少し落ち着いたのだろう、レイが微笑んで顔を上げる。真っ直ぐと魔術師たちを見やったその表情に、エリナードが静かに笑みを返した。そしてその顔つきとは裏腹な無頼な仕種で手を上げる。 「ちょいと待ちな。そろそろ飯時だろうが。とりあえずあんたらの家に案内してやるよ。続きはそれからだ」 「あ、だよね。居酒屋とか風呂屋とかの場所も教えて――」 イメルが言いさしては溜息をつく。それをけらけらとエリナードが笑った。何事だろう、と顔を見合わせる二人にもすぐ事情がわかる。 「イメル師ー。風車が暴走しちゃいましたー」 気の抜けるような語調ながらとんでもないことを言いつつ駆け上がってきた青年。おそらくは魔術師で、イメルの弟子なのだろう。 「なんか不穏な台詞を聞いた気がするんだけど、俺の気のせいだよな?」 レイに言っても仕方ない。彼は隊員とは言え後方支援員だ。現場で魔術師の技を見た経験はないに等しい。 「いーや、気のせいじゃねぇな」 笑いながらエリナードが言っているから非常事態にはなっていないのだろう。それでも胸がどきどきとした。 「エドガー?」 「あぁ……魔術師が暴走、なんて言うと俺らは死ぬ覚悟だからな。それが仲間だろうが敵だろうが。制御不能の魔法が辺りかまわず吹き荒れるって感じだ」 「それは……」 「一度エイメもやらかしてなぁ。ほんと……あのときはびびったわ」 それでもあとでエイメは言った、自分の暴走などそれほどでもないのだと。ばつが悪くて言っていたのかもしれないと思っていたけれど、最近は力のある魔術師を目にする機会が多すぎる。彼ら自身が、そして彼らが関係する物が暴走したらどうなるのか。思うだけで心臓が胸から飛び出そうだ。 「お前ねぇ。あの風車はまだだめだって言っただろー。なんで触るかなぁ、もう」 「ほら今日はいい風が吹いてたんで、なんとなく行けるかなぁって」 「なんとなくで暴走したらたまんないだろ、馬鹿」 言いながら溜息をつきながらイメルは立ち上がる。叱りつけてはいるけれど、緊迫感はあまりない。だから暴走の方も大したことはないのだろう、とひとまずエドガーはほっとした。 「しっかり働いてきな、管理者さんよ」 「あいよ。たまには手伝えよな」 「ご冗談。ガキの面倒見んのなんかもう嫌だね」 すげなく言うエリナードにイメルが肩をすくめる。ファネルが笑いをこらえる。だからたぶん、若人の相手がそれほど苦手でもないのではないか、そんなことをエドガーは思う。だからこそ、自分たちの面倒も見てくれている、そんな気がした。 「じゃあ、あとでね」 からりと笑ってイメルは二人にも手を振って立ち去った。弟子と思しき青年は肩をすくめてエリナードに一礼をする。どうやら親しいらしい。 「行こうぜ、案内してやるよ」 そう言うのはエリナードだったけれど、立ち上がったのはファネル。それからすらりとエリナードを抱き上げた。あまりにも無造作で、優雅で、唖然とする。 「こいつ、戦闘班の班長やってたんだ、昔は。いまは俺の手足になってくれてるからな、ダチに譲ったけどよ」 エドガーの目に気づいたのだろうエリナードの言葉。察しのいいものだと呆れてしまう。立ち上がったエドガーの腕に重み。レイが無言で縋っていた。 「大丈夫か」 小声で問えばそっぽを向かれる。さすがに慌てた。顔も見られたくないほどつらいのかと。そっと腕を引き、抱き寄せようとすれば仕種が拒む。 「……あんた、想像以上に鈍いな。つか、こんな鈍い野郎がいるんだな。レイ、さっさと別れちまえよ。鈍感野郎相手だと苦労するぜ?」 「僕はどんな苦労をしてもいいと思っているのに、エドガーはそうは思ってくれない」 「だからそれが苦労だろって言ってんだ」 笑うエリナードと苦笑するファネル。そっぽを向いたままのレイ。おろおろとしてエドガーはレイを覗き込もうとする。歩きはじめたファネルに従って足を進めるレイの顔は見えなかった。 「あのな、エディよ。あんたはファネルが相当使えるなって思って見てたんだろ? 俺はそれに気がついたから、ファネルがどんな仕事してたのか話してやった。レイはそれがもう気に入らない。無言のやり取りってやつが癇に障ってしょうがねぇ。な? 可愛いもんだろうが。気がついてやれっての」 「あ……。いや、その。だから、レイ」 「別に、僕は不機嫌でもなんでもない」 「それ目一杯不機嫌って言うんだぜ、レイ?」 からかうエリナードに、その辺でやめておけ、などとファネルが言う。レイはまだむつりとしていた。けれど口許が少し、緩んでいる。 エドガーは、なにが起こったのかわからずにいる。たぶん、いつものだろう。人前でのレイの態度は見慣れている。それをからかわれて、くつろいでいるのかもしれない、レイは。 「レイ?」 もう一度拒まれたらどうしようか。そう思いながら腕を引けば寄り添ってくる体。これもいつものこと。華やかな痴話喧嘩をして、仲直りをして。人前のレイはいつも明るい。 「案内する小屋は、まさに小屋だ。一部屋あるだけで、煮炊きはほぼできないに等しい、茶ぐらいは淹れられるがな」 だから食事は居酒屋でするか友人の家でするかだ、とファネルは顎先で酒場を示す。