手荒に持っていくものを寝台に投げ出し、それでも抑えきれない腹立ちにアクィリフェルは苛立っていた。 「なんなんだ、あの人は!」 丈夫な革の袋を寝台に投げつける。その拍子に荷物が転がり落ちて、よけいに腹が立った。 「どうして自分が動くんだ、国王のくせに!」 落ちたものを拾い上げ、もう一度投げつける。弾んだ小箱はアクィリフェルをからかうように再び落ちた。 「それが務めだからって、一々動かれたんじゃたまらないじゃないか!」 自分だけではない、臣下のすべてがきっとそう思っている。そう思う反面、それが王というものであるならば、宮廷はさほど動揺していないと言うことになるのか。 「違うよな」 最初の謁見のときのことを思い出す。王自らが探索に赴くと知ったとき、王子は驚いて止めていたではないか。 「おとなしく城にいればいいものを!」 何もかもが気に入らない。つまるところアクィリフェルは、国王が自分の側にいることが気に入らない。 「……懐柔なんて、絶対されてやらない」 呟いてみて、それが苛立ちの原因だと自分で理解できてしまうのがまた、腹立たしかった。 「あんな男、絶対嫌いなんだから」 歯軋りでもせんばかりに言い、アクィリフェルは革の袋に荷物を詰めていく。拾い上げた小箱は中を開けて中身に異常がないか確かめた。 「……よかった」 言いつつも、どことなく不満そうだった。壊れていれば怒りは募ったことだろう。それでも何事もなければそれはそれでむかむかとする。 「火口箱はよし、と」 近衛騎士隊が同道すると言うことは、間違いなく街道を通るのだろう。それならばこんなものは必要ではないかもしれない。 それでも万が一と言うことがある。アクィリフェルは山の狩人で、火のない恐怖はおそらく騎士の誰より知っている。 次々に必要なものを詰めていくのは手馴れたものだった。山にいたときのことを懐かしく思い出す。遠出をするとき。見張りにつくとき。いつでも身近にあった道具だった。 「よし」 アクィリフェルは荷物を担ぎ、防水を施した革の袋にしまったリュートを背に負う。それから弓を手にし、腰には矢を満たした矢筒をつける。左腰には小剣を差した。いささか珍妙な格好だと思わないでもないがリュートがあるのだから致し方ない。 「これがないと、どうしようもないからな」 肩を揺すり上げ、荷物を体に馴染ませる。それで出発の準備は終わりだった。すでに防具はつけている。もう、この部屋を後にするだけだ。 アクィリフェルはそれでもまだ留まっていた。一刻を争うのは、わかっている。それでも。 「……いや」 一度は悩んだ。手に取ろうかともした。けれどやはり、やめてしまった。否、できなかった。 あの壊れた髪飾り。これを機会に捨てようともした。持って行こうともした。いずれも、できなかった。 「僕にできるのは、ただうち捨てていくことだけ、かな……」 自分の声に潜んだ寂寥を聞き取り、アクィリフェルは身震いをする。ここで過ごした狩人の生活とは別な生き方への興味。それが終わることへの寂しさだと、思い込む。 「……わかってるけどね」 小さく自らを笑い、アクィリフェルはそのまま部屋をあとにした。自分が去ったあとも、いつまでもあの髪飾りは壊れたまま、あそこにあるだろう。それを思うと少し、なぜか心が和んだ。 「そんなわけないか」 アクィリフェルが滞在している間は自ら清掃をするからと言って人の立ち入りを拒んできた部屋だったが、アクィリフェルが発てばすぐさま下働きが掃除をするだろう。そのとき、あの髪飾りは捨てられてしまうだろう。 「……まぁ、いいか」 よくはない。そう思う。思うだけで、身動きが取れない。だから、忘れて前に行く。いまはメディナの地に急ぐこと。それだけを考えていたかった。 アクィリフェルが王宮に戻ったとき、逸早く彼を見つけたのはシンケルスではなく、ティリアだった。 「アクィリフェル。こちらです」 軽く手を上げて呼ぶものだから、妙に緊迫感がない。このような態度は嫌になるほどよく似た親子だ、とアクィリフェルは内心で苛立つ。 「王女様」 軽く一礼すれば、側に控えていたメレザンドが苦笑した。どうやら感情が顔に出ていたらしいとアクィリフェルは反省する。 「騎士たちが集まっているところに参りましょうか」 「教えてくだされば勝手に参ります」 「あら、そう? では、王宮の獅子の口から芍薬宮の横を通って、三の花園を抜けた先の薔薇の門の外、勝利の広場に集まっているわ。行ってらっしゃい」 「……王女様」 「なにかしら?」 「……よく似た親子だな、と思いました!」 憤然と言ってのけたアクィリフェルにメレザンドがついに吹き出す。睨み据えられたのを気にも留めずにひらりと顔の前で手を振った。 「無理ですよ、あなたが方向感覚に優れた狩人であったとしても。ご一緒しましょう」 「……ありがたく」 「いずれにせよ、ティリア姫様はお見送りにお立ちになりますから。