軍勢は、まるでお祭りの行進のよう華やかに街の中を進んでいった。民衆の投げる花が騎士の空色の外衣に降りかかり、馬の足に蹴られて舞い上がる。 騎士たちの揃いの外衣には近衛騎士の誇り、王家の紋章が施され、それを誇示するかのよう胸をそらして馬に乗っているのが少し、アクィリフェルにはおかしかった。 ちらりと見るともなく隣を見る。鎧の上にまとった外衣は黒。そこに大きく刺繍されているのは当然、王家の紋章、炎の鷲。その名に相応しく赤や金糸で刺繍された鷲の、槍を掴み襲い掛かる様は正に燃えるよう。豪華で、立派で、とてもあの戦士の面影はなかった。 「なんだ」 不意に小声で問われ、アクィリフェルはびくりと体をすくませる。真正面を見て民衆に手を振りながらそのようなことをするところはやはり、親子だと思う。 「……別に。なんでもないです」 見ていたことを悟られた驚きと不快さ。見ていたと気づいてしまった自分に対する嫌悪。 「どこにもいない人を探している自分が嫌いです」 呟きは民衆の歓呼の声に消された。掻き消えて、アウデンティースの耳には届かなかった。そのことにアクィリフェルは何より安堵する。 本当に、消えてしまいたいほど自分が嫌いになりそうだった。無意味に弓を握る。そうとでもしないと自分が保てない、とでも言うように。 「いいんですか」 今度は聞こえるように言った。言いつつ、こんな短い言葉でおそらくは通じてしまうだろうことが嫌になる。 「街の中で疾駆ができるか」 案の定、あっさりとした言葉が返ってきた。返事をされたことより、意味を理解されてしまったことのほうがやりきれない。 「不安ですか」 アウデンティースがではなく、民衆が不安に思うからか。嫌悪しつつ、アクィリフェルはそのように言う。万が一、他の誰かに聞かれたとしても困らないように。 「そう言うことだ」 王もまた短く答えた。だからアクィリフェルの考えは正しかったことになる。 今ここで王の軍勢が、少数とはいえ百人の近衛騎士を従えた国王が、王都ハイドリンを疾駆したりすれば何が起こるか。 ただでさえ混沌の侵略に怯えている民だ。国王が必ずなんとかしてくれると信じているからこそ、生活を保っている民だ。 そこを王の軍勢が駆け抜けていったりすれば。たちまちのうちに混乱が起こるだろう。いまにも混沌が王都を覆うのではないか。国王は民を捨て、どこかに逃げたのではないか。 そんな不安を抱かせてはならない。アウデンティースは端然と馬の上に座し、にこやかに手を振っている。 が、アクィリフェルの目にはその表情に焦燥が見て取れる。声を聞けば更にはっきりとする。一刻も早く街を出てしまいたい。今も自分の手を必要としている人々の元に、できる限り早く向かいたいと。 それでも行進は街の門を抜けてもまだ続いた。ハイドリンが見えなくなるまで、悠然と軍勢は進む。アクィリフェルが苛立つほど、行楽のように。 「行くぞ」 ハイドリンが遥か後方に消えて後、ようやく王の声がかかった。ほっとしたアクィリフェルは愕然とする。騎士たちが怪訝な顔をしたのだ。 「陛下?」 「急ぐ。遅れるな」 「は――。陛下!」 業を煮やしたよう、王は単騎で駆け出す。否、単騎ではなかった。一呼吸すらもおかずアクィリフェルは王の隣を駆けていた。 「いい腕をしている」 あっという間に早駆けに移ったアクィリフェルの手綱をアウデンティースは前を見たまま褒めた。その声に潜みもせず明らかになった焦り。 「別にあなたに褒められるためにやってるんじゃないですから。僕も、急いでるんです」 「そうだったか?」 「あなたに協力するんじゃない。あなたに協力させるんだって、言ったはずです!」 「確かに聞いたな」 からり、と笑った。笑い飛ばすことで己の焦燥を吹き飛ばそうとでも言うように。遅れた騎士たちが口々に叫びながら後ろについてくる音をアクィリフェルは聞いた。 「ずいぶん軽装ですね」 「騎士たちか?」 「他に誰がいるんです? 自明のことを一々言わないでください!」 「一々怒鳴るな」 「怒鳴らせているのはどなたですか!」 言い返し、アクィリフェルは口をつぐむ。不意に、虚しくなった。もういなくなってしまったあの男を錯覚した。 「アケル?」 突如としてアクィリフェルは手綱を放り出し、禁断の山に逃げ帰ろうとか考える。それでも歯を食いしばって言った。 「僕の名前はアクィリフェルだと申し上げたはずです」 「……ただの言い間違えだ」 「ほう、そうですか!」 ぎりぎりと歯を食いしばる音が、騎馬でなかったならば聞こえたことだろう。握りこんだ手綱に一瞬馬が驚いた。 「騎士たちのことだが」 まるで謝罪の声だった。アウデンティースのそのような声を聞きたくないとアクィリフェルは思う。 似合わなかった。同じ声、同じ男。同じ仕種、態度。それなのに、決定的に違う。