木蔦の家

 本音を言えば、離してほしかった。痺れた手をレイがなだめるように胸に抱いてはさすっている。痛くてかなわない。が、レイの顔を見てしまってはとても言えそうにない。
「レイ」
 呼べば、頼りない顔をして見上げてくるレイ。この表情の裏側で、ずっと彼は自分を見ていてくれたのか、と今更思う。
「すまん」
 言いながらエドガーはそっとレイの額にくちづける。うつむいてしまったレイは答えない。ただぎゅっと胸に抱かれた手が握られた。
「……君に、好かれてるなんて、思わなかった」
 ぽつりと呟いたレイはやはり、顔を上げない。そのまま消え入りたいとでも言うよう。むしろ溶けて消えてしまいたいのは自分だ、とエドガーは思う。カレンにもファネルにも合わせる顔がない。恥ずかしくて、とても。
「そりゃ俺の台詞だ」
 まさかレイが自分を思っているなど、想像したこともない。否、想像したことならば、ある。夢幻すぎて、己を嗤った。
「だって……。君は、最近、本当に帰ってこなかった。家にいるのを嫌がるようになった。僕と顔を合わせるのが、嫌なんだろうと。君はもてるから。きっと誰か好きな人ができたんだろうと。邪魔なのは――僕なんだと」
「おい!」
 少し痺れが取れてきた腕を使ってレイを抱き寄せる。彼の体重がかかった途端、痺れた足がびくりと痛んだ。
「だったら、どうして帰ってこなかったんだ、君は」
 真っ直ぐと見上げてきたレイの夜色の眼差し。無様すぎてとても言えない。それを言えと問い詰めてくる彼の眼差し。エドガーは長い溜息をつく。
「それこそな。……あんたが立ち直ったら、要らなくなるのは俺だろうが。――だから! そう思ってたってことだ! いまは、違うのはわかってる」
「それはよかった」
「真顔で笑うんじゃねぇよ。脅されてる気になる」
「脅してる」
「……なるほど」
 なにがどうなるほどなのか自分でもよくわからなかったエドガーだった。けれどレイが満足そうにしているのならばそれでいいかという気になってくる。
「だからといって君が――」
「だから! この国に来て、あんたもずいぶん元気になったし、最近じゃ……なんか色々してるし。……ミラとも、仲よさそうだしよ」
 邪魔なのは自分だと思った。ミラとレイが将来を築くのならば、自分は邪魔でしかない。立ちふさがる壁になどなりたくない。
「だからまぁ……帰ってこなかったわけで」
 少しずつレイを抱く腕に力を入れ始めていたエドガーだった。何も抱きしめたくてしたわけではない。腕の中の気配が凍りつくよう。ひしひしと危険を感じていた。
「――なるほど。ミラか。ほう、そうか」
「ちょっと待て、レイ!」
「誰が待つか!」
 言い様にレイはエドガーを突き放し、断ち切って短くなってしまった縄を手に微笑む。まだ充分に手足を縛るくらいはできる長さのそれを。
「おい!」
 長時間にわたって縛られ、転がされていたのだろう。エドガーはまだろくに身動きができない。動こうと思えばできるだろう、が、レイに怪我をさせてまでしたいかどうか自信がない。
 結果として、レイが目の前で微笑むことになった。ことり、と首をかしげた彼が大事そうに自分の腕を取るのを眺めているうちに言い逃れの一つや二つ叫べばよかった。
「ちょっと待て、レイ!」
「待たない、と言っている」
 にこやかなレイが、エドガーの両手首を縛る。そのまま頭上に掲げて、別の縄で今度は棚に縛り付ける。非常に情けない格好だ、と思うだけに留めるエドガーは、それでも小さく笑っていた。
「君が子鹿亭で楽しく飲んでいるのを見た僕がどう思ったか、聞きたいか?」
「いや、それは――」
「確かにミラには用事があった。けれど、君とミラが楽しくお喋りをしていたのが、僕はとてもとても気に入らなかった」
「だったらその場で――」
「言って聞いてくれたのか? 僕がどれだけ君を好きなのか、聞く耳持ってくれそうもなかった君に、ミラと喋ってほしくないと言って、君は聞いてくれたのか?」
 何度も何かを言いかけて、やめてしまったのはレイの方。言えば言えただろう、たぶん。が、確かに聞く気がなかったのは自分自身。エドガーはそれを自覚する。カレンに指摘されても、ファネルに忠告されてもまったく響かなかったのは、この己の心。
「いまだってそうだ。別の誰かのことを考えてる」
「いや――!」
「友達のこと? きっとそうなんだろうな、君のことだから。でも、気に入らない。エイメと仲良くしていたのも。カレンさんと仲良くしていたのも、エリナードさん、ファネルさん。イメルさん、ミラ。全部」
 放っておいたらいままで知り合った全員の名を上げるのではないだろうか。疑ったエドガーの眼差しに、レイはにこりと笑ってみせた。
「そうしてもかまわないよ。時間の節約をしただけだ」
 これで引かない自分は馬鹿だとエドガーは思う。思うけれど、ここまでレイに思われていた。その事実の方がずっと嬉しい自分はもっと馬鹿だと思う。
「なにがおかしい、エドガー」
「いや、心底あんたに惚れてるな、と思った」
「な――」
 ぽ、と頬を赤らめるレイが角灯の明かりに映し出される。とても綺麗で、だからこそこんなところではない別の場所でもっとはっきり見ていたい。
