妖精族は長命。そんな話は子供の頃にいくらでも聞いた。アクィリフェルのお気に入りのお話は、とても綺麗な妖精の女王の話だった。もっとも、禁断の山では妖精郷、とは呼ばないのだが。 だが今の自分は、とアクィリフェルは思う。あのころの小さなお伽噺を喜ぶ子供ではない。大人のアクィリフェルは知っている。長生きだからと言って誰もが賢いわけではないことを。それならば老人はみな賢者だ。 「不満そうだな」 表情の読みにくい顔をしていた、アウデンティースは。それが自分といるせいなのか、それともシンケルスがいるからか、あるいは事態の複雑さからくるものなのか、アクィリフェルは強いて考えない。 「正直に言えば不満ですね。長命だからと言って、なぜです。相手は異種族ですよ。そこまで信用する気になれませんね、僕は」 どこまで自分の本心か、アクィリフェルは口にしながら自分を疑う。それほどはっきりとした思いではなかったものを。 「異種族だろうが親の敵だろうが、この場合は信用できる」 「ほう? もちろん御説明くださるんですよね、偉大なる陛下? あぁ、いえ、愚昧なる民ですからね、僕は。わざわざお言葉をかけるには値しませんか?」 「アクィリフェル!」 賢者が珍しくも声を荒らげる。が、アウデンティースは苛立ったアクィリフェルに目も向けず、ただシンケルスに苦笑して彼をなだめた。 「説明などするまでもないと思うがな。お前にもすぐにわかるだろう」 「不幸にも僕は――」 「いいから、聞け」 口を挟もうとしたアクィリフェルを遮り、今度はそちらに向けて苦笑する。軽く顔の前で手など振っているものだから、まるきり深刻には見えなかった。 「アクィリフェルに尋ねよう。お前はどこに住んでいる?」 「は? 僕は禁断の山の狩人だと申し上げたはずですが?」 「では禁断の山はどこにある?」 「どこと問われても……都からだと北のほうですね」 「もっと大きな目で見ると?」 にやりと王が口許に笑みを作った。思わず見つめてしまいそうでアクィリフェルは目をそらす。そらした先でシンケルスが笑みを含んでいた。 「大きな目ですって? はいはい、そうですね。禁断の山はアルハイド大陸にありますよ」 苛立ちを隠そうともせずいい加減な答えを返した。が、アウデンティースははっきりとうなずく。 「そのとおり。では妖精はどこに住んでいる?」 「さっき陛下は……」 「気がついたな?」 口ごもったアクィリフェルに彼は厳しい目を向けていた。笑っていると思ったはずの自分をアクィリフェルは驚きと共に自覚する。 「……同じ、アルハイド大陸に住んでいる」 「そう言うことだ。この大陸が混沌の侵略によって滅ぼされれば、妖精族の明日もない。と言うことは確実に手を結べる」 「――意外ですよ」 「なにがだ?」 「全部ご自分の手でやりたいのだと思っていましたから」 投げやりに言ったから、間違いなくアウデンティースはアクィリフェルの本心を知っただろう。何をもってしても混沌を止めたいと願う彼の気持ちを。 「できることとできないことがあるからな、この世には」 肩をすくめたアウデンティースの言葉の裏、否、その響きにアクィリフェルは彼が口にしなかったことを聞き取る。恋一つ、ままならないと。 「では、陛下。是非とも早急に使者の件を」 なにを感じたのか、シンケルスはそう言って頭を下げた。はっとして姿勢を正したアクィリフェルに向かい、賢者はかすかに微笑みかける。それからまた真面目な表情を作った。 「それから、陛下……」 ためらいの後、賢者はアクィリフェルを凝視した。一度はっきりと唇を噛む仕種が仄かな明かりの中に見えてアクィリフェルは驚く。 アウデンティースもまた、驚いていた。賢者の中では快活なほうではあるが、それにしてもここまで内心を窺わせることは珍しい。 「シンケルス、この際だ。修辞を気にしている場合ではない」 「は……。アクィリフェル。誓いを」 「はい?」 「これから私が口にすることは、決してこの三人以外に漏らさないと」 端的な言葉にアクィリフェルは気圧された。先ほどの賢者のよう、強く唇を噛んで思わず王を窺う。アウデンティースは励ますよううなずいて、そして目をそらした。 そらされてはじめて自分が彼を睨みつけていたのだと気づき、アクィリフェルは少しばかり後悔する。それでも口にはしがたくて、賢者を見てうなずくばかり。 「……僕の弓と、狩人の誇りにかけて誓います」 「結構。では、陛下に申し上げます」 「なんだ?」 答えた声は硬く強張りひび割れていた。アクィリフェルの耳はそれを聞き取り、耳を閉ざしたくなってしまう。これでもかとばかりに彼を痛めつけている自分が嫌いになりそうだった。それでも許す気にはなれなかった。 「根拠は何もありません。私の勘とでも暴言、讒言の類とお考えになってもかまいません。ですが、あえて申し上げます」 シンケルスは一度大きく息を吸った。賢者にして、ここまで言わせるものが何か、アクィリフェルも、またアウデンティースも空恐ろしい心地がしている。 