毎度毎度よくぞ色々なものを持ってくる、とアケルは思う。半ば呆れているとも言う。今日の軽食は挽肉と干した茸がたっぷりと入ったパイだ。それに渋みの強い赤葡萄酒が添えられている。
「正解だな、合う」
 口中の脂を葡萄酒で流してラウルスは笑った。意見には同意するが、なにか全面的に賛同はしにくくて、アケルは軽く唇を噛んで黙った。
「どうした? 嫌いなもんでも入ってたか」
「子供じゃあるまいし。そんなことじゃないです」
「だったら?」
 言ってみろ、とばかりに微笑まれて、よけいに言葉がなくなった。なにを言っても言い負かされる、そう思う。
 アケルは決して言葉数が少ないほうではない。むしろ常にラウルスより多くの言葉を費やしている。それでも彼には敵わない。
 たった一言、それだけで封じられてしまう。ラウルスに黙らせているという意識はないだろう。言いたいことがあれば言えばいい、そんな心の声が聞こえないわけでもない。だからこそ、アケルは黙るしかないのだが。
「別に、なんでもないですよ」
 花園に隠れて取る軽食にしては豪勢だとか、都の人間は贅沢だとか。言いたいことはいくらでもある。言ってもたぶん、ラウルスに論破される。それが嫌ではなかったけれど、負けるとわかっている戦いをしたくはない。
「アケル」
 けれど一言。やはりそれだけ。アケルは渋々と視線を上げラウルスを見やれば意外な物を目にした。心配そうな男の目だった。
「……嫌いなものは入ってません。なんだか、自分でもよくわからない不満があるだけです」
 食べ物のことそれ自体ではない。贅沢加減などその言い訳に過ぎないと自分でもアケルはわかっていた。
「例えば?」
「しつこいですよ、わからないって言ってるじゃないですか」
「だから例えばさ。なんでもいいから言ってみろよ。口に出すだけでちょっと違うかもしれないだろ。だいたいお前は口数が少なすぎる」
「はい?」
 思ってもみないことを言われ、アケルは呆然とラウルスを見つめた。瞬きをするその仕種をどう感じたかラウルスが苦笑する。それを咎めることすらしなかった。
「口数は、多いか。なんて言ったらいいかな? アケル、お前はそうだな……肝心なことは何も言わない。別にそれが悪いとは言わない、現状ではな」
「どういう意味ですか」
「だから怖い顔するなって。あのな、アケル。俺もお前もお互い素性は話してない」
「なにを今更」
「まったくだ。だから得体の知れない俺に本心なんか話したくないって気持ちもまぁ、わからないでもない」
 自らの言葉にうなずくラウルスに、アケルはなぜか傷ついた。
「……あなたもですか」
 口にしてみて、はじめて自分が言葉を発したのだと知る。意味が染み込んできたのは、もっと後になってからだった。
「俺? 俺がどうした?」
 不思議そうな目をして問う彼をアケルは睨む。睨んでから、自分でも鋭すぎる目だと思った。猛禽の目をしたラウルスのほうがずっと、優しい目をしていた。
「あなたも……僕が」
「あぁ、なるほどな。俺がお前に話したくないことがあるかって? 別にないな。話せない事はいくらでもあるが」
 同じことを言っているように聞こえた、最初は。が、アケルにもその違いが徐々に理解できてくる。つ、と心の傷口が塞がった気がした。
「だからな、アケル。話せないことを話せとは言わん。だから、話していいと思うことで、しかも赤の他人だ。言いたいことを言えばいい。俺からどっかにもれる気遣いは無用だ。喋り倒せば気が楽になるぞ」
「なんてことを!」
 叫んで、けれどアケルは笑った。笑ってみて、本当に少し気が楽になった。話していい、そう思うだけでこれだけ楽なのだ。話せばどれほど重荷がおろせるだろう。
 そう思ったけれど、話したいことも重荷と思うことも何も思いつかなかった。困って再び目を瞬いたアケルに気にするなとばかりラウルスが笑った。
「言いたいことがあれば聞くぞ、と言いたいだけだ。気にするな」
「……えぇ」
「練習、するんだろ」
 するりと話題をずらされた。理由もわからずアケルはそう感じた。ひとつの話題が終わったから次に移っただけ。そのはずだった。
「ラウルス」
「うん?」
「手直し、してください」
「いいけどなぁ。先に言っとくが、俺が直すようなところはたぶんもうないぞ? 上達が早い」
「……そういう問題じゃないんです」
「じゃあなんだ? 言わなきゃ俺にはわからんぞ」
 本当にか、とアケルは思った。言いたいことを半分以上飲み込んでも確実に察してくる男だった。それに飽き足らず、アケル自身が気づいていないことまで指摘してくる男だった、ラウルスは。
「アケル」
 名を呼ばれ、促されているのだと感じた。はっとして息を飲む。まるで会話法の指南まで受けている気がした。
「あなたがいてくれると、弾き易いんです。だから、いてください」
「いるよ、ここに」
