ディアナが戻ったことで訓練が本格的なものになった。元々アリルカは魔術師が多い国らしい。よって戦闘方法は通常の軍隊とは違う。むしろエドガーとしては傭兵隊に近い、と感じていた。 「ボケっとすんな、撃つぞ!」 議事堂の壁沿いに腰を下ろしたエリナードの笑い声。あの日、窓から彼が出てきたのは魔法を撃つためだったと知った。戦闘呪文による攻撃、他の若い魔術師たちがそれを必死に防ぐ。その合間をかいくぐり、戦闘員たちは剣で戦う。それがアリルカの戦い方だとエドガーは知る。馴染みがあるぶん、気も楽だった。 「傭兵隊出身だと、わかりやすいでしょう?」 エリナードの隣に佇むレイの眼差しがこちらを向いている気がした。あるいは、戦闘を眺めているだけかもしれないが。 「まぁ、確かに。魔術師との連携は慣れてるから」 「助かるわ。機密に触れない範囲でいいから、どんな戦い方をしてたのか聞かせてくれると嬉しい」 にこりとディアナが笑う。自分より少しばかり年上か、とエドガーは思う。それにしては華やいだ笑みでどことなく落ち着かなかった。 「いいですよ」 黒猫がどんな戦い方を得意にしてきたのか。顧客に聞かせる程度ならばなんの問題もない。ディアナはそれをも取り込んでアリルカの戦闘を洗練させるのだろう。 「戦いはね、ないに越したことはないわ。それでも、もしもの時に備えるのが私たちの務めだもの」 なんの気なしに言っているような言葉。それなのにこんなに重たいものもなかった。正にそのためにこそ、戦力というものはある。あるべきだ、とエドガーは思う。騎士として生まれたエドガーはより強くそう思う。それはそのような理想が貴族社会に廃れて久しいせいかもしれない。 「そろそろ昼よ。どうする?」 ディアナの誘いにエドガーは頭をかく。毎度毎度律儀に誘ってくれるのは嬉しい。仲間に入れてくれる心遣いは何よりありがたい。けれど。 「いいのよ、気にしないで。気が向くこともあるだろうから誘ってるだけ。じゃ、また明日」 軽く手を振りディアナは踵を返す。颯爽とした足取りだった。思わず見惚れてしまうほど美しい戦士の背中。 「……レイ?」 いつの間に来たのだろう、レイが傍らに立っていた。きゅっと握ってくる二の腕にエドガーは苦笑する。 「腹減ったろ。行こうぜ」 戦闘班の訓練は昼まで、と決まっている。何も四六時中朝から晩まで訓練漬けにしていても体を壊すだけでいいことなど一つもない、というのがディアナの考え方だった。クレアもそう考えていたな、とエドガーは思い出す。 「――エドガー」 「うん?」 「何を……考えていたのかと、思って」 ファネルに抱かれたエリナードが手を振っていた。小さく微笑んだファネルと彼にレイは無言で頭を下げる。つられるようエドガーも一礼した。 「――隊長のことを、思い出していたのかと、思った。帰りたいのだろうか、と」 「はい?」 「だから!」 「いや、いい勘してる。さすがだとは思う。確かにクレアのことは考えてたぜ」 「だったら――」 「けど、帰りたいってなにがだ? どこにだ?」 自分の帰るべき場所はレイの側だ、とは言えるはずもないエドガーだった。笑い飛ばすよりない。唇を噛んだままうつむいて歩くレイ。思いわずらわせたくなどないというのに。 「ディアナとクレアは考え方が、訓練に関する考え方が似てる。俺としてはそれが楽だな、と思ってた。他のやり方もあるだろうし、どれが正しいわけでもないだろうがな。慣れてるやり方だとやっぱり楽は楽だからな」 「……そういうものか?」 「あぁ。あとはあれだな。女の方が合理的っつーか、無茶して体壊す必要がどこにあるって平気で言える隊長は女の方が多いな、とも思ってた」 「男は、言えないものかな」 「俺が知らないだけかもしれないけどな。俺が知る限り、男の隊長のが無茶はする。俺にできることがなんでお前らはできないんだやれって言うのはたいてい男の隊長だな」 かつて見知っていた傭兵隊の隊長たちを思い出す。幸い、同じ男性隊長でも先代黒猫のリックは違った。あるいはリックに鍛えられたからこそ、そのような考え方をするようになったものか。懐かしいようなくすぐったいような思いのエドガーの傍ら、信じられないとレイが首を振っていた。 「……無茶苦茶だな」 「だろ。できるできないは人それぞれだ。戦闘訓練一つとってもそうだからな」 「でも、戦う訓練なのだろう? できないと困るような気もする」 「そうでもない。まぁ、応用の問題だけどな。基本ができてる上で、剣で相手をぶった切る方に適してるのか、それとも遠距離から弓を使う方がいいのか、そのあたりは適性だろ」 「僕だったら――。いや、なんでもない」 戦いたいのだろうか、レイは。戦えない自分、というものを思うのかもしれない。ただ、エドガーは彼に剣を取ってほしくはない。 「しつこいようだけどな、レイ。前も言ったと思う。あんたに戦ってほしくない。結局な、一度でも剣を持てばいつどこで死んでもおかしくない、殺されても文句は言わないって世間様に言ってるのとおんなじなんだぜ。