腕を組んで都の城下町を歩きながらアケルは自分自身に驚いていた。正直な感想を言うならば、いまでもとても恥ずかしい。人々の視線が自分たちを注目して笑っている気がする。気のせいだとわかっていてすら。 それでもアケルはラウルスの腕を離したくなかった。自分の腕に、彼の温もりが強く伝わってくる。首をかしげれば彼の肩を感じる。並んで歩いてみて、はじめてずいぶんとラウルスの背が高い事に気づいた。これならば易々と自分を腕に抱いてリュートを教えられるわけだと今更ながらの事実にアケルは小さく笑った。 「それで、アケル?」 アケルの笑みを感じたかのようラウルスの声も朗らかだった。この先になにが待っているのかわからない。それがたとえようもなく面白かった。 「手頃なものを売ってるあたりって、どの辺ですか?」 「そりゃ、手頃ななにかよるけどなぁ。例えば?」 「身につけるものです」 「着るものとかか?」 怪訝な顔をするラウルスに、言ってしまってもよかったけれど、あえてアケルは隠し事をする。そのほうがあとで彼が喜ぶ気がした。 「いえ、そうじゃなくて……」 言葉を濁せばラウルスの眉が顰められる。その表情にアケルはやはり隠していないで言ってしまおうかと思った。が、ラウルスの口許がすんでのところでほころんだ。 「装飾品の類か?」 にっと笑って今度はあっているかと問うラウルスにアケルも笑う。こくりとうなずいてラウルスの案内を待った。 もっと話したいことがある。歩きながらアケルは思っていた。それなのにこうして黙って歩いているのが心地良い。あえて沈黙を破った。 「ラウルス」 「うん?」 「……つまらなく、ないですか?」 「なんでだ? お前と一緒にいてつまらない? ありえないな」 間違ってもそんなことは思っていなかった。言葉の外側で言うラウルスにアケルはほっと息をつく。 「お前だってそうだろ。……もしかして」 「違いませんから! あなたって人はどうして人が気分よくしてるときにそういうことを言うかな」 「だってなぁ。そりゃ、まぁ」 「はっきり言ってください、はっきり!」 「不安だよ、俺だって」 お前もではないのか。また、言葉の向こう側から声が響いてきた。聞き取ったアケルは返す言葉を失う。 そのとおりだ。アケルの心の内側でもう一人の自分が言う声を聞いていた。ラウルスのことが知りたい。彼の素性ではなく、いま彼が何を感じ、何を考え、自分のことをどう思っているか。この時間を、楽しんでくれているのか。 「僕は、あなたに無理強いをしてるんじゃないですか?」 絞り出したアケルの声にラウルスは一瞬、足を止めた。馬鹿なことを言うなとばかり強く腕を引く。引き寄せられたアケルはすがりつくよう、頬をラウルスの肩にあてていた。 「忙しいって、言ってたじゃないですか。無理に、付き合ってくれてるんじゃないんですか」 「人の話は聞けって。何度言ったら覚えるんだ、お前は」 「ラウルス!」 「息抜きくらいさせろって。お前といたいからこうしてる。疑うなよ」 「だって!」 「アケル」 顔を、覗き込まれた。ラウルスの猛禽のような目が自分を鋭く射抜くのを感じアケルは瞬く。間違っていた。ラウルスはただ見つめていた。鋭い目ではあったけれど、宿る色は柔らかい。 「お前に惚れてる。それだけは、疑ってくれるな」 「疑ってなんか……」 「お前がいい。アケル」 なんという真っ直ぐな言葉だろう。アケルはどう言葉を返しても嘘になる、そんな気がした。いまここにリュートがあったら。はじめてそう思った。リュートがあれば、彼に奏でられる。自分の思いも感情も、何もかもを音に乗せラウルスに差し出せる。 「お前の気持ちも知ってるつもりだよ、俺も」 まるでアケルの内心を見抜いたかのようだった。けれどラウルスはそれ以上何も言わず、もう一度腕を組みなおしてアケルを誘う。 繁華だと思っていた街が、いっそう繁華になった。アケルは驚いて辺りを見回していた。 「城から離れれば、それだけ庶民の町に近づくからな」 「だから?」 「高いものより手頃なもの。飾り物より日々の生活」 なにかの標語だろうか。そんなことを言ってラウルスは笑った。アケルは戸惑って彼を見上げる。 「でも、それじゃ……」 「日々の生活に追われる人だってちょっとした装飾品なんかは買うぞ? 貴族連中が買うものとは違うってだけだ。値段の桁がな」 ラウルスの言葉にほっとして、いかに自分が街のことを知らないか、アケルは思えば恥ずかしくなってくる。 ただきっと、ラウルスは山を知らない。禁断の山のことならば、ラウルスにどんな場所でも案内できる。綺麗な花が咲く場所も、見晴らしのいい丘も。素敵な風が吹くところも知っている。 「ラウルス。いつかあなたの用事が済んで、時間ができて気が向いたら」 そんな言葉でアケルは気持ちを隠した。本当は、望んでいる。今すぐラウルスを連れて行きたい。自分だけの目の届くところにおきたい。そう思った自分がいることに、アケルの唇から力ない笑いが漏れた。 