木蔦の家

 ネシアの町まで四日。馬で駆け抜ければ場合によってはその半分以下で着くけれど、隊商が一緒ではそうもいかない。とはいえ、アリルカの護衛隊にとっては慣れた道でもある。
「一応の用心はするよ。運んでるのは貴重品だからな」
 明るく言うのは闇エルフの子。護衛隊を率いる半エルフの子の補佐を務めている男だった。その半エルフの子曰く、本質的には副隊長であるシャムスが隊を率いているのだそうだ。が、護衛隊長ともなれば否が応でも外部との接触を持つことになる。闇エルフの子ではそのようなときに要らない悶着が起きる。彼を守るために自分が前に立っている、隊長のカマルはそう言って小さく笑った。
「あいつがこんなに喋るの珍しいね。あんたは気に入られたかな?」
「そう、なのか?」
「おうさ。ほんっとに無口なやつだからねぇ。一緒にいたって三日くらい話し声を聞いた覚えがなかったりするし」
 くつくつと笑う闇エルフの子にエドガーは微笑ましい思いを抱く。アリルカという国を見る思い。闇エルフの子が、どうあってもどこにいても人間に迫害され続けてきた種族がこんなにも明るく笑って過ごしている。見ている限り、護衛隊長と彼は恋仲なのだろう。だからこそ、明るいのかもしれなかったけれど。
 それを思えば胸に痛みが走る。レイ。心の中で呟いてみる。遠くて、あまりにも遠すぎて、届かない気がする。否、きっと届かない。決して届かない。
「よ。一勝負、どうだよ?」
 陽が落ちてからも隊商を進ませるわけにはいかない。結果として一行は野営をすることになる。もちろん護衛隊は交代で夜番を務める。
 とはいえ、みなが歴戦の戦士だ。四六時中気を張っていなくとも周囲の警戒は充分にできる。夜番を務めながら、だから手遊びに賭け事をする。
「あぁ、いいな」
 この隊には人間の戦士がエドガーを入れて五人いる。他に人間出身の魔術師が二人。この規模の隊としては魔術師が二人というのは多すぎるほど。もっともアリルカという不思議の国だ。物理攻撃手より魔法の使い手の方が多いくらいなのだから当然の配置なのかもしれない。
 魔術師たちは二人とも早寝だった。隊商の護衛に加わっていると体が持たない、と彼らは笑う。魔物よけに護身呪、その他諸々。戦士にはわかり得ない魔法を使い詰めなのだと言う。それをわかっている戦士たちは彼らの眠りを覚まさないよう、小声で賭け事に興じていた。
「――意外と勝ったな」
 ネシアの町に到着したときにはエドガーは結構な勝金を手にしていた。所詮あぶく銭、娼家にでも行ってぱっと使ってしまってもいいようなもの。が、やはりできない。
「……別に、気にしないだろうけどな」
 レイを思ってしまう。浮気がどうのと言うような関係ではない。自分が遊んできたとしてもレイは何も言わないのではないかとは思う。それでもできないのは。
「言ってもらえないのも哀しいってな」
 自嘲してエドガーはそっと笑った。レイがなにも言ってくれなかったら。そう思ってしまえば遊ぶ気も失せ、気晴らしになりようがない。
 隊商はすでに納入に行っている。道々聞いたところ、どうやら降臨祭を当て込んだ贅沢品らしい。ネシアの商家は単に商品の経由をするのであって、本来の買い手はミルテシアらしい。
「神人の子らの手工芸は人間社会で人気だからね」
 知らなかったか、とシャムスが笑う。エドガーとしてはまったく聞いた覚えのない話だ。それに彼は少しばかり悲しそうな顔をした。
「ん、やっぱなぁ。ほら、さ。神人の子らって外では、ね? だからどんなに素敵なものを作ってもあの人たちが作ったとは言われない。外国からの輸入品、で済まされちゃう。そうしないと売れないらしいから。それなのに、欲しがるんだ。不思議だよな、人間って」
「まぁ……確かに」
「あ、いや。ごめん。エディも人間なのにさ。聞いてて嫌な気分だったろ?」
 普段は気をつけているのだけれど。小さく笑って彼はうつむく。そのうつむき方だろうか。まったく彼はレイとは似ていない。レイはいかにもミルテシア風の華やかな美貌だ。彼はこれが闇エルフの子ということなのだろう。明るく笑っていてもいやに蠱惑的。それなのに、レイを思った。それだけいつもうつむかせてしまっている。そんな気がしてならなかった。
「……そうか。降臨祭、か」
 シャムスと話していたことをぼんやりと思い出していたエドガーは足早に歩きだす。訪れたことのない店を探そうとする。そもそもネシアの町自体、来たのはずいぶん前だ。以前、幸運の黒猫隊の仕事で来た覚えはあるから、だいたいの町のつくりは覚えている。それを頼りに探し出す。
「お、あったな」
 見つけたことに気をよくして店の扉に手をかける。かけようとする。その手が、止まってしまった。レイは、どう思うだろう。
「急に、こんなものって……」
 思うだろうか。嫌がりはしないだろうか。自分から降臨祭の贈り物、などと言われてもレイは困惑するだけかもしれない。否、間違いなくするだろう。ならば、賭けに勝っただけのあぶく銭。気に入ったものを衝動買いしたのだとでも言えばいいか。レイのために選ぶものを衝動買いする意味がわからなかったけれど。その辺は見逃してほしい、そんなことを思う。
「エディー。二人ばっかり戻ってないんだ。頼むよ、連れ戻してきてー」
