と言っているだろう」 王は、それこそかまいもせず火口箱を開けている。中にしまってあったものを見て笑みが浮かんだ。 「陛下、それは?」 「火口箱を知らんのか?」 「それは……」 うなだれた騎士にアウデンティースは軽く手を振る。小者がいなければ火一つ熾すことのできない騎士、と言うのは困ったものだと内心で改善策を考えつつ。 「マルモル」 「は――」 「小枝が欲しい」 怪訝な顔をしながらも、マルモルは配下の騎士に命じて小枝を幾本か持ってこさせた。それをアウデンティースは取り分けている。 「何をしておいでですか?」 「乾いたものと生木を分けている」 答えてはもらえたが、マルモルにはアウデンティースが何を言っているのかがわからない。王はそんな様子の騎士を見て、心の中で長い溜息をついていた。 黙って火口箱の道具を使う。小さな鉄片を石に打ちつけ火花を散らせる。それを器用に火口箱に入っていた木屑に移せば、火種ができる。何度か慎重に息を吹きかければ、小さな火が燃え上がった。 「おぉ!」 マルモルが声を上げている。火がついた驚きなのか、国王がそれをした驚きなのか。できることならば後者であってもらいたいものだが、実情は前者だろう、とアウデンティースはまたも内心で溜息をつく羽目になる。 「できましたか」 不意にアクィリフェルが姿を現してマルモルは飛び上がった。 「貴様!」 「夜営地にいるからと言って気を抜いていいものですか、騎士殿? 僕が出てきたくらいで驚くようでは不安ですよ、とても」 「貴様! 覚えておれ、いずれ吠え面かかせてやるわ!」 「結構。どうやってくれるのか楽しみですよ」 笑いながら抱えてきた薪をアクィリフェルは地面に置く。その目は王が作った火を見ていた。 「どうだ?」 「意外と早かったですね」 穏やかに、笑いながら言うアクィリフェル。けれどアウデンティースは彼が笑っていないのを知っていた。表情だけが笑みを作っている。彼らしくはない、と言える自分が嫌だった。アクィリフェルをそうしてしまった原因を思う。 「もらいますよ」 王に作らせたにもかかわらず、アクィリフェルは一言断って小さな火を乾いた細い薪に移していく。ついで少し太いものに。次々と移され、次第にそれは立派な焚き火になった。 「騎士殿」 「なんだ!」 「火を移すことくらいはできるんでしょうね?」 「当たり前だ!」 憤然と言ってマルモルは王の前の焚き火から火を取っていく。騎士たちが集めた薪へと、その火を配って歩いた。 「どうして――」 マルモルがいなくなってしまったがゆえに生まれた空虚。はじめから二人の間には存在していた。索漠に誘われるよう、アクィリフェルは口を開いている。 「アクィリフェル?」 その声の響き。名の呼び方。王がアクィリフェルと呼ぶとき、アクィリフェルは首筋に冷たいものを感じる。まるで自分の体が削られていくようだった。 「火。どうして作れるんですか」 王宮の奥深くで育ったはずの国王。夜営などしたことがあるはずもなく、したとしても自分の手で火を作ったことなど決してないはず。 「私はシャルマークで育ったからな。知らなかったか?」 「どうして僕がそんなことを知っているんですか。知っていると思うんですか。あなたになんか、なんの興味もない」 叩きつけるように言ったつもりのアクィリフェルだった。だがその言葉は焚き火に吸い込まれたよう、熱を失っていた。 |