木蔦の家

 エリナードの呼び出しに応じて向かったのは湖の傍らに立つ議事堂だった。国の重要な会議はそこで行われる、と聞く。他にもアリルカの重鎮たちや主立った魔術師はここに部屋を持っているという話だった。
「カレンさんのように、だろうか」
 隣を歩くレイの口許がほんのりとほころんでいる。それがエドガーは嬉しいような、くすぐったいような。同じほどに戸惑うような、複雑な思いだった。
「あぁ、あいつの工房か。呪文室って言ってたっけな」
 魔術師には欠かせない部屋なのだと言っていた。他に魔法の影響が漏れないように実験をする場所がどうあっても必要だ、と。そのときばかりは意外なほどに真剣だったカレンの表情を思い出す。
「いて。――なんだよ?」
 突然にぎゅっと握られた腕にエドガーは首をかしげていた。そっぽを向いたままのレイは口もきかない。むつりと唇を引き締めたままだった。いままで機嫌よく歩いていたはずなのに。そう思えばどうにもならない思いばかりが積み重なっていく。
「君が……」
「うん?」
「……なんでもない」
 言いさしてやめてしまうのはいつものこと。二人きりの時のレイは他人がいるときとは打って変わって口数が少ない。
 それでも少し、変わったことがある。イーサウにいたころは、他人に対する恐怖からレイは寄り添って歩いていた。縋りつく腕はきつく握りしめられ、エドガーの影に隠れるように歩いていた。いまはまるで。
 ――恋人同士みたいってか。まさか。
 内心で自嘲し、エドガーは心の中で首を振り続ける。軽く寄り添うレイのぬくもりすら感じられるようで、やりきれない。昨晩のレイの肢体が脳裏によぎり、慌てて首を振った。
「エドガー?」
「いや。なんでもない」
「……そうか」
 やめられてしまっては何を言うこともできなかった。言うつもりはなかったのに、空しくもある。我ながら始末に負えない、エドガーはそう思う。
 どことなくすれ違ったままたどり着いた議事堂は、呆気にとられるほど美しかった。人間の建築ではないな、とエドガーは直感する。後日ファネルに聞けばそのとおり、神人の館だった。
「エリナードさん? お呼びと伺ったが」
 静謐そのものだと思っていた議事堂だったが、そのようなことはなく内部は活気に満ちている。至るところに人がいるらしい。レイは以前のよう、エドガーに縋っていた。エリナードの部屋に入ってようやくほっと息をつく。
「おう。悪いな、呼びつけて」
「いや、別に。なんです?」
「仕事の当てだよ。探しとくって言ったろ?」
 にやりと笑ったエリナードは執務机にかけていた。そうしていると体が不自由だとはとても見えない。ひょいひょいと手を振って茶菓の用意をしてくれるのもまた、魔術師らしい。
 が、用意された茶に目もやらず、レイは執務机の上を食い入るように見ていた。つられるように見やったエドガーも溜息をつく。
「すごいな……」
 宝飾品の数々だった。丁寧に揃えて置かれているそれらが窓から射し込む光にきらきらと輝いている。レイならずとも見惚れる美しさだった。
「綺麗だろ?」
 満更でもなさそうに言い、エリナードはこれで糊口をしのいでいるのだ、と笑った。魔術師だとて食べて行かなくてはならない、そうまたも笑うエリナードにレイはうなずいている。だから自分も働くのだと言いたげに。
「さて本題だ。エディは問題ねぇ。そっちで訓練してんだろ?」
 見えるだろう、と窓の外をエリナードが指差す。最前からエドガーは気になっていた。美々しい建物の裏手で行っているにしては殺伐としたもの、戦闘訓練。
「うちの戦闘班さ。ファネルがいるだろ? うちの戦闘班は交代で隊商の護衛につくからな、いまは長のディアナがちょうど護衛で出てる。ファネルはその代わりに面倒見てんだ」
 イーサウでもそうだったけれど、旧シャルマーク国内ではいまだに魔物が出没する。護衛任務は欠かせない日々の仕事だ。エドガーとしてはもっともだ、とうなずけた。
「正式にはディアナが戻ってからってことになるんだろうがな、とりあえず戦闘班に入ってくれ。傭兵隊出身だったら馴染めねぇってこともねぇだろうさ」
「ありがたい。身についた仕事だから助かる」
「せっかく訓練してきたもんだしな。錆びつかせんのはもったいねぇだろうが。で、レイだ。あんたは――嫌じゃなかったら俺んとこで雑用やってくれ。俺は書きもんの類が面倒でよ。イメルに四六時中怒鳴られてんだ。筆記を受けてくれると大助かりだ」
「いいのですか、僕で? それは……僕も助かりますが」
「じゃお互い様だ。いいよな、それで? 俺がここで仕事してる間だけだけどな、給金は弾むぜ。どうにも俺の仕事は面倒みたいでよ、書き物やってくれるやつが居つかなくってまいってた」
「僕でよければ」
 ほんのりと含羞むレイにエドガーは視線を向けない。ただ横目で見ていた。違うだろうとは思う。エリナードにはファネルがいて、レイにとっては男性でありながら警戒を要さない気楽な人物というだけのこと。ただそれだけだ。それでも。
「レイはよくてもエディがよくねぇって顔してるけどな? どうよ?」
「あ、いや。別に。問題――」
「エドガー、君は……その。いま……」
