木蔦の家

 真っ直ぐと街道を進んでいたならば、あるいはもう少し早く到着したかもしれない。二人の馬は追手を考慮して迂回路を取るようにされているらしい。おかげでたぶん、数日は損をした。
「おかしいな」
 ふと呟いたエドガーの声にレイが顔を上げる。体を鍛えていない、旅に慣れているわけでもないレイだ。この数日でずいぶん疲れを見せている。預けてくる頭の重みが快かったけれど、エドガーはそれも不安の種だった。
「エドガー?」
 ゆるりとした声。疲労を見せないよう、精一杯に努力しているのだろうレイ。そんな必要はない、と言っても彼は黙って首を振る。
「いや、大したこと……だな。魔物に、遭わないだろ?」
 言われてレイは瞬いた。ゆっくりと体を起こし、辺りを見回す。街道から外れた道は細く薄暗い。人家も稀な、ましてシャルマークとあればどこに魔物がいてもおかしくはない。むしろ遭わないほうが不自然。
「まぁ、想像はつく、かな」
 苦笑してエドガーはレイを引き戻す。もたれていていいと。預けてくる体のぬくもりを欲しているのは自分の方こそ。
「カレンだと思う。なにか仕込んだのか、そもそも馬なのか、そこまではわかんないけどな。あいつがなんかしてくれたんだろうさ」
「そうか……カレン師が。ありがたいことだな」
「あんた一人なら俺も守りきる自信があるって断言できりゃかっこいいんだけどな。相手が大群だったら俺一人じゃ正直手に余る。ありがたいぜ」
 言えばレイがくすりと笑う。エドガーとしては単なる事実だ。エイメが墜とされた戦闘を彼は忘れてなどいない。いつ何時大群に遭遇するかわからない、それがシャルマークという土地の恐ろしさだった。
「――君は、とても素敵だと思うよ」
「な……。いや、それは。まぁ、礼は言っとく」
「そんなに照れるようなことか?」
「照れてねぇよ!」
 声を荒らげれば器用な魔法の馬が振り返っては嫌そうに首を振る。人めいていて、それにもレイは笑った。
 こうして旅を続けていれば、レイはくつろいでいる。狼の巣にいるときよりずっとくつろいでいる、そんな気すらする。確かに慣れない野営に疲労はしている。けれど心は遥かに。他人が存在しない、それがいいのかもしれなかった。
「ここ……か? ほんとに?」
 馬が進んでいくのは鬱蒼と茂った森の中。アリルカという伝説の国には相応しいような気もしたけれど、国があるとは思えない茂り具合だった。
「さすが魔法の馬」
「エドガー?」
「いや、生身の馬だったらとっくに足を取られてるな、と。まだ乗ってて平気だろ?」
「そうか。そういうものなんだな。……僕は、色々なことをあまりに知らないな」
「そのぶん、俺が知らないことをあんたは知ってる。つり合いは取れてるってことにしとけよ」
 ぶっきらぼうなエドガーにレイが笑った。狼の巣で聞いていたような、はしゃいだそれではなく、あえて言えばタングラス領で知り合ったばかりのころのような。それよりも明るく華やいでいるのは、知り合ってからの期間が長くなったせいか。
「聞いてもいいか? その、カレン師のお師匠様、という方のことなんだが」
 カレンとより親しかったのは確かにエドガーの方。すっかりエイメとは仲良くなったレイだったけれど、カレンは尊敬していた分、馴染むとはいかなかったらしい。
「あぁ、因業ジジイだのクソ親父だの散々なこと言ってたっけな」
「……その方に、会いに行くんだろう、僕らは?」
「お届け物を預かってるからな」
 ぽん、と馬の首を叩けば大事に扱えとばかり嘶く。思わず吹き出してしまったレイの明るい声。エドガーはこの旅がずっと続けばいい、そんなことを思う。
「どんな方なんだろうか」
 あの、カレンの師である、というだけでどれほど偉大な男なのか、と思ってしまう。人を人とも思わないカレンの態度を、その師はどう扱っていたのだろう。
「できれば、普通でいてほしいよなぁ」
「無理だと思う」
「だな」
 どことなく想像がついてしまって、溜息をつきあう。そして顔を見合わせては笑いあう。こんなことは、できる。まるで恋人同士のように、こんなことだけは、できる。いつか壊れて崩れてしまう、その恐怖に耐えられれば、このままでいるのも悪くはないと思うほどに。ふい、とエドガーから視線を外し、レイは彼に体を預ける。
「……このまま、この旅が」
 レイの声が聞こえたようではっきりとは聞き取れなかった。彼の顔を覗き込もうとしたそのとき、落ち葉を踏む音。意図的に立てられた音だ、と傭兵の耳は感じ取る。さっと緊張をして剣に手をかけたエドガーに、レイもまた体を強張らせる。せめて自力で馬上になければ、との覚悟。
「やあ、長旅だったね。アリルカにようこそ」
 呆気にとられるほど暢気な声だった。道の真ん中に出てきたのは、すらりとした吟遊詩人めいた容貌の男。それにしてはそれらしくない格好だったが。あえて言えば、街の若者のよう。それでいて違和感、エドガーは気づく。魔術師か、と。
「それ、カレンだろ? 大物だなぁ。さすがにそれだけの大物だと感知できるからね。迎えにきたんだけど……」
 聞いてないの、と言うよう男は首をかしげた。聞いていないもなにもまるで見当がつかない。が、カレンの名が出たことで、そして馬に言及したことで男がカレンの知己であるらしいとは思う。あるいは、とエドガーが口にしかけたときレイが男に尋ねた。