「どうぞ我らが長、スキエントにお気をつけくださいませ」 「……勘の内容を説明してもらおうか」 王が言葉を失ったのは、ほんの一瞬だった。アクィリフェルは自分が立ち直るより先に彼が立ち直ったのを腹立たしくも思う反面、感嘆もしている。それにまた苛つきはしたけれど。 「勘なので、なんとも。ただ……このところご様子がおかしいのは、確かです。妖精の助力を仰ぐのを阻害した件しかり、そもそもこれなるアクィリフェルを導き手として認めまいとしたこともしかり。何かに囚われている、そのような気がしてなりません」 「それは私も感じていた」 「陛下も!」 ほっとしたよう長い吐息を賢者は吐いた。自分が長に向ける疑いが、あるいは自らの嫉妬ででもあるかのよう感じていたのだろう。 そう悟ったアクィリフェルは内心で苦々しい思いを抱く。まるで、自分のことのようだった。疑い、戸惑い、解く気のない怒りを抱いている自分。今シンケルスはどれほど安堵していることだろうか。 「それならば、是非このこともお心に。どうか姫様にお気をつけを」 「ティリアか……」 「まさか陛下、ご自分の娘をお疑いになるんじゃないですよね。愛する王妃様がお生みになった愛しい姫君を?」 「そう棘のある言い方をしてくれるな」 「棘なんてありません!」 「そうか? どうにも私は茨の茂みにいる気がしてならんが」 からかうように言われ、アクィリフェルは思わず手を握り締める。すぐ側でシンケルスの小さな笑い声が聞こえた。 「アクィリフェル。陛下は姫君をご信用なさっておいでだ。一度は最も玉座に近いと宮廷中に言わしめた姫君だから」 「それならばよけいに危険視するものでは? いつ王冠を奪われるか、わからないじゃないですか」 「たとえばこれが貴族であるか、有力な商人の家であるならばそのとおり。ただしこと王家に限っては違う」 「どこがですか、賢者様」 「アルハイド国王の王冠をその頭上に戴くものは、この国に住むすべての民のために尽くすもの。一朝事あれば、自らの私生活はおろか、その生命すら省みないことを求められるもの」 ゆるりと賢者は国王を振り返り、丁寧に頭を下げる。 「ここにおわすはその資格を満たし、自覚し、行動する勇気をもった方」 「……国王一人に、全てを負担させるんですか、この国は。知りませんでしたよ、僕は。国王に守護の義務があるのなんて当然です。民を守るためにいるんですから。でも――」 「アクィリフェル?」 「僕はこの王が嫌いです。えぇ、大っ嫌いですとも! でも、でも! たとえどんなに憎くとも、誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて、そっちのほうがもっと憎い!」 「待ちなさい、アクィリフェル――」 「どうしてですか。生命を差し出せ? よくそんなことが言えますよ。のうのうと被害のないところにいて、そんなことを言うんですか! 僕は――」 激高するアクィリフェルの腕が掴まれた。思わず振りほどきかけてはっとする。アウデンティースが、掴んでいた。 「……そう思ってくれる民が一人でもいるならば、私はこの命をかけることにためらいはない。なんの惜しいことがあるものか」 アクィリフェルの耳は聞く。ラウルスは言う。お前一人を守れるならば、この生命を差し出すことに悔いはない。国王の声の裏側で、彼は言う。 「……あなたが死んで収まるものとも思えませんね」 「まったくだ。そこでティリアだ」 「どこですか!」 「ティリアは、すでに王冠に充分すぎるほど相応しい。仮に今すぐ私がいなくなったとしても、国になんの不安もない。ティリア自身、それを自覚している。だがティリアは王冠を望んではいない。時至れば弟に玉座を明け渡すだろう。だからこそ、私は探索に赴ける。わかるか」 「いまここでわざわざ王女様がことを起こす必要はない、と言うことならばよくわかりました」 「そのとおり」 「ですが、それって信用してるって言うんですか。僕には理解できませんね!」 叩きつけるよう言い、アクィリフェルは掴まれたままの腕を振りほどく。 「アクィリフェル。だからこそ我々は、陛下に帰ってきていただきたいのだ。無事に探索を終えられ、この国を長く治めていただきたい。このようなお方であるからこそ、強くそう願う」 憤懣やるかたないと体中で訴えるアクィリフェルにシンケルスはしみじみとそう言うことでなだめようとしているようだった。が、その程度でなだまるアクィリフェルではない。諦めてシンケルスは王に一礼し、そそくさと出て行ってしまう。 「邪魔をしたな。遅くに騒がせて、すまなかった」 それを機に、落ち着かなくなった様子のアウデンティースもまた窓の側へと移動した。やはり、窓から帰るつもりらしい。 「待ってください」 本当は、呼び止めたくなどなかった。できるだけ早く視界から消えて欲しかった。自分でなにを口走るか、わからなくなりそうで、怖い。アクィリフェルは内心の思いなど押し殺してアウデンティースを見つめた。 |