「別に妬いてない!」
 言った途端だった、エリナードが吹き出したのは。当然にしてエドガーは天井を見上げている。おかげでレイがいまどんな顔をしているかを見ずに済んだ。
「それ、語るに落ちるってやつだよな? エディよ」
「言わねぇでください。っとにもう。俺はいいから。気にすんな、あんたの得手だろ。いい仕事だと思うぜ」
「そうか……うん。ありがとう」
「めんどくせぇお人みたいだからな。愚痴なら聞くから」
 にやりとエリナードを見て言えばにんまりと笑い返された。そしてまたも腕に痛み。見上げてくるレイはきゅっと唇を噛んでいた。
「……エリナードさんには、ファネルさんがいると、僕は思う」
「そういうんじゃないから! カレンのお師匠さんだろ!? だからなんとも言えない親近感みたいなもんってことにしといてくれ!」
「だから? わかった上で、嫉妬をするのは見苦しいとでも?」
「あー、レイ。帰ってからな? ちゃんと二人で話しあおうな?」
 執務机を前に腹を抱えて笑っているエリナードを尻目にエドガーは言う。こくりと嬉しそうにうなずくレイ。けれどエドガーは知っている。二人きりになればこんな話など決してしないと。ふっと風に乗って外の剣戟の響きが届いた。ぎょっとして身をすくめたレイをエドガーは咄嗟に抱き寄せる。
「……大丈夫か。やめた方がいいか」
「大丈夫、だと思う」
「無理はするな。――エリナードさん、こいつは」
「エドガー。大丈夫だ。いまは、驚いただけだから。ここは、こういう音が聞こえるとわかっていれば、平気だから」
 顔色を変えて詰め寄ってくるエドガーをエリナードは微笑んで見ていた。それからレイはそう言ってるぜ、と顎をしゃくる。エドガーはエリナードに従うしかない。レイの望みは、容れたかった。
「つらかったら、言ってくれよ。あんたが言いにくかったら、俺から言うからな。いいか?」
「わかってる。――君がそう言ってくれるから、僕は大丈夫だ」
 裏手で訓練をしている、と聞いたときから不安はあった、エドガーには。どこも似たような構造だと言ってしまえばそれだけのこと。だがしかし、タングラス邸もそうだった。時折じっと佇んでいたレイ。当時を思い出していないとはエドガーには思えない。
「大丈夫」
 そっと微笑んでいるレイの顔は青い。握りしめている拳も指先が真っ白になっていた。その手を包み、エドガーは黙って彼の目を覗き込む。それからうなずいて見せた。せめてここに自分はいると。ほんのりと笑うレイの力になれているのならば。
「では、今日から? お世話になります、エリナードさん」
「おうよ、頼むぜ。ほんと、大助かりだわ。まぁ、面倒はかけねぇようにするからよ。エディはそっちから外まわってくれ」
「わかりました、よろしくお願いします」
 頭を下げ、ふと気づく。レイの眼差しがまた装飾品を見ていた。綺麗なものは誰が見ても美しい。女性の方が好みがちだと思われているけれど、意外とそうでもない、エドガーも眺めるのは好きだった。
「レイ。あんた、どれが一番きれいだと思う?」
 突然の問いにレイが小首をかしげる。まるで以前のよう。タングラス領を出る前のような、けれどそれ以上に翳りのない彼の顔。大した質問ではない、と微笑むエドガーにレイもまた微笑む。
「これが――僕は好みかな。どれも綺麗だけれど、こういうあっさりしたものの方が、僕は、好きだ」
 レイが指したのはほっそりとした腕輪だった。金属の輪ではなく、鎖でできている。その途中にぽつりぽつりと小さな緑の石が嵌っていた。銀の鎖といい緑の石といい、なんとも涼やかだった。
「エリナードさん、それ幾らです?」
「買うか? イーサウまで運ぶわけじゃねぇからな、俺の手間賃だけでいいぜ」
 言いながらエリナードは手指でひょい、と仕種をする。思わずエドガーは笑っていた。傭兵隊で使う指文字だ。隊によって癖はあるものの、数字はたいていどこの隊でも似たようなもの。レイ一人わからずに首をかしげていた。
 示された値にエドガーは、けれどいいのだろうかと思ってはいる。手間賃と言ってくれたけれど、それにしても安い。が、ありがたいことではある。腰につけた小袋には、まだ幾許かのものがあった。
「甘えさせてもらいますよ」
 小粒の宝石を執務机に置けばエリナードがにやりと笑う。傭兵はそうやって財産を持ち歩く。亡くなった伴侶も彼も傭兵隊にいたという。そのことを思い出しているのかもしれなかった。
「まいどあり。どうする、包むか?」
「いいですよ、そんなの。――レイ、手ぇ出しな」
「……え?」
 やり取りにむつりとしていたレイの目が丸くなる。おずおずと差し出した手に、エドガーは腕輪を巻いてやった。
「ただの飾りかもしれねぇけど。エリナードさんの手になるもんだし。ま、お守り代わりにつけとけよ」
 タングラス邸との相似を思って怯えているレイだから。せめて心浮きたつものが側にあれば気が楽にもなるだろう。エドガーの思いは受け取られたのかどうか。うつむいたままうなずくレイの顔は見えなかった。




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