「――もしもそのときあなたが望むなら、禁断の山を案内してあげてもいいです」 アケルの言葉についにラウルスが吹き出した。腕を組んだままくつくつと笑うものだから歩きにくくてならなかった。それ以上に、不快だった。禁断の山の狩人の言葉として、これ以上のものはない。それなのに、笑われた。 「もういいです!」 「ちょっと待てって! 違うって。お前って本当に可愛いなぁ。――だから! こんなところで怒鳴るな!」 「まだ怒鳴ってません!」 「怒鳴る気満々だっただろうが。あのな、アケル。誤解だって。知り合ったばかりのころのお前からはいまの言葉は絶対に想像できなかったな、と思ってな」 「わかってないくせに!」 「かもな。でも、想像はできる。禁断の山の狩人は、山に入った人間を追い払うものなんだろう? その狩人のお前が案内してくれるって? 俺には途轍もない好意に思える」 あまりにも滑らかに、戸惑うことなく言われた言葉。アケルはじっとラウルスを見ていた。驚きと共に。 「あってるだろ?」 覗き込んで言われても、うなずくことしかできなかった。この男は、よもや禁断の山の狩人を他に知っているのか。あるいは、狩人の存在そのものを詳しく知っているのか。 「お前の考えてることだから、わかる。それじゃだめなのか? 俺がお前以外の狩人なんか知らないって言って、信じるのか、お前は?」 「どうして!」 「わかるか? ちょっと考えろよ、アケル。好きな人がなに考えてるか、色々想像しないか、お前は?」 「しますけど。でも僕にはあなたが考えてることがよくわかりませんから」 むっつりと言って、気づいた。あまりにも馬鹿馬鹿しい会話に。互いにどちらが相手のことを好きか言い合ってるだけだった。 「なんだか、僕はあなたとずっと言い合いをしてる気がします。それも馬鹿馬鹿しいことばかり」 「でもけっこう楽しいよな?」 「実に忌々しいですけどね」 ぷい、とそっぽを向いて、けれどアケルは首をかしげた。肩に添えられるアケルの頭を支えて歩きながらラウルスは忍び笑いをする。 「ほら、こんなところでどうだ?」 もう少し、こんな会話を楽しみたかったけれどアケルの目的地についてしまった。残念だと自分が思えば間違いなくアケルもそう思っている。その確信がラウルスにはある。 「えぇ、ちょうどいいんじゃないかと思いますよ」 熱のない口調に確かなものをラウルスは見た。また忍び笑いをしたくなるのをこらえて店を見る。 露店と大差ないような店だった。精一杯清潔にした布の上にずらりと、と言うよりはざらざらと商品が並んでいる。むしろ、転がっている。指輪あり首飾りあり、他にも色々とある。小金を持った人間が金を装飾品に変えて持っておくためにあるような店だった。貨幣はかさばるが、装飾品なら小さくて済む。 「いらっしゃい」 愛想のよさが胡散臭さをわずかに上回っている店主が言う。二人連れににんまりと笑った。アケルは店主の視線に気づかず熱心に商品を見ていた。 「なにが欲しいんだ?」 店主の代わりにラウルスが問えばアケルは苛立たしそうに彼の腕を離して手を振る。肩をすくめて店主を見やりラウルスは呆れてアケルを見守った。 「これ……どうです?」 アケルが選び出した指輪を手に取り、日の光にかざす。中々綺麗なものだった。 「これはこれはお目が高い。ま、少々値は張りますがね。でもその価値はありますとも!」 ほくほく顔の店主が示した値にアケルはうっかりうなずくところだった。ラウルスが止めなければ。 「おいおい、それはないだろ? ずいぶん赤い真鍮じゃないか。あんたの値段は高すぎる」 ずい、とラウルスが乗り出した。アケルは意外な思いで彼を見ている。なぜとなく、交渉ごとは苦手のように感じていたし、そもそも買物をするのに交渉が必要だとは思わなかったせいもある。 「石も、これは硝子玉だな?」 アケルが選んだ指輪は、安い真鍮だとラウルスの目には映る。わざわざ古びた色を添えてあるのがまた怪しい。黒玉に見えるものも、光に透かせば硝子とわかる。それでも、意匠はよかった。細工が蔦模様になっているところなど実にアケルに似合う、そう思う。 「まま、旦那さん。そう言わずに。このお値段ですとね、ちょっと、ま」 そのときだった、ラウルスの視線が一瞬捉えたもの。街の衛兵。ただの巡回だとは後で気づいた。が、そのときにはラウルスはわずかに緊張していた。それを感じ取らない店主ではない。誤解であったとしても。ラウルスの変化に合わせるよう、指輪の値段も変化した。 「じゃあ、これ。いただきます」 すかさずアケルは言い、ラウルスは別のものに手を伸ばす。どうやら店主に誤解をさせてしまったことにすでにラウルスは気づいていた。値引きをした上でも充分利益は出るのだろうが、詫びの気持ちからラウルスも買物をする。 「あなたもですか?」 ラウルスが買った指輪には大きすぎ、しかも半月形の装飾品にアケルは訝しそうな目を向けていた。その向こう、二羽の鴨に店主がにんまりと笑っているのに二人はついに気づかなかった。 |