「ご無礼を承知でお尋ねするが、あなたがフェリクス・エリナード師ですか」
 言った途端、男が仰け反って顔の前で大袈裟なほど手を振った。そんな極端な反応をされるとは思ってもいなかったのだろうレイだ。不安そうにエドガーを振り振り仰ぐ。が、エドガーとしても回答の持ち合わせがない。
「とんでもない! あんなのと一緒にしないでよ! まぁ……俺も俺で変わってるとは思うけど。一つ言えることがあるなら、俺にカレンの師匠は務まらない。絶対に!」
「だったらあんたは誰で何もんだ。こっちは大事な預かりもんを運んでる最中だ。ぴりぴりしてるぞ?」
 あからさまに剣に手をかければ、男がきょとんとした。そして破顔する。喜ばれる理由のわからないエドガーが今度はレイを見る羽目になった。
「うん、ありがとう。大事に運んでくれて。カレンも喜ぶと思う。俺? 俺はイメル。正式に名乗っておいた方がいいかな? タイラント・イメル。まぁ、カレンの師匠筋ではあるんだけどね」
 肩をすくめたイメルの名に、二人とも覚えがあった。レイの方はぼんやりとした記憶だったけれど、エドガーは覚えている。
「師匠筋? カレンはあんたの後継者だって聞いてたが」
「それはそれであってるよ。でも俺のって言うより、塔の後継者ね。個人的な関係で言うなら、エリナードの跡継ぎだから、カレンは」
 どこがどう違うのか、魔術師ではない自分たちにはさっぱりわからないことだ、とエドガーは理解を放棄する。それで問題ない気がした。レイも首をかしげつつ、イメルと名乗った男に敵意は見せていない。恐怖も見せていない。大事なのはそちらの方だった。
「ところでイメル師。俺らは預かりもんがある。エリナード師にな」
「うん、知ってる。だから迎えにきたって言わなかったっけ? あぁ、エリナード本人が来ない理由? あいつが自力で出てくると彼氏がめちゃくちゃに怒るからね。彼氏はいま仕事中だし」
「……もう少しわかりやすく言っていただけるとありがたい」
 頭痛がしてきたエドガーだったけれどレイは楽しそうだった。魔術師とは不可思議な種族、と思っているのだろう。そう割り切れば、これはこれで楽しめる状況なのかもしれない。
「あれ、カレンから聞いてないの? エリナード、体が不自由でさ。自力で動けないんだよね」
 あっさりとなんでもないことのようにイメルは言った。途轍もなく申し訳ないことを尋ねてしまった気がしたエドガーなのに、それすらも気にするなと言ってくれているかのよう。思わずまじまじと彼を見れば、にこりと微笑まれた。それにようやくまだ自分が馬上にある、そのまま言葉を投げつけている無礼さに気づくありさま。慌てておりようとしたら笑ってイメルは止めた。
「気にしないでいいよ。もうそこだからね」
「ならばよけいに。僕は――レイ」
 彼は迷った。本名をきちんと名乗るべき相手である、そう迷った。その迷いをたぶん、イメルは見て取った。そして好きに名乗っていいと無言の内にレイを肯定してくれた。胸の奥を鷲掴みにされるような、それは嫉妬。エドガーは目をそらして自分もまた馬からおりる。
「エディだ。よろしく頼む」
 本当はこのアリルカという国の重要人物だろう、彼は。その彼にこんな態度は好ましいものではないはず。けれどイメルはレイにそうしたよう、エドガーをも許容していた。ふ、とレイが見上げてくるのにエドガーは小さく笑う。
「あんたはいままでどおり。好きに呼んでくれてかまわないぜ?」
 言えば図星だったのだろう。ぽ、と赤らむレイの頬。エドガーが通称を名乗ったことでレイはためらったのだと気づいたエドガーの冗談。それなのに彼はこんな顔をする。目をそらしたくなるほど、けれどそらせない。
「へぇ、仲良しさんだ。いいね、羨ましいな。俺はもてなくってさー」
 肩をすくめてイメルが歩いて行く。エドガーはどこまで本気かわからなかった。イメルが関心を持たれない、とは思えない。レイも不思議そうにイメルを見ていた。
 ぽくぽくと素直についてくる馬は、本物の馬のよう。はしゃぐイメルと、苦笑するエドガー。楽しそうに話を聞くレイ。本物なのはイメルだけかとエドガーは思う。楽しげにしてはいても、レイはまだ緊張している。当然だった。
「はい、ようこそアリルカへ。歓迎するよ」
 森を抜けたと思ったら、そこもまた森の中。それでいて町だった。確かにここは伝説の国、アリルカ。辺りを見回せば、至るところに美しい人々。息を飲むレイの腕を思わず掴む。
「なんて……綺麗なんだろう」
「レイ。大丈夫か」
「あ……うん。平気だ。彼らは?」
 一目で人間ではないとわかる異種族の姿。レイは怯えはしなかった。思えばミルテシア人である彼なのに魔法に対する拒絶感がまるでなかった。その延長なのかもしれない。
「彼らは神人の子ら。まだ外では半エルフとか闇エルフとかって言うかな?」
 イメルの言葉にレイが驚く。ここでは呼び方すら違うのかと。その目には確かな憧れがあった。




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