「レイ。頼むからほどいてくれって。上行こうぜ。な?」
「嫌だ、と言っている。いま縛ったばかりだろう?」
「どこにも行かないから、約束するから」
「い、や、だ」
 くつりと笑ったレイの表情。とんでもないことをされているのに、恨めない。いまだかつて見たためしがないほど彼が生き生きとしている、そのせいかもしれない。単に惚れた弱みとも言うだろうけれど。
「なにもかも気に入らない。だから、出してやらない」
 きゅっと口をつぐんだレイが、そのときばかりは冗談でもなんでもないのだとエドガーは知る。それほど不安だと。そうさせてしまったのはエドガー自身。ならば甘受する。むしろ、喜んでされるままになる。エドガーの笑みを見てとったレイがほっと息をつく。それから応えて微笑んだ。
「エドガー?」
 目を細めて微笑むレイが、この上なく嬉しそうでエドガーは好きにしてもらおうと思う。ついばむようなくちづけはくすぐったかったけれど。
「あー、レイ? せっかく楽しいことするんだったら、こんなところじゃない方がよくないか?」
「君はよくても僕がよくない。逃がさない」
「逃げないっつーの」
 文句を言うのも戯れのうち。くつくつと笑うレイがもう一度くちづけ、唇が首筋をたどる。その時点でようやくエドガーは悟る。
「ちょっと待て。あんた――」
「君が心底惚れた僕が愛してあげようと言っているのに、何か不満か?」
「いや、だから! 上で!」
「出してやらない、と言ったはずだ」
 戯れの愛撫だけだと思っていたものを。どうやら本気でレイはこのまま続ける気らしい。エドガーはちらりと頭上を見上げる。縛られている両手。
「ほどいてもやらない」
 伸び上がったレイが手首にくちづけ。早、痺れた腕は感覚がない。もったいない、と思う自分はやはり馬鹿だとエドガーは思う。
「エドガー」
 ちゅっと、くちづけてきたレイの、思いの外に滑らかに動く手が着ているものをくつろげて行く。意外に思ってしまったのが伝わったのだろう。一瞬だけレイが目をそらす。
「君は、こんな僕が――」
「レイ」
「……なんだ」
「続けてくれないのか、うん?」
 不自由な体をかがめてレイの額にくちづける。そっぽを向いた彼のそこにしか届かなかったから。驚いてこちらを向いたレイに今度はちゃんとしたくちづけを。
「……そうか。君は、知っているのだものな」
「その上でベタ惚れですが」
「なら――」
「あんたの好きなように」
 ふっとレイの眼差しが和んだ。それから熱心な手がくつろげた服の間から滑り込んではエドガーの肌を愛撫する。
 考えるべきではない、エドガーは思うけれど浮かんでしまったものは仕方なかった。レイのこんな態度はチャールズに仕込まれたもの。本意ではなく、好きでしていたことでもない。傲岸に寝ころんだチャールズが、こうやってレイに奉仕させているところまでまざまざと想像してしまった。
「エドガー」
 思考がそれたのを咎めるレイの眼差し。くちづけてくる甘い唇。レイの髪の匂い。レイは友人だろうと嫉妬をする。そう言うけれど、殺したいほどに悔しいのは自分だとエドガーは思う。
「君が好きだ」
 呪文のように何度も唱えるレイ。いままで言いたくても聞いてもらえなかった言葉。そのぶんいくらでも繰り返すとでも言いたげに。
 縛られたエドガーの前、レイは全身をさらす。角灯の薄明かりに肌をさらし、見せつける。それだけは外さなかった銀鎖が妖しく彼を飾り、唾を飲んでしまったエドガーにレイは微笑む。
「おい、待て――」
「と言ったら待つと思うのか、君は? もう何度も待たないと言っているのに?」
 悪戯に目を輝かせ、レイはエドガーの前に膝をつく。エドガーを見たまま、顔を伏せる。エドガー自身に。飲み込まれるたまらない感触に呻くエドガーに、レイこそ切なげに身を震わせた。
「レイだめだ」
 痺れの取れた足が、別の物に強張っている。力を入れ過ぎた内腿が震えだす。そこにもレイはくちづける、満足そうに。とろりと滴ってしまった雫を舌先ですくわれれば、背筋に痺れ。体中、レイの唇が這っていた。手指が這い回った。呻き、身をよじるエドガーをレイの眼差しが絡め取る。縛られたまま、何一つさせてもらえないまま、エドガーはうっとりと笑うレイを見つめる。その首筋に伸びてくるレイの腕。彼が何をしようとしているかは明白だった。恥ずかしげもなく跨り、片手でエドガー自身を支え、レイは。
「あぁ……エドガー……」
 レイの後ろに飲み込まれて行く自分のもの。何度となく重ねた体。それなのに。貫くのではなく、貪られている。震えるほど、たまらない。
 体の上、レイが身悶えている。満足に見ていられもしなかった。そんな余裕はとっくに剥げた。レイによって剥された。絡みつく眼差しに、吸い付く肌に、蠢く中に。
「レイ、もう少し――」
「だめだ。許さない」
「レイ――」
 そっと微笑んだレイが眉根を寄せる。それからいっそう熱心に動きはじめる。エドガーが耐えられるはずもなかった。足を組み、より深くレイを引き寄せれば上がる嬌声。穿ち抜いた彼の中、放ったのはエドガーの方が早かった。




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