苛立ちを隠すためだろう、木の幹に片手を当てて青年は男を睨んでいた。風にひらひらと束ねただけの赤毛が揺れる。 「ところで、お前は何者なんだ?」 青年に向かって首をかしげて見せれば、彼は黙った。 「言いたくない?」 「言ってもいいのですが、自分の名前が嫌いです」 「なら勝手に呼ばせてもらうか。見事な赤毛にちなんで、アケルとでも呼ぶかね」 「アケル、ですか。なんですか、それは」 「だってほら、綺麗な紅葉みたいな赤毛じゃないか。アケル色って言うだろ。な?」 にこり、と男は笑った。毒気を抜かれたよう、青年は溜息をつく。かまっている自分が馬鹿馬鹿しくなってきたらしい。 「それで。なんなんですか、あなたは」 「別に。散歩中?」 はぐらかした物言いが、癇に障って仕方ない。見れば壮年にはいま少し年が足らないような、それでも立派な大人だ。 それでいてこの物言いか、とアケルと呼ばれた青年は苛立つ。 「人の赤毛がどうこうと……」 思わず呟いていた。自分の赤毛が、本当はあまり好きではない。むしろこの色は邪魔で仕方ない。 「なんでだ? いやだったかなぁ。綺麗な色なんだが」 「人のことを言える色合いですか、あなたが?」 思わず嘲笑めいた言い方になって、青年自身、驚いた。自分はこれほど簡単に苛立つ人間ではない、ずっとそう思っていた。忍耐強いほうだと自任していたというのに。 「そうか?」 男は気にした風もなく首をひねっている。嘲られてもどうと言うことはない、とでも語っているようで腹が立った。 「それ、何色って言うんでしょうね」 無礼を知りつつ面と向かって男を指差した。男は苦笑して自分の髪に手をやる。 実に不思議な色合いだった。ほとんどは当たり前の茶色だ。が、所々鮮やかな金の髪が房になっている。まるで鷲の翼のようだった。 「目も」 アケルは指を動かす。指し示された男の目は、やはり人間の目としては、異質だ。金の目ならば珍しくとも、ある。だが金の虹彩に、漆黒の瞳となるとやはり猛禽めいていた。 「やっぱり人のことを言えた義理ではないと思います」 「だから、褒めていると言ってるだろうが」 「どこがですか?」 「そう聞こえなかったなら俺の不明を詫びるしかないがな。褒めてる。綺麗だって言っただろ」 「男に褒められても嬉しくありません」 「もっともだ」 からりと男が笑った。そのあまりのこだわりのなさに青年が呆気に取られるほど。 「どうだ。よかったら一緒に散歩しないか。いいところがあるんだ」 その言葉に、本心から男がこだわっていないことを青年は知った。思ったことをそのまま口にしているだけ。 それはそれで大人としていかがなものかと思いはしたが、裏表のない男だということだけは、わかった気がした。 「ここでも充分楽しいですが?」 「そう言うなって。ここだとたまに他の連中が散歩に来るからな。もっと人気がないところがあるんだ」 「……それはどういう意味ですか。人気のないところに僕を連れ込んでなにをするおつもりですか」 ひしひしとアケルの怒りが伝わってくるような声だった。男は思わず顔の前で両手を振った。 「そんなんじゃない! 誤解だっつーの。なんとなく邪魔されたくないなぁ、とそれだけだ」 「……本当でしょうね?」 「ああ、もちろんだ」 きっぱり言う口調が嘘くさい。そう思ったけれど青年は深く追及するのをやめた。一人、馬鹿騒ぎをしている、そんな気がして虚しい。 「それに……」 「なんです」 「お前、リュートなんざ持っちゃいるが、その手は戦うことを知ってる手だろ。違ったか?」 「……違いませんね」 「だろ。得物が何かは知らんがな、俺が不埒なことをしでかしたらばっさりやりゃいいだろうが、自分の手で」 あまりにもあっさりと言う彼にアケルは不快さを隠さなかった。そもそも無理なことを言っている。すぐさまそれと悟った男がにっと笑った。 「確かに城中じゃ武装が禁じられてるがな、でも戦うことを知ってる人間が丸腰で歩くか? 短剣くらい、持ってるんだろ」 図星だった。言われるまでもない。城中は安全を謳われてはいる。だがやはり何も持たずにいることはできなかった。それが武器を取る手だ、と青年は思う。 「やれると思いますか?」 聞いたアケルは己の愚かさを知る。だが、男はもっと不可解だった。 「無理だろうな」 にやりと笑ってそう言った。やれと言ったり無理だと言ったり、この男が何をしたいのかがわからない。 「俺だって殺されそうになったら抵抗くらいはするぜ? まぁ、城で殺人沙汰なんざァご法度だ。そんなことをしでかす気はないがね」 「あなたって人は!」 「うん? なんか変なこと言ったか?」 長く、それは深い溜息をアケルはついた。この妙な疲労感は、この男のせいに違いない。