ラウルスならば、アクィリフェルが愛した男ならば軽やかな謝罪の声は明るい笑いをアクィリフェルにもたらしただろうに。 「なんですか!」 聞きたくなくて、また怒鳴っていた。それにどのような声が返ってくるのか身構えたアクィリフェルに、けれど王は何も言わず前を見た。まるで何を言ってもアクィリフェルを傷つけると知っているかのように。 「軽装だと言っていたな」 「言いましたが?」 「……そうは見えなくて、疑問だった」 ちらりと横目で王は自らの騎士を見やった。アウデンティースの目には完全武装の頼もしい騎士たちに見える。 アクィリフェルはいったいどのようなつもりであれを軽装だ、と言うのだろうか。騎士たちの、板金を縫い付けた鎧に比べればアクィリフェルの革鎧のほうがよほど軽装に見える。 「アクィリフェル」 「僕の防具が疑問ですか? 生憎ですが、これはその辺の金属鎧よりよほど硬いんですよ。仲間の矢も、貫通しませんから」 「それはすごいな」 「当然です」 誇らしげに言ってしまってから、またも無言のやり取りが間に挟まっていたことに気づいてアクィリフェルは暗澹とする。 早く、どこかに行きたかった。こんなことから解放されて、いつもの山の生活に戻りたかった。この男がいないところならば、どこでもよかった。 「陛下!」 振り返れば、必死の表情のマルモルだった。馬が苦手な騎士などお笑い種だが、どうやらマルモルはその口らしい。 「どうかもう少し馬を――」 ゆっくり走らせてくれ、と言いたいらしいが、手綱を操るのに忙しく言葉にならない。アクィリフェルは口許に笑いが浮かぶのを抑えきれなかった。 「貴様、何がおかしい!」 仄かに浮かんだそれをマルモルに見咎められたらしい。アクィリフェルは肩をすくめて馬を駆る。そろそろ足を落としてやらねば、馬が持たなくなるだろう。 「このまま早駆けを続けるおつもりですか、陛下?」 マルモルに聞かれれば、彼の怒りが募ることはわかっている。それでもアクィリフェルはそうとしか言えなかった。 馬を労わってやれとか、このままでは自分たちの体も持たないだとか。言わなくとも通じてしまう忌々しさがアクィリフェルに憎まれ口を叩かせる。 「そうだな」 ほんのわずかのことだった。横目でアクィリフェルを見やったアウデンティースの口許に笑み。あのころの戦士をそこに見た気がしてアクィリフェルは咄嗟に目をそらす。 アウデンティースはそらされた目を、そこに痛みと憎しみを見たはずだ。それなのになぜか王は嬉しそうな顔をした。ほんの一瞬であったが、確かに。 「なにが――」 そんなにおかしいのか。問おうとしたアクィリフェルの言葉は遮られる。王は片手を上げ、軍勢の速度を落とさせていた。 ぜいぜいとした声は、馬の呼吸ではなく騎士のもの。これが近衛騎士だと言うのだから笑うより恐ろしい、とアクィリフェルは思う。 「平時が長く続いたからな」 騎士と言ってもこの程度だ、と王はアクィリフェルにだけ聞こえるよう言う。実情を知っていた王は平然としたものだった。 「名誉職と言うわけですか」 国王の最も近くにあり、時には盾となり、槍となりその身をもって王を守るはずの近衛騎士。それがこれでよいのか、とアルハイドの民の一人として、アクィリフェルは疑問に思う。 「実のところ、これが精鋭だ」 いずれ、名門子弟の名誉職なのだろう、と言う問いかけに返ってきた答えに、アクィリフェルは心の底からぞっとした。 「これが?」 並足で馬を歩かせながら思わずアクィリフェルはまじまじとアウデンティースを見つめていた。あの日以来、まっすぐに彼を見るのは初めてのような気がした。 少し、やつれたような気がする。忙しいからだ、とすぐさま心に言う。けれど答えは知っていた。 「長くアルハイドは平和だったからな」 「なんとも素晴らしいことですね」 「まったくだ」 騎士の鍛錬がどこまでできているものか。行軍についてくることができるのかアクィリフェルの不安は募っていく。こんなことを考えるのは自分の役目ではないはずだ。が、もしかしたらこれすらも自分の役目になってしまうのかもしれない。 「あなたは……いいえ、陛下は、ずいぶんと馬が巧みでらっしゃる」 言いなおしたアクィリフェルの心の奥が、アウデンティースには見えるようだった。だからあえてアクィリフェルをまっすぐに見る。 そらされることを期待して。ラウルスとアウデンティースの違いを見つけたアクィリフェルの目に憎しみが浮かぶのを願って。 「私を褒めてくれるのか。それは嬉しい」 鷹揚に、微笑んで見せる。王者の傲岸さを穏やかさで包めば、そのような顔になる。 ひくりとアクィリフェルの顔が引きつった。わななく口許が、引き締まる。言葉にはならず、アクィリフェルは目をそらす。 アウデンティースは満足していた。アクィリフェルは耳を閉ざしたかった。王が思っているよりずっと本心は声に表れていると、言うことができたならば。 |