玉座の間には多くの人々が集まっていた。不安そうな貴族たち、訝しげな神官たち、無論のこと賢者たち。 「これはお珍しい」 貴族のひとりが賢者団を見渡してそう言った。その声を聞きつけたものが彼らを見てはじめて気づいたよう吐息を漏らす。 賢者団の中央、ひときわ年老いた男がいた。老いやつれているのではない、確かに老いてはいた。が、力強い老いだった。 まるで身につけた知識が光を帯びて彼を輝かせているかのようなその老人こそ、賢者団の長・スキエントだった。 「ファーサイトの山から下りてくることはないと聞くが……?」 「この謁見は賢者団が申し込んだものだとか」 「はて、いったい何事か?」 「あれですか、やはり」 雑談の声がはたりと止まる。このところでは例の混沌の侵略とやらも止まっているらしいが、いつ何時また進みはじめるかわからない。 そして災いがこのまま止まるとは誰も思っていなかった。その恐れが言葉を閉ざさせる。まるで言葉によって引き起こされはしないかとでも言うように。 「スキエント殿」 しん、と目を閉じて王の出座を待つスキエントに話しかけたのは神官の一人だった。 「あなたは?」 ゆっくりと開いていく目が何者をも見通すようで、ここに集まる他の誰かであったならば長くは彼の凝視に耐え得なかっただろう。だが彼は揺るぐことのない信仰を持った神官だった。 「フィデスと言います」 「あぁ……あなたが」 「えぇ、神託を授かったのは私でした。偶然のことですが」 謙虚に言い添え、けれどフィデスは自らの信仰の篤さを隠しはしなかった。それをスキエントがどう感じたかは、彼にはわからなかったが。静寂のままスキエントはフィデスを待っていた。 「――賢者団はなにを、お見つけになられましたか」 「なにを、と? いまだ見出してはおらぬ、としか」 「では――」 「浅慮はお慎みあれ。全てが終わってみてこそ、知識として蓄えることができるもの。今の段階では何を語ることもできませぬ」 その言葉にフィデスは軽い不快を覚えた。わからぬならば黙っておればよいものを。言葉にすればそのようなものかもしれない。 神官の常として宮廷政治に関わってはいなかった、フィデスは。そのフィデスにすら聞こえてくる王の多忙さ。 混沌の侵略から国を、民を守ろうと日々苦闘する王の姿を耳にするにつけ、痛ましい思いでいたのだから、その不快も当然のものだった。 正式の謁見などに時間を取らせてよいはずはない。賢者団ならば、神官が許されているよう内々の面会ができるはずだ。なぜそちらではなく、このような大掛かりなものを選んだ。フィデスの疑問を目から読み取ったよう、スキエントが口を開いた。 「我が意ではない、とお心得願いたい」 苦々しげな声だった。その意を問おうとしたフィデスを遮るよう、後ろに控えていた賢者団の一人が咳払いをする。 「重大なことを私は見つけた、と思っております」 スキエントに比べれば孫のように若い賢者だった。だがどの貴族より老いた目。知識が彼に深い目をさせていた。 「それは――?」 フィデスがそちらに問おうとしたとき、侍従長が長い杖を手に現れる。それだけで静まったものを、けれど彼は杖を三度床に突き静粛を求めた。 「アルハイド王国の守り手。猛き鷲にして力強き翼、大いなる慈愛と慈悲持つ民の守護者、いと高き我らが国王、アウデンティース国王陛下!」 朗々としたその声の余韻と共に国王が姿を現した。一同があるいは片足を引き、あるいは腰をかがめ礼を取る。その中で一瞬、誰かが一人、息を飲んだ。 「ファーサイト賢者団より、陛下にご報告がございます」 侍従長はそう言い、一歩下がった。ゆるりと礼をし、そして賢者を促す。その間にアウデンティースは玉座に腰を下ろしていた。 「賢者団」 そもそもこれが誰の発案なのか、アウデンティースは知らされていなかった。おかげで賢者団、と呼びかけるより他にない。それが不快だった。 それを感じたわけでもなかろうが、賢者たちはおずおずと譲り合っているよう見えた。ちらりと眼差しを交わす先にいるのは誰か、とアウデンティースは目を動かさないままに見て取る。 内心で笑い出しそうになった。耐え切れず、顔色ひとつ変えず、心の中でだけ大笑いをする。もっとも、王の最も近くにいた三人の子供たちは父の表情の微妙な変化に気づいたようだったが。中でもティリアは確実に気づいた、そうアウデンティースは悟って口許を引き締める。 「強き翼にて我らに守護を賜います金の鷲、アウデンティース王に申し上げます」 進み出たのはフィデスを遮った賢者だった。アウデンティースはそれとは知らなかったがわずかに興味を覚える。王でなかったならば気づかなかっただろう。スキエントがかすかに強張った顔をしていた。 「ファーサイト賢者団の末席に名を連ねます、シンケルスと申します」 そこで賢者は一礼した。わずかに王の言葉を待つようだったが、ないと見て取るや懐からいったいどのようにしまっておいたのか問いただしたくなるほどの紙の束を取り出す。 「これは――いままで陛下にもご覧いただいた予言書の写しにございます。