――あんたにそんな生き方をしてほしくねぇよ」 生活のためだと言っても、人の命を奪うとはそういうことだとエドガーは思う。戦争だ、雇われた、何を言っても奪うのはこの手に違いはない。黙ってレイが手を握ってきた。 「……僕は」 「うん?」 「……君に、死んでほしくない。それは、嫌だ」 言葉もなくただ歩き続けるエドガーをレイはどう思っただろう。何も言えなかっただけだった、エドガーは。握られた手が、繋ぎなおした手が、ただ温かい。ゆっくりと息を吸い、吐く。そうしているうちに、二人の小屋だった。 「昨日の残りでいいか」 それしかないけれど。レイが呟くように言って縄梯子を下ろす。魔法の縄梯子の合言葉を呟くとき、彼はいつも楽しそうだった。そのぶん、のぼるのがつらそうでエドガーは見ていられない。 「レイ、ちょっといいか」 昼食は昨日のうちに買っておいた煮売り屋の惣菜。樹上の小屋が多いこの国では大繁盛だった。おかげで安くて量も多い、二人としても助かっている。 「……なんだ」 怯えたような一瞬の眼差し。なんでもない、と呼び寄せればレイの方から寄り添う。その体に腕をまわし、緩く抱けば頼りない、と腕の中でレイは首を振っていた。 「もっと」 囁きよりなお小さな声。レイ本人は口にしたつもりがなかったのだろう。きつく抱いた腕の中、硬直する。それを笑えば、力を抜いた彼もまたそっと笑った。 「エドガー。話とは。――ディアナのことか」 「はい!? なんでディアナ。どこから出てきた!」 「いや、別に……なんとなく。違うのか」 「違う。全然違う。見当違いにもほどがある。驚いた」 「そこまで言うととても嘘くさい」 むっとして顔を上げたレイはそれなのに目で笑っていた。この国に落ち着いたせいだろうか、こんな表情を見せるのは。エドガーもまた同じように笑みを返し、彼を抱いたまま寝台に腰を下ろす。狭いこの小屋にはゆったりとくつろいで座れる長椅子などという上等なものはない。 「あんたのことだよ」 「僕の? ――それは。君は、もう僕の」 「あんたの保護者役を買って出てるのは俺の勝手。あんたが気にするようなことじゃない。そういうことで話はついてたはずだぜ? 迷惑がどうのなんてもう言わないって、決めたよな?」 確かに、とレイはうなずく。そのままなぜかエドガーの胸に顔を埋めた。背中にまわされた腕が、縋りついてくる。まるでずっと側にいたいと言っているかのように。勘違いだとエドガーは内心で首を振る。そのぶん声は明るく。 「手ぇ見せな、レイ」 まわされた腕を振りほどきたかった。同じほど、ずっと抱いていてほしかった。あらぬことを口走るより先、エドガーはそう朗らかに言ってのける。 「手? なんだ」 「あぁあ、やっぱりな。こんなに荒れて。痛いだろうに。早くに言えよな、もっと」 「別に……」 顔をそむけたレイが何を思うのか、エドガーにはわかり得ない。ただ握った手はやはり赤く荒れていた。肌が剥けてこそいないけれど、書記仕事には痛いのではないだろうかと思う。贈ったエリナードの腕輪が繊細な分、よけいに赤さが目立つ。 「あんた、この国に落ち着けそうか?」 荒れた手に、何をしてやれるわけでもないエドガーだ。そっと握って撫でているくらいしかできない。それでもレイは心地よさそうにしていた。 「……できれば。……本当は、ずっと旅をしていたい、そう思っていた。……どこでもないどこかに、君――いや、行けたらな、と思うこともあった。でも、ここなら……立ち直れそうな気もする。それも、いいかと思う」 ほんのわずかレイは動揺した。言いかけたのはなんだろう。エドガーは知らぬ顔をした。言いたくないならば、聞きたくないとばかりに。その代わり、うなずく。 「だったら、家を借りよう。あんたの給金と俺のを合わせりゃ、小さな家くらいは借りられる。ここ、物価が安いからな。借家代だけ馬鹿みたいに高いってことはないだろうさ」 「エドガー? でも」 「とりあえずエリナードさんに相談だな。聞いてみようぜ」 「なんで、急に、そんな!」 「――あんたの手だよ、レイ。柔らかい綺麗な手ぇしてんのに、毎日朝晩縄梯子だ。痛いだろ? 見てる俺の方が痛い」 だから自分の我が儘だ、エドガーは笑う。それを聞いてくれるか、とレイの目を覗き込む。レイはどうしてだろう、泣きそうな顔をしてエドガーの頬を両手で包む。荒れて熱を持ったレイの手。まるでひんやりとしたエドガーの頬で冷ますかのよう。 「レイ」 何も言うなと夜色の眼差し。黙って目を閉じたエドガーの唇に彼のそれ。甘く苦いレイのくちづけ。かすかに震えるレイの唇に、エドガーは目を閉じ続ける。 「エドガー。僕が欲しくはないのか」 応えないエドガーに焦れたレイの声。ぎゅっと縋る眼差し。エドガーは大らかに笑ってみせた。レイが気分を害するほど。 「まだ真昼間だし? あんた、木の上であんまり暴れると小屋が落ちやしないかって、ずっと気になってただろ、実は?」 「そんなことは――!」 さっとレイの頬が赤くなる。普段は血の気のない唇にも色が差す。目の前でそれを見つめるエドガーは何気なく笑って彼の額にくちづけた。視線をそらしたくなったのだと気づかれないように。 |