毎日会えるわけではなかった。アケルは時間を作って花園を訪れている。馬鹿馬鹿しいと自分でも思った。 「我ながら何をしてるんだ」 小さく呟いてリュートに視線を落とす。自分でその目が笑っている気がした。 ラウルスを待っているわけではない。ここが気に入っているだけだ。そう思う。思い込もうと努力してでもいるかのよう、毎日一度はそれを考える。 当のラウルスはといえば、くる日もあればこない日もある。リュートを教えようと言ったことなど忘れた顔をしてただ喋って帰っていく。 「忙しいはずなんだけどな、僕も」 まずはリュートを弾くこと。それを賢者に課されてはいるものの、それだけではアケルが暇だと思ったのだろう賢者は一応、探花荘の警護の任も振り当ててくれている。 その合間を縫って自分が何をしているのかとなれば、ここでラウルスを待っている。自分で自分がわからなくなりそうだった。 苛立ちは募る。ラウルスが、と言うわけではなく、むしろリュートが、と言ったほうがいい。 「違うか。あの人も……何を考えてるのか、少しもわからない」 リュートに向かって独り言を言えば漏れ出す苦笑。そもそも自分は賢者の護衛ではない。本来の護衛たちからは距離を置かれ、自分が何のためにここに呼ばれたのかすらよくわからないままに過ごす毎日。 まるでラウルスはそれを知ってでもいるかのようだった。そのようなはずはない、と思いはしても彼の態度の端々から匂ってくる何か。 「お節介と言うわけでもなさそうなのに」 ラウルスの話し方を見ていれば、その程度のことはわかる。彼はさほど深く他人の生活に入り込むのが好きではなさそうだ。 それなのに、なぜ。疑問ばかりが浮かんで消えもしない。 ラウルスはたとえ花園を訪れる時間が取れなくとも、一度はここにきているらしい。アケルは彼が不在であるのを逸早く知るようになった。 今日は時間が取れなくて。そうとでも言うよう、ラウルスの置き土産が花園にはいつもあった。それは小さな籠に詰められた菓子であったり、甘い酒の小瓶であったりした。 「面倒な」 一度は、そう思った。二度も三度もそう思った。それでもいつの間にか慣れてしまった。手紙でも残していけばいい。否、そもそも自分は勝手にここにきているのだ。彼がこなくとも、別に約束をしているわけでもない。かまわない。 「そのはずなのにな」 花園を訪れるなり、アケルはラウルスの土産を探すようになってしまった。そして見つけると知らず溜息が出る。何もなければ、思わず笑みが浮かぶ。 「あの手の人、嫌いなんだけどな」 軽々しさが癇に障る。いま王国は未曾有の事件におののいているはずなのに、ラウルスがいるだけで平穏無事のような気がしてしまう。 それは決してラウルスの責任ではなかった。アケル自身の心の持ちようなのだとは、いまだ彼は気づかない。 色々とわからないことが多すぎて、隠し事でもされているような気すらして、苛々とアケルはリュートの弦を弾いた。澄んだ音を立てるはずの楽器は無音。長い溜息が彼の口から漏れた。 「なんだ、また音でなくなったのか?」 はっとして振り返った拍子にアケルの指が弦に触れた。途端に喜ばしげな音がする。 「……そうでもないみたいですね」 「しかし、我が儘なリュートだな。音が出るときと出ないときと自分で選んでるのか、こいつは」 隣に腰を下ろし、ラウルスは持参の籠を勧める。黙って開ければ中には軽食が入っていた。 「なんですか、これは」 「知らないか? パンと言うんだ、それは」 「そんなことは知ってます!」 「ほほう、そうか。ちなみにパンに挟んであるのは蒸して裂いた鶏肉と玉葱を葡萄の油で和えたものだぞ。香辛料がたっぷり使ってある」 「そんなことは聞いてません!」 「じゃ、なに聞いたんだよ?」 実に不思議そうに言いつつラウルスはパンを取ってかぶりつく。腹が減っていたのか、旨そうに顔をほころばせた。 「どうしてこんなものを一々いつも持ってくるのかを聞いてるんです!」 置き土産だけではなかった。ラウルスはいつも食べるものであったり飲むものであったりを持ってくる。まるで、食べさせたくて仕方ないかのように。 「そりゃ、あれだ。探花荘ってろくな食いもんがないらしいからな」 「そんなことは――」 「あるだろ? まぁ、賢者の爺様たちなら肉食わなくっても持つだろうが、お前みたいな若いのが淡白な食事は体によくないぞ」 それは確かに事実だ、とアケルは認めないでもない。探花荘の食事はあっさりとしすぎているきらいがある。 ただ、それをなぜラウルスが知っているのか。疑問が目に出たのだろう、彼は苦笑して口許を拭った。 「あのな、アケル。別に俺だから知ってるわけじゃないぞ。こんなのは周知の事実だ」 「……そうなんですか?」 「おうよ。ちょっとその辺の誰にでもいい、聞いてみな。みんな知ってる」 本当か、と思いはしたものの、アケルはきっと確かめないだろうとも思った。