姫様に同道なされるといい」 「できればそれを先に言っていただきたかったですね」 「それは失礼」 にっと笑ったメレザンドに、余裕のようなものを感じた。どうやら姫とメレザンドはあれから巧くいったのだろう。人の恋路に興味はないが、どことなく腹立ちを誘う、とアクィリフェルは思って苦笑する。 「よろしくお願いいたします」 もう一度姫に礼をすれば、軽やかにうなずき、同じほど軽い足取りでティリアは歩みだす。これから王が危険かもしれないところに行く、とは考えていないのか。アクィリフェルは疑問に思った。 「アクィリフェル」 小さくティリアに呼ばれた。前を向いたまま振り返りもしない。それに傲岸さを感じはしなかった。むしろ、恐怖を感じる。だからアクィリフェルもまた前を向いたまま視線を動かさず答える。 「なんでしょうか、王女様」 「……あなたにお願いすると、きっと怒らせてしまうとは思うの。でも、あなたにしか頼めない。聞いてくれますか」 「――そういうのをなんというか知っていますか」 「いえ、生憎」 「卑怯と言うんですよ、王女様」 はっとしたメレザンドの気配。ティリアが無言で止めていた。態度一つ、指先一つで。そのことにアクィリフェルは強く意識する、彼女の父を。国王アウデンティースを。 「そうでしょうね。あなたには拒否できないのだから。でも、お願いするわ」 「……聞きましょう」 「もうおわかりでしょう? お父様をお願いしますね、アクィリフェル。いまこそアルハイド王が立たねばならないときだとは、わかっています。否定はしません。それが務めと理解もしています。わたくしが同じ立場にあったら、お父様と同じことをしたいと思ってもいます」 ティリアは言い、一度言葉を切った。もしものとき、父と同じことが果たして自分に本当にできるのか。そう自らに問い直しているようアクィリフェルには感じられた。 「ですけれど、わたくしは一人の娘として、父の無事の帰りを祈ってもいます。わたくしが男であれば父と共に戦うこともできたでしょうに」 「王女様が男性であったなら、国の乱れの元かとも思いますよ」 「あら、あなたの耳にまで?」 「……つい最近、聞いたばかりですが」 むっつりと答えるのは、ティリアが笑っていたせいだ。馬鹿な噂を笑い飛ばしているようで、アクィリフェルは子供扱いされた気がしてならなかった。また彼女の後ろに父親を見た。 「誰より弟たちはわたくしの心を知っています。だから、大丈夫なのよ」 「そうなのですか?」 「ここからメディナは遠いわ。一息で駆けることができる距離ではないもの。夜にでもお父様に聞いたらいいわ。きっと話してくださるから」 「ごめん被ります!」 きっと言って睨みつけたけれど、それすらもティリアは予想していたのだろう。軽やかに笑って口許を指先で押さえた。 「ごめんなさい、お節介をして」 「ご理解なさっているのならば、今後は慎んでいただきたいものです!」 「アクィリフェルはずいぶんと怒りんぼさんね。額に皺がよるわよ」 「幸い容貌に気を使わねばならない女性とは違いますので!」 「男性でも気を使ったほうがいいわ。せっかくの綺麗な赤毛なのに、もったいないもの」 ティリアはわざとやっているのではないか。アクィリフェルは束の間、彼女を疑った。横目で見やり、その表情を窺う。少しもわからなかった。 思えば彼女の父親にしてもそうだった。言いたくないことがあるとは言っていたし、隠し事をしているともわかっていた。不思議な人だったし、掴みどころのない男だった。 「……一応、念のために伺いたいのですが、王女様」 「なにかしら?」 「いまのはわざとですか。それとも――」 「あぁ、お父様も褒めてらしたのね? 意外なお好みだとは思ったけれど、でも綺麗だもの」 「意外?」 はぐらかす気なのか、それとも知っていてやったのか、アクィリフェルにはわからなかった。それよりつい問い返してしまったことを後悔する。 「あなたに言うことではないと思うけれど――」 「姫様」 「お父様のことですもの、アクィリフェルにお母様の話をしていないとは思えないわ。そうでしょう、メレザンド伯」 止めようとしたメレザンドにそう言ってティリアは首をかしげてアクィリフェルに微笑みかける。根こそぎ気力を奪われそうになった。あまりにも、父親に似ていた。 「あなたはお母様とはずいぶん印象が違うわ。それが意外なの。お母様はもっと繊細な方でいらしたから。あなたは違うでしょう?」 「風にあたったら萎れてしまいそうな、ですか?」 「えぇ、本当に。そんな方だった――」 遠くを見つめるティリアの目に懐かしさをアクィリフェルは見た。アクィリフェルは失念していた、否、忘れたかった事実を目の当たりにする。ティリアはその女性を母とし、あの男を父とした娘なのだ、と。二人の間に生まれた娘なのだと。 |