木蔦の家

 降臨祭を間近に控え、ここアリルカの地もどことなくそわそわと騒がしい。エドガーは神人の子らがいるせいか、とはじめは思っていた。なんと言っても彼らを生んだ父たる種族の降臨を祝う祭りなのだから。
 が、まったく関係がなかった。むしろ降臨祭を祝う、と言いだしたのは人間だったようだ。遥か昔に一度廃れた祭りだったけれど、復活してからもまた久しい。エドガーにとっては年に一度の大騒ぎ、その程度の認識でしかない。おそらくだから、祝うと言いだした人間たちもそのようなものだったのだろう。
 それを神人の子らはどう思ったのだろうか。彼らを生み、そして消えて行った神人という神の御使い。生み出された子供たちはどう思うのだろう。聞いていいことかどうか、エドガーにはわからない。が、聞いて不快だったら苦笑して首を振るくらいで済ませてくれる人がいる。
「なぁ、ファネル」
 訓練の合間だった。降臨祭が近いからと言って訓練まで休みになるわけはない。万が一の際に備える戦闘班だ。こればかりは当然にして日常のまま。
「あぁ――」
 エドガーの疑問にファネルは苦笑した。やはり、不愉快な質問だったか、とエドガーは眼差しで詫びる。それにもう一度ファネルが微笑んだ。違うと首を振り、剣をかわす。手を休めるな、ということらしい。
「我々は、神人になんの感情も持っていないからな」
「そう……なのか? 一応は、親なんだろ?」
「顔も知らん、存在すら曖昧な親だぞ? なにをどう思えと言うんだ、お前は」
「いや、それは――そうか。まぁ、人間だったら顔も知らないからこそ懐かしかったり恨んだりってのがあるんだがな」
 硬質な金属の音。エドガーはこの音が嫌いではない。自分の身になっていく音、そんな気がする。これがいつかどこかで役に立つ。そう思えばこそ、訓練も楽しい。
「なるほどな。我々は、あまりそうは思わないな。お前たち人間は、たとえ顔も知らない親であっても、親がいるという概念はあるだろう?」
「そりゃ、まぁな」
「だが、我々神人の子らは、父親がいた、という事実を知りもしない。母親がいた覚えがあるものもいなくはないが、朧な思い出よりもなお夢のようなもの」
「でも、あることはあるんだろ?」
「親というのが語弊なんだろうな。この世に生まれたばかりのころに自分ではない誰かがいた、という認識がある、と言った方が正しいようなものだ」
 恨むまでの感情を持てるほど濃い関係ではない、ファネルは言う。神人に至っては、父である神人が誰であるのか、個人を特定できた子らは一人もいない、とファネルは言う。肩をすくめたその隙に、エドガーは剣を振る。隙を見せたファネルだ、と言わんばかりに。申し訳なさへの謝罪とわかってくれる気がした。案の定ファネルはにやりと笑う。
 こうして剣をかわし、不快であるだろう話をし。ファネルとはそれでも親しい友人以上のものではない。レイのよう、共に暮らしているわけでも、ましてやその肌身を知っているわけでもない。それなのに、ファネルは信じられる。仕種ひとつ、態度一つで感情が伝わる、汲んでもらえる、それを信じられる。けれど、レイには。
「――よけいなことだとは思う。エリィに聞かれればそれでも神人の子かと笑われるのは承知の上。が、友人には忠告をしたい質でな、私は」
 ふっとファネルは剣を収めて微笑む。つられてエドガーもまた剣を引く。どうやら訓練も終了の時間らしい。ずいぶん熱心に、というより無我夢中で打ち込んでいた自分を思う。
「――お前はな、エディ。もう少し自分を信頼する、ということを学んだ方がいい。自分が信じられなければ、誰の思いもまた信じられるものではないぞ」
「何を……」
「さてな? 思い当たることがあれば改めればよし。覚えがなければ今後のこと、として心の隅にでも留めておけばよし。忠告とは、そういうものだろう?」
 見抜かれている。青くなるエドガーにファネルは笑った。カレンにも言われたことが蘇る。レイはただ助けてほしいばかりで側にいるのではない、心惹かれているからこそ、と彼女は言った。それを決して信じない自分。信じる信じないと言うような問題ではないと固く、それこそ信じてきた。それをファネルにここで、いま。それなのに彼は何を言ったわけでもない、と笑っている。立ち尽くすエドガーに、エリナードがファネルを呼ぶ明るい声が届いた。
「……さっきは」
 ファネルとなにを話していたのだろうか。レイがそう問うているのはエドガーにもわかっていた。訓練終了後のいつもの道筋。迎えに来てくれたレイを伴って、今日はイメルの家へと向かう日。ネシアの町への護衛仕事が終わってもレイは律儀にイメルのところに通い続けている。二日に一度、レイがイメルと何をしているのか、やはりまだエドガーは教えてもらえていなかった。
「あぁ、いや。大したことじゃない」
「――それにしては、顔色が悪いから、聞いているんだ。もしファネルさんが――その、だったら、僕にも、色々と。だから」
「はい!?」
「別になんでもない! なにもなかったんだったらそれでいい!」
 人目のある道だからだろうか。ぽっと頬を赤らめたレイの顔。いまのエドガーは見つめられなかった。普段ならば視線を感じるのだろうレイ、だからこそそっぽを向いたままなのに、いまは訝しげに振り返る。慌てて笑みを刻んでも遅かった。