ラウルスを信じたわけではない。すぐにばれるような粗忽な嘘をつくような男だとは、思わなかっただけだ。 「だからと言って……」 「うん?」 「こうやってかまわれるの、嫌いなんですよ」 ふい、と視線をそらしたアケルの横顔をラウルスは見ていた。本心がどこにあるのか、どうにもわかりにくい青年だった。 怒鳴っているから怒っているのかと思えば意外とそうでもなかったり、普通に喋っているから機嫌は悪くないのかと思いきや怒っていたりする。それを探るのが、楽しいからこそ、ラウルスは時間を見つけてアケルに会いにきていた。 「そんなにかまいつけちゃいないだろ」 「食事の面倒までみておいてなに言ってるんですか。あなたは僕の母親ですか。あなたにここまでしていただく義理はありませんね」 「別にお前のために、とか思ってるわけじゃないぞ。単純に俺の腹が減ってる、それだけだがな。どうせ食うなら一人より一緒に食ったほうが旨いだろ。な?」 にこりと、それこそなんの衒いも深い意味もないように笑われた。これではこだわっている自分が馬鹿のようで、アケルは深い溜息をつく。 「ほら、食えって。旨いぞ」 差し出された籠に、咄嗟に手を伸ばしてしまった。手に取ってから、まじまじとそれを見る。禁断の山にいたころには見たこともない調理法だった。 「手軽だろ」 「えぇ、まぁ」 諦めて噛み付けば、鶏の甘い香りがした。香辛料を使ってある、と言っていたけれど、これにも馴染みがない。贅沢だな、不意に思った。 「都の人はみんなこんなものを食べてるんですか。贅沢ですよ」 「逆だろ」 「どこがです?」 「都は物が入ってくるまでに時間がかかるからな。肉だって魚だって獲れたてってわけに行かない。香辛料でも使わなきゃ、癖があるぞ」 「あぁ……」 そういうことか、とアケルは理解した。普段はその日に食べる分を狩る、そういう生活をしていると都の生活が不思議で仕方ない。贅沢だと思ったはずの食べ物が、奇妙に不憫に思えた。 ラウルスは黙ってパンを食むアケルを見ていた。黙々と食べる姿が、子供のようだ。食事とは真摯にするものだ、そう思っているのかもしれない。 アケルに言ったことは、嘘ではなかった。実のところ単なる一般論だ。ラウルスが持参した軽食は、軽食でありながら手がかかっている。それこそ贅沢を詰られても仕方ないほどに。 それを言ってこの時間を壊したくないラウルスは話題を食事からそらすべくリュートに視線を据えた。 「少しは弾けるようになったのか?」 言えばじろりと睨まれた。ラウルスはわざとらしく視線を宙に飛ばし、そ知らぬ顔をする。 「弾けるようになったと思いますか」 「まぁ、思わないな」 「だったら聞かないでください」 「いいだろ、別に。習ってんのか、ちゃんと?」 「ラウルス」 きれいにパンを食べ終わり、両手についたパンくずを払ってアケルは姿勢を正す。つられて姿勢を正したように見えてラウルスはその実、不敵だった。 「なにかな?」 もっともらしく返事をすれば茶化されたよう感じたのだろう、アケルの視線が鋭くなる。こんなときは彼が禁断の山の狩人だと言うのが心底から理解できる。 「あなたは見ましたよね。聞いたと言ったほうが正しい気がしますが」 音が出たり出なかったり。それに慌てたのは何も今日が初めてと言うわけではなかった。ラウルスもすでに何度も見ている。 「まぁな」 「だったらなぜ、そんなことを聞くんですか。弾ける状態だと思ってるんですか。あなたのことが理解ができない」 はじめてリュートが鳴ったあの日。アケルは探花荘に戻ってから試してみた。あの音がもう一度聞きたい、そう思って弦を弾いた。 それなのに、リュートは鳴らなかった。鈍い音すらせず、ただ弦が震えるだけ。それはそれで異常だが、弦が震えても音がしない、元の状態に戻ってしまったことのほうがアケルには衝撃だった。 あれから何度となく試している。どのようにしても音は鳴らない。例外は、ただ一つ。アケルはどうしてもそれを言いたくなかった。 「俺が理解できないって言うより、我が儘なリュートに苛ついてんだろ、お前は」 「そんなことは――!」 「ないか? 違うか、本当に?」 畳み掛けられて言葉に詰まり、アケルはリュートに目をくれる。試すよう、弦を弾けば音が出なかったのなど忘れた顔をしてリュートは鳴った。 「しつこいかもしれないがな、それ、弾く気はあるんだろ、アケル。だったら俺に教えさせな」 「本当に……」 「しつこくて嫌われそうだがな」 からりと笑ってラウルスはアケルの目を覗き込む。冗談や、戯れではない。彼の猛禽のような色をした目がそう語る。 「今更なにを言ってるんです。あなたなんかもうとっくに嫌いです!」 言いながらアケルはラウルスに手を差し出す。にっと笑った彼が同じよう差し伸べた掌に打ち付ける。乾いた音が花園に響いて、アケルも少し笑った。 |