食事の間は楽しく過ごすのが礼儀、とでも言うようレイは朗らかだった。エリナードが育ったラクルーサとはどんなところなのかを問うては驚いてみたり笑ってみたり。時折エドガーが旅先での見聞を挟めばそれにも明るく笑う。ことり、ファネルが食後の茶を淹れてくれた。途端にレイの顔つきが引き締まる。不意に男の顔だな、そんなことをエドガーは思う。彼の兄にあたるチャールズのよう、レイを女の代用と見做していたわけでは決してない。チャールズは彼をそうして貶めていた。エドガーは断じて違う。それでもレイに男の表情がこんなにもきっぱりと表れたことに驚いてはいた。 「そろそろ、いいでしょうか」 きゅっとつぐんだ唇は、血の色を浮かべていた。噛みしめていたのだろう。何も言わずエドガーはただ横にいる。それしかできない。そんな彼をレイがちらりと横目で見やった。そして吐息。まるで安堵のような。 「――先ほども言いました。僕は、やっぱり考えるだけで、同性が怖い。でも」 こうして話していてもエリナードに恐怖することはなかった、レイは言う。話しているから慣れたのではない。それはエドガーが知っている。黒猫の副隊長のヒューは見た目こそいかにも傭兵で、しかも一度はチャールズと見間違えたほど武骨な容貌。けれど、あれで心根の優しい男だとレイも知っている。それでも顔を合わせるたびに一瞬は竦んでしまう体をレイは隠せなかった。 「ちなみに。俺とイメルだったらどっちがより、怖くない?」 エリナードの悪戯をするような口調にほっとレイが息をつく。立ち上がろうとする心と、立ち止まりたい心と。何気なく伸びてきたレイの手を握れば、自分でしたことに驚いたのだろうレイの眼差し。それからふわりと口許がほころんだ。 「正直に言えば、イメルさんの方がより、怖くありません」 「だろうな」 「エリィ? 問題の見当がついているのか、お前は」 「ついてるよ。ちょいとばかし専門的な回答になるからな、悩んじゃいるけどよ」 答えるのを、ではなくどう答えたものかを、だろう。エドガーはじっと魔術師の顔を見ていた。もしレイを救えるのならば、その答えを知っているのならば。そんな思いが顔に出たのだろう、エリナードが苦笑し、ついで笑い出しては顎をしゃくる。 「だからじっと見つめんな。レイが嫌な顔してんだろ? その辺、気づいてやれよ?」 「私も不快だぞ?」 にやりと笑った神人の子にエドガーは頬を赤らめる。そっとレイを窺えば、どこでもない場所を見たまま彼もまた頬を赤くしていた。 「んじゃま、熱い視線にお応えしますかね」 肩をまわしてエリナードは首をひねる。まだどう言えばいいのか、困っているのだろう。それから彼はぽん、と手を叩いた。 「ざっくり言うとな、イメルは野郎じゃねぇんだよ」 「はい?」 どこからどう見ても男性に見えた。エドガーが訝しげな顔をすれば、レイも顔を顰める。よく似た表情でいて、それに気づいてもいない二人をエリナードは眺め渡す。 「もう一つ。ついでに言えば、カレンは女じゃねぇんだよ」 「あ――」 「へぇ、飲み込みがいいな、あんた。魔術師向きかもしれねぇよ」 声を上げたレイにエリナードはにこりと笑う。励まして、導いてくれているのだろうその姿。仮にも師と呼ばれるものに相応しい姿。エドガーは目をそらしたくなる。 「そんなことは……」 「カレンのとこのガキに会っただろ? あれだったら三日三晩懇切丁寧に説明しても絶対納得しないぜ、この問題」 「……確かに」 「ほう? エディは嫌な目にあったと見える。悪いな、ガキでよ」 「目一杯迷惑かけられましたがね。まぁ、カレンの弟子だし。ダチの取り成しがあるんだから仕方ない」 肩をすくめたエドガーにレイが眼差しを向けた。自分は知らないことなのかと問うような目。知っているはずだ、と目顔で言えばあのことかと呆れる。それほど嫌な思いをしたわけでもない、と。 「あんたは人が好すぎんだ」 いまだにデニスのことを認める気にはならないと断言するエドガーにレイの目が和む。それから小さく笑った。 「――ありがとう」 庇ってくれて。この瞬間にも心配りをしてくれて。レイの口にしなかった思いがエドガーに染み入っていく。何も言わず彼はレイの手を握り続けた。 「イメルさんが男性ではなく、カレン……さんも女性ではない。それはつまり」 さすがにイメルを敬称付きで呼ばないのにカレンをいままでのように呼んではおかしい、そんなレイの態度をエリナードが微笑んで見ていた。その目が一瞬だけエドガーに向く。 その鋭さにエドガーは息を飲む。昔、傭兵隊にいたと言うだけはある。そんなことを心の奥の方でちらりと思う。そうでもしなければレイに感づかれるほど動揺しそうだった。 エリナードの眼差し。レイの心の細やかさを案じていた。悪いことではない、けれどこうも繊細な心遣いができる彼は脆くもあると。だからこそ、レイはつらいのだろうと。本人はたぶんそれを自覚していない。ならば気をつけるのは誰なのか。