 ネシアを発つ日になって呆れたシャムスの言葉。カマルがすまない、と軽く頭を下げている。どうやら遊びほうけていて戻っていない戦士が二人、いるようだ。こんなときエドガーの経験が役に立つ。黒猫隊に長くいただけあって、剣で生きているものがどんなところで遊んでいるか見当がつく。案の定、捜しはじめて二件目の酒場であっさり二人は見つかった。
「まさか――」
「飲んでない、飲んでない! ちょっと賭けが……」
「その、キリが悪くってな? わかっちゃいたんだけど……、その」
「言い訳は俺にするんじゃないだろう?」
 眉を上げて殊更めかして見せるけれどエドガーの目は笑っている。ネシアまでの四日、町についてからの三日で彼らとも充分に親しくなっている。元々戦闘班で共に訓練をしているのもある。ずいぶん呆気ないほど、エドガーは彼らに懐かれている。新参の自分なのに、と思えば不思議だった。
「あんたはさ、どっちかって言ったら使われる方じゃないだろ? おんなじ使われるでもさ、小隊長程度はやってて不思議じゃないって言うか」
「そうか? まぁ、ついこの前まで傭兵隊で小隊長やってたけどな」
「あぁ、やっぱなぁ。そうだと思ったよ」
 帰り道、荷が軽くなって気も軽くなったかと言えばそんなこともない。贅沢品は持ち歩かなくなったけれど、今度は売り上げを持っている。現金であるだけに一層気を引き締めて行かないと危ない。行きは魔物の襲撃が一番怖かったけれど、帰りは盗賊の襲撃が怖い。そんな中でもアリルカは戦い続けてきた国、ということなのだろうか。副隊長を務める闇エルフの子は明るかった。性根が明るいだけかもしれないが。
「ディアナもそのうちに頼むって言うかもよ? まだ慣れてないだろうから遠慮してるんじゃないのかなぁ」
「それが役目なら厭いはしないけどなぁ……。できれば遠出するのは、な。それこそ我が儘言ってるのはわかってるんだけどよ」
「レイだっけ? エリナードさんの書記やってるよな。あれ、実はすごいことなんだよ?」
 くつりと彼は笑う。エリナードは何かと有能すぎて書記など置いても大抵はやることがなくなってしまうのだと言う。その上であの態度の荒さだ。机に向かってばかりの書記ではとても勤まりきらない、彼は笑う。
「なるほどなぁ」
 返事をしながらエドガーは少し、苦い。レイがエリナードにとって有能な書記であれるのは大変に喜ばしいと思う。それだけは嘘偽りない感情だ。けれど、レイがエリナードの暴言に耐えられている理由を思えば。エリナードには悪意は欠片もない。それは付き合っていてエドガーにもわかっている。荒い態度も口の悪さも、彼にとっては自然なもの、と言うよりある意味では照れ隠しのようなものかとエドガーも思わなくはない。
 けれどレイがその暴風雨に耐えられているのは。エリナードに、というより魔術師に、あるいは魔法そのものに興味があるから。それも一理なくはない。が、最大の理由は、タングラス侯爵家に違いない。あの嫡子にいたぶられ抜かれていたレイのこと。エリナード程度の暴言などどうということもないだろうし、悪意がないのならばただの会話と聞き流しすらできるのだろう。それが、哀しいような切なさを呼ぶ。
「――見えてきた」
 シャムスが言うとおり、隊を率いるカマルは本当に無口だった。野営の準備、翌朝の出発、その程度しか声を聞いた覚えがない。その彼が上げた声。エドガーはぱっと前を見る。危険を感知してのことではない。
「アリルカだ! 帰ってきたよぉ!」
 ほんの数日の行程でも、ここは故郷だ。みなの顔にそれが表れている。もちろん大金を持って歩いているのだから緊張もあった。それから解かれるとなれば誰でもほっとする。けれどそれ以上に。
 最後の行程だからこそ、気を引き締めて一行は進んでいく。何事もなく森の結界を越えた、と隊長が宣言したとき誰からともなく歓声が。ここで護衛隊は解散だ。隊商が護衛隊の分まで馬を預かると高らかに声を上げれば、護衛隊からは感謝の叫び。拳を突き上げる彼らに隊商の方もまた同じ仕種。無事の帰還を喜び共に祝う。そして戦士たちは各自家に戻るなり酒場に行くなり。隊商の方もほくほく顔で町に戻っていく。
 戦士たちの誘いを断ったエドガーは鞍袋を担いだまま森の中を進んでいた。だいたいの方角の見当はついている。近道をするつもりだった。一刻も早くレイの顔が見たい。もう夕刻だ、このぶんならばイメルの家に戻っている頃合かもしれない。その、足が。止まる。
「……おかえり」
 木の影から現れたのは、レイ。いつどこで誰が来るかわからない道に立ち、レイは何を。震えながら彼は何を。気づけば走り寄り、レイを抱きしめていた。まずい、と思ったときにはもう遅い。
「こんなとこで、あんた。何を」
「……君を、待っていたに決まっている」
「な――」
 言葉もなかった。十日程度と言っただけで、本当にその期限で帰ってくるかわからなかった隊商。実際遅れて十二日。それなのにレイは、待っていた。ここで、エドガーの帰りを。きっとここを通るはずと予想して。
「お帰り、エドガー」
 もう一度言ってレイはエドガーの胸に顔を埋めた。安堵の吐息が胸元から聞こえる。背にまわった腕が自分を抱きしめて離さない。嘘のような、夢のような現実。エドガーは醒めたくなくて無言で彼を抱いていてた。




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