横柄な仕種なのは両手でエリナードを抱いているから。忍び込むようなその言葉にどれほどエドガーは救われたか。レイのことをいまは、考えたくない。これから二人きりになれば、彼はまた静かなレイに戻ってしまう。 「広場から進むと――」 湖の道を下り、居酒屋街を抜ければ広場がある。エドガーはふと気づく。どうやらファネルとエリナードは迂遠な道を取りながら町中を案内してくれているらしい。 「公共浴場があるぜ、その先に。でかい湯船があって、けっこういいぜ」 「そうですか……でも」 「ご心配なくってやつだな。ここは砕けた国でな。しっぽり行きてぇやつらが使えるようなちっちゃい浴室完備だぜ」 「違うからな、二人とも。我々神人の子らは人目に肌をさらすのを好まない。それを慮って作ってくれたものだ」 「でも俺らも使うしな、ファネル?」 「そういうことを言うな、と言っているだろうが!」 恋人の腕の中で身をよじって笑っているエリナードが、エドガーは羨ましかった。見交わす笑みがなんとも幸福そうで、たまらなくなる。 「エドガー? その……僕は、だから……」 「あぁ、いいぜ。付き合うよ。気にすんな」 「エドガー?」 「風呂だろ? あんた、大浴場はごめんだろ? でも一人も嫌だろ、いまはまだ。一々気にするなよ」 ふっとエドガーの耳に届いた風の音。あるいはエリナードの溜息。呆れられた気がするけれど、なぜだろう。レイが小さく笑っていたから、どうでもよくなった。 少しずつ街から森へ。この国に入ったときには街もまた森の中にある、そう思ったけれど、こうして歩いてみればはっきりと森は更に深い。 「上みな」 言われてエドガーは息を飲む。レイはゆったりとした吐息を。憧れのような夢のような。確かにそれは幻想的な景色だった。アリルカの巨木にかけられた小屋がいくつも見える。一本の木に何軒もかけられているかと思えば、一つだけのものもある。夜になって灯りが漏れればどれほど美しいだろう、エドガーですらそう思った。 「ここが俺んちだ。なんかあったら一声かけてくれ。用がなくても茶ぐらいならいつでもあるからよ」 遊びに来い、言ってくれたエリナードが示した小屋は他のものと少し趣が違う。小ささも、佇まいもさほど変わりがないのに、どこだろうか。エドガーの目が一点に気づいた。 「さすがいい目をしてるよな、傭兵の目だぜ。――て、だからな、レイ? 一々そういう目をしないように。俺は言ったぜ、焼きもち妬きは彼氏一人で充分だってな」 「それは誰のことだ? よもや私ではないだろうな、エリィ?」 「あんたじゃなかったら誰だってんだよ? 俺は性分として浮気はできねぇぜ?」 「するとは思っていないが。嫉妬深いと言われるのも」 「闇エルフがなに言ってやがる。面白いこと教えてやるぜ、レイ。こいつな、俺がダチと喋るのも気に入らねぇ、拉致監禁して誰にも会わせたくねぇとかほざいたことあるんだぜ?」 エリナードの、それは戯言だったのだろう。それは間違いない。が、レイにどう聞こえるかまでは彼にはわからない。さっと顔色を変えたレイの腕、咄嗟に離してエドガーは肩を抱く。 「……大丈夫。なんだか、羨ましくて」 「羨ましい?」 「そこまで思われて、少し。君はそうは言ってくれない気がして」 「俺は真っ当なんだ。歪んでねぇだけだ!」 笑ってエドガーは二人を見やる。ファネルは無言で悶絶していたから、暴露話がよほど恥ずかしかったと見える。ということはつまり、事実ということ。内心でエドガーは呆れる。 「でも、君になら――」 呟いたレイにエドガーは言葉を失いそうになる。それから慌てて心の中で激しく首を振った。レイは違う、エドガーにならば監禁されてもいいと言ったのではない、きっと人前で見せるいつもの顔。それだけだ。何より一度は青ざめたレイの顔が少しずつ元に戻っている。それがエドガーには何より大事だった。 「ちなみに、俺んちが他と違うのは俺の足。ファネルが俺を抱いて上がるからな、他にはない段梯子があるってわけだ。それにエディが気がついたのを褒めただけだからな、レイ。妬くなよ?」 「妬きます、やっぱり」 「……わかる」 ぼそりとしたファネルの言葉に一同息を飲む。ついで上がった笑い声はエリナードのものが一番大きい。次に大きかったのは驚くべきことにレイだった。 「愛する人のことは自分が一番理解していたい。そういうものだろう、レイ?」 だからエリナードと通じているような気がすると嫉妬してしまう。その気持ちは自分もわかる。ファネルの言葉にレイがほんのりと目許を和ませては微笑んでうなずく。それこそエドガーの顔色が変わるくらいに。 「実はどっちもどっちか。なるほど、嘴挟むと馬鹿を見るってやつだな。――ここだぜ」 笑うエリナードが連れて来てくれたのは他と変わらぬ一軒の小屋。何より樹上にはここ一軒だけがかかっている、それにレイがほっとしていた。あるいはそれさえ見越しているのかもしれない、彼は。つん、と胸の奥が痛くなる。 |