一瞬でエリナードの目がそれを指摘していた。 「――魔術師というのは、そうやって、どちらでもあるもの、なのでしょうか」 エドガーの意識がエリナードに向いたのはわずかなこと、レイが言葉の途中で息継ぎをするほどの。エリナードは何食わぬ顔をしてうなずいていた。 「ほんと、飲み込みがよくて泣けてくるな。俺の弟子どもの馬鹿さ加減が泣けるとも言うがよ」 「そう言うな、エリィ。カレンはいい娘だろう。他の子供たちもみな、よい弟子だと私は思うぞ」 「そぉーかぁー?」 こんなに疑わしい言葉もない、とあからさまなまでに眉まで上げて言うエリナードにレイがくすりと笑った。ほっと息をつくのにエドガーまで安堵してしまう。 「まぁな、弟子どものだめさ加減は影で泣くとしてよ。あんたの言う通り。魔術師に一番大事なのはな、平衡感覚でよ。何物にも捉われない、何事にも偏らない、それが初歩の初歩で最後まで続く」 「つまり、性別にも捉われない?」 「そういうこと。その点、イメルの方が俺より優れてる。だから、あんたはイメルの方がより、怖くねぇんだ」 「あ……」 「俺はどうにも脂っ気が抜けなくってよ。根っから男だし、物の見方もどっちかって言やぁ女性的な視点に立つのが苦手でもある。できなかねぇけどな」 「カレンはあれで実に女性らしい見方もする。かと思えば男性的な考え方もする」 「それがゆらゆらしてるからまだ危なっかしいんだけどな。男性と女性の間で揺れてるわけだからよ。まだ、カレン、になっちゃいねぇんだ」 「お前はどちらかと言えば男性寄り、というところでお前という人格ができあがっているわけだな」 そうだ、とエリナードがファネルにうなずいていた。レイに考える時間を与えるため、そんな風にエドガーには見えている。実際レイが目を上げれば、エリナードはすでに彼の言葉を待つ体勢になっていた。 「僕は、男の……悪い意味での猛々しさ、男らしさが怖い。だから、イメルさんやエリナードさんが怖くないのかもしれない、そういうことだったんですね」 「たぶんな。まぁ、魔術師的な見解ではそうなるぜってところ。怖いも怖くないもな、レイ。本当はあんたが自分で決めることなんだ」 不自由な体を乗り出して、エリナードはレイの目を覗き込む。彼が男性だとわかった上で、レイは恐れなかった。真っ直ぐとその目を見つめ返す。それをよしとするよう藍色の目が微笑んだ。 「なにがあっても、そりゃあんたの人生だ。絶望するようなことがあった。それをどう処理するか、決めることができるのはあんただけだ。俺の助言でもエディの思いでもねぇ。まぁ、彼氏のあったかさってのは助けにゃなるがな」 にやりと笑うから、彼にもそんなことがあったのかもしれない。ファネルが苦笑していたから、違うのかもしれなかったが。 「あんたが俺の一門のガキだってんだったら、俺はとりあえず立って進め、歩けって言う。でもあんたには言わない。なんでかわかるか」 「……いえ」 「あんたが人間だからさ。常人はな、レイ。俺らに比べれば駆け足で生き抜いちまう。だったら、駆け抜けちまう前に、ちょっと立ち止まるのは悪いことじゃねぇ。だろ?」 同意を求められたエドガーは一も二もなくうなずく、激しく。レイに「駆け抜け」られてはたまったものではなかった。それに気づいたのだろう、レイがじっと見上げてくる。 「なにができるわけでもない。でも、ここにいる。それしかできない」 そればかりは掛け値なしの本音。本当に、エドガーはそう思っていた。本物の恋人ではない自分だ。レイの助けになどなり得ない。それでもいいのならば、ただここにいるだけならば。 「……何度も言っていると、僕は思う」 「うん?」 「……君がいてくれるから、立っていられる。君がいてくれるから、立ち直ろうとする、努力ができる。勇気が出る。……それなのに、君は」 「あ、いや。だからな? その、手助けをしたいとは思ってるんだ。でも、何ができるわけでもねぇし」 「だから、……側にいてくれるだけで、いいのに」 きゅっと引き結んだレイの唇。人前の明るいレイでも、二人きりの時の彼でもない、そんな気がしてエドガーは戸惑う。けれど、嬉しかった。同じくらい胸をかきむしられてはいたけれど、言葉だけはどうにもならないほど、嬉しかった。 「なぁ、エディよ。俺ら魔術師も含めて、人間ってのは言わなきゃわかんねぇどうしようもねぇ馬鹿ばっかなんだぜ。どんなに思ってても、言わなきゃ伝わらねぇ。言葉ってのは馬鹿にしたもんでもねぇぞ?」 「我ら神人の子でも同じだ。伝わるものがあれば、やはり嬉しく思う」 「なに言ってやがる。俺が言うと怒るのは誰だよ、ファネル」 「お前は人前で言うからだ!」 「なるほどな。しっぽり耳元で囁かれてぇと。そりゃ気がつかなかったわ。な? それなりに長い付き合いの俺らでもこのザマだぜ?」 言うべきことはきちんと言え。ありがたい助言のはずなのに、横でファネルが赤くなっていては台無しだった。 |