「そうじゃなくて! 僕の背中を……」
 続く言葉が出なかった。自分でも言おうとした言葉に愕然としすぎた。背中を守って欲しい、確かにアケルはそう思っていた。
「わかった、後ろにいればいいんだな。ちゃんといる。心配するな」
 やはりだった。言葉にしなかった声を聞き取りラウルスは微笑む。無造作に立ち上がり、アケルの背後を守る。
 ほっとした。視界に入らない場所にいる。それでも強烈なほどにラウルスの存在を感じる。脅威ではなく、安堵。禁断の山で仲間の狩人に背中を守られるよりずっと安心していた。守られる必要もない、都の、王宮の、最奥の隠れた花園の中で。
 指慣らしに最初に覚えた短い旋律を奏でる。手直しの必要などどこにも感じられない手だった。一流の弾き手とはいかないだろう。だがおそらくすでに探花荘に招かれた弾き手よりは、アケルに教えようとしてくれたあの弾き手よりは上になっている。驕りではなくアケルはそう感じていた。
「ラウルス」
 背中に彼を感じながら名を呼んだ。今は少しくらいなら話しながらでも弾き続けることができるようになっている。返事は返ってこなかった。それでも彼がちゃんと聞いてくれているのは目で見るより確かだった。
「他の曲を教えて欲しいんです」
「どんな?」
「そうですね……恋歌でも弾いてみたいかな」
 言ってみて、自分で自分の言葉にアケルは驚いたのだろう。指使いが乱れたのを後ろでラウルスが笑った。
「笑わないでください!」
「実に意外なことを聞いた気がしてな。気を悪くするな。すまん」
「悪くしました、目いっぱい」
 ふん、と鼻を鳴らしたアケルの肩先に触れ、ラウルスは更に謝罪を重ねる。それさえ振り切ったけれど、互いに本心ではないのを感じ取っていた。それなのに不意にアケルは長い溜息をつく。
「おい、アケル。まさかと思うが本気で怒ったか?」
「違いますよ。ちょっと呆れていただけです、自分に」
「どうした?」
 真実、心配そうな声。目の前にしているよりずっと気楽に言葉をかわせるのがなぜか、アケルは気づこうとしなかった。
「……なんだか餌付けされた気がして」
「誰が?」
「他に誰がいるんです! 僕があなたに餌付けされた気分だって言ってるんです!」
 怒鳴ってみて、どれほど間抜けな言葉か気づいたのだろう。アケルは黙り、彼に代わってリュートの音が激しく鳴った。
「餌付けなぁ。そんな気はなかったが、懐かれて悪い気はしないな。あれだな、森の奥深くの気高い鹿みたいだ、お前は。誇り高くて、綺麗だ」
 言った途端、リュートを止めてアケルは振り返る。まじまじと見つめられれば嬉しいものを、アケルは射殺そうと言わんばかりに睨み付けていた。
「おい、アケル」
「……そういう口説き文句は僕じゃない誰かに言ってください。時候の挨拶並みに言われると癇に障ります」
「綺麗なもんを綺麗と言ってなにが悪い」
「ですから!」
「綺麗だと思ってる、お前が」
 ぐっと唇を噛みしめ、そして青い顔をしてアケルは黙って前に向き直る。完全に怒らせたか、と思ったラウルスは心の中でそっと苦笑した。
「僕なんか、別に」
 急に乱れた手でリュートを弾きだし、呟いたアケルにラウルスこそ驚いた。
「山は質素なものですから。さすが都ですよね。綺麗な人がたくさんいる。分けても王宮の中ときたら。驚きましたよ、僕は」
 アケルの目には奢侈としか見えなかった装い。どうやら流行と言うものらしいとわかっても、気分のいいものとは思えなかった。男女共に美々しく飾り、滑らかな頬と傷のない手をしていた。
「いまでこそ僕は身綺麗にしてますけどね、山にいれば傷だらけです。髪も染めますし」
「染める? もったいない、綺麗……見事な赤なのに」
 綺麗と言われて嫌がるアケルを慮ったラウルスが言葉を改めたのに、少しばかりうつむいたままアケルは口許をほころばせた。
「目立ちますから。狩りには邪魔です」
「もったいないな。まぁ、役目とあっては致し方ないことなんだと思うが」
 その言葉に驚いてアケルは再び振り返る。何度も目を瞬いて飽きずにラウルスを見ていた。照れたラウルスが目をそらすのすら許さない視線で。
「……そう、思ってくれますか?」
「見た目より役目だろ。当たり前じゃないか。そう思ってるお前だから協力する気になった。言っただろうが。責任感の強い人間は嫌いじゃない」
 にっと笑ってようやくラウルスはアケルの視線をそらさせるのに成功した。
「その責任感の強さが、たぶん俺には見た目以上にお前が綺麗に見えてる原因だがな」
 からかったのは自分を止めるせいだとラウルスだけは気づいた。憤然としたアケルが振り返り、殴りかかられる前に丁重にラウルスはアケルのリュートを取り上げた。




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