睨みあい、溜息をついたのもまた同時。それがアケルをいっそう苛立たせる。これほど苛立つ自分と言うものを過去、想像したことがない。
「あなたはいったい何者なんですか。本当に、人を苛立たせるのが上手だ」
 吐き出せば、さすがにラウルスもむっとした顔をする。それでも立ち去りはしなかった。
 風が立つ。人の手で植えられたものではないが故の、無造作な花園。様々な香りが渾然と漂った。梢の揺れる音に小鳥の声。長閑と言うもおろかな風情だった。
「勝手に怒ってるんじゃないか、お前が」
 ぼそりと言うのに、視線をくれる。途端にばつが悪そうにラウルスはそっぽを向いた。どう見ても、ラウルスは自分より遥かに年上だ。それなのになんと言う子供じみた男か、とアケルは半ば軽蔑を抱く。
「二つ三つ上なら腹も立たないのに……」
「なんか言ったか」
「いいえ。別に」
 聞こえているはずだった。そして表情を見れば理解していることも自明。それなのにとぼけて見せる。妙に世故長けているかと思えば、わけがわからない。
「……そのリュート」
「なんですか!」
「だから、怒るな!」
「別に怒ってません。そう聞こえるならあなたにやましいことがあるせいじゃないんですか」
 腰に手をあて胸を張り、正々堂々アケルは言い放つ。その態度のどこが怒っていないのか、とラウルスは聞きたかった。
 さすがに、思いとどまる。面白い見物ではあるが、怒られているのが自分でなければ、の話だ。年下の男に叱られて喜ぶ趣味はラウルスにはなかった。
「それで。リュートがなんですか、ラウルス」
 嫌々だった。ラウルスではない、別の場所を見ながらアケルは彼の名を呼んだ。その言葉にラウルスは口許をほころばせる。
 和解のつもりはないだろう。歩み寄ってやった、と言うのがせいぜいだろう。それでもアケルが一歩、近づいてきた。渋々であっても。
「それ、弾けるのかと思ってな。弾けるんだったら一曲所望したいな、と」
「無理です」
「お前な! どうしてそう無下に断るんだよ」
「別にあなただから断ったわけじゃありませんから。弾けないだけです」
「弾けない? なのに大事に持ってる? 変なやつだな」
「あなたに言われたくありません!」
「俺のどこが変なんだよ」
 心の底から不思議そうなラウルスだった。どうやら完全に自覚はないらしい。アケルは呆れ半分彼を見る。
 見ず知らずの他人に人懐こく話しかけたかと思えば散歩に誘い、まともな名乗りもしないのに気にも留めない。これのどこがおかしくないと彼は考えているのだろう。
「やっぱり、変な人だな、あなたは」
 確かめるよう言うアケルにラウルスこそが、なぜか溜息をつく。理解ができなくてアケルはそんな彼を睨んだ。
「それよりなんで――」
「質問ばかりですね。そんなに聞いてばかりで楽しいですか」
「お前が会話を続ける努力をしないからだろうが」
「そうですか? じゃあ僕が質問してもかまいませんか」
「もちろん!」
 楽しそうにうなずいたラウルスに、どことなくアケルは嵌められた気がした。気のせいだろうとは思うものの、いいように扱われている、そんな気がして腹が立つ。
「……なんだか誰も彼もが気が立ってる気がして」
「怒りっぽいのはお前じゃないのか?」
「せっかく人が会話をする努力とやらをしてるんですよ! 聞く気があるんですか、あなたは!」
「あるある。で?」
 思い切り純な顔を作って見せれば、アケルが嫌そうにする。それが楽しくてつい、ラウルスは彼をからかう。
「本当に、もう!」
 今度こそやめたといわんばかりに背中を向けようとするアケルをラウルスは慌ててとめた。ここで帰られてしまっては、つまらない。
「わかった、わかったから! 茶々は入れない。ちゃんと聞く」
 本当か、とアケルの表情が疑いもあらわに尋ねている。無論、ともっともらしくラウルスはうなずいた。
「ファーサイトから、ここにくるまでも、城下も、城の人たちもそうですが、なんだか苛立っているというか、怖がっているというか……。何かあったんですか」
 思わずラウルスはアケルをじっと見ていた。アケルが気持ち悪がって一歩下がるほどまじまじと。
「おい……。お前、それ。なんの冗談だ?」
「はい? なにがです?」
「本気で、言ってるんだな。いやはや。驚いた!」
 目を丸くしてラウルスは仰け反った。首を振り、信じがたいと言いたげに両手を広げて見せる。
 そこまでされてはさすがにアケルも自分がどれほど愚かなことを言ったのか見当がつくというもの。だが、本当に知らないものは知らなかった。
「いったい……」
「ま、座れよ。説明してやるから」
 今まで花園に立ったまま言い合いをしていたのだ、と改めて気づいて馬鹿馬鹿しくなった。言われるままに花の中に腰を下ろせば、それはそれで馬鹿らしい。