「……エドガー」
「言いたくないわけでも言えないわけでもねぇよ」
 レイではあるまいし。イメルのところで彼が何をしているのか。聞いても彼ははぐらかすばかり。問い詰めることもできない自分の立場。思った途端、信じられないのは自分か、レイか。ファネルの問いが蘇る。きつく首を振るエドガーの腕、そっとレイが自分のそれを添えた。
「――僕では、君の力にはなれないのかもしれない。それでも、何か言ってくれれば、誰か、相談に乗ってくれそうな人がいるかもしれない。僕にはわからなくても、エリナードさんやイメルさんなら」
「大丈夫だ。気にすんなよ」
「……ってる」
「ん?」
 覗き込んだレイの顔。わざとらしいと自分でも思うエドガーだった。それでもレイはこうしてみせれば、そっぽを向いて話題を打ち切る。それを経験則として知っている。そのエドガーをレイは驚かせた。
「気にしないわけがない、そう言っている。――君は、僕をなんだと思っているんだ」
 まるで二人きりの時のよう、レイはうつむいた。腕にかけられたレイの指が、いまにも滑り落ちそう。エドガーは無言で抱き寄せる。肩を抱かれたままでは歩きにくいだろうに。それでも離れがたそうなレイ。不安だけが、心の中で膨らんでいく。
「よう、イメルさん」
 幸いだった、イメルの家のすぐ側まで来ていて。イメルは現れるなり、まだ肩を抱かれているレイに目を留めてはほんのりと微笑む。
「んじゃ、あとは。俺は帰りますんで」
 肩を離してレイの背を押した。振り返り、それでもレイはイメルの傍らへと。ずっと目だけは、エドガーを見ていた。
「――こんなときくらい、一緒に帰ってもいいのに。無理して通わなくていいんだよ?」
 イメルの声がエドガーの背中に届く。レイがなんと答えたか、あるいは無言だったのか。エドガーにはわからなかった。
 すぐさま家に帰る気になど到底なれそうにない。元々レイがイメルのところに行っている間は「羽を伸ばす」ことになっているエドガーだ。かえって窮屈だ、とイメルには見抜かれている、ふとそんなことを思う。
「今更、かな」
 イメルは年経た魔術師。朗らかで明るい、人生を謳歌する青年にしか見えないけれど、人間には到達できないほどの人生経験を積んでもいるだろう。
「俺程度なんざァ、まだまだケツの青いガキってか」
 ふん、と鼻を鳴らしてみる。馴染みの酒場だった。躍る子鹿亭は今日も戦闘班の仲間たちで賑やかだ。降臨祭が近いせいだろう、普段は出ない酒を飲んでいるのもいた。エドガーは飲む気になれず、いつもと同じよう茶を頼む。
「はい、お待ちどおさま!」
 小鹿亭の給仕はいつもながらに明るかった。それこそ眩しすぎて苦笑したくなるほど元気のいい娘だ。くるくるとよく働く娘が、エドガーは嫌いではない。が、いまはあまりかまってほしくない。
「もうすぐ降臨祭でしょ? もう、うちも大忙しなの」
「だったら働けって」
「働いてるじゃない? ほら、追加の注文、ないかなーって!」
 きゃらりと給仕、ミランダは笑う。本人は少々大仰すぎる名前だ、と感じているようでミラと呼んでくれ、初対面の相手にはいつもそう言う。エドガーももちろんそう呼ばせてもらっていた。名前は呼びやすいのが一番だ、と言いつつ。本心は、違う。レイを思っていた。彼もまた、本名で呼ばれるのを嫌う。女性名なのだから当然と言えば当然。けれど「ミルテシアでの女性名」が大陸中どこであっても女性名、というわけでもない。レイはこのアリルカに来て、自分と同名のレイラ、という男性にも出会った。それでも思うところがあるのかないのか、レイは頑なにレイと名乗る。だからこそエドガーは彼をレイと呼ぶし、彼だけを特別視しているわけではない、性分だと嘯くためにも、誰であれ本人の名乗りを尊重することにしている。
「あるわけねぇだろうが。いま茶ァ持ってきたとこだろ」
 そっけなく言ってもミラは聞く耳持たなかった。降臨祭に浮かれているらしい。それだけ若い娘だな、と思って苦笑が浮かぶ。祭りの熱気は容易く惹かれあう者同士を近づけもするものだから。あちらこちらと立ち働きながらミラは明るい。上気した頬、潤んだ目。落ち込んだ時にからかうには、うってつけの。
「なぁ、ミラ」
「ん、なになに?」
「惚れた野郎でもいるのかと思ってな。浮かれすぎだぜ、お嬢ちゃん」
 歴戦の傭兵の顔を作ってにやりと笑ったエドガーにミラはぱっと赤くなる。あながち冗談でもなかったか、とエドガーは小さく笑った。
「やだ、もう! やめてよ! ほんと、信じらんないんだから!」
「いたっていいだろうが。若い娘さんなんだからよ」
「やだそれ。すっごいおっさんくさいー」
「おっさんがおっさん臭くってなにが悪いよ」
 ミラの年から見ればエドガーなど立派に小父さんだろう。エドガーにとってもミラは小娘でしかない。だからこそ他愛ないことを言える、というのも事実ではあるけれど。今日はミラをとことんまでからかうか。思ったとき、躍る子鹿亭は別の客を迎えた。




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