我らは今まで解釈違いをしていたのではないかと……」 「シンケルスの言葉の誤りを正させていただきたい。――陛下」 不意に進みでしたのはスキエントだった。興味深い表情をして神託の神官フィデスが彼らを見ているのを王は心に留める。 「なにか」 感情をこめずに言えばそれでこそ国王陛下、と半ば侮ったかのような表情がスキエントに浮かんで消えた。そんな気がしただけかもしれない。 「古語にて記された予言書の語句における解釈違いではなく、単に検証を重ねておっただけのこと。予言書の一節を、シンケルス」 「――。赤き鷲の導き手、雅なるかな五弦琴。王たる鷲の黒き剣、朝陽のごとく鋭し」 「いまシンケルスが読み上げた箇所こそ、問題でした。五弦琴、これは歴然とリュート表す。王たる鷲は恐れ多くも陛下、御身がこと。黒き剣以下はいまだ明らかならず」 「ならばなにが明らかになったのか。疾く申すがいい」 「無論、赤き鷲の導き手がこと」 切りつけるようなスキエントの声に一同がざわつく。片手を上げて王はそれを静めた。いささかの無礼など、混沌の侵略に比べればなにほどのこともない。 「当初、鷲の導き手すなわち古語におけるアクィリフェルとは陛下にこそふさわしい言かと我らは解釈しておりました」 ほんのわずか、頭が動いたかどうかの礼をスキエントはした。アウデンティースは見なかったかのよううなずきもしない。 「まず、そこが間違って、否、検証の足らぬ箇所。陛下ご自身ではなく、陛下を表す隠喩であるところの鷲を導く者と解釈せざるを得ないのか。導くとは何か。そして何に導くのか。そもそも導くと言うべきか」 「我らが長は案じております。導き手、と申しましたが予言書は古き言葉にて書き記されるもの。我らにもわかりがたい箇所がいくらでもございます」 「導き手、と読み直したはシンケルス。この身はいまだ鷲の操り手、と読みたい」 「どう違うか」 「まったく違うではありませんか!」 声を荒らげ、はじめてここが玉座の間であったのを思い出したかのようスキエントは咳払いをした。侍従長が賢者の長を小さくたしなめた。 「赤き鷲の操り手と解釈するならば、すなわちそれは猛き鷲、陛下ご自身が我ら迷える民の弱き心を操り、強き民へと変貌させてくださるのではないかと読める。だがしかし導き手とはいかに。陛下が導かれると? 陛下、御身がいったい何者に導かれる必要がありましょうや? この賢者の長にしてかく愚考する次第」 「これは珍しい。賢者殿が愚考とは」 アウデンティースのかすかな嘲りにスキエントは気づかないようだった。苛立ちがさせたことではあったが、アウデンティースは後悔する。言葉遊びをしている場合ではない、と言うのが賢者団にわかっていないはずはないのだが。 「すでに陛下のお耳に達しましたよう、神託が下っております」 そう言ってスキエントは背後のどこかにいるはずのフィデスを手で示した。傲慢な仕種ではあったが、フィデスは意に介した風もなく、完璧に宮廷作法に則った礼をした。 「スキエント、それに関しての賢者団の見解は」 「このことも予言書に書かれていますれば、我らにとってはすでに真実」 きっぱりと言い、スキエントは顎を上げた。そのことでアウデンティースは確信した。スキエントは自ら口にしたほど確証を持てないでいる。それを心に刻み続きを待った。 「時は迫っております。ここはシンケルスの解釈であっても致し方なし。拙速は時に巧遅に勝るでしょう」 「とはいえ、鷲の導き手というのはどういうことか。それは人か、物か。人ならばすでに賢者団は何者かを見つけているのか。物ならばそのものを手にしているのか。拙速ならば拙速にしてもやりようというものがある。あるいはその人物なり物品なりを私が見つけ出すところからはじめねば、この災いは収まらないのか」 それならばそれでアウデンティースはかまわなかった。できることがあるならば、全てを為したい。この身に備わった全てのものを民の平穏に捧げたい。最後の血の一滴まで捧げつくし、そしてなお捧げるもののないことを嘆くのが、アルハイド国王のあり方だった。歴代、いつの時代であっても。そしてアウデンティースもまたアルハイド王だった。 「陛下はすでにその御深慮にてお言葉にされました。陛下は探索をされなければなりますまい。さもなければこの災い、神託によれば混沌の侵略を鎮めることは叶いますまい。ただ――」 言葉を切り、今では疑わしげな目つきを隠そうともせずスキエントはシンケルスを見やった。そのシンケルスは長の目に怯まず背後を振り返る。そして何者かを手招いた。 「ファーサイト賢者団はすでにこの者を見出しております」 アウデンティースは微動だにしなかった。だが彼の娘だけは気づいた。父が心の中で叫びを上げたのを。まるで恐怖の絶叫だった。 「何者にも弾き得なかった鳴らないリュートの弾き手、この者こそ予言書に言う五弦琴の弾き手。すなわち赤き鷲の導き手」 スキエントの冷ややかな視線と、シンケルスの熱意ある口上の元、進み出たのは燃えるような赤い髪をした禁断の山の狩人。アケルだった。 |