 こんな秘密の花園は、男同士で来るより、恋人同士で来るほうがずっと似合うというもの。横目でラウルスを見やり、同性との恋が禁じられているわけでもないがこの男とだけはない、そうアケルは笑いたくなった。
「説明の前に。まず、お前、どっからきたんだ」
「言わなきゃ説明してくれないんですか」
「別に? 王国中この話で持ちきりだって言うのに、なんで知らないのか不思議で仕方ないからな。ただの興味だ」
「そんなに、有名な……?」
「ま、悪い意味で有名だな」
 理由などわからない。それでもアケルはぞっとした。あるいはそれは運命が背後に立った音を聞いたのかもしれない。
「……僕は、禁断の山の狩人ですから」
「なに!」
「山で、一族の者としか交流がないので……噂話は知りません。上の方たちは知ってるかもしれませんが」
 信じがたいことをアケルは当たり前のことのよう語った。だからこれは真実だ、とラウルスは直感する。
「禁断の山の狩人ね。それがなんで探花荘にいるのかはおくとして、だ。実質は衛士ってことだな。なるほど、武器に慣れた手をしてるはずだよ」
「よくご存知ですね」
 きらりとアケルの目が光った。それを避けるようラウルスが肩をすくめる。
 よく知られた話ではない。アケルも外からやってくる人間はほとんど目にしたことがない。同時にそれは外部に禁断の山の狩人の本来の姿が知られていないということでもあった。
「禁断の山には狩人がいる。禁じられた地に入り込もうとする輩を狩る、狩人だ、そう聞いたことがある。間違ってるか?」
「あってますよ」
 だからこそ、おかしい。なぜラウルスが知っている。このとぼけた男が。アケルのそんな視線に気づいた様子も見せずラウルスは天を仰いだ。
「得物、なんだ?」
「武器ですか? 言ってるじゃないですか、僕は狩人なんです。当然、弓矢を使いますよ」
「剣じゃなく?」
「あなた、山の中で戦ったことないでしょう。あんなところで剣を振りまわして御覧なさい。邪魔で仕方ない。弓が一番手っ取り早い」
 さらりと言うからこそ自負が滲む。自らに課せられた責任を果たす誇りがアケルを輝かせていた。
「なるほどなぁ……」
 悪くなかった。見かけない顔の青年に興味を覚え、単に話しかけただけだったにしては収穫だ、とラウルスは満足げに微笑む。
「責任感の強いやつってのは、嫌いじゃないね」
 何気なく言えば、勢いよくアケルはそっぽを向いた。またよくわからない理由で怒ったか、と思って彼の顔を覗き込む。
 途端に体ごとそむけた。さすがにこれには訝しいものを覚え、ラウルスはよりいっそうアケルを窺う。彼は膝の上で拳を握っていた。
 すわ怒らせた、と腰が引けたのは一瞬のこと。よくよく見ればアケルの耳が髪に劣らず赤かった。にんまりとして言葉を発してしまうのがラウルスの悪い癖だった。
「なんだ、照れたか?」
 逃げても、誰も文句は言わないはずだ。ラウルスの目の前に、とてつもなく恐ろしい生き物がいる。それでもにやついたままラウルスはよけもしなかった。
「誰のことですか!」
 思い切りよくラウルスの頬を引っぱたいてからアケルは吐き出す。肩で息をしているところを見ればよくよく腹が立ったらしい。
「褒められて照れちゃって、可愛いったらないね」
 やめればいいものをラウルスは更にアケルを煽った。わざとやってはいるのだが、本心でないとも言い切れなかった。
「あなたなんか……」
「うん?」
「あなたなんか、大嫌いだ!」
「まぁまぁ、そう言わずに。禁断の山の狩人だろ? もっと落ち着いてなきゃな?」
「……そうでした。僕は禁断の山の狩人でした」
「だろ?」
「えぇ、そうです。僕は不埒者を処分する義務と権利があるんです!」
「おい、ちょっと待て! アケル! 悪かった、俺が悪かったから、ちょっと待て!」
「なぜです? どうして僕が待たなきゃいけないんですか」
「城中で乱闘はご法度だろうが!」
「誰も見てません」
 にこりと、それこそ花が咲くようアケルは笑った。ほつれてきた髪を首の一振りで払い、いつの間にか手にした短剣を構えている。
 そんなものに見惚れる自分をとことん馬鹿だと思いながら、ラウルスは目が離せなかった。
「見てないからいいってもんじゃないだろうが!」
「そうですか?」
「あぁ、そうだ。だいたい死体はどうするんだ。城中じゃ処分に困るぞ」
「……おかしな人だ。殺されるほうが自分の死体の処分の心配をするんですか?」
「悪いか」
「別に。悪くはないですが、変ですね」
 ぬっと近づいてきたアケルに、ラウルスは殺気を感じなかった。どうやら馬鹿話をしている間にその気が失せたらしい。アケルに感づかれないよう、ほっと息をついた。




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