それでもなぜか、どことなく、王城につれられてきてから感じていた不快さの幾分かは、去っていた。 「もういいです。それで、どこに行くんですか。ご一緒します」 「お、その気になったか。嬉しいね」 「散歩に行く、と言ってるんです!」 「わかってるって」 本当か、と疑いもあらわな目で見つめてくるアケルに男はにこりと笑う。無邪気と言うには深いものがある表情だった。 「……名前くらい、聞かせていただいてもいい気がしますが」 「それをお前が言うか?」 もっともな男の言葉にアケルは赤面する。それを彼は面白そうな顔をして見ていた。 「まぁ、いいけどな。ラウルス。そう呼んでくれ」 「一応聞きますが、それは偽名ですか。あだ名ですか、それとも通称ですか」 「お前な! 本名って言う選択肢はないのか」 「あるんですか?」 「実のところ、なくはない。本名ではあるかもしれないが、そう呼ぶ奴はいないんでね」 「だったら僕があってるんじゃないですか」 胸を張って言う青年が、ひどく子供のような気がした。吹き出すのをこらえて男は歩き出す。少し遅れてアケルも横に並んだ。 「どこに?」 「こっちだ」 つい、と整えられた道から外れた。いいのか、と目顔で問えば男は茶目っ気もたっぷりに人差し指を唇に当てて見せる。 「まったく」 呆れて仕方なかった。ここは奥深く、重臣たちは滅多にこないとはいえ、王家の城の庭園だ。そこを傍若無人に進んでいくこのラウルスと名乗った男は何者だろう、不意に奇妙なほど気になった。 気には、なった。だが青年は問えないでいる。それは自分自身も本名を明かしていないという引け目があったのかもしれないし、詮索をしてこの奇妙な時間を終わらせてしまうことへのためらいもあったのかもしれない。 「ほら」 さほど進みはしなかった。庭園から少し外れただけだ。だがアケルは息を飲む。思わず何度も首を振る。 「綺麗だろ?」 まるで自分が作り上げた庭を誇るかのような男の声だった。 二人の前に花園が広がっていた。整備された庭園ではない。庭園の花の種が自然に飛んで集まり、咲きそろったものだろう。 それだけに絢爛で、力強い。なんとも圧倒されるような花々だった。 「色々聞いたところによると、何代か前の国王の離宮があったらしいんだな、この辺は」 「え?」 「いまはない。離宮は取り壊されて移築された。花園だけが、残ったみたいだ」 「移築、ですか……。わざわざ?」 花に目を奪われていたせいだった。アケルはなぜ一介の衛士がそんなことを知っているのか、不思議にも思わないでいる。 「だって壊すだけじゃもったいないだろうが。今はほら、あれだ。ファーサイトの賢者団が城に来たときの宿舎、あるだろ。知ってるか?」 「えぇ、知ってます」 「あれがそうだ」 「……知りませんでした。あそこが」 呆然と花に見惚れるアケルの横顔に男はちらりと笑みを含んだ視線を向けた。 「だからあの宿舎は、探花荘と言うんですね」 「そう言うことだ。詳しいな?」 よく移築された元離宮の名前を知っていたな、と暗に言う男に、アケルは厳しい目を向ける。 「知っているかどうか確かめたくせに今更何を言ってるんですか」 「おや? そんなことしたかな、俺は」 「とぼけないでください!」 「そう怒るなって。だいたい、お前が探花荘にいるんじゃないかって見当はついてたぜ、最初から」 「なんですって!」 茶化して言われたせいで、よけいに苛立ちと怒りが募る。はじめから自分が何者か知っていたというのか、このラウルスと名乗る男は。 「違う、違う。お前がどこの誰かは本気で知らん。本当だ。ただ、武器を持つことを知ってる手をしていて、あんなところにいるってのは、賢者の護衛かなんかだろうって思っただけだ」 「僕はあなたが何者か知らないんです。そのあなたが言ってることを、どうして信じればいいんですか」 「そりゃ信じてくれって頼むよりないな」 肩をすくめて言うものだから、男の言葉が本気か疑わしくなってくる。 「信じて欲しいんですか?」 「そりゃまぁな。せっかく見つけた楽しそうな散歩仲間だ。これっきりってのはつまんないだろ?」 屈託のない笑顔だった。あまりにも屈託がなさすぎる。アケルはじっと男の顔を見つめた。 「……信じる気にはなりません。あなたは嘘はついていないかもしれない。ただ僕に言っていないことはある。違いますか」 「当然だろ。お前だって本名明かしてないんだぞ。俺も同じだがな」 「やっぱり本名じゃないんじゃないですか!」 「だから本名だけど誰もそうは呼ばないってさっきちゃんと言っただろうが!」 馬鹿馬鹿しい言い合いだった。いい大人が二人、花園の中でいったい何を怒鳴りあっているのだろう。二人同時にそのことに気づいたのが